スロージョギングと写真のブログ

ウォーキング、ジョギング、ママチャリで出あった季節の花や風景写真で日々の出来事・雑感をつづっていきます

原発震災(2)

2011年04月29日 | 健康のしおり

■ 京大の小出裕章助教授(原子力工学)に、取材した動画を見つけました。

わかりやすいです。

※ 再臨界、メルトダウン、水素爆発など― 4/10取材 ;  その後の継続取材情報

私たちは原子力発電の必要性、安全情報だけ与えられていて、いままで国、関係者、マスメディアから正しい情報を知らされていなかった(危険性に対して無知だった)ようです。

※ 関連動画も参考になります。( 特に4/1取材動画 ―  1/2,  2/2  、<孫正義>原発問題を熱く語る 

テレビや新聞などの公に流されている断片報道 と 上記のようにきっちりと説明された情報、双方について事実を正しく観て、事の真実が何なのか判断する必要がありそうです。

国や関係者や専門家に望むこと、

今回の事故を教訓に(まだ収束していませんが)、日本のエネルギー政策を安全・安心なものへ、人々の暮らしをプラスへ転じてほしいものです。

私たちが死んだあとの先々、子々孫々に対し、安全で汚染されていない、自然豊かで美しい景観を持つ日本を残していきたいものです。

検見川浜まわり亥鼻橋  17km  
       当月 R=173k S=1.5k  年間累計  R=679k S=27.2k

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドナルド・キーン

2011年04月27日 | 地域活動(環境)

■ 日本文学、日本文化研究で著名なドナルド・キーン(アメリカ、コロンビア大学)が、今回の震災をきっかけに、日本に永住を決意したという報道があった。

88歳という高齢でである。

移住して、講演その他で、日本の復興を手助けしたいという。

勇気や励ましを与える話題ではある!

それにしても、今回の二つの巨大災害による激変は、日本人一人ひとりに自己確認をせまるものであった。

家族や故郷、 地域社会や国の行く末、 政治や経済、 エネルギー使用と地球環境(大気、土、海や川の水、人間を含めた生物、…への安全性)、 国や世界の歴史、 生活全体・生き方 までも再考するきっかけの時となった。

さて、日本の流れる方向は何処へ?

アバホテル  10km  
       当月 R=156k S=1.5k  年間累計  R=662k S=27.2k

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無知が生んだ悲劇

2011年04月26日 | 週末菜園

■ 昨日の記事で、何の虫ですか?と疑問を投げたところ、ちょびママさん他お一方に、「それはテントウ虫の幼虫です」と教えていただい た。 

 

週末菜園を始めて10年ほどになりますが、この幼虫を見たのは今年が初めてです( 4/13と4/25 )。

13日に初めて、ソラマメの葉茎を這っているのを見て、害虫だ~と思い込んでしまった。

なにせ、かなりの数が這い回り、形が蝶や蛾の幼虫に似ている(色は違うけれども)ものだから。

今まで出逢ったことがない。

ソラマメにたかっていた20~30匹を指でつぶして殺してしまった。

で、昨日25日は、成長したジャガイモの葉に移り、這いまわっている30~40匹を、同様に殺してしまった。

ちょびママさんに教えてもらった後、インターネットで改めてテントウ虫の幼虫を調べてみた

結果は、害虫ではなく、「アブラムシやハダニを食べてくれる益虫」だったのだ~!!」。

う~ん

なんということをしてしまったのでしょうか。

不幸中の幸いは、害虫駆除の農薬を噴霧しなかったこと。

しらみつぶしに指でつぶしてしまったのですから、はたして見逃し生き残りがいるかどうか?

