■ 旅は常日頃を離れ、思いがけない見かたや考え方を与えてくれる。
超短い、2泊3日(10/22~10/24)の疎開体験をしてきた。
兵庫、岡山、鳥取3県の境にある中国山地。
とある「疎開のまち」に民泊した。
今年はじめ、家内がNHKのラジオ深夜便を聞いて、地方通信員の発信によりこの町の企画を知った。
汚染されていない、緑の風、きれいな空気、山から流れてくるおいしい水、豊かな大地。
風や雲、鳥や虫、星空…。
自然の中でからだを動かすことが大好きで、田舎暮らしや野菜づくりが願望だった。
定年退職後の残り時間は限られていますが、今のうちはそこそこ足腰が動くので、ま~ま~自由な行動ができそうだ。
好きなことは、まず動く。
早速計画をたてた。
中国地方へ旅をするのは初めてだった。
地域の歴史と文化、人と風土に接し、宿泊は一般のご家庭、まさに田舎に泊まろうです!
10月22日(土)
切符は「大人の休日倶楽部ジパング」を利用した。
姫路から「スーパーはくと」に乗り、最寄駅に到着。
町役場の担当者が迎えていた。
塩屋出店で森林セラピーのストレスチェックを行い、コーヒー、ケーキをご馳走になり、町長の歓迎挨拶を受ける。
「青い山脈」や「伊豆の踊り子」など世に送り出した、地元出身の西河克己映画記念館を見学。
かつて江戸時代の参勤交代の時に往来した「因幡街道」からマイクロバスに乗り、
因幡街道碑
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『因幡国と美作国境の志戸坂峠を越える道は、平安時代から畿内と因幡国を結ぶ主要な道として炉用されてきた。…
江戸時代に入ると、鳥取池田藩が参勤交代の道として志戸坂峠を越える道を重視した。…
1648年(慶安元年)より1862年(文久2年)に至るまで214年間に江戸鳥取間を178回往復している。
止宿として定められていた智頭宿には、鳥取出発の場合第1泊目、江戸発の場合最終日の宿地だった。
…参勤交代の武士の移動だけではなく、庶民や物や文化が行き来する主要道であったことがうかがえる。』
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日本の昔の原風景が残っている山奥の「板井原集落」に向かう。
幅員6尺の山道を上ると、周囲の山にすっぽりと包みこまれた集落に出逢う。
茅葺の屋根は、あざやかな緑の苔に覆われていた
明治32年ころの茅葺き民家(右の家)
火間戸
いろり
廃校となった分校
などを見て、バスで下る。
次は、
石谷家住宅見学
地元発展に尽くした篤志家「石谷家住宅」を見学。
個人の住宅で、こんなに豪壮な建築は見たことがない!!
このあと、迎えに来ていた各民泊家庭の方と一緒に民泊宿に向かう。
基本的には、宿をお借りするだけで、その他は自分でやることになっている。
1泊めは、宿主夫妻の夕食づくりの手伝いをし、その地の食材を使った郷土料理をいただいた。
当民泊では、私が黒豆を材料にした「ごじる」作りを手伝い、家内が民泊の奥さんのお手伝い。
NHK鳥取支局の記者に取材をされてしまった。
(11月上旬に放映されるらしい)
10月23日(日)
町民体育館から、マイクロバスで「芦津渓谷」に向かう。
また雨が降り出した。
バスからおりて、セラピーロード・トレッキングに出発
ガイドにくっついて、ゆっくりと上る。
渓谷は、紅葉のはじまりだった。
あずきころがし
三滝
かつての森林鉄道の遺骸のレール&枕木
カエルがミミズを食べていた
三滝ダム
折り返しの休憩所から戻る時は、歩かないでバスに乗り、くねくねと下った。
芦津地区の「どんぐりの館」で休憩。
ここでトレッキング後のストレスチェックを行い、そして昼食。
昼食は、地元食材で作ったセラピー弁当の「もりりん」。
副町長の挨拶をいただいたのち、駅前まで戻り解散。
決められた予定は、これで終了となった。
この時点からはフリー。
最寄のGSでレンターカーを借りる。
地域の魅力を感じながら、短期or長期に、のんびりと滞在できる場所・施設、田舎暮らし体験住宅などないかしらん、探索することにした。
1箇所めは、町内の農園付きペンション「とんぼの見える家」が見つかった。
国道373号から山間を上りしばらくのところ、標高500m辺りに10数件の集落があった。
