18日の夕方、とうとう 逝ってしまいました。
あっと言う間の15年間でした。
苦しい息の下、何か言いたげに声をかすかに発していたように見えました。
最後は、娘と私の顔を交互に見渡し、ありがとうと言っているようでした。
パパが着いたよと声をかけると、四肢をぐっと伸ばし。
「じゃあ、行ってくるね!」と、それまでの苦しみが嘘のように。
大きな目を見開いて私達を見ました。
穏やかな表情でした。
夫が玄関の扉を開けた瞬間に逝きました。
最初から最後までドラマティックな子でした。
土日の仕事の為に、娘が翌日に東京に帰る事を理解していたんだと思います。
「私がお仕事の時に、目が腫れないよう今日を選んでくれたんやね」娘は言いました。
3人で布団に寝かせたプ―を囲んで、最後の夕食を取りました。
色々な思いで話しに花が咲き。
そうして、プ~を挟んで娘と私で川の字になり休みました。
「プ~の手を握ってやって。ママが握ると温ったかくなるから」
冷たくなった前足を私が握り、後ろ足は娘が握り。
元気だった頃は、ほんのり温かい体を預けて私達を癒してくれたプーちゃん。
今は冷たい手足を、私達が温めています。
ここ一週間は苦しくて、眠れなかったぷーちゃん。
やっと安らかな眠りに着きました。
メール等で励ましを下さった皆様方、ありがとうございました。
ぷ~も、天国から感謝していることと思います。
iPhone by marimama
ぷーちゃんの看護、おつかれさまでした。
読んでて、涙が出ました。
いくつもの優しい思い出がどんどんあふれてきて、
きっと、悲しいけれどあたたかい気持ちで、お見送りされたんじゃないかな、と思います。
きょうび、人でさえ、こんなにあたたかく最期のときを迎えられる方は少なくなっています。
なんて幸せなぷーちゃん、なんて幸せなmarimamaさんの家庭!
ぷーちゃんのご冥福をお祈りします。
marimamaさんも、お疲れがでませんように。
marikoでした、すみません。
優しいコメントありがとうございます
私は決してぷーちゃんにとって良いママでは無かったと思います。いつも忙しくバタバタしていて、余り構ってやれなくて・・・。もっとお膝に乗せてあげれば良かったかなぁって。後悔先にたたずですね
でも、いい子だから「ほんとに、ママさんたら」って許してくれていたと思います。
亡くなるまでの一カ月は、しっかり向き合って過ごせたのが今となっては良い思い出です。
もう少し、長く元気で過ごして欲しかったですけど。
娘も20日間も東京と行ったり来たり、よくやってくれましたから。ぷーは、何より嬉しかった事と思います