 

ソラマメの栽培は過去2回( 20052009 )だった。

初回は、アブラムシがついた時に農薬を教わり、少し噴霧。

そのためか、この幼虫にもテントウ虫にも出くわさず、ま~ま~の収穫。

次の時は、アブラムシにやられ、農薬は使わなかったので収穫は少ない、幼虫には出逢わず、テントウ虫にも出逢わなかった。

この季節、菜園友達は、薄い農薬や牛乳みたいなものを使ってアブラムシを退治していたので、テントウ虫やその幼虫が話題になることはなかった。

 

そういえば、13日には幼虫だけだったものが、25日にはナナホシテントウ虫が5,6匹と幼虫がうようよになっていた。

5,6匹は幼虫がふ化したものだったのだ。

次回菜園行きの時には、どんな状況になっているのでしょうか?

害虫は、キャベツなどにつく青虫、ソラマメにつくアブラムシくらいしか知らない、それで済んでいた。

肥料や野菜づくりもさることながら、害虫、益虫の基本的なことも知っておく必要があることを思い知らされた事件でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この虫何の虫?

2011年04月25日 | 週末菜園

■ 雨のあと2日ほど暖かい日が続いたので、菜園に行く。

スギナなど雑草を除く。

菜園は、横からの風が強く、成長したエンドウが支柱からはみ出てしまった。

 位置変更の作業

支柱の位置を変更する。

 つるなしインゲン

つるなしインゲン、

ジャガイモが目を出し、大きくなっていた。

なぜか、コマツナがほとんど全滅。

 ジャガイモの作業

ジャガイモの芽欠きをして、土を寄せる。

 正体不明の害虫??(ソラマメやジャガイモの葉の上にいる)

前回ソラマメについていた害虫が、ジャガイモの葉にも移っており、はいまわっていた。

何回か、指でつぶして除去する。

 てんとう虫が5,6匹(害虫をやっつけてくれるといいんですが?)

ソラマメも大きくなっているので、次回(5月連休か?)予定で土寄せをし、茎葉の頂部を20cmほど切ることにした。

で、写真の害虫は今年はじめて出合ったのですが、手持ちの野菜の本に出ていないし、何という害虫なんでしょうか? 

プロのお百姓さんのSさんがいなかったので、まだわからない。また、駆除はどうするのが適切なのでしょうか?

午後は別の用事があるため、直売場で昼を食べて帰途につく。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゾラの生涯

2011年04月24日 | 千葉市美浜区 街の風景

■ 午前中は、朝練10km。

午後は、はじめてですが第4日曜日に催される「クラシック名画上映会」(地下のホール、80人)に行ってきた。

第3水曜日の「水曜名画座」(2階のホール、250人)を含めると、月2回無料で名画が楽しめる。

今回は、「ゾラの生涯」。

あらすじは、

『パリの屋根裏部屋で画家セザンヌと同居していたゾラ(ポール・ムニ)は、小説『ナナ』で評判をとる。やがて貧乏暮らしを抜け出して、大作家の道を進んでいった彼は、ライフワークの「ルーゴン・マッカール叢書」20巻を発表し、自然主義作家の総帥として論陣を張った。パリ郊外のメダンの別荘にはユイスマンスら新進作家が集った。ゾラは、プルードンマルクスらの著作を読んで社会主義への関心を深めていく。

その頃、参謀部将校ドレフュス(ジョセフ・シルドクラウト)がスパイ容疑で投獄された。彼の無罪を信じる妻(ゲイル・ソンダーガード)などの姿に心を動かされたゾラは、世論を喚起するために「われ弾劾す」という公開状を新聞に投稿する。だが、その態度を苦々しく思った軍首脳部に激しい迫害を受け、やむなく英国に亡命する。やがてスパイ事件の真犯人が逮捕された。帰国したゾラは愛国者と讃えられるが、ドレフュスの軍籍復帰を喜ぶ間もなく、ガス中毒で急死する。彼の遺骸は作家仲間であったアナトール・フランスの弔辞に送られ、パンテオンに葬られた。』(ウィキペディアより)

