ふぅ、、、、、

2005年01月19日 | diary
今週になり、父の手足に麻痺がでる。主治医の先生もあまりの急な変化に驚くが、いちばん驚いているのは父、本人だ。しかし、随分前から足腰が日に日に弱ってきているのには気がついていた。でも86歳だもの…。いつかは、こんな日が来るだろうことは覚悟していた。介護保険の申請もしてきたが、父がこういう状態から少しでも脱しようと前向きなのが救いだ。この気持ちがいつまでも続くようにと祈らずにいられない。

父親は子供の頃から苦手だった。姉と比べられ、可愛げがない子だと叱られてばかりいた。おまけに、わたしが男の子だったら良かったと思っていたらしい。祖父から父への仕事を継ぐ男の子が欲しかったんだと思う。しかし、気づくと父を目指すように、父と同じ仕事を選んでいた。

遠くの息子に、自分のお祖父ちゃんの現状を伝える。
そういえば今日は息子の誕生日だった。



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還暦をすぎたシルヴィーバルタンにびっくり

2005年01月15日 | diary
シルヴィーバルタンが来日するらしい。
う~ん。それにしても随分懐かしい名前だこと。
最近、TVなどでバルタンの歌をよく聴く。「あなたのとりこ」映画のウォーターボーイズの挿入歌らしい。
e-プラスの写真を見たら、昔とほとんど変わっていないのにビックリ。
バルタンの年齢が気になり検索をしてみると、1944年生まれなのにビックリ。
て、ことは還暦をすぎていることに、またビックリ!
C.ドヌーヴだって少し太ったけれど相変わらず美しいし、アメリカやフランスは若返りの研究や美容整形が盛んだと聞く。わたしだって出来るのなら、コラーゲン入れたり、シワとりしたい。
せめてもと、サプリメントを飲んでみる……気休めでも摂らないより、ま、いいかと思い、今の自分にガマン。

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夢は短い狂気・・・

2005年01月14日 | diary
「夢は短い狂気、狂気は覚めぬ夢」そう言ったのは、ショーペンハウエルだったろうか。
何で今さらこんな夢をみるのだろう……そんなことがたまにある。

「週末は天候が悪そうです。もしかしたら雪が降るかもしれません。センター試験があるので…」
昨夜の気象予報官の言葉が、わたしの心の奥底に残っていた記憶を狂気の夢にかえたのだろうか。夢は常に整合性が無く、いつも変…。何十年も前の大学受験の夢をみた。第一志望に失敗した事がいまだに引っかかっているとは思えないのだが。

試験開始の合図で、みんなが白いキャンバスに描き始める。しかしわたしの前だけキャンバスがない。手を挙げて、試験官にキャンバスがないことを告げると、教室の後ろの棚から持って来るように指示をされた。(受験のときはキャンバスではなかった)棚に何枚ものキャンバスが置いてあるのだが、どれをみても全部様々なカラフルなチューリップが描いてある。試験官に、どれにも絵が描いてあるのですがと訴える。夢の中でも気持ちが悪くなるほど焦っている。生協で買ってくるように言われる。周りの人はどんどん描き進んでいる。わたしは更に高まる焦燥感を抑えて地下にある生協へとんでいく。

すると生協の入り口の前に、大勢の人だかり。そこでは何故か何組もの大道芸人が玉に乗ったり、ジャグリングをして、わたしの行方を阻み入り口に近づけない。「どうしよう…」焦りが最高潮に達したときに、はっと目が覚めた。
その「はっとの目覚め」がどうしようもなく気分が悪く重いのだ。時には寝汗が額や全身に浮いている。

