音楽の喜び フルートとともに

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伝える力

2011-06-16 21:48:40 | 本・映画など

ガウラはルイジアナ原産。和名を白蝶草といいます。蝶に似せたのか、花びらは2枚が小さくなっています。白が一般的ですが、これはシスキューピンクという品種です。

池上彰さんの「伝える力」PHPビジネス新書を読みました。
もうここ何ヶ月もベストセラーなので、最近発刊かと思ったら、第一版は2007年発行でした。
テレビの力はすごいです。流行ものは買わないのですが、古本屋に行ったら目当ての本がなくて、これを買ってしまいました。

テレビを見ていると、池上さんの話は本当にわかりやすい。
この本も、読みやすくてすぐに読めてしまいました。

小学生にもわかるように、説明すること。
難しい言葉を使った方が、なんだか賢くなったような気がしますが、実は、本当にはそのことを理解していないかもしれない。

『謙虚にならなければ、物事の本質は見えてこない。』

『「伝える力」に自信があってもなくても、もっとも大事なことは「聞く耳をもつ」ことです。そして、他者の意見に「謙虚である」ことです。
イチロー選手は研究することをやめましたか?
爆笑問題は学びの手を緩めていますか?
いずれも「否な」でしょう。』

できていると思っている人、人に聴かない人は、成長しない。
自分のことばかり話さないで謙虚に人の話に耳を傾けよう。

など、聴くということが、伝える=コミュニケーションには欠かせないということがかなりの重点を置かれて書かれています。

音楽もひとりよがりにならないで、謙虚に研究をつづけよう。と思った次第です。



ボーンズ

2011-06-15 21:34:29 | レクチャー、マスタークラス

藤は、かつて日本の公園には欠かせない花でしたが、最近の公園には、少なくなってきたように思います。

今日はボーンズ オブ ライフ。
フルートを吹いていると、顎関節を使います。柔らかく動きますが、私のあごは下あごが大半の人と同じように引っ込んでいるので、フルートのトーンホールに息をいれようとすると、少し下あごを出して、受け口のようにセッティングしなくてはなりません。不自然な形を作り続けていると、やはり筋肉が硬くなったりします。

顎関節に静かに手をあて、あごをいろいろにゆっくりと動かすと、あごの筋肉がゆるんできます。

緩めて寝ますが、朝起きると、奥歯を食いしばって目覚めます。

そのことを言うと、「ジュースを飲んでみて」といわれました。
「すっと飲まないでしょ。」
意識的に飲もうとすると、私はあごの中にためて、それから飲んでいるのです。

覚えている夢は、これからやろうとすることの準備ですが、悪夢や覚えていない夢は、昼間やったことの処理だそうです。

「歯を食いしばって、人とコミュニケーションする人の心はどういう気持ち?」
不安、怖れ、怒り、自信がない、実は傲慢・・・。いろいろでました。
「口には入れるけれど、飲まない。表面は入れているように見えるけれど、相手が居なくなった途端、飲むか飲まないか判断して、ぺっと吐き出したり、余計な解釈をつけたしたり。」

「そういう人は、人間関係において、どういう立場の人?」
上下の下の人、主従の従、平社員、女、子ども…。
「服従するしかない人。しかし、平社員や女子どもでも、そうじゃない人もいるでしょ。」
「そのまま味わって飲んでも、全てからだの中で、血液になったり、骨になったり整理されて、必要のないものは外に出て行くでしょう。」

「味わわないで、せっかく良いものをもらっても、口の中に入れて吐き出すから、口の中の皮膚の浸透圧の分しか、体の中に入らない。
一生懸命やっているのに、積みあがらなかったり、学習率が悪いと思ったり、先生の前ではできるのに、家に帰ってできないと思ったらそのせい。」

なるほど、体は嘘つかない。
これを受けると、学び方を学ぶことができます。
本当におもしろい。まだまだいっぱい学ぶことがあります。


守破離

2011-06-14 20:48:15 | レクチャー、マスタークラス

実家を飾っているのは、マリアカラスというバラです。
オペラファンにとっては特別な名前です。大輪のバラは死してもなおオペラ界に君臨する伝説のオペラの女王にふさわしいです。

昨日聴いた話で大切だとおもったこと。
「何でも学ぶときは、「シュハリ」。」
「シュハリって何ですか?」

「守、破、離」

世阿弥の言葉で、芸を学ぶときの心得のことです。
「守」は、師匠の教えをそっくり真似、教えを守ること。
その芸は師匠が長い時間を修練してつくりあげたものなので、経験のない者が、批判したり、判断したりすることは禁物である。

守りきって、修めて初めて、「破」。
枠を破り、自分のオリジナルを加えることができる。

「離」それから、師匠の下を離れ、さらに修練して新しい境地に至る。

まず、「守」守りきるんですよ。枠にはまりきること。
それでなくて、どうして破ることができるのでしょう?

