4月20日開催の「第10回 長野オリンピック記念長野マラソン」に参加した。
O´さんが申し込んだんですけどね。??
城山の桜(21日帰る途中でパチリ)
開催場所が故郷の近く、お天気にも恵まれて、そういう意味では嬉しかったんですが、
風邪をひき治りきらず、直前の練習・調整もかなわず、予想通りのワースト結果になった。
体調不良の時は、キャンセルが常道なんですが、上の事情でO’さんのテマエ出場となった。
○ 大会前日(19日)
朝5時、車で自宅出発。
湾岸習志野→葛西JCT→三郷JCT→大泉JCT→藤岡JCT→(横川SA)→長野IC
東関道 首都高湾岸 首都高中央環状・6号三郷 東京外環 関越 上信越
受付会場の「ビッグハット」に向かった。
早朝なので車の流れは順調、受付会場に9時到着。
既に、300人くらいの参加者、記念バッジをもらう人たちが並んでいた。
すいている会場前駐車場に車を停め(しばらくして混んできました)、列の後ろに並んだ。
6回ほど連続参加しているという男性と話し、大会情報を教えていただいた。
気持ちよいヒンヤリとした風が吹いていましたが、雲間からのぞく陽光が暑い!!
ビッグハット内受付会場
10時、受付開始。
プログラム、ゼッケン、参加賞Tシャツ、駐車券、シャトルバス乗車券などをもらい、
3箇所の選手駐車場から、「カネボウ跡地」駐車場を希望した。
駐車場(水野美術館裏)は、ビッグハットに近く、またゴールからも近いという。
10時20分ころ受付会場を離れ、選手駐車場、スタート会場の長野運動場を確認し、市内で買い物。
千曲川を渡り、須坂市の知り合いに寄り、小布施町、中野市を通過、午後2時ころ、宿泊先の「**信州○△」に到着。
宿の5階、宿泊した部屋からの眺め
小さい頃、写真の山のふもとで育ったが、故郷の山は雪が残っていた。
荷物を片付けると午後3時。
ず~っとご無沙汰していた、田舎の墓参、知り合いまわりに出かけた。
小さいころいつも眺めていた山「高社」(生家跡地より)
墓参後、今は無い生家跡に寄った。
同じく 「斑尾山」 (雲がかかっていますが、右手後方に見えます)(同上)
この後、ちょっと離れた村にある妻の実家の墓参など行い、
午後6時近く、義姉の家で夕飯をいただいた。
採れたての「わさび」
ご主人が、裏山の山菜に詳しく、採れたての「わさび」、「こごみ」、「ふき」の料理をいただいた。
わさびは、秋山郷に生育していたものを裏山に植え、根付いて群生しているらしく、
雪に踏まれ、山の湧き水にさらされて育ち、ピリッと感や舌ざわり香りなど、なんともいえないおいしさだった。
やはり、裏山で採れた「カタクリ」の花
赤飯と山菜パワーをいただいて、明日への力がついたんですが…。
義姉の家から見た「高社」
おいとまは、夜7時過ぎになった。
暗くなっていた。
宿到着、午後8時。
Tシャツにゼッケン装着など、明日の準備やなにやかにやで、就寝は9時過ぎになった。
○大会当日(20日)
■ 4時10分ころ起床。
5時宿を出た。
宿から豊田飯山ICまで、約20分、須坂長野東ICで降り、選手駐車場「カネボウ跡地」到着が6時前。
妻と別れ、シャトルバスでスタート会場の「長野運動公園」に移動、到着は6時30分ころ。
ウォーミングアップ風景(サブトラック)
更衣室で着替え、サブトラック横の芝生丘陵でストレッチをしながら休み、時間待ち。
この程度の余裕であれば、宿を出るのは30分くらい遅らせてもよかったかもしれない(ただし、後で妻に話したところ、選手駐車場は我々が離れたあと、続々と入場車で混んできたらしい)
ウォーミングアップ風景
周辺は、桜が満開だった。
手荷物預かり会場
続々と参加者が集まってきます。
7時40分ころに、荷札を付けた手荷物を預け、公園の真ん中を貫く道路のスタート地点に移動。
スタートブロックは、O(ゼッケン5151~5450)だった。
思いがけないこと発生した!!