これはただの夢なのよ、と自分を納得させて、やっと正気に戻る。しかし後味が悪く、朝まで更に変な夢をだらだら見続ける。
おかげで、今日は一日気分が悪かった。


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泣けやしない「アンナとロッテ」

2005年01月13日 | movie
オランダ映画「アンナとロッテ」を観る。
映画好きなわたしだが、最近は忙しさに紛れこの映画は知らなかった。
市内のミニシアターのサイトで上映を知り、レディースデーに行く。
観客は四人だけ。おまけにダヴのチョコレートまで頂いて……
何だか申し訳なく思う。こんな空いた映画館にひとりなんかで来ちゃってごめんなさい……そんな感じ。
どうやら泣ける映画らしい。子供が出演して、ましてその双子が離れ離れに引き裂かれ、数奇な運命を辿るストーリーといえば悲しくない訳がない。でもわたしは泣けない。

物語はナチが台頭する時代。
やっと双子の姉妹が再会できたと思ったら、ユダヤ人の恋人を持つロッテにアンナが不用意に放った言葉。「彼ってユダヤ人なの」
その言葉に傷ついたロッテは、アンナとのそれ以降の再会を拒絶する。
ロッテのユダヤ人の恋人は収容所で死に、アンナのナチ親衛隊の夫も亡くなる。数十年経ってもアンナを許せないロッテ。
アカデミーの外国語映画賞ノミネート作品なのだが、ふたりのうらみやつらみ、悲しさなどの心の葛藤がわたしに伝わってこないのだ。
いくら時代に翻弄されたとはいえ、双子の片割れの姉妹をそんなに憎めるものだろうか。
幸せだった子供時代や引き離された時の辛い過去を忘れ、恋人との愛の思い出ばかりに生きるロッテの生き方がわたしには後味が悪かった。
それなのに、キャッチコピーの「いつも一緒にいたかった」って言われてもねぇ。
この映画は本国のオランダだけではなくヨーロッパで大ヒットしたらしい。
やはりこういう時代背景を持った作品は、ヨーロッパでは特別な感慨で迎えられるのだろうか。

2年前にポーランドへ行った。
1度は訪ねたいと思っていたアウシュビッツ収容所へ行く。
その収容所に実際に立ってみると、まるで現実感を得られない自分に驚く。
写真でみていたモノクロの景色、整地されだだっ広いだけの敷地、建物のなかに膨大に残っている遺品や焼却炉やガス室、コルベ神父が入れられたという恐ろしい立ち牢。それらが時を経て浄化されている気がしたのかもしれない。
収容所が開放された後に、男がたったひとりで植えたという並木が美しかった。
ドイツの若者は、必ずここを訪れる。しかし今だにホロコーストの呪縛のなかで生きている人たちがいる。
姪のウィーンの先生は腕に番号が彫ってあるという。
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ブログの読み方、楽しみかた

2005年01月05日 | diary
 新聞に「私が選んだこの一冊」の欄がある。
今週の一冊はサラリーマンとして過ごした人が、雑誌に掲載していた日記をまとめた本だった。
でも、その人と少しでも接点があったり、知り合いだったら読み物として興味があるだろう。
しかし全くの他人がどこで飲んだくれたり、どんな映画を観たか、親戚の誰が病気になったなんて内容を読みたい人がいるのだろうか。ま、有名人の日記だったら、また意味合いが違ってくるけれど。
 しかし、ブログもそういうものかもしれない。
わたしにもお気に入りのブログがいくつかある。
TBやコメントもあまりしないが、さて彼女、彼は何を書いて下さったかしら、と楽しみに覘く。
それを何回か重ねていると、そのブロガーの人となり、プロフィールが私の中に勝手に出来上がってくる。わたしの独断的な思い込みで、多分ご本人とはまるで違うだろう。
先日も、書き言葉や内容で、ずっと女性だと思っていたら男性だった。
パソコンの出来る60過ぎのおじいさん・・・とまたまた勝手に解釈をしていたらずっと若いお父さんだったり。しかし、思い込みが外れたときの驚きもまた楽しい。
ましてや慣れ親しんで読んでいたブログなのに、気がついたら跡形なく削除されていたり、もう止めますなんて書かれると一抹の寂しさに襲われる。
仲の良かった友達に絶交されたような(少しオーバーだけれど)そんな感じなのだ。
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