現代の私たちは、「守」でひっかかって、批判しながら所属感のためにそこに居続けるか、我慢できなくてつまみ食いしながら、カルチャーセンターを渡り歩くか。

修めるためには、まずそっくり真似すること。

そう言われると、「守」をちゃんとできないので、自分の学びの効率が悪いことがわかります。もっと学びたい。






絶望

2011-06-13 22:04:44 | レクチャー、マスタークラス

マーガレットは、60年代に日本で流行った洋花で私は少女漫画の雑誌のタイトルとして、覚えました。

心と体のワーク。心に残った内容から。
平家が討たれたときに、公家が残った。この公家は、戦わない、政治的ポストを持たない。覇権を得ない。何が存続したかというと、文化。

貴族たちは、短歌で涙したり、気を失ったりする感性をもっていたでしょ。
戦いを捨てて、文化で生きるというやり方が公家を尊敬させ、存続させた。
と考えると、平和に生きるという私たちに必要なのは、哲学だろうと思う。

哲学は、問いかけ、考えるという科学です。
思考停止になっていないか?ということを考える必要がある。

誰かが話した時に、自分がこの人はこういうだろうと思っていると、違うものが出てくると、びっくりして、パニック。もう何も入ってこない。
思考停止状態。

切り捨てるか、切り捨てられるかしかなくなる。

平和に民主的にやるということは、もっとこまやかに、すり合わせていく過程が必要なんです。
物事だけだったり、表面だけを見ているうちは、それは起こらない。
相手の言いたいことの、裏側まで読み取れる感性が必要です。

例えば、人間関係で、相手に裏切られ、絶望したということは、期待があったということ。それも過剰な。

期待しないものは絶望しない。

裏切られたと絶望するのは、裏切られないできたから。裏切られたというのは、主観的なもので、現実には、思うような反応や、思うような言葉が返ってくるというのは、人間関係では奇跡に近い。それが当たり前。

それを裏切られた大騒ぎするのは、人生の初期に、思う通りになった。本当に王子や、姫のように育てられたということです。

思うとおりにならないということを知っている人は、絶望などしている暇はない。仲間なら、相手のことをリサーチし、理解し、どのようなときにどんな反応が返ってくるかを研究し、共同作業ができるように、導く方法を開発しなくてはならない。

問いかけ、考えるしかない。絶望したと落ちこめるのは、余裕があったから。

そういわれれば、なるほど、「絶望」という言葉の意味を今まで取り違えていたかもしれない。


うどん作り準備

2011-06-10 21:11:24 | Weblog

地湧金蓮(ちゆうきんれん)、地から湧く金のハスとは、中国バナナのことです。
ネーミングもすごいですが、名前に負けないこの姿。大地のパワーを感じます。

今日、明日学校でする地域行事ファミリークッキングの準備。
小学生だけでなく、地域の人はみんな参加できます。
私はいつもの子育てサロンのメンバーとボランティアスタッフで入ります。

年3回。ひな祭りのチラシ寿司や、クリスマスケーキ、野菜たっぷりシチューなど、いろいろ作ってきましたが、今回はうどん作りをします。

中力粉に塩と水を混ぜて、厚めのビニール袋に入れて足で30分踏みます。それを冷蔵庫で1時間ほど、寝かせて、麺棒で伸ばし、包丁で切り、湯がいていただきます。

足で踏んだり、麺を切ったり、ゆでたりは参加者にしてもらいますが、問題は、寝かせるところ。1時間も寝かせないといけないので、当日作った生地は持って帰ってもらい、あらかじめ作って、寝かせておいた生地を切って食べてもらいます。

