この黄色いチューリップは夕月というそうです。オレンジ色のバラの方は、ゴルデルゼと思います…たぶん。バラは種類がありすぎてよくわかりません。
昨日の午後は、茨木のKさん宅で、デュオの練習。
テレマンの6つのカノンのソナタの一つ目を吹いた後、前回の約束どおり、ドップラーをしました。
「ハンガリー二重奏曲」と「デュエッティーノ アメリカ」
Kさんは、舞台に上げたこともあるそうですが、私はほぼ初見。
例によって、ドキドキものです。
ドップラーは、兄弟でフルートを吹いてまわったそうです。
兄弟は、ハンガリー出身となっていますが、ハンガリーは1521年にハンガリー王朝が、断絶して以来、150年間オスマントルコとオーストリア ハプスブルグ家に分割統治され、係争状態が続いていました。
1699年にトルコが撤退し、ハプスブルグが全体を統治するようになりました。
フランツ・ドップラーが生まれた1821年頃は、オーストリアとハンガリーの二重統治状態が続き、ハンガリー人が革命や、反乱を起しては鎮圧されると言う状態が続き、1867年になってようやく自治を赦されました。
しかし、その後も、ルーマニア、チェコスロバキア、ソビエトなどに、分割統治、二重統治、侵攻されることを繰り返し、今の形の国家として定まったのは1990年だそうです。
兄弟が活躍した頃は、ハプスブルグ家が弱体し、ハンガリーの民族独立運動が台頭してきた頃でもあり、ハンガリーの民族音楽をテーマにした曲をたくさん書いています。それでも、彼ら自身が、自分達のことをハンガリー人であると、生前はっきりと、言ってはいなかったようです。特にオペラで一世を風靡し、ウィーン音楽院の教授まで勤めた兄のフランツには、複雑な事情があったことも察せられます。
フランツの生地はオーストリア領ガリツィア ブルフ、没したのはウィーン。
カールは、オーストリア領リヴィウ(現在ウクライナ)に生まれ、没したのは、現ドイツ シュトゥットガルトとなっています。
長いクロマティックの連符を2重奏で合わそうと考えたのは、彼らが始めてではないでしょうか?
兄弟ならではの、シンクロの技に、世界が魅了されたのが理解できます。
このギリギリの究極技を合わせるのに、ゲームのような楽しさを感じます。
またまた、練習を約束しました。