アカパンサスが花盛りです。南アフリカ原産だそうですが、この辺りでは普通にどこでも咲いています。私はお華の先生にこの花の名前を聞いたとき、「紫なのに赤なんですか?」って聞き返しました。すっかり日本の花だと思い込んでいたせいです。…そうそう、紫だけでなく白い花もあります。
明日本番ですが、今日、病院でリハビリを受けました。ひどい痛みは収まって、大体大丈夫なんだけど、低音のC、C#を鳴らす時に指をかばっておくれます。先生に「明日本番で、困るんです。」って言ったら、鎮痛剤をくれました。飲み薬と、塗り薬があるそうですが、塗り薬にしました。飲み薬を飲むと、精神が安定しすぎて、演奏が悪くなるのでやめました。
安心したら、だめ。少し危機でないと良い演奏ができないんです。
それにしても秋葉原の事件以来、私はプチ鬱です。
教育は予防です。どんな形でも教育に携わるものにとって、これは敗北です。
もう彼には、再教育の機会は与えられないでしょう。
3日くらい前の日経に、彼が取調官に「はじめて、ちゃんと僕の話を聴いてくれる人に出会った。」と言っていると書いてありました。それを読んでから 尚、悔しくて、悔しくて。
不幸は子どもはどこにでもいます。怒るこども、無気力なこども、泣く子ども、ののしる子ども、手を出す子ども。あの子もこの子も不幸です。
不幸な子どもが全て問題行動を起こす大人になるわけではありません。傷を受けた悲しみ、傷みを誰か一人でも受け止めることができていれば、子どもの話を信じて、聞いてくれる人がいれば、PTSD(心的外傷後ストレス症候群)は防げることが心理学の分野では分かってきているそうです。
過保護、過干渉、放任、心理的暴力、性的暴力、ネグレクトどんなことが彼にあったかはわかりませんが、彼が不幸な子どもだったことだけはわかります。彼が、話を聞いてくれる人に出会うために、あれだけの事件を起こさなければならなかったなんて、あまりにも無惨です。
子どもの話を聴かなくては、表面の穏やかさや賢さににだまされてはいけません。心の空洞に気づかなくては。心を開いてつながることを実践しなくては。それしかない。無惨な事件をおこさないためには。安心してはいけない。と自分に誓います。