音楽の喜び フルートとともに

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戦争レクイエム

2022-03-09 22:07:59 | 名曲
子育て支援のファミリーポートひらかたで保険の更新に行ってきました。
子育てサポートをするに当たって力強い支えです。
塗り替えられてきれいになってました。
梅の花

水仙が咲いていました。


子どもたちやお母さんたちが和んでくれるといいなぁ。

男爵エドワード ベンジャミン ブリテン(1913-1976年)

イギリス ローストフト生まれ、イギリス オールドバラ没
歯科医の父とアマチュアのソプラノ歌手の母の間に生まれます。
7歳でピアノ、ヴィオラを習い初め、5歳で歌曲、7歳でピアノ曲が、9歳で弦楽四重奏曲を完成しています。

10歳で交響曲「海」を聴き感銘を受け、作者のフランク ブリッジに会い、認められて、指導を受けます。

1930年王立音楽大学に入学。
1933年父親が亡くなります。
イギリス郵政局映画部に入社し、1935年には映画音楽を13作、36年には8作作り辞めました。
1936年「フランク ブリッジの首題による変奏曲」を作曲、翌年ザルツブルグ音楽祭で初演。出世作になりました。その年母親が亡くなりました。

39年第二次世界大戦の勃発に危機感をいだきアメリカ ニューヨークに移住します。
40年に日本の皇紀2600年奉祝曲を依嘱されます。
「シンフォニア ダ レクイエム作品20」を作曲しますが、曲の内容が祝典にはふさわしくないと演奏を拒否されます。

1942年帰国。良心的兵役拒否を認められサフォーク州オールドバラで作曲に専念します。
1945年ここで書いた「ピーター グライムズ」が代表作になります。
1956年来日し、能楽隅田川を鑑賞し、「カーリュー リバー」を作ります。
1976年ロードの称号を得ます。音楽家では初だったそうです。
1976年オールドバラの自宅レッドハウスで心不全で亡くなります。
テノール歌手ピーター ピアーズと


同性愛のパートナーで仕事でもパートナーとして有名です。

「戦争レクイエム」作品66は、1962年に作曲されました。
第一次世界大戦で25歳で戦死した詩人ウィルフレッド オーウェン(1832-1918年)

の詩がスコアに使われています。
第二次世界大戦における全ての国の犠牲者を追悼し、戦争の不合理さを告発し、世界の平和を願う曲です。

My subject is War. and the pity of War.
The Poetry is in the pity...
All a poet can do today is warn.[15]

私の詩の主題は戦争であり、戦争の哀れさである。
詩はその哀れさの中にある。・・・・・・
今日、詩人がなしうることは、警告することだけである。

全曲で1時間25分
「第1章 レクイエム・エテルナム(永遠の安息)」
戦死の宿命にある若者たちへの聖歌Anthem for Doomed Youth)」を歌うが、「家畜のように死んでゆく若者たちに 何の鐘があろうか。ただ 恐ろしい大砲の怒りのさく烈があるだけだ。というオーウェンの詩をテノールが歌います。

「第2章 ディエス・イレ(怒りの日)」
「第3章 オッフェルトリウム(奉献唱)」「第4章 サンクトゥス(聖なるかな)」
「第5章 アニュス・デイ(神の子羊)」
「第6章 リベラ・メ(我を解き放ちたまえ)」
静寂の中、イギリス兵(テノール独唱)、ドイツ兵(バリトン独唱)がレチタティーヴォ風に歌う。ドイツ兵は生前の希望と戦争の悲哀を歌った後、「私は君が殺した敵だよ。」と明かし、「さあ、一緒に眠ろうじゃないか・・・・・・ Let us sleep now....)」と語りかける。