音楽の喜び フルートとともに

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分割合唱をドイツに広めた男

2022-12-31 08:55:00 | ルネッサンス
萩原天神いつもの処の招き猫さん。
5歳児くらいの大きさです。

兄弟(姉妹?)もいます。


萩原天神のすぐそは。
鎮座地の日置荘は奈良古墳時代の窯跡が多く残る荘園だったそうです。
古代太陽信仰の日置部が置かれていたそう。

今年最後、なんだか縁起のよい吹き納めでした。

ジョバンニ カブリエーリ(1554?-1612年)ヴェネツィア共和国ヴェネツィア生没

作曲家、オルガニスト。
海洋国家で覇権を誇ったヴェネツィアの衰退期。

オスマン帝国と闘い、100年の間に徐々に破れて行った頃の作曲家です。

5人兄弟の一人でおじアンドレーアに音楽を学びました。
バイエルン公アルブレヒト5世の宮廷で後期ルネッサンスフランドル楽派の作曲家、オルランド ディ ラッソ(1532-1594年)に学びます。

1584年ヴェネツィアに帰国。
1585年ヴェネツィア 聖マルコ大寺院

の主席オルガニストに就任します。

翌年おじアンドレーアの死でその地位主席作曲家の地位も手に入れます。

ガブリーリはこのおじの作品を編集、校正整理して出版しています。
そのせいでアンドレーアの作品は散逸せずにすみました。

サン ロッコ大同信組合のオルガニストに就任し、ここは


聖マルコ大寺院に継ぐ大きな組織で、ガブリエーリは終生作曲に務め、多くの作品を書くことができました。


また、ヨーロッパで最も有名な、作曲家と成りました。
1597年宗教曲集「サクレ シンフォニエ」を出版するとヨーロッパ中でヴェネツィアに留学することが流行りました。
特にドイツ出身の音楽家が、熱心でした。
ガブリエーリは弟子たちにマドリガーレを研究させ、ヴェネツィア楽派の複合唱、マドリガーレ様式を母国に持ち帰らせました。

1606年頃から体調が悪くなり、1612年腎結石で亡くなりました。

ガブリエーリの功績は分割唱、空間的に離れた場所にいる2つ以上の合唱隊が交互に歌い継ぐという様式を広めました。
それはおそらく聖マルコ大寺院の建築様式バシリカと言って細長い教会堂で向かい合わせに分割された合唱隊の配置によって得られました。










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2 コメント

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Unknown (ra9gaki_do)
2022-12-31 06:57:15
おはようございます(^-^)
いつも温かいリアクション
ありがとうございます。

今年もブログのご縁を頂き
感謝いっぱいです。
お体くれぐれも大切に
どうぞ良い新年を
お迎え下さいませ。

来年もどうぞ宜しく
お願い致します(^-^)
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Unknown (m-fluteangel16)
2022-12-31 21:40:01
@ra9gaki_do さん、こちらこそありがとうございます。

ブログで、繋がりうれしい年でした。
お怪我をされても前向きなご様子に力をいただいた歳でもありました。
ご回復をお祈りしています。
来年もよろしくお願いします。
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