【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

封印? された空

2010-03-21 16:53:16 | 四季のスケッチ

【「チオノドクサ(雪の栄光)」】



   昨、夜半から降り出した雨。
  それはかなり激しかったようです。

   『アンの世界』 では、
  珍しくない嵐とまでは
  行かないまでも風もあり・・。

   それらは朝には治まって
  いました。それにしても・・。

   “世界がお顔を洗った”
  そんな日の朝は、
  「空気がピカピカ光っているわ」 と、なる筈でしたのに・・。

   こちら(右上)の写真は、月ではありません。朝の太陽。
  「沈まぬ太陽」? ならぬ、「黄砂に覆われた太陽」 です。

   太陽は出ているのに、本来の姿を拝めない無気味さ・・。
  ここでも、当たり前だと思っていた事の不確かさを知りました。

   尤もこの空・・一日中ではなく、午後になって青空に。
  空を眺める事が出来て、ほっとしている私がいます。

   ところで今日は 「春分の日」、お彼岸ですね。
  同じ彼岸でも、祝日法の規定は異なっているのですね。

   「秋分の日」 が、“祖先を敬い、
  亡くなった人を偲ぶ” 日であるのに対し、
  「春分の日」 は、“自然を称え、生物を慈しむ日”
  とされているそうです。
  こんな風に、単なるお休みだけではない意味のある祝日。

   そうそう、お彼岸と言えば、「ぼた餅」。秋の 「おはぎ」 と春の 「ぼた餅」。
  秋の 「おはぎ」 が「萩」の花から由来しているのに対し、
  春の 「ぼた餅」 は 牡丹ぼたん の花から。
  その証拠にPCに 「ぼたもち」 と入れると、「牡丹餅」 と変換されますもの。

   こんな風に全く同じ物でさえ、言い方を変える・・。
  こんな事からも、季節に対する先人の細やかさが伝わって来ます。

   今日の新聞にも出ていましたが、最近では太陽が東から昇り、
  西に沈むという事すら、知らない子供たちが増えて来ていると言います。

   空を眺める事も、ままならないのでしょうか。
  同時に教えもしない・・。

   四季が曖昧になって来ている昨今とは言え、
  日本人特有の季節への情感が、
  失われつつあるような危機感を覚えてなりません。
  









   


   さて、そんな心配など無用・・とばかり、
  冬の間は眠っていた春の花が、続々と開花してくれています。
  嫌が応にも季節を感じさせてくれる瞬間。

   一足早く開いた淡いピンクの 「チオノドクサ(雪の栄光)」 に続き、
  今日は、青いそれも・・。その差は歴然で、ピンクの方は既に満開です。
  
   今日開いたばかりの青色の花は、そう思って見るからでしょうね。
  どことなく不安そうと言いますか・・頼りなげに見えます。(冒頭の写真)

   かと思えば 「水仙」 は一段と艶やかになり、
  「ヒヤシンス」 は深窓の令嬢ぶりをいかんなく発揮。
  
   冬の間は全く姿を見せなかった 「ドクダミ」 も、
  いつの間にか小さな顔を覗かせて来ました。
  ハート形の緑の葉っぱで庭を覆い尽くすのも、もうすぐですね。