西洋オトギリ草が咲いていました。
は、1701年アムステルダムでチェンバロのために作曲されました。
により禁止されました。
女は王国からの追放でした。
昨日は1歳の子どもと2歳児。
今日は、82歳の母。
お琴の会の全国評議員会会議が7月にあるのですが、zoom会議。
評議員会はご高齢の方が多いので、事務局も慎重です。
お手伝いを撰んでもいい。ただし会議はセットだけして出ない。
事前に打合せを、すること。
ということで、前回アプリをいれて、日程調整。
今日、お試ししました。
時間になって無事母のスマホで入れましたが、音が出ません。
「あれ?」
事務の方が紙で音声が出ません。
と掲げておられます。
あちこち触って、音声をzoomに許可というボタンを見つけて、音声やり取りできるようになりました。
パソコンでは何度もやり取りしていましたが、母のスマホでやるのは初めて、無事準備できてよかったです。
後半は例によってお店周り。
今日はまだ、短い時間で回れました。
シャルル デュパール
Charles Dieupart(1667-1740)
フランスのチェンバリストで、ヴァイオリニストで作曲家。
パリ生まれ、ロンドンで過ごし、1702/3年にロンドンに定住しました。
ドルリー・レーンの音楽施設の、著名なメンバーでしたが、主に教育によって収入を得ていて、晩年は貧困の中に暮らしました。
ヨハン セバスチャン バッハのイギリス組曲に影響を与えた6つのチェンバロ組曲によって知られています。
6つの組曲 Fminor
は、1701年アムステルダムでチェンバロのために作曲されました。
序曲、アルマンド、クーラント、サラバンド、ガボット、メヌエットまたはパスピエ、ジーグとなっています。
フランス、イタリア、イギリスのスタイルの融合に成功しています。
この曲は人気があり、1702年ヴァイオリンまたはリコーダーと通奏低音に編曲され、1705年ロンドンで13の楽章が公開されました。
バッハは1709-1714年の間に6つの楽章をすべてコピーしました。
また、ニコラ シレにも影響をあたえました。
サラバンドは、3拍子の荘重な舞曲です。
1 重々しい3拍子のリズム(しばしば2分の3拍子)
2 4小節単位の小楽節2つからなる8小節分の大楽節
3 開始小節にアウフタクトが置かれる場合もあります。
中央アメリカ起源で1539年フェルナンド グスマン メヒアがパナマで書いた詩の中に「サラバンダ」あり、スペイン植民地で人気があり、それが海を超えてスペインに渡りました。
スペインでは猥雑であると、1583年フェリペ2世
により禁止されました。
違反すると鞭打ち200回と、男は6年間のガレー船漕ぎ刑、
女は王国からの追放でした。
サラバンドは1606年、イタリアのギター譜が最古のものです。
和声が特徴的でしたが、イタリア バロック時代にはプレストやアレグロの早いテンポが主流でした。
フランスに入るとラルゴやアダージョのゆっくりした遅いリズムになりました。
Recueil de dances, composées par M. Feuillet, 1700.
イギリスでは、速いイタリア、ゆっくりのフランスの両方の特徴が見られます。
ドイツではフランスの特徴が取り入れられゆっくりとしたものになっています。
デュパールの組曲の第4楽章サラバンドは、イタリアとフランスの中間の速さになっています。
ダンスは、ダンス譜というものがあって、ブログの中の楽譜の中の不思議なニョロニョロした絵がそうです。
これは足回りで、中央から左に出ているのが左足、右に出ているのが右足。線が回し方、点が足を置く場所です。
もちろんこれだけでは伝えきれるものではなく、他は伝承。
先生から生徒へのレッスンですね。
音楽も同じで、譜面があってもこの時代はこういう演奏スタイルという楽譜にできない多くの決まりがあって、私も先生から一音一音出しながら学びました。
ありがとうございます。