今夜は、NHK Eテレ 8時日曜美術館(再)
”「写真家・大石芳野」戦争は終わっても終わらない▽子供たちの涙凛と生き抜く 長崎の被爆取材に同行”
を見ました。
今日の花の美術館です
大石芳野さんは、世界各地の戦争、内乱後の市民を撮っている報道写真家として、ずいぶん昔に彼女の写真番組を見て、その時の印象が強く残っていた。
そんなことで、今夜もぜひ見たいと番組を待っていた。
ずっと同じテーマで写真を撮り続けていて、今の時代も相変わらず戦争、紛争が無くならない。
そのことに対し、何を感じ何を伝えたいですか?
私たちは、同じ時代に暮らしているのに、かたや戦争で疲弊している人たちがいる、ということをもっと考えなければいけないと思う。
と話されていた。
世界でいろいろなことが生じてきている。
生きてる限りこの仕事を続けていくが、未だ広く伝えきれていない。伝える術がもっと…
それと、2,3日前の夕刊、3面の下にあった記事。
…「知性というものは、すごく自由でしなやかで(中略)どこまでものびやかに豊かに広がっていくもので(中略)大きなやさしさみたいなもの、そしてそのやさしさを支える限りない強さみたいなものを目指していくものじゃないか」
という深代惇郎さんの文章が紹介されていた。
深代さんは、恥ずかしながら初めて知る方で、その文章を見るのも初めてだった。
…「「生きる」とは、真剣に放浪し、探し見つけることにほかならぬ。社会となれ合いにならぬこと。これが青春の貴さであろう。それは決して年齢の問題ではない。悟りは老人のものであり、放浪は青年ものだ」
ネットで調べてみた。
70年代に3年弱、朝日新聞1面のコラム「天声人語」を執筆していた方でした。
この短い期間に読む者を魅了し続け、新聞史上最高のコラムニストとも評されながら急逝した記者らしい。
今から45年も前の文章ですが、
ネットで目に入った彼のエッセーを2,3、下記に転載した。
まずは、「新聞の責任」というタイトルのエッセー、
次は、「天声人語70歳」というエッセー、
また、「新聞批判」というエッセーには、
と書かれていた。
「世相 社会 政治 経済 若者 戦争 国際 日本と日本人 人 人生 文化 自然 歴史」と広範にわたる彼のエッセー
・「深代惇郎の天声人語」(朝日文庫)、
・「続 深代惇郎の天声人語」(朝日文庫)
を読んでみたいと思いました。