陰謀でっち上げで、濡れ衣を着せられ罪を負わされたドレフィス。

軍の参謀本部は、保身のために権力で脅し脅迫する。

裁判所に圧力をかけ、群集を煽動する。

ゾラは、功成り名を遂げ引退していたが、ドレフィスを救うため立ち上がり、渦中に身を投じ、ペンと行動でもって権力と闘う。

四面楚歌が続くなかで闘い抜く。

一人の人間の真実、尊厳を守るため、人間の自由と正義を守るため、裁判所での証人として身を挺し弁をふるったゾラの演説は、魂に触れ、胸を打ち、涙があふれてきた。 

コストコ  10km  
       当月 R=146k S=1.5k  年間累計  R=652k S=27.2km
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久々のスイム

2011年04月23日 | 水泳

■ 終日

9時30分ころ、晴れ間をぬってラン。

雲行きがおかしくなってきて、美浜大橋で土砂降り。

急いで折り返す。

 

部屋を片付け、昼食後は久しぶりにスイムに出かけた。 

入場は、午後1時過ぎだった。

サブプール(50m)で泳ぎ始めましたが、土曜日のためなのか、営業時間が午後のみと変更されたためか、混んでいる。

 

50m×2を流しましたが、泳ぐ気がしなくなった。

即、水深2mのメインプール(50m)に移動。 

メインプールは、水もキレイだし、端っこにある幅の広いゆっくりコースは、3~5人ほど泳いでいましたが、気持ちよく泳ぐことができました。(100m×14)

 

やっと、3月11日以前の自分のペースに戻ることができたようです。

クラブの仲間に誘われた6月の「さくらんぼマラソン」以外に、そろそろ、7月以降に参加するメインの大会を検討しなければ…。

美浜大橋  8km  新習志野プール  1.5k
       当月 R=136k S=1.5k  年間累計  R=642k S=27.2km
 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

哀愁

2011年04月22日 | 水泳

■ 復活! 水曜名画座&スイミング

大震災の影響で中断していた、県の施設の新習志野プールのスイム、市の施設の水曜名画座が再開した。

いずれも節電などが主な理由だったんだと思いますが、名画座は従来どおり、プールは営業時間を午後だけと短縮しての営業になった。

 水曜名画座(3月中止、4月から復活)

おととい20日(水)に観賞した映画は、ヴィヴィアン・リー、 ロバート・テーラー 主演の「哀愁」。

あらすじ 『舞台は、第一次大戦中のイギリス・ロンドン。イギリス軍将校のロイ・クローニン大尉(ロバート・テイラー)とバレエの踊り子マイラ・レスター(ヴィヴィアン・リー)はウォータールー橋でめぐり会う。翌日には結婚の約束をするほどに、その恋は燃え上がるが、その夜ロイは突然の召集で戦場へと向かうことになる。健気にロイの帰還を待つマイラだったが、その彼女がたまたま目にした新聞にはロイの戦死の情報が載っていた。

バレエ団を解雇されたマイラと友人のキティ(ヴァージニア・フィールド)は、生活の貧しさとロイの戦死の絶望感から、娼婦に身を落としてしまう。そしてある日、いつものように客を探しに駅で目にした光景は、何と戦死した筈のロイの姿だった。偶然の再会を喜ぶロイ。戸惑いと葛藤を隠せないマイラ。しかしロイの強い説得で、マイラはロイと結婚することを決意し、ロイの故郷スコットランドへと赴くのだった。

しかし、本当のことをロイに打ち明けられないマイラは、ロイの母親マーガレット夫人(ルシル・ワトソン)に、「ロイとは結婚できない。」と言って全てを打ち明け、翌朝ロイの屋敷を発ってロンドンへ帰る。そして思い詰めたマイラは、ウォータールー橋で軍用トラックに身を投げて自ら命を絶ってしまう。マイラが去ったことを知ったロイは、ロンドンへ戻りマイラを探すが、彼女を見つけ出すことはできなかった。

