民主的に、平和的に問題を解決しようと思うと、葛藤を起さないことが、第一だと私も考えていました。
葛藤は、なるべく起さないようにするのが一番ですが、それを目的にすると、問題を先送りにし、後で、もっと大きな問題に発展することもあります。
争うのではなく、葛藤する。
本当に考えていることを、相手に伝え合う。それが、葛藤を起すかもしれない。と思っても。つきあえば、相手を傷つけないと言うことはあり得ない。最大限の注意と配慮を払って伝える言葉を捜したほうが良いと考えるようになったのです。
お互い歩みよれないところは、必ずあるのです。
そういう問題は、すぐに解決しなくてもいいのです。
それは、棚上げにして、付き合うためには、何が必要かと言う論議を早急に、しなくてはならないと思います。
無理矢理相手をねじ伏せて、自分の思い通りにすると、必ず、恨みが残り、隙あらば復讐してやろうという、気持ちを育ててしまいます。
有利なカード、金、相手の急所、法律。全て、相手をやっつけようとして使うと、同じものを手にして、こちらもいづれどこかで、やり込められてしまいます。
グループを抱えていたりするともっと解決は困難になってしまいます。
相手よりも、仲間同士の結束を優先してしまいがちだからです。
子ども達の縄張り争いでは、決して「縄張りをどこにするか?」と言う議論に加わりません。
話合いの場をつくることに終始します。
「大きな声で、どならない。」「何人もで、一斉に同じ事を話さない。」
「相手の言葉を最後まで聴きましょう。」「話す時間を、独占しない。」
「意見を言いたくなかったら、言わなくてもいいです。でも、わかってもらえないということを、自分で引き受けてね。」
「脅し、力をひけらかすこと、言葉の暴力は、禁止。」
結構大人でも守れません。
「考え方や、意見は違っても、自分でされたら嫌なことは、相手にも、しない。」と言うところに、持っていかないと、考え方も、バックボーンも違う子ども達を長い時間、同じ場所には、預かれません。
誰かを特別扱いするのも厳禁ですが、ハンディは保障しなくてはなりません。
力が無いように見えたり、泣いている子どもが必ずしも、弱いとも限りません。
力があるように見える方が、逆にハンディがあるほうかもしれません。
状況や、場面によって変るので、気をつけないと行きません。
ハンディを保障する場合も、特別扱いとの違いを、はっきり自分でも、子ども同志もわかるように、しなくてはなりません。
平和と民主主義は、知恵を絞ることだと私は思います。
人であろうと、国であろうと。
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