父 逝く

2010年06月13日 | diary
父が逝き、初七日も過ぎた。
やっと私の日常が戻りつつある。

父は亡くなる1週間前から急激に体力が落ち歩くこともままならず、更に3日前には私のことさえ分からなくなった。
それでも手を借りながら、トイレで用を足し、最期までほとんど人の手を煩わすことなく眠りながら旅立った。
まして、自分の家の自分のベッドの上で逝くことができたなんて大往生だったと思う。

父の生前の意志で、近親者のみの家族葬で父を送った。
父の趣味は絵を描くことだったので、祭壇の周りに父の描いた油絵を飾り、ホールには小さなキャンバスや板に描かれた小品を並べ、好きな作品があったら父の記念としてお持ち帰りいただいた。
姉と、誰も持って帰って下さらなかったらどうしましょう(笑)などと言っていたけれど、残っていなかったのでとても嬉しかった。
そしてお別れは、タンゴが好きだった父のために、姪がヴァイオリンでラ・クンパルシータなどを弾き本当のお別れとなった。

父の事務所に入ると、年齢ゆえいつお迎えが来てもよいようにアドレス帳や手帳などプライベートなものがすべて処分され
代わりに机の上に残されていたのは、父が20代の頃から書き溜めていたスケッチブックの束と、書きかけの家の歴史だった。
そんな大正生まれの父は頑固のうえわがままで、私とはよくぶつかり苦手な父だった。
今にしてみれば私も父もどこか似ているからこそだったのかもしれない。

父は自分より若い人を何人も送ってからは、事あるごとに「もういつ死んでもよい。死にたい」などと、漏らすようになった。
けれど、死にたいと言う意味は「送った人達に逢いたい」という意味合いだったような気もして…。

今はあの世で、父は沢山の友人たちに出逢い、昔のように楽しいお喋りを繰り広げているだろうか。
コメント (4)
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