1953年に日本で制作された『君の名は』(岸惠子佐田啓二主演)は、この映画のウォータールー橋を数寄屋橋に置き換えて製作されたリメイク版である(但し、内容は大きく異なる)。』(ウィキぺディアより)

ときどき流れる「ほたるの光」のメロディーは哀切極まりなく、マイラのさいごの時に至る場面の移り変わりは、運命の残酷さというか、胸がつぶれんばかりの哀しい結末だった(涙)。

 新習志野プール、19日(火)から営業再開

次のとおりでした。

4月19日(火)~30日(土)の開場時間  12:00~18:30 

今後、状況により変更となる可能性があります とのこと。

左足指うらにトゲがささり、外科治療中なので、支障がなくなり次第スイム再開ですね! 

コストコ  14km    
       当月 R=128k S=0k  年間累計  R=634k S=25.7km

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原発震災(1)

2011年04月22日 | 健康のしおり

■ 3月11日以前は、

緑豊かな大地、フィトンチッチに満たされた爽やかな大気の中を走り、透明で魚も好むキレイな海や湖、川を泳ぎ、自然と一体となって楽しみたい。

都会から離れ、自然豊かな地で無(低)農薬・有機栽培の暮らしを想ってもみた。

… … 

3月11日以降は、原発災害で状況が一変した。

以下は、一昨日~今日の新聞から抜粋した記事です。

『○ 原発で最悪の事故が起きたらどうなるかー。そのリスクを、日本に原発が導入された当時 の政府、原子力安全・保安院、電力関係者は充分承知していたはずだが、国民には正しく説明してこなかった。
 施設の見学などを実施し、安全のアピールなどを行い、安全神話の形成をはかり、住民に事故のリスクを伏せて立地を推進してきたのが日本の原発政策の実態だ

○ チェルノブイリ原発の30㌔圏内は、事故から四半世紀たった今も封鎖されたまま。住民たちはこの間、放射能のリスクと向き合ってきた。「人はいつまでも非常事態下では生きられない。非常を日常として受け入れるしかない」。 … 日本でもこれから汚染が続く。残念ながら、放射能と共存するしかない時代に入ったのだ

 人の姿は絶え、牛は飢え、犬はさまよう。
  作物は枯れ、見る者のない花だけが咲く。
  結局チェルノブイリと同じこと。

  9ヶ月後に帰れる確約もなく、いま帰れば罪に問うという。
  呼び止められた菅首相はただ憤りの声を聞くばかり。

  それでも○電は延命する。
  列島の海岸に立ち並ぶ原発もそのままなのか。
  日本人は教訓を学ぶ人々であるはずだ。

 今季の米の作付けが禁じられた。… 土壌改良は技術的に困難で、作付けが禁止された区域は来期以降も作付けができない可能性がある。 …

 原発は、誘致しないところには絶対できない。… 過疎地は地域振興の起爆剤になればと思うから手をあげる。…だが、地元に落ちる多額の交付金はリスクと引き換えのものではないのか

○ 原発を見ていると、太陽に向かってろうの翼で飛んでいくイカロスを思い出す。手にしてしまった便利さを手放せず、もっともっと、と破壊にいたるまで欲望を肥大化させていく… … 幸せとは何か … …安定した気候、清浄な水や大気、安全な食べ物、故郷の自然、家族や地域の人々との絆など、安心で幸せな暮らしにとってなくてはならないものを失わせ、変質させ、暮らしと心のよりどころをズタズタに破壊してしまった
 

目に見えないモンスターが震源となって、広範囲、長期にわたって禍をもたらしている。

放射性物質で汚染した大気、海水、土壌、水、緑、…、食物 、…。

原発が冷温停止し、放射線物質の量が減衰し、基準値以下になるのはいつか?はたして被災地住民が、元のように住み暮らせるのはいつになるのだろうか?

