月曜日は1ヶ月ぶりに渡辺橋近くのサロン・ド・ブリンシパルで、フルートアンサンブル「エスカル」の練習でした。
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とセシリア・ヤング(のちにトマス・アーンと結婚)![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/7b/dc513715b144bb6eb873a0bc99aefb32.jpg?1739367388)
のテノール、エラードのバスで歌われました。
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アレクサンドロスとタイス、ルドヴィコ・カラッチ画(1611年)
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『アレクサンドロス大王の前に出たダレイオスの家族』パオロ・ヴェロネーゼが1565年から1570年頃アレクサンダーはイッソスの戦いでペルシャアケメネス朝ダレイオス王を破りましたが、彼の家族を寛容に遇しました。
ドボルザークの「セレナーデ」ヘンデルの「アレクサンダーの饗宴」、それから、軽音シリーズ「テイク・ファイブ」と「煙が目にしみる」を練習しました。
1ヶ月休んだたげでみんなうまくなっています。
私も頑張らないと!
しかし、休んでいる間にドボルザーク2ndから1stに移動になってた!?
あちゃ〜!これから練習です。
ゲオルグ フリードリヒ ヘンデル(1685-1759年)ローマ神聖ローマ帝国ブランデンブルク選帝侯領ハレ生まれ、グレートブリテン王国ロンドン没
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1736年
聖セシリアの日(11月22日2世紀頃に殉教したカトリックの
音楽の聖人)を祝うためジョン・ドライデン(1631-1700年)
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によって書かれた「アレクサンダーの饗宴」の頌歌(1697年)を原作とし、ティモテオスが音楽によってアレクサンドロス3世
(BC356-BC323年アレクサンドロス大王)
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をさまざまな感情に導く様子を音楽で描写します。
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をさまざまな感情に導く様子を音楽で描写します。
ヘンデルは1736年1月17日に作曲を完了し、同年2月19日にコヴェント・ガーデン
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コヴェントガーデンにあるロイヤルオペラハウス
で初演されました。作品は大きな成功をおさめ、翌日の新聞報道によると初演には少なくとも1300人が集まりました。
で初演されました。作品は大きな成功をおさめ、翌日の新聞報道によると初演には少なくとも1300人が集まりました。
初演ではアンナ・マリア・ストラーダ
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とセシリア・ヤング(のちにトマス・アーンと結婚)
のソプラノ、ジョン・ビアード
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/7b/dc513715b144bb6eb873a0bc99aefb32.jpg?1739367388)
のテノール、エラードのバスで歌われました。
もともとの詞が音楽の力を描写することに意を用いており、ヘンデルはホルン、チェロ、トランペット、ファゴット、フルート、ハープなどのさまざまな独奏楽器を用いています。
またアリアやコーラスはティモテオスの歌の内容に応じて変化に富んでいます。
初演では頌歌そのものに加えて、曲の途中で3つの協奏曲が演奏されました。
第1部の途中で有名なハープ協奏曲(ハープ、リュート、リリコードその他のための協奏曲、
オルガン協奏曲作品4の6の異稿にあたります。HWV 294a)が、
第2部の最後の合唱(ハミルトンによって追加された詞による、現在は歌われないことが多い)の前にはオルガン協奏曲(作品4の1、HWV 289)が演奏されました。
幕間にはイタリア語のカンタータ「チェチーリアよ、まなざしを向けたまえ」(Cecilia, volgi un sguardo、HWV 89) と
ハ長調の合奏協奏曲HWV 318を演奏し、後者は『アレクサンダーの饗宴』協奏曲として知られています。
『アレクサンダーの饗宴』のフル・スコアは1738年に出版され、150人の予約者に配布されました。ただし協奏曲は含まれていません。
『アレクサンダーの饗宴』はその後もしばしば再演され、ヘンデル生前の20年間近くに25回の上演回数を重ねましたが、かなりの改作を経ています。
1742年にダブリンで演奏されたときにはハミルトンの詞による短い第3部を追加しています。1751年3月1日の再演では劇『アルチェステ』のための付随音楽をもとにした『ヘラクレスの選択』という作品が第3部として加えられました。
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アレクサンドロスとタイス、ルドヴィコ・カラッチ画(1611年)
アレクサンダーの饗宴
第1部
アレクサンドロス王はペルシア王を破った記念の宴会を開き、ティモテオスがリラを弾きながら歌います。
まず、アレクサンドロスを生き神としてたたえます。ついで酒神バッカスをたたえる歌を歌います。
悲しい曲調に変わり、ダレイオス王の死を哀悼します。
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『アレクサンドロス大王の前に出たダレイオスの家族』パオロ・ヴェロネーゼが1565年から1570年頃アレクサンダーはイッソスの戦いでペルシャアケメネス朝ダレイオス王を破りましたが、彼の家族を寛容に遇しました。
ふたたび主題が変わり、タイスの愛が歌いあげられます。
第2部
トランペットとティンパニを加えた激しい伴奏による合唱で軍楽が模される。ティモテオスは戦いに倒れたギリシア人兵士たちについて歌い、復讐の怒りを奮い立たします。王はたいまつを手にとり、タイスが先導してペルシアの破壊に向かいます。
リコーダーの伴奏で、テノールはティモテオスが音楽によってさまざまな感情を抱かせることができたことを述べます。
ついで合唱がセシリアをたたえ、「ティモテオスは人を天上にあげ、セシリアは天使を地上に降ろした」と歌って曲を終えます。
幕間で演奏される
合奏協奏曲ハ長調「アレクサンダーの饗宴」HWV318