成田市の宗吾霊堂のアジサイ苑に行ってきました。
今年最後のアジサイ撮影。
宗吾霊堂は、関東ロードレース大会の会場だったので
8年ほど前まで、大会参加で、ほゞ毎年行っていた所。
開催は、年末の12月中旬だった。
〇 義民 佐倉惣五郎を祀る 宗吾霊堂
『当山に祀る御本尊 宗吾様は、江戸時代の封建制度の中で災難に苦しむ10万の大衆のため男子の大厄の42歳の御年に尊い命を捧げられました。
これは偏に国家泰平・万民豊楽(国の安泰は私たち一人一人の生活の幸せにある)を願っての御生涯であり、その志を曲げることなく貫き通したのであります。
即ち、大衆の命・後世に生きる人々のために災厄を一身に背負い身代りになって下さったのであります。
宗吾様のこの尊い御生涯・志に触れると共にそのお徳にあやかり、幸福で豊かな21世紀を生きていくためにも義民宗吾様を祀る宗吾霊堂に、皆様お揃いでのご参詣・厄除けをなさることをお勧めいたします。』
〇 義民 佐倉惣五郎 伝
『 江戸時代初期、4代将軍徳川家綱の時代、今から約360年前のことです。
打ち続く凶作と過酷な重税に苦しむ農民たちを救うため、木内惣五郎(佐倉宗吾)ら6人の名主たちが幕府に農民の窮状を訴えました。
しかし、その訴状は受入れられず、木内惣五郎は、当時禁じられていた将軍への直訴を決行。
この直訴により、農民たちを苦しめていた重税が見直され、村々の願いはかなえられましたが、惣五郎は処刑されることに、惣五郎の家族までもがその対象となり、承応2年(1653年)8月3日(旧暦の8月3日)、幼い子供らまで刑に処せられました。まさに命がけの直訴でした。
それから100年後、宝暦2年(1752年)、佐倉藩はその失政を悔い、木内惣五郎の名誉を回復し、「宗吾道閑居士」の法号を諡号(しごう)し、以来「宗吾様」と呼ばれるようになりました。
今では江戸時代の義民・佐倉宗吾様が祀られているお寺として、全国の信者が参拝に訪れています。』
⇒ コロナ禍収束の見通しが立たない中、まっしぐらに五輪開催一辺倒の不気味な人たちも、佐倉惣五郎の歴史を想い起してほしいもの!
止めるという選択は無い、止めることができない、どうにも止められない、止まらない。
大会参加の当時は、ここがアジサイで有名な所なんて、ちっとも知らなかった。
アジサイ撮影は、初めてだった。
早朝5:30に自宅を出発。
京成電車を利用、津田沼で乗換え宗吾参道駅下車。
改札を右折、階段を降り線路沿いに直進、すぐに左折し坂道を上る。
突き当たったT字路を右折すると、間もなく霊堂の入り口が見える。
参道駅から徒歩15分、到着は7:00だった。
久しぶりに、見覚えのある風景が眼前に開けた。
本堂奥の裏山にアジサイ園が拡がっていた。
苑の散策路を撮りながら歩く。
柏葉アジサイや、他の種類のアジサイが見ごろだった。
撮影時間は、7:00~8:50ごろまで。
宗吾参道駅9:24の特急に乗車し、帰途に就いた。
帰宅は10:20過ぎだった。
〇 アジサイ苑
『 宗吾霊堂大本堂裏手に広がる境内には在来アジサイをはじめ、ガクアジサイ・柏葉アジサイなどさまざまなあじさいが植えられています。
宗吾霊堂には、1,000株以上柏葉アジサイが植えられており、これだけ多くの柏葉アジサイを見られる場所は少なく観光客の目を楽しませてくれます。少しずつ植樹を行っていき、現在では5,500株ものアジサイが植えられています。
2002 年には、歌舞伎役者の中村勘九郎丈(現 勘三郎丈)があじさい植樹を行いました。これは、「佐倉義民伝」が宗吾霊350年祭を記念して、歌舞伎座で上演されたことによるものです。
きれいなあじさいを咲かせようと地元住民、企業、団体皆さんにご協力をいただき、あじさいの花芽摘みや草刈りも行っています。
また、雨の日でも快適にあじさいを楽しんでいただこうとあじさい園には成田国際空港株式会社寄贈による木片のチップが敷かれています。
毎年6月には紫陽花まつりを行っています。』
※ 関東ロードレース大会 過去11回の参加大会から2,3抜粋(10km)
13/12.15(68) 第127回関東ロードレース大会 57:12
07/12.16(62) 第121回関東ロードレース大会 46:39
93/12.20(48) 関東ロードレース 44:09
(16km)
91/2.22(46) 関東ロードレース 1:15:40