素人の私たちは、なす術を知らないが、専門家、関係者は、これ以上災禍が拡がらないよう、一刻もはやい収束をはかってほしい。

他の原発も、二度と放射線物質の漏洩・飛散事故が発生しないよう再点検し、対策をとってほしい。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松之山温泉

2011年04月19日 | ある日のスポット

■ 2泊3日の北信州、田舎行きの一部始終です。

<17日(日)

早朝出発。

結局、上信越高速自動車道を利用した。

  午前9時30分ころ

佐久平を過ぎたあたりから、前方に真っ白な雪をいただく峰々が近づいてきた。

この道路は、何回かを利用していましたが、春先のこんな絶景に出逢ったことはない。

感激!!

東部湯の丸SAで給油をし、SAの端にあった展望台からパチリ。

白銀の峰々は、標高3000m級の北穂高の山々でした。

 結婚式

 長野善光寺 本堂

イトーヨーカドー長野店で用事を足し昼食。

その場で式服に着替える。

挙式の会場は、仁王門をぬけ参道をやや上った山門手前の右手にあった。

挙式までだいぶ時間があいていたので、善光寺を見物する。(近くで生まれたのに、訪れたのははじめてです!)

午後2時、義兄の娘さんの結婚式が始まり、披露宴が終わったのは午後5時30分ころ。 

 田舎の風景

この夜は、会場から車で1時間ほどの北信州にある義兄の家に一泊。

今年は雪消えが遅く、家の周囲も、たんぼもまだいっぱいの雪が残っていた。

 たんぼの雪

3月の終わりごろになって、どか雪が降ったり、気温も全般的に低かったらしい。

■<18日(月)

 松之山温泉

2泊目は、相棒の姉の家に呼ばれていた。

昼食をご馳走になり昼寝から目覚めると、「松之山温泉に行きましょう」とのこと。

たしか松之山温泉は、長野県の北の端を越え新潟と長野の県境、雪深い山奥だったと思う。

義姉の村から松之山に向かう北の方面はほとんど知らない。

 松の山温泉郷

義姉の夫の運転で、温泉に向かう。

千曲川に沿い、117号を走る。

更に残雪が深くなる。

一度だけ、昔湯沢に行き、塩沢・石打ICから清洲渓谷~秋山郷~義姉の家とたどった逆方向の旧道は、117号道路が開通したことにより使われていない。(この上にJR飯山線が走っているが、今回の地震による基礎部分の崩落により、線路が宙ぶらりんに浮いてしまった)

先日の地震の震源地になった、栄村を通過する。

左右の車窓から、倒壊した家や、県の建築部門が点検の結果、不安全と判断を下し赤紙を張った家がたくさん目に入ってきた。

道路も通行可能にはなっていたが、震災の傷跡が目だち今も修復工事中であった。

 

新潟県の津南町に入る。

中心部をすぎて左折、山間部を走る。

出発後1時間ほどして松之山温泉に到着した。

 宿の裏 左手の土手には、ピンクがかった紅色の「ショウジョウバカマ」、「カタクリ」がいっぱい咲き始めていた。下の水路は、宿の湯と雪解けの水が勢いよく流れている

山の幸、海の幸を盛ったおいしい夕食。

宿の女主人から、

「今日の宿泊客は、みなさん方4人だけです。24時間営業の内湯と、屋上にある露天風呂は貸切ですよ。露天は、ふだんは30分ごとに交代なんですが、地震の風評被害でしょうかね~」

 

 露天風呂(翌朝パチリ)

「今日は午後10時ころ満月が見えます」とのことだった。

内湯に浸かり、午後8時ころ露天風呂を見に行くと、星がわずかに見えただけ。

満天の星、満月を仰ぎ、月の光に照らされた残雪などを眺めながら、露天風呂を楽しみたいという想いに駆られた。

日中の快晴は崩れたので、残念ながら期待はうらぎられた。

 露天風呂

 