集落の喫茶「清流の里 新田」に寄ると、事務局の責任者に会うことができた。
いろいろお話を伺う。
1年契約で賃借する。
現在、東京の調布と、北海道北見(兵庫県の出身者)の、2つの家族が住んでおられるらしい。
この後は、県境のトンネルを2,3抜け、岡山県のはずれの村に行った。
トンネルを抜けると、両サイドに山を抱き、遥か遠方まで展望がきく見晴らしのよい場所に出た。
雨は降っていなかった。
最近開通したばかりの、中国横断自動車道(姫路-鳥取県)沿いに「道の駅あわくらんど」があったので寄ってみた。
次に、かねてネットで知った農村型リゾート「天徳寺」を訪ねる。
山の中腹、陽あたりがよく見晴らしのよい位置にある茅葺屋根の自炊施設だ。
幾日滞在してもよい。
運よく前の家の主人が家に帰られ、話をすると利用方法や周辺の状況を教えていただき、中を見せてくれた。
暮らしの設備は、すべて整っていた。
戻りぎわに「国民宿舎あわくら荘」、レストラン・みやげ店の「あわくら旬の里」を見て民泊に帰る。
トンネルを逆に抜けると、雨だった。
10月24日(月)
この朝のチェックアウトで、そのあとは気のむくまま、
レンターカーで周辺探索の予定だった。
民泊の主人が、
「朝方は時間がとれるので、出かける前に家のまわりを、ちょっとご案内しますよ」
というので、好意に甘んじついていく。
まずは、村の小学校の見学。
明治以降つづいていた地元の小学校で、数年前には立派な杉木材などで新築されていた。
少子化で、まもなく町全体の小学校の統廃合で廃校となるらしい。
現在の生徒数は、17名。
校長先生にもお会いした。
木造でしたが、講堂も体育館も天井が高く、スゴク立派!!
こんなすばらしい校舎は見たことがない!
登校していた生徒が元気に挨拶をしてきた。
廃校は、もったいないですね~!(なにかに役変わりするのでしょうけれど)
次は、民泊の裏に入り、渓流を上っていく。
しばらくしたところに、この地区の「田舎暮らし体験住宅―あけびの家」があった。
1ヶ月格安で借りられるらしい。
今は、四国・香川県の人が借りているらしい。
木造2階建てのログハウス、2Kで、台所・浴室・トイレ・バルコニー・まきストーブetcが備わっている。
このあとは、ログハウスのそばにある「炭焼き小屋」を見学。
炭焼き小屋(杉の木の炭)
80歳になられる、お元気な村のおじいさんが、楽しそうに説明をしてくれた。
廃校になる小学校の生徒たちに炭焼きを教える先生だった。
廃校になれば、今年でおじいさんの役割がなくなるんかな~…?
1~2ヶ月の短期滞在、野菜づくりや山歩きなどしながら1~2年の長期滞在にも利用できる。
拠点は現在の住まいで、
やりようによっては、
季節や所を変えて、国内の行きたいところ数箇所に移住し、長期滞在するのもよい。
8時30分過ぎ、宿主にお別れをする。
午後1時過ぎの特急で千葉に帰るので、もう1箇所めあての場所に行きたい。
いつか、「人生の楽園」に登場された女性が営んでいる喫茶店だ。
兵庫県かどこかにおられて、阪神大震災にも遭われ、その後主人を亡くされ、田舎暮らしの場所を尋ね歩き、この地の山間の村のはずれに、喫茶「花祥庵」を開かれた方だ。
今年、71歳か?そんなお年になられているはずだ。
営業日は不定(週に2回くらい?)、営業時間は10時~17時なので、おられるかどうかわからない。
民泊と反対方向の山間に向かう
運よくおられた。
お客さまが4人ほどいた。
家内がぜんざい、私はコーヒーをたのんだ。
おいしかった。
木造りのシンプルなお店と住まい、庭であった。
薪ストーブが据えてあった。
いろいろお話を伺う。
いろんなところからお客さまが来られるらしい。
やはり両サイドに山があったが、展望がひらけ圧迫感がない。
見晴らしがよく、左手には川が流れ、心地よい瀬音が聞こえていた。
夏にはホタルがとぶ。
おおよその目的が達せられ、充実した3日間を過ごしたあと、レンターカーを返却し、昼過ぎスーパーはくとに乗り、帰途についた。
町のみなさん民泊の方には、いろいろ親切にしていただき、たいへん感謝でした!!
<参考>
・ 2011.10.23 放射能汚染の時代を生きる(小出裕章、他)
・ 2011.10.22 「原子力発電所の立地を認めることの意味」小出裕章氏が川内原発の地元・薩摩川内市にて講演