スロージョギングと写真のブログ

ウォーキング、ジョギング、ママチャリで出あった季節の花や風景写真で日々の出来事・雑感をつづっていきます

2025年元旦、コロナ、介護

2025年01月06日 | 闘病記・介護など

年が明け、はやくも5日が過ぎた

本年もよろしくお願いいたします



今年は「戦後80年」、私の年齢と同じです、…

戦前、戦中は国家が暴走し、多くの国民がマヒし、なすがままに流された

願いは、世界各地で平和が失われている昨今、日本に再び戦争の惨禍が起こることのないようにしたい



今年が、みなさまにとって、平穏で実り多い年になりますように!


千葉の正月は、おおむね青空の晴れのお天気だったが、

最寄りの検見川の浜は、水平線上が雲に覆われていた



3が日は、昨年同様、息子夫婦が遠県から来宅

買い物をしてくれたり、食事を作ってくれたり、エアコンやキッチン・トイレ・お風呂場など大掃除、…

ヘルパーさんをやってくれた

おかげで、チョイの間でしたがテレビで駅伝の観戦、朝夕の海辺の撮影ができた!



ところで年末12月中旬、コロナに初めて感染した

人混みは避けていましたが、4,5日前からの人との接触といえば、

混雑の最寄りのスーパーでお使いの買い物(マスク着用)、相棒の甥の来宅、地域サークル例会参加などと続いた

昨年まで、コロナワクチン接種は連続7回、コロナに感染したことがなかった

5類に移行後はワクチン接種はしていない



最初に介護者の私がり患、4日後に同居の相棒がり患

毎日の食材買い出し、炊事洗濯掃除などの家事、排せつ介助は私がやっていた

感染治療中はそれができない



私より遅れて5日後に相棒が発熱、かろうじて相棒の受診に付き添い介助ができた?

最寄りのクリニックは近い

本人が歩いて受診に行くというので、それを信じて同伴、道半ばで歩きを含め、動けなくなった

通りがかりの50歳代がらみの男性が助けてくれ、両脇をかかえ進もうとしたが、それも困難

私が彼女をかかえている間に、男性がクリニックの看護婦を呼んできてくれた

3人で抱え進もうとしたが、にっちもさっちもいかない、相棒は呼吸が苦しいと喘ぎ、身体が硬直!


クリニックから車いすを借りてきた



ベッドのある待合室で受診を待った

医者は、目、口の中を見ながら問診、聴診器をあてた、…、「意識はありますね~?…コロナを調べましょう」

検査結果が判明し、

「コロナですね。すぐに救急搬送して、入院ですね~。…、すぐ対応してくれる病院があるかな~?」



と言われても、複数疾患を抱え、薬も自宅に置いてあったり、…あれこれ想い巡らすと、

私、「自宅で看ます」

「覚悟はできていますか?」

相棒のたらいまわしや、対応に不具合が生じ、急変や悪化が起きてもと考え

「自宅で、看ます」

結局、発熱と喉の炎症の薬を処方された



クリニック提携の薬局に行くと、その薬がない、困った!

クリニックの看護師がイオン薬局に電話してくれ、一人分の薬があると伝えてくれた

「確保しておくので、そちらの薬局に行って下さい」

車いすで、いったん自宅に戻り寝かせ、イオン薬局から処方薬5日分をもらってきた
(ゾコーバ錠125mg、プレド ニゾ ロン錠5mg)

すでに夜間に入っていたが、薬局の待ち時間でケアマネージャーに電話連絡

経過を話し、今後のこともあるのでレンタルの車いすを手配した

同時に、年内のデイサービスと訪問看護のキャンセルもお願いした

12月28日ごろに落ち着いてきたが、歩行動作が衰えた

少しづつリハビリしながら様子を見ることにした

インフルエンザもまん延中なので、換気と、マスク着用、手洗いなど注意

今日にいたって、なんとか無事通り過ぎたようだ
介護予防という言葉には、介護は予防されるべきもの、という考えが露骨に反映されている。つまり、要介護状態になることは否定的にとらえられているのである。もちろん、元気に長生きできたらそれにこしたことはないかもしれない。しかし言うまでもなく、誰も年をとる。であれば、誰もが要介護状態になりうるのである。介護される側になるというのは決して特殊で特別なことではなく、人間にとっては誰しもが迎える普遍的なことであり、自分もそうなるのだ。そういった想像力が、介護を問題化するのではなく、介護を引き受けていく社会へと日本社会を成熟させていくための必要条件だと思えるのだ。…「六車由美、驚きの介護民俗学」より

そもそも介護は「予防」できるものではない。どんなに健康で生きがいのある生活を送っている高齢者であっても、いつかは病や老衰により、「要介護状態になりうる」のである。多くの人が望む「ピンピンコロリ」を叶えられる人は極めて限られていると認識したほうがよい。我々が目指すべきは、たとえ介護状態になったとしても豊かな人生を送ることができる社会の実現なのではないだろうか。六車氏の指摘に賛同するゆえんである。…「小堀鷗一郎、死を生きる」より

※ 過去のお正月風景
・2024/1/2 2024年元旦  ・2023/1/2 2023年元旦 
コメント (4)
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