「オイ!美浜じゃないか!」
声の方を振り返ると、ブロック責任者の帽子をかぶった、見覚えのある顔。
田舎の同じ村の小・中学校の同級生「Y」さんだった。
(昨年秋、斑尾高原トレイルランニングレースで会った「H」さんとは違う)。
卒業以来、2,3回しか会っていない。
びっくり驚き、飯山市の陸上関係の活動をしていて、ボランティアに動員されたらしい。
出走者約7500人、ボランティア、応援者を含め道路・沿道を埋め尽くす状況の中で、偶然にも、ブロック「O]を担当。
もし「O」でなかったら、こんなにおおぜいの人混みの中で気づかずに終わったと思う、
奇跡だった。
■ 8時35分スタート。
お天気は、スタート時気温は14℃、日昼は20℃、
風もそんなに吹いていない、絶好のマラソン日和。
Tシャツにランパン、そして手袋、帽子はかぶらない。
体調は、風邪をひいてから練習をしていないので脚筋力もおちていた。
本調子ではないけれど、完走を目指して走ってみよう。
大会は、「長野市運動公園」から「長野オリンピックスタジアム」までのコースに約7500人が出場。
流れができるまで、2,3km混みあいながら、長野市街地に入る。
沿道の声援がいっぱい、途絶えない。
善光寺を背に、参道らしい下り坂を抜ける間もなく、「信濃の国」のオーケストラの応援、しばらくしてギター片手に、同じ歌声の応援。
長野県出身のランナーは、この歌を聴くと特別な感慨を催す。
ハーフ地点を過ぎ、市街地を抜けるころまで、なんとか6分/kmペースで行けたが、ピンク色の鮮やかな桃の花、川辺の満開の桜が並ぶ、千曲川沿いサイクリング道路あたりに入り、失速した。
日差しが暖かくなり、汗が流れる、ここでも応援者の声援が絶えない。
景色がよくて楽しめるんだけれど、体調が今一で~す。
声援に応えられませんが、歩かずに、ゴールまで完走しましょう。
ほぼ同じスピードのランナーを見つけて、併走しながら走った。
最後2kmくらいは、腕を振り振り、どうにか「オリンピックスタジアム」にフィニッシュ、
完走できました。
フィニッシュ会場(オリンピックスタジアム)
非公式の結果です。
グロスタイム:4:42:21(ネット、4:38:51)
内訳ですが、
0k(3:30) 5k(29:42) 10k(27:57) 15k(27:50) 20k(29:20)1:58:21 25k(31:05) 30k(36:45) 35k(40:13) 40k(40:13) フル(14:48)4:42:21
約7500人出走で、4340位/5325人だった。
フィニッシュ後は、おにぎり・ドリンク、完走賞の大きなスポーツタオルをいただき、手荷物を受け取って、午後1時55分ころ選手駐車場行きのシャトルバスに乗った。
■ 妻との待ち合わせ時間は、駐車場に午後1時だった。
妻は別れた後、市内を見学、エムウェーブあたりで応援していたようです。
予定の時間から1時間30分ほど遅れて合流、
駐車場隣の「水野美術館」を散策して帰途に就いた。
水野美術館庭
117号道路千曲川沿いに走り、スーパー「ベイシア」に寄り、夕方近くなっていたので、一度寄ってみたかった長野電鉄木島駅前の「幻の富倉そば」で夕食をとった。
幻の富倉そば
このお店は、70歳近い店主が一人で切り盛りしていた。
鍋倉山で採れたそばを挽いた手打ちそばをふるまってくれた。
そばは、こしがきいていてすごくおいしかった。
メニューは、そば、お酒、ビールのみ。
店主と話し込み、宿に着いたのは午後6時ころ。
帰りの荷物を整理し、風呂に入って、8時には、ばったんきゅうでした。
○大会翌日(21日)
5時起床。
宿は、会社が契約しているリゾートホテルだったので、部屋を清掃整頓して、7時ころ再度義姉の家へ。
飯山城の桜を観て、
城山の桜
妻が午後4時ころから用事があるというので、
8時10分、一路千葉に向かう。
豊田飯山ICから入り、行きと逆コースで帰った。
横川SAで約30分ほど休憩、練馬付近で交通事故渋滞、首都高中央環状6号三郷で渋滞だったが、走行距離は約330km、時間は往き長野まで4時間、復り田舎から5時間、午後1時帰宅という感じでだった。
なお、千葉から八ヶ岳南麓に移住された 「のんぼけ庵」の主Kさん から、事前に、ぜひ大会帰りに寄っていかないかの連絡があり、美浜も時間を繰り合わせて、ぜひ寄りたいと思っていたが、
今回は動きがとれずに断念した。(残念!!)
今日のJ&S 長野マラソン 42k
4月の累計 125k 今年度累計 787k