食べる用に参加者の人数分を、スタッフだけで集まって作ります。

ところが、約束の時間に私だけ息子の高校の懇談。
「ごめんなさい。」と終わっていくと、もう作業はほとんど終了。

「後、お手本用のが、ちょっと残ってるんだけど。」と1600グラムの中力粉を渡され、宿題になりました。

帰って、大きなボール…はなかったので、一番大きななべに生地を入れて、塩少々を水に混ぜ、少しずつ加減を見ながら入れます。入れすぎてはだめで、ぼそぼそ感が残るくらいで、少しこねてまとめました。それを、厚めのビニール袋(お米の入っていた袋)に入れて足で踏みます。

ここで、フルートの登場。
うどんを足で踏みながら、30分、バッハのソナタA-dur、クーラウのディベルティメント6番を数回演奏。
30分経ったので、様子を見たら、まだ少しこなれていない。
後、15分。モーツアルトのコンチェルト2番。

さあ、できたかな?よし。うまくいった。
冷蔵庫に寝かして、さあ明日。
朝から雨みたいで、ちょっと心配だけど、どんな子どもたちがくるのかな?楽しみです。




パソコンの中に私の数年があった…みたい。

2011-06-09 21:52:02 | 音楽

エキウムはムラサキ科、いろいろな品種がありますが、これはピンターナというそうです。大きなものだと、3メートルにもなるそうで、タワーオブジュエルと呼ばれたりするそうです。

パソコンを変えると、時間がかかってしかたありません。データの移動もまだ終わってないし…。必要なソフトも入れなおさないといけないし。

タイトルも入れずの、入れっぱなしの、ここ数年の練習、リハ、本番の録音の数々。
ヴァイオリンのFさん、チェロのKさん、ピアノのYさんとのカルテット。子どもたちのために、ピーターと狼をカルテットに編曲して、演奏したり、絵本の14ひきシリーズをプロジェクターで大画面に、映して、ゴーベールのソナチネや、イベールの小品をつけて演奏してナレーターはTさん
。楽しかったなぁ。

ピアノのTさんと読み聞かせのYさんとは、絵本「つきのぼうや」にドビュッシーの月の光をつけて演奏しました。保育園の子どもたちは、目を輝かせてきいてくれたなぁ。

ヘルマンハープの星のパレットとは、アルルの女や、トスカや、カヴァレリアルスティカーナなど美しい小品を何曲も編曲して共演、癒される響きにうっとり。

そうそう、夏には怖い文化祭をするから何かしてと言われて、子どもたちのちょっと怖い冒険物語を作って、ピアノのTYさんとホフマンの舟歌や、ケーラーの道化師なんかを演奏したら、小学生が目を丸くして聴いてくれました。

ほかにもピアノのSさんと、ボルヌのカルメンや、プロコフィエフやら、難しい曲を挑戦。

やった後は、楽しさ半分。自分のへたさにがっかり。もっとうまくやれたんじゃないかと落ち込んだり、いろいろあったけど、こうやって振り返って聴いてみると、私も何とかがんばってきたじゃん。と自分で自分の頭をよしよししてあげたくなりました。
公私共に、人生思い通りにいかないことばっかり。それでも、自分でもびっくりするけれど、お気楽なわたしだったようです。


英雄待望

2011-06-08 21:47:43 | Weblog

チェリーセージはかわいいだけでなく、葉はいい香りがしてお料理につかったりします。

震災があって、個人は協力、共同に動き、脱原発、節電、エコの世界を希求する動きに大きくシフトしたような気がします。
ところが、政治だけは違うみたい。

大統領とメイドが入れ替わることができるというのが、民主主義なら、それを効果的に封建主義よりも力を発揮することができるのは、目的を共有し、心からの貢献感と協力というところに立つ時だけなんだと実感しました。

古い価値観にとらわれ、誰でなければ協力しない、働かないなどといっている間は、ヒトラーを待望するものが現れても不思議ではない。

ベートーベンもエロイカを書いた後、「しまった。」と臍を噛んだけれど、大丈夫かな?私たち。






主よ人の望みの喜びよ

2011-06-07 20:30:13 | 名曲

フランネルフラワーとアゲラタム、最近流行の花です。

「主よ人の望みの喜びよ」は1723年初演されました。教会カンタータ147番「口と心と行いといきざまもて」の一部と二部の終曲のコラール(賛美歌)として作曲されました。
教会カンタータというのは、礼拝の時の説諭のための音楽で、バッハはライプチヒの聖トーマス教会に勤め、カンタータをたくさん作曲しました。