田舎の近くには野沢温泉があり、昔からよいお湯でしたが、ここ松之山温泉は、野沢よりもこじんまりとしていて雪深い山あいにたたづむという感じ。

開湯700年の歴史の湯。

「日本3大薬湯の里」として、その薬効は古くから知れ渡っているといわれる。(他は、草津温泉と有馬温泉)

 < 19日(火)

 宿の近く

翌日は、朝から小雨。

朝食の前に温泉街を散歩。

 温泉源

近くは、標高約1000mの山。

聞くと、新緑のころが良いですとのこと。

宿もよく、温泉も体がしっくりとあたたまり、また新緑の満月のころ訪れてみたいと思った次第でした。

周辺をジョギングしてみたいと思いましたが、雨天であることと遠く千葉まで運転ですし、露天風呂に入り、ひとまず義姉の家に直行。

 

荷物を整理し、午前11時30分ころ帰途につく。

千葉の自宅には、午後5時ころの到着でした。(所用時間、約5時間30分)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地震と住まい

2011年04月16日 | 地域活動(環境)

 余震が、繰り返し、長くつづいている。

 明日は、朝早く起きて、長野県北部の田舎の結婚式に行く。
高速を使わないで、時間にゆとりを持ち一般道で行くことにした。
長野県北部の栄村、木島平は、2回ほど震源地になっており、その近くに行くので、いつどうなってもよいようにしていく。 

 強い余震は衰える気配が見えない。
12日は長野県北部でマグニチュード M5・6、千葉県東方沖でM6・4、福島県浜通りでM6・3の地震が立て続けに発生。
そして今日416日、朝練のランから帰宅した直後の1119分に、茨城南部を震源としてM5.9が発生。
千葉は震度
3だった。
震源がランダムだ。 

 朝練は、久々にクラブのメンバーに合流。いつものゆっくりペースで走れず、

8106271437)~5592037)~6082645)~5343220//6103830)~5414411)~5354947)~5075454)~512100

10kmランだった。 

 

 以下は地震のニュースから 

『 震源域は南北約450キロ、東西200キロに及ぶ。海上保安庁によると、宮城県沖の震源海底は地震前に比べて24メートルも東に動いた。東北大学の観測では、震源付近の海底は約5メートル盛り上がったと推定される。また都司嘉宣・東大准教授の現地調査では、岩手県宮古市で標高37.9メートルの地点まで津波が到達していた。約2万2000人が犠牲になった明治三陸津波(明治29年)と同等以上の史上最大級の津波だった。

  

 宮城県沖から茨城県沖の4つの領域が連動して発生した。
連動したのは「宮城県沖」「三陸沖南部海溝寄り」「福島県沖」「茨城県沖」の震源域で、調査委は各エリアごとに地震や津波を予測していた。阿部名誉教授(66)は「連動したことで巨大地震を超えた超巨大地震になった。東海、東南海、南海地震の連動は検討してきたが、東北地方では想定できなかった」と悔しそうに語る。

  

 地層の堆積物調査などから、宮城県の仙台平野は過去3000年間に4回ほど、大津波に見舞われたと考えられている。中でも規模が大きかったのが、869(貞観11)年の貞観地震で、津波が海岸から数キロの内陸まで達したとされる。今回はそれを上回ったとみられ、日本の災害史上最大規模の津波となった可能性がある。 

 また、衛星利用測位システム(GPS)を使った地殻変動の観測では宮城県石巻市の「河北観測点」で、東南東に約4メートル移動し、約70センチも沈降していることが判明した。陸側プレート(岩板)の先端が跳ね上がり、その背後(西側)に位置する仙台平野などで沈降が起きたと考えられる。 

 

○ 内陸地震も誘発か

 地震発生2日前の9日には、ほぼ同じ場所でM7・3の地震が発生している。阿部名誉教授は「2月にもM5クラスの地震が4回起きた。これらが前震かどうかは分からないが、前触れだったようにも思える。私たちの理解はそこまでいかなかった」と悔しさをにじませる。 

