蓮の花が咲いていました。
泥の中から花咲くので、泥の中にいながら、泥にまみれず清らかに生きるという宗教的意味を持つ花です。
また、ハチスの花という言い方は、この種のつき方からでたそうです。
人は、自分の見方で出来事を受け取っていきます。
同じことが起きても、人によって受け取り方は変わってきます。
だから、正しく見ることが大事。仏教の用語では正見といいます。
正しくというのは、この社会でいう正義ということではなく、難しい言い方ですが、まっすぐに見るというようなことでしょうか。
どんなことを言われても、どんな環境に置かれても、いつも笑顔でいれたり、感謝を忘れない人がいます。
この世で起きるすべてのできごとは、自分の学びのためにあると思ってみれば、一つ一つの出来事を良いこと、悪いことに分類して、喜んだり、がっかりするものさしで測るのではなく、その出来事から何が学べるか?といことが重要になり、そのものさしで測れば、どんな出来事も自分を向上させるために起きた貴重でありがたい経験である。というふうに捉えることができるのです。
正しく見るとは、出来事の部分を捉えて決め付けるのではなく、あらゆる角度、あらゆる尺度から見る。そして、わからないことはわからないままに置いておく。
善と悪、正義と悪徳など二律背反のような考え方で物事を捉えると、一番被害を受けるのは自分自身です。
成功すれば有頂天、失敗すれば自分を罰し、出来事から学ぶことは無い。
人生は複雑です。あらゆることで成功し続けることは難しい。その度に意識的にも無意識的にも自分を罰していたら、病気になってしまいます。
何かの結果を得るために修行するのではなく、人生そのものが、自分を高めるための学びの場であると考えれば、何が起きても充実した幸福な時を送ることができます。