ヨシ子さんは嵐山さんのお母様。
老母とのゆるやかな同居のなかで起きるささやかな
できごとを、 母の俳句を交えて綴るエッセイ集
嵐山さんのエッセイは初めて。
淡々とした平易な文章で読みやすく、穏やかでほのぼのとした日常が伺い知れて、
私もとても満たされてくる。こんな息子がいたら幸せだろうなって、対極にいる
豚児の顔を思い浮かべたりして。
ヨシ子さんが俳句を詠み始めたのは62歳の時。
第一句集『山茶花』を出したのは、84歳の時。
冒頭のページの二句、ヨシ子さん62歳の時の句だ。
母の日の星瞬きて闇に消ゆ
山茶花を活けて終日(ひねもす)門を出ず
この句を読んで嵐山さん「そろそろ両親と一緒に暮らさなければいけない」
と腹を決めたそうな。そうね、薄情な私でもそう思うかもしれない。
ヨシ子さん、62歳でもうそういう心境とは。ひと回り以上も年上の私が寂しく
なっても無理ないわね。と。
ヨシ子さんはご主人のノブちゃんと二人暮らしで、ともに家にひきこもりがちだった。
73歳のノブちゃんは庭の梅の木を見ていて、小枝で目を突いたというし、
長男の嵐山さんはこちらも「ほうっておけない」と思って、ご両親と同じ敷地に
家を建てて引っ越した。そういうわけで、同じ敷地内別家で、嵐山さん夫婦と
ノブちゃんとヨシ子さん夫婦の日々が始まったわけ。
やれやれ、これからこうやって少しずつ衰えていくローフ・ローボとつきあって
いかなければならないのか、と先が思いやられるのでした、と嵐山さんは嘆くけれど。
読んでいると絶妙な距離感と両親への気遣いが素敵なのよ。ほんと嵐山さん、紳士。
ノブちゃんは享年87歳で亡くなった。
嵐山さん、八十代九十代そして百歳代のヨシ子さんと共に暮らすことになる。
老人と暮らすコツは、つかず離れず妥協せず、見て見ぬふりして協調する、
であるが、やってみるとこれが難しいと。
私は夫を思い浮かべ、夫婦だっておんなじだとつぶやく。
ふだんは耳が遠くなり、足腰は弱くなり、ふんわりふわふわと漂うように生きている
ヨシ子さんに生気がよみがえるのは、なんといっても俳句を詠んでいるとき。
最初の句集発刊『山茶花』様々な感想が届き、しょんぼりしていたヨシ子さんに
あと10年は長生きするエネルギーが与えられた。
藁布団つくりし頃やもの悲し
の句がBSテレビ全国百選のベスト40句に入選した。「おめでとうございます」と大騒ぎ。
俳句に自信を持って、俳句を読もうとする念力が、生きる力を呼び起こしたというわけだ。
ヨシ子さんは日々、念仏のように俳句を詠んでいる。と嵐山さんは揶揄するが、私は
それってすごいなと思うわけ。
そして、平成21年 ヨシ子さん九十二歳になり 第二句集『九十二』刊行される。
ヨシ子さんのあとがき(略)
日々思いつくままに句を詠んでいくと、何かしら新しい発見があり、それが生きる力となります。
「カリヨン」に参加していたから生きる力をいただいたのです。
しっかりしているのは句だけであって、耳は遠いし、足腰はフラフラで、日常生活は
要介護となる。俳句を詠むときにだけピカッと稲光のように天から句が降りてくる、そうだ。
ヨシ子さんが元気になるのは俳句の他にお友達との集い。
ヨシ子さんのクラス会。88歳のとき。
浜松での嵐山さんの講演ついでにヨシ子さんを誘う。「行けないわ」と言うものの
「クラス会をしたらいいじゃないの」と言うとヨシ子さんの目が輝く。
「冥途の土産に行こうかしら」ってな具合。そうなるとヨシ子さん、人が変わったように
活発になる、庭の水撒き、弁当をよく食べ体力回復につとめる。
連日高校の同級生からの電話連絡。浜松で高校同級会。
和食店じゃなく中華料理店に計6人のバー様が。合計五百二十八歳。
いやあすごいエネルギー。88歳なんて私は生きていないと思うわ。
次が97歳のクラス会、といっても二人の集まり。そりゃあそうかもね。
なんといっても97歳なんだから。
お友達とヨシ子さん、ふたりはピーチくぱーちくよくしゃべりとどまることをしらない。
はしゃいでいる姿を久しぶりに見る。すかさず褒めてメモを取る。日に一度行っていた
「ふたり句会」の俳句を詠む。ほんと何度も書くけど、嵐山さんえらいわ、情が濃い。
たんたんと、しかし、確実に月日は過ぎていくのです
と嵐山さんはさらっと書いているから恐ろしい。
年をとったら努力をするな。ダラダラと過ごす。暑いときは庭に水をまいてりゃあ
いいんです。衰えた自分に驚いていればいいと講釈したら庭を見ていたヨシ子さんの
目玉がピカッと光った、そうな。
うん、いいいい。そんなこと言われたら私の細目もピカッと光る。
百歳のヨシ子さん 敬老の日に国と国立市からお祝いをもらった。お正月に歩けなくなったのが
うそのように立ち直った。リハビリテーションの意志の強さ。台所から郵便受けまでの2メートルが
ヨシ子さんの外出先。半年ぶりに俳句を詠む。
空っぽの郵便受や木の葉舞ふ
百一歳のヨシ子さん「老いてますます唯我独尊(わがまま)」の日々を過ごしている。
2019年、百二歳になったヨシ子さんは家の外へ出なくなったが、
マイペースで悠々と百二歳生活を楽しんでいる。ー2019年1月のあとがきー
ああ、嵐山さん兄弟にかしずかれているヨシ子さんになりたや。
私に俳句脳があれば近づけるのかしら、いやそんな問題じゃないな、やっぱり息子がえらいや。
虫の音に囲まれし家古(ふ)りにけり
2019年が102歳とすると2025年の今年、ヨシ子さんはいかがしているかしら。
その後に、講演会を聴きました。
タモリのことは封印して、立山の奥山に入りブナの大樹からエネルギーをもらってきたと話してました。
木も、言い木もれば悪い木もあり、ブナは落葉で回りの植物に栄養を与える善い樹木なのが趣旨でした。
お名前とお顔は知っていると思っていたのですが、
「いいとも」だったのですね。
講演会、ぜひとも聞きたかったです。
ひょうひょうとしていたのかしら。