今ではヴァイオリンや、ピアノ、フルートなど、いろいろに編曲され、広く愛されている曲です。

歌詞はイエスを賛美する内容です。

第6曲 一部終曲

イエスいる私は幸せ
おお、なんと私はかたくイエスをだきしめるだろう
イエスは私の心を癒してくださる
病のときも 悲しいときも
私にはイエスがいる イエスは私を愛し
私のために自らを差し出してくださる
ああだから私はイエスをはなしません
たとえこの身が張り裂けようとも

第10曲 2部終曲

イエスは変わらない私の喜び 
私の心の慰めであり、うるおいである。
イエスはすべての悲しみから私を守ってくださる
イエスは私の命の力
目の喜び 太陽
魂の宝であり、喜び
だからイエスをはなしません
この心と視界から


データ移動

2011-06-06 22:56:38 | Weblog

パソコンの調子が悪くなって、中古のノートパソコンが、どこからか登場。中味を土曜日から移しています。何せ旧パソコンの稼動時間が、一日40分。それを過ぎると、ファンが効かないので、熱くなって「プツン」と電源が落ちます。その稼働時間も日に日に少なくなって・・・。

大切なデータから移していますが、コピーするのにも、容量が少なくなっていたので時間がかかって、4日経っても、まだ終わりません。
移す終わるまで、もってくれることを祈ってますが、とっても怖いです。

依存するのは怖いことはわかっていたのですが、CD焼くにも、調子がよかったり悪かったり。でなかなか進んでいないところに、とうとう時期がやってきました。

移すのも大変ですが、エクセルが入ってなかったり、メールアカウントを取り直したり、時間を取られて困ってしまいます。

文明の利器もこうなると、大変。
次は、CDドライブも健全みたいなので、しっかりバックアップとっておこうっと。

今夜は愚痴になってしまいました。また、明日。


体育祭の楽しみ方

2011-06-03 21:31:39 | 子ども

今日は次男の高校の体育祭。昨日までのお天気は嘘のよう。晴天に恵まれました。

進学校とは言い難い息子の高校では、徹底して体育祭は生徒主体。挨拶は校長先生だけ。
表彰式も生徒会より。
応援団も盛んで、何か月も前から、パネルや、ダンスを準備。5分ずつのダンスパフォーマンスも若いエネルギー全開で挑みます。
JPOP、流行のパイレーツ オブ カリビアン、竜馬伝のテーマで踊るグループが多い中、じょんがら三味線を採用したグループが人目を惹き、ダンス賞を取りました。
若い情熱に感動しました。が肝心の息子は、「今年は休み。」と言って、ダンスもパネルにも参加せず、競技参加のみ。

私に似て、短距離苦手。
何日も前から、「体育祭、出たない。おなかいたくならへんかな?」とネガティブモード。
気は通じるで、3日前に風邪をひき学校欠席。ところが、昨日から回復。
「休みたい。」「8人で走っても、6位か7位やもん。」
「ママと一緒やん。って言うかまだまし。ママなんか、小学校から、高校まで6人で走ったら6位。10人で走ったら、10位やった。毎回、病気にならへんかな?って思ってたわ。」
「小5の時に6人中5位になったんと、スプーンリレーで2位になったんが、最高記録。」
「ママに似て、長距離向き。長距離だったら、中学で学年8位になったことあるよ。9クラス中だよ。」
「体育祭は長距離ないもんね。」

なんて、わけのわからない慰めが効いたのか効かなかったのか、いつもより早く、とにかく7時30分には家を出て、ちゃんと、全部の出演競技は走って。最下位にはならず。

お昼前に、会ったので、「食堂はどこ?」と聞いたら、「ついてきて。」と珍しく逃げもせず親切。
食堂についたら、「カラムスと、ジュース買って。」なんだ食欲。
「お弁当も、食べるのに。」
と言ったら、食堂のおばちゃんが「いい子いい子。たくさん食べ。」
まあ、ママのできることはこれくらい。仕方ない。

大声で応援したり、友達とお弁当食べたり、おまけに、息子の団は結束が強く、団体競技に強く、総合優勝。上機嫌で一日を締めくくったのでした。
体育祭の楽しみ方はいろいろあると、走る能力のないものは、よく知ることができるのです。