 発生から半日後の12日未明には、内陸の新潟・長野県を中心に最大震度6強、6弱を記録する強い地震が相次いで発生した。震源が離れ、発生メカニズムも異なる。気象庁は「詳しいメカニズムは分からないが、東北沖の地震で地殻内の応力場(おうりょくば)に変化が起こり、内陸地震を誘発した可能性は否定できない」と説明する。

 応力場(英語ではストレス・フィールド)というのは、地震エネルギーの蓄積状況を示すストレス分布のようなものだ。 

 

 東大地震研究所の加藤照之(てるゆき)教授は、「海溝型地震と内陸地震の発生には、一定のリズムがある」と指摘する。巨大な海溝型地震の前後には内陸の地震活動が活発化し、それが収まると地震活動が沈静化する。一定期間を経てプレート境界や地殻内にエネルギーが蓄積されると次の活動期を迎えるという説だ。

 「フィリピン海プレートの沈み込みによって起こる南海トラフ沿いの海溝型地震は、内陸地震の活動期と静穏期のリズムが比較的顕著に現れる」
 たとえば、1943(昭和18)年から48年にかけての5年間には、44年・東南海地震(M7・9)と46年・南海地震(M8・0)の2つの海溝型を挟んで、内陸で43年・鳥取地震(M7・2)、45年・三河地震(M6・8)、48年・福井地震(M7・1)が起きた。いずれも死者数が1000人を超える大規模な震災だった。

 東北地方に活動期と静穏期のリズムが当てはまるかどうか分からない。しかし、国内最大規模の超巨大地震は、周囲に大きな応力変化を及ぼしたと考えられ、内陸地震への警戒も必要だ。 

 

 ○ 大震災翌日には新潟県中越地方と長野県北部で直下型の強い地震があり、3月15日には静岡県東部でM6・4の地震が発生した。
 巨大地震によって地殻にかかる力が変化し、広い範囲で地震が起きやすくなっているのだ。巨大地震に誘発された地震は「広義の余震」と呼ばれる。 

 首都圏を含む東日本の広い範囲で今後数年間、地震が起きやすいだけでなく、次の東南海、南海地震に向けて西日本も含めて活動期に入ったとみられるのだ。

 

 被災地以外の人も、復興を支援しながら、自分の家庭や地域の防災を常に意識することが大切だ。特に都市部が大地震に襲われた場合、密集住宅の倒壊や火災被害、高層ビルの機能マヒなど課題は多い。ライフラインの弱脆(ぜいじゃく)さも問題で、政府はきちんとした防災指針を作り上げる必要がある 

 名古屋大の山岡耕春教授は「現在は余震域南側の福島から茨城、房総沖にかけての活動が特に活発だ」と指摘。
 特に注意が必要な今後の地震として(1)内陸部の直下型地震(2)海溝寄りで発生して津波を起こす地震-などを挙げ、「房総沖や首都圏直下の地震にも警戒が必要だ」と話す。』

 

■ 安全な住まい

 
 都心に近くで仕事がしやすかったこと、徒歩2km圏内に全ての施設があり便利などから、現在の千葉市美浜区に長年住まいし、この間、安全な住まいについて考えたことがなかった。

 自分の好みを加えた安全な住まい(転居の条件)は、今回の被災から考えて次の3つかもしれない。

 

① 標高50m以上の地盤がしっかりした高台。家の基礎は盛り土でないこと(地震・津波や液状化被害)
② すこし不便でも、都心から離れた田舎(密集住宅の倒壊や火災被害、ライフラインの機能麻痺)
③ 自分の好みをプラスして(自然豊かな景観、水・空気がキレイなところ、家の前あるいは近くに菜園がある、山間または海辺でも高台であればよい、病院が近い)

 

コストコ  10km    
       当月 R=114k S=0k  年間累計  R=620k S=25.7km

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする