「○○さんは熱いですねぇ。それにひきかえ、若い人はどこか冷めて…」
今日のピアノのレッスンで、先生にそう評された。
ということは、わたしは若くは無い(その通り)ということだけれど。
それはさておき、熱いだなんて…いままでそんな風に言われた事なんて無かった。
自分では、どこか覚めて(冷めて)いると思っている。
ただ有り体にいえば、昔から何かに一生懸命に向かう自分が好きなだけなのだ。
そんなわたしが、密かに憧れている、それこそ何事にも熱い人がいる。
先日のお彼岸の時に、夫の実家を訪ねると憧れの人が乗っているRV車が停まっていた。
免許を持たない叔父と叔母を乗せて、時々みえるのだ。
初めて会ってから20年は経つけれど、その頃と先日もまるでかわっていなかったのには驚かされる。
叔母のお姉さんなのだが、その叔母とは何もかもが正反対。
わたしは今までに、女性としてのロールモデルなんていうものを持たなかった。
しかし、彼女がこれからのわたしのロールモデルになりそう。
わたしの憧れの熱い人というのは、今年80歳になるという女性なのだ。
とても80には見えず、RV車を運転する彼女はまさにカッコ良すぎる。
結婚はしなかったけれど、大学で障害児の絵画教育に熱く携わっていた。
70才になると母親を自宅で介護することを選択をし、そのために機能的に自宅を改造し、老老介護と揶揄されながらも自分の意思で、痴呆にはいってしまった母親の最期を全うさせた人だった。
実は義母は、そんな彼女が好きではないらしい。
時々、わたしに批判めいたことを訴える。
確かに、すべてに保守的な義母と彼女は、両極端に位置している。
白洲正子のようなタイプかも、そして女性としてはいささか型破りなところもある。
しかし、何ものにも束縛されない生き方がわたしを惹きつけ、そのうえ魅力的な女性なのだ。
社会や因習に縛られず恋多き女性だったというところが、義母は何年を経た今でも気に入らないらしい。
わたしの爪が紅いのも、未だに気に入らないらしいし(笑)
いずれにせよ、わたしは彼女の80までにはまだまだ間がある。
こうなったら、いつまでも「熱い」と言われるように生きてみようかと思ったりして…。
今日のピアノのレッスンで、先生にそう評された。
ということは、わたしは若くは無い(その通り)ということだけれど。
それはさておき、熱いだなんて…いままでそんな風に言われた事なんて無かった。
自分では、どこか覚めて(冷めて)いると思っている。
ただ有り体にいえば、昔から何かに一生懸命に向かう自分が好きなだけなのだ。
そんなわたしが、密かに憧れている、それこそ何事にも熱い人がいる。
先日のお彼岸の時に、夫の実家を訪ねると憧れの人が乗っているRV車が停まっていた。
免許を持たない叔父と叔母を乗せて、時々みえるのだ。
初めて会ってから20年は経つけれど、その頃と先日もまるでかわっていなかったのには驚かされる。
叔母のお姉さんなのだが、その叔母とは何もかもが正反対。
わたしは今までに、女性としてのロールモデルなんていうものを持たなかった。
しかし、彼女がこれからのわたしのロールモデルになりそう。
わたしの憧れの熱い人というのは、今年80歳になるという女性なのだ。
とても80には見えず、RV車を運転する彼女はまさにカッコ良すぎる。
結婚はしなかったけれど、大学で障害児の絵画教育に熱く携わっていた。
70才になると母親を自宅で介護することを選択をし、そのために機能的に自宅を改造し、老老介護と揶揄されながらも自分の意思で、痴呆にはいってしまった母親の最期を全うさせた人だった。
実は義母は、そんな彼女が好きではないらしい。
時々、わたしに批判めいたことを訴える。
確かに、すべてに保守的な義母と彼女は、両極端に位置している。
白洲正子のようなタイプかも、そして女性としてはいささか型破りなところもある。
しかし、何ものにも束縛されない生き方がわたしを惹きつけ、そのうえ魅力的な女性なのだ。
社会や因習に縛られず恋多き女性だったというところが、義母は何年を経た今でも気に入らないらしい。
わたしの爪が紅いのも、未だに気に入らないらしいし(笑)
いずれにせよ、わたしは彼女の80までにはまだまだ間がある。
こうなったら、いつまでも「熱い」と言われるように生きてみようかと思ったりして…。