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モネとドビュッシー

2024-03-23 20:56:00 | 近代
先週行った信楽のお店の庭の睡蓮。










大きな鉢に良く咲いていました。

クロード モネ(1840-1926)フランス王国パリ生まれ、フランス共和国ジヴェルニー没

は、1890年頃から自宅のジヴェルニーに睡蓮の池のある「水の庭」


と「花の庭」


を整えていきます。
1898年からは「睡蓮」の絵を描くようになります。

睡蓮
1900年までの『睡蓮』第1連作は、日本風の太鼓橋を中心とした構図を描き

睡蓮の池と日本の橋1889年
その後1900年代後半までの第2連作は、睡蓮の花や葉、さらに水面への反映が中心になっていきました。

クロード ドビュッシー(1862-1918)フランス王国サンジェルマン・デ・プレ生まれ、フランス共和国パリ没

1907年ドビュッシー

は、映像 第1集 - 1905年

A.Durand 1905

映像 第2集 - 1907年

Durand et Fils, 1908

を、書きました。第1集には水の反映が含まれていて水を描いています。

そのせいか、ドビュッシーは音楽における印象派のように語られます。

しかし、ドビュッシー自身は
「彼等~画家や彫刻家~は、自然の要素の中の一つ、自然の瞬間の一つしか得られないし、定着できない。音楽家だけが、夜と昼、天と地のすべての詩を捉え、その詩情を再構成し、無限の鼓動に律動を与えるという特権を持っている。」
と言っていて、印象派と一緒にされることには否定的でした。

モネとドビュッシーは20歳の年の差があり、モネは印象派ですが、ドビュッシーはその後に続く象徴主義に属します。

印象派
光の動き、変化の質感をいかに絵画で表現するかに重きを置いています。時にはある瞬間の変化を強調して表現。それまでの絵画と比べて、荒々しい筆致が多く、絵画中に明確な線が見られないことも大きな特徴です。また、それまでの画家たちが主にアトリエの中で絵を描いていたのとは対照的に、好んで屋外に出かけて絵を描きました。

象徴主義
象徴主義芸術に於いて、自然風景、人間の営み、あらゆる物質的な現象が、そのままの姿で表されることはあり得ないだろう。

象徴主義芸術に於いて、それら事象は、本源の側のものである「理念」とのおのれの秘教的な類似を表象することを、運命付けられた外観なのです。(フィガロ紙「一文学宣言:象徴主義」ジャン・モレアス)

その上、ドビュッシーとモネは生涯一度も会ったことがないです。

しかし、今ではモネとドビュッシーは同時代人として語られることが多く、モネの睡蓮の池の展覧会場の音楽会に使われたりしています。

ドビュッシーは不本意かも知れませんが、20歳の年の差や、印象派と象徴派の差などは、歴史の前にはあまり関係なかったようです。

「中国のロンデル」
コロラトゥーラの技巧が全開の作品で、冒頭から高い声のヴォカリーズが微妙な五音音階。メロディが異国情緒豊かです。

中国のロンデル(抒情詩)
湖はつつじに囲まれ
睡蓮や竹にも囲まれている
上をマホガニー製のジャンク船が通り過ぎる
その舳先は尖っている

眠るひとりの中国娘は包まれている
溢れかえるような薄絹に首まで
湖はつつじに囲まれ
睡蓮や竹にも囲まれている

ギザギザなベランダの下に
中国男が立っている
フクロウの眼でじっと見つめる
ひとり通り過ぎてゆく貴婦人を

湖はつつじに囲まれ
睡蓮や竹にも..




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