10日午前中は、ギターの渡邉信行さんと合わせ練習でした。

こちらはフルートパート譜。


出版年はわかりませんが、おそらくレニャーニの生きた1790-1877年の間にイタリアの楽譜出版社アルタリアから出版されたと思われます。

は、イタリアの名手ギタリスト、歌手、作曲家、弦楽器製作者でした。

は、ルイージ・レニャーニを当時のギターの第一人者とみなしていました。


この楽譜ミュゼスコアというソフトで渡邉さんが手書き譜から起こしてくれました。
見やすい!
これは総譜(スコア)なので、見て演奏すると言うより、動きを確認するために見るので細かいてす。

こちらはフルートパート譜。
めっちゃくちや見やすくなりました。
だって元はこれレニャーニのフルートとギターのための二重奏協奏曲op23


出版年はわかりませんが、おそらくレニャーニの生きた1790-1877年の間にイタリアの楽譜出版社アルタリアから出版されたと思われます。
ルイジ レニャーニ(1790-1877年)

は、イタリアの名手ギタリスト、歌手、作曲家、弦楽器製作者でした。
彼は声楽歌としてキャリアを初め、ロッシーニやドニゼッティのオペラでテノールを演じました。
1819年ウィーンでマウロ ジュリアーニの後継者として認められ賞賛されました。
ギター演奏家としてイタリア、ドイツ、スイスを演奏して回りました。
40歳頃からパガニーニと友人となります。
ニコロ・パガニーニ(1782-1840年)

は、ルイージ・レニャーニを当時のギターの第一人者とみなしていました。
パガニーニ自身も熱心なギタリストで、弦楽器とのアンサンブルでギターの曲を作曲しました。
この二人の巨匠は、1836年にトリノでデュオとしてリサイタルを行う計画を立てていましたが、ヴァイオリニストの健康状態が悪かったため、予定日の直前にキャンセルされました。
1850 年、ギタリストはコンサートから引退してラヴェンナに住み、バイオリンとともに愛用していた楽器の製作に取り組みました。ネックの調整ネジを特徴とする有名なギター「レニャーニ モデル」は、中央ヨーロッパで広く模倣されました。
ルイジ レニャーニは、ラヴェンナで 87 歳で亡くなりました。
レニャーニは 250 曲を超える作品で、クラシック ギターのレパートリーに多大な貢献をしました。
これらの作品には、ギター独奏曲、ガタイア奏法の指導、幻想曲、ポプリ、カプリッチョ、有名なオペラのテーマの変奏曲、ギターの二重奏曲、協奏曲などが含まれています。
特に人気のものは、すべての長調と短調で書かれた 36 曲のカプリースで、おそらくパガニーニのヴァイオリンのための 24 曲のカプリースに触発されたものです。
また「レニャーニモデル」は19世紀半ばまで人気でした。

ヨハン・シュタウファー・テルツ・ギター (c.1820-1830)
CF マーティン シニア作ウィーン シュタウファー スタイル ギター) (1834-1835)
マーティン・シニアがスタウファーズで働いていたときのルイジ・レニャーニモデルです。
マーティン・シニアがスタウファーズで働いていたときのルイジ・レニャーニモデルです。
レニャーニ 36曲のカプリースNo.7