音楽の喜び フルートとともに

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危機感

2008-06-27 23:11:00 | Weblog

アカパンサスが花盛りです。南アフリカ原産だそうですが、この辺りでは普通にどこでも咲いています。私はお華の先生にこの花の名前を聞いたとき、「紫なのに赤なんですか?」って聞き返しました。すっかり日本の花だと思い込んでいたせいです。…そうそう、紫だけでなく白い花もあります。

明日本番ですが、今日、病院でリハビリを受けました。ひどい痛みは収まって、大体大丈夫なんだけど、低音のC、C#を鳴らす時に指をかばっておくれます。先生に「明日本番で、困るんです。」って言ったら、鎮痛剤をくれました。飲み薬と、塗り薬があるそうですが、塗り薬にしました。飲み薬を飲むと、精神が安定しすぎて、演奏が悪くなるのでやめました。
安心したら、だめ。少し危機でないと良い演奏ができないんです。

それにしても秋葉原の事件以来、私はプチ鬱です。
教育は予防です。どんな形でも教育に携わるものにとって、これは敗北です。
もう彼には、再教育の機会は与えられないでしょう。

3日くらい前の日経に、彼が取調官に「はじめて、ちゃんと僕の話を聴いてくれる人に出会った。」と言っていると書いてありました。それを読んでから 尚、悔しくて、悔しくて。

不幸は子どもはどこにでもいます。怒るこども、無気力なこども、泣く子ども、ののしる子ども、手を出す子ども。あの子もこの子も不幸です。

不幸な子どもが全て問題行動を起こす大人になるわけではありません。傷を受けた悲しみ、傷みを誰か一人でも受け止めることができていれば、子どもの話を信じて、聞いてくれる人がいれば、PTSD(心的外傷後ストレス症候群)は防げることが心理学の分野では分かってきているそうです。

過保護、過干渉、放任、心理的暴力、性的暴力、ネグレクトどんなことが彼にあったかはわかりませんが、彼が不幸な子どもだったことだけはわかります。彼が、話を聞いてくれる人に出会うために、あれだけの事件を起こさなければならなかったなんて、あまりにも無惨です。

子どもの話を聴かなくては、表面の穏やかさや賢さににだまされてはいけません。心の空洞に気づかなくては。心を開いてつながることを実践しなくては。それしかない。無惨な事件をおこさないためには。安心してはいけない。と自分に誓います。









 

 


ボランティア

2008-06-27 00:17:58 | Weblog

三度、擬宝珠。満開でも、楚々とした風情。

今日は、ランチと夕方でそれぞれちがう友達グループで旧交を温めました。

その席で、ボランティアおばさんの放火殺人の話になりました。

人は自信を持たないと生きていけません。自信の持ち方には2つあって、一つは人に貢献すること。もう一つは人を支配下におくこと。だそうです。

小さな子どもはお手伝い大好き、「させて、させて。」と手を出してきます。
それがかなわないとき、怒ったり、泣き喚いて親を思い通りに動かします。人を支配下におくことによって、自信を得ようとするということです。

ボランティアをしていると、いろんなときがあります。いいときと悪いとき、自分が度を越してやってしまったり、疲れているのに人の世話を焼いていたり。

貢献している自分に満足していれば、人からの賞賛や、評価がなくても、活動は充実しているし、貢献の仕方は相手にも自分にも添ったものになっているはずです。
ところが、人を支配下におくことで自信を持っている人は、賞賛が必要だし、評価してくれないとむなしくなってくる。人々の注目と賞賛が少なくなってくると、過大な負担がかかっても、それを得るためにがんばる。がんばるとほめてくれる。自信回復、でもまた注目がなくなってくる。またがんばる。
貢献した表面の事実だけを見ていると同じことをしていても、中身はずいぶんと違います。

ボランティアおばさんの地域の人たちはこぞって、よくやっていたと彼女を褒めていました。でも、彼女の自信の中身はずっと以前から空洞だったんじゃないかな。

そう思って、自分の地域活動やボランティア活動や音楽によるボランティア活動を振り返ってみると、貢献感だけでなく、仲間からの評価や、所属感など、
支配欲で動いていることも多いのでは?とぞっとします。本当に人間って弱くて愚かで、悲しい生き物です。

誰かを上に置いたり、下に置いたりしている内は、ずうっと貢献感ではなく支配欲なんだろうなぁ。
まだまだ、煩悩の多い私は、だめみたい。彼女と私の間は、薄皮一枚と言う気がします。