音楽の喜び フルートとともに

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守破離

2011-12-22 21:28:26 | 哲学

よく見るサザンカもいろいろな品種があります。これは、夕陽(せきよう)というそうです。冬の街並みの貴重な彩りです。
今日の運動場は格別に寒かった。フリースを2枚来て、ヒートテックの下着、パンツに巻きスカート、ダウンジャケットに手袋。
曇り空に、風が一吹きするだけで、防寒具全て意味が無くなって、終業式後の長い放課後、子どもたちは元気に外で遊んでくれました。

「学ぶ」は「真似ぶ」からきたそうです。
楽譜の無い時代。音楽を伝えるのは、人から人へ、口伝え。先生が奏でた音楽をそのまま繰り返して覚えます。

「そのまま」って、難しい。
子どもが覚えるのが速いのは、自分の中に判断して振るい分ける規準が無いから。
情報の全ては興味深い。おもしろい。

大人は情報を自分の生きてきた規準で、これは有益、これは無益。とか、判断して切り分けて処理してしまいます。
それは、日常生活を生きていくのに大切な能力です。しかし、音楽の演奏のような、普通に生活していては、蓄積していかないような種類の知識や技術を手に入れようとする時、全く今までと違う、新しい基準を学ばないといけません。

その時、自分なりの規準を一度、脇に置いて、新しい基準でものを見るチャレンジをする。

しかし、これが大変。力のある人、成果をあげてきた人ほどたいへん。
大人であると言うこと、それぞれの生き方で、良きにつけ、悪きにつけ成果を上げてきたということ。そういう人が、経験のないことにチャレンジするというのは、それだけで勇気があるということ。

しかし、新しい経験にチャレンジすると選びきって入門する人は、まれです。
選びきっていれば、全ては興味深いし、不要な経験はないはず。

ところが、私なんか、先生の話を途中で、「これって必要な練習なのかしら?」とか、「なぜ、こんなことしなくちゃいけないの?」とか、「もっと、簡単な方法おしえてくれないのかな?」とか、心の中でぶつぶつつぶやいてしまいます。

その聞き方で、成功するわけが無い!

必要かどうか?なぜしないといけないのか?近道をしていいのかどうか?
を、先生の域に達していない、私がわかるわけがないのです。
考えている判断の規準は今の私の知識、経験、情報で、先生はそれ以上の豊富な経験、情報を持っていて、私に何が必要かを判断しているのですから、それ以上の判断を私が出せることは無い。

しかも、ぶつぶつと考えている間中。レッスンへの集中力は下がり続けているわけですから、成果が上がるわけが無いのです。

レッスンのルールは、先生が提供する情報や経験を、受け取り、味わう。
そこで、受け取るかどうか?検討していたのでは、うまくなれない。

ルールどおりの経験を味わえた人が、先生の教える型を、覚え、意味を知ることになります。

そこで、免許皆伝。

型を使いこなし、それを破った人が、そこを離れ、今度は新しい家元をつくる。

どんなお稽古も型が大切。どんな、新しい芸術も、古い型を破ることから始まります。と、いうことは初めに型があった。ということです。

「守、破、離」とは、まず、守り、そして破り、それから離れる。とい世阿弥の言葉です。

誰にでも、破る可能性がある信じたい。大人にだって、いくつになっていようと。子どもにだってもちろん。