人は子どもの頃が、一番学ぶ力が大きいです。
そのことは、音楽をする人、語学を学ぶ人、多くの教育をする人には、よく知られていることです。
しかし、大概の人は、子どもから学ぼうとはしません。
TEDで、子どが、プレゼンをしたことがあります。
「軽率なこと、馬鹿なことをすることを、子どもらしいと、よく人は言いますが、大量破壊兵器、独裁、戦争全て大人がしたこです。今度から、馬鹿なことをしたら大人らしいと言ってください。」
パキスタンの15歳のマララさんは、すべての子ども、女性にも教育を受ける権利があるといって、襲撃され、頭に銃弾を受けましたが、治療を受け、国連で演説をしました。
その中で、襲撃した人を憎んでいないと言いました。
学校で、「なぜタリバンは教育に反対しているのでしょう?」と尋ねられました。少年は本を指さして、「タリバンはこの本の中に書かれていることを知らないからだよ」という少年の話を出し、平和には教育が必要だと言っています。
子どもや、立場の弱い人たちの声も等しく聞けるような社会では、暴力は少ない。
頭で考えるだけでなく、人間の体、足や腕、皮膚の感覚を鋭敏にして、その声を聞けるようになると、自分を大切にできるようになります。
みんなが人間としての自分を大切にすれば、人の手の及ばないような大きなリスクを後の世代に押し付けなくてすみます。
ひと時の繁栄のために、後の世代の可能性まで摘んでしまうような権利は私たちにはありません。
頭で考える仕事を手足を働かせる仕事よりも、過剰に優位に置いてきた結末を、そろそろ味わわねばならない段階に入ってきたのかもしれません。
同じ津波でも、昔のがれきは、木や石や土だったのが、今では、とんでもないものが流れて、地球の果てまでいっても、環境に悪影響を及ぼし続けて、これから、何十年続くかもわからない汚染を続けています。
目に見えず、緩慢に起きてくることには、人は慣れて、無かったことにしてしまう。しかし、子どもは諦めるわけにはいかない。子どもたちは私たちの、未来、希望、夢。
頭で考えるからわからなくなります。かつては子どもだった私たち。自分の中の子どもに聞けば、どうすればいいのか?はすぐわかるはず。