お天気は!
事前に水元公園のホームページを調べて出かけた。
バス停「水元公園前」
58年ぶりであった。
記憶はほとんどない。
わかるのは学校新聞の遠足の作文からだけだった。
他の同級生2人の作文も載っていたから、
それらを含め、
当時の水元公園が、おおよそ、どんなものだったかが、わずかながら想像できた。
今回の行程の概略結果は、次のとおり。
行き: 7:20発/京成最寄駅~京成津田沼駅乗り換え~京成高砂駅乗り換え~8:25/京成金町駅着~南口下車・バス停④番より8:25発の「戸ヶ崎操車場」行きバスに乗り~8:34/バス停・水元公園下車
~バスを降り、後部に引き返し「水元公園前地下横断歩道」をくぐって釣り堀の左岸を400mほど歩く~8:47/公園の入り口「噴水広場」に到着
園内: 写真を撮る準備をして、園内を右回りに回った。
都内にこういう場所があったのかと思うほど、「小合溜」の景観、背が高い多くの樹木に圧倒された。
新緑の色が目に優しく、緑の香りが胸いっぱい、さわやかで気持ちがよい!
たくさんの家族ずれや、散策、ジョギング、自転車、釣りなどを楽しむ人たちでにぎわっていた。
涼亭からポプラ並木方面に向かって、水辺や、流れ、芝生、樹林などに寄り道しながら、デジカメパチリして右回り。
前半の終点「かわせみの里」に着いた。
出逢った風景は58年前の記憶に全くない。
家に帰って調べてみると、都立公園としてスタートしたのは昭和40年(1965年)。
私が遠足でいったのは昭和35年(1960年)、「都立水郷自然公園」の時代であったらしい。
大半の樹木は都立公園となってから整備されたもののようだ。※
※ ⇒『 水元小合溜は、享保14年(1729年)八代将軍徳川吉宗の指示により、紀州から招いた治水の権威者・幕府勘定方吟味役井沢弥惣兵衛が、もともと利根川の旧河川だったものを、江戸を水害から守るために行った中川の開削事業により現在のような形になったもので、遊水地としての役割とかんがい用水の源水地としての機能を持つ溜池になったものです。
この小合溜の成立により、江戸は水害から守られると同時に、ここを水源とする上下割用水(かみしものわりようすい)が作られ、こn水が東葛西領50余か村の灌漑用に利用された歴史ある溜池です。
ちなみに「水元」という地名は、このことに由来し、行政の地名として使用されるのは明治22年の水元村の成立以降のことです。
水元小合溜一帯は、昭和25年(1950年)に都立江戸川水郷自然公園に指定され、以後整備が進められ、昭和40年4月から都立水元公園として開園した。現在は、都内唯一の水郷景観を持つ公園として、来園する多くの人々に憩いと潤いを与えています。』
遠足の時の記憶を呼び覚ましたいと強く思っていましたが、無理でした!
浦島太郎状態で、『かわせみの里』に入った。
受付の方に「当時のことを思い出す何か、ありませんか?」と尋ねると、
館内に当時の風景写真が掲示されているという。
さっそく写真に撮らせていただいた。
今日のブログ記事は、ここまで!
ここから水辺沿いを歩いて、水生植物園~野草園~カキツバタ畑などを通って、再び入り口に到着、午後1時近くなった。(途中で昼食)
公園の右半分、「はなしょうぶ園」側は見ないで家に帰った。
今日の歩きは、最寄駅までの往復と水元公園散策を加えて、約5kmでしょうか。
帰り:13:10発/バス停・水元公園~13:22/京成金町駅~13:32/京成高砂~13:58/京成津田沼~14:08/京成最寄駅着