ここ2か月ほど相棒の容態が安定。
今のところ、朝散歩の見守り同伴は
必要に応じて、と負担が軽減された。
気遣いしない朝は、スロージョギング(5~6時ごろ)。
11:05~10:26~10:08~9:48~9:31/51:00
10:50~10:38~10:21~10:03~9:30/51:25
平均10分余/km。
ここ2日ほどのタイムだ。
途中、道沿い花壇の花が目に入る。
今は、ピンクのサルスベリと、真っ白なテッポウユリ。
さて、
数日前、図書館から「準備ができました」の連絡があった。
予約本の「老いの身じたく」(幸田文、平凡社、2022/1/12)の順番が回ってきた。
予約してから半年余りが経っていた。
著者の幸田文は名前は知っていたが、著作は読んだことがない。
育ち境遇は大きく異なるが、1904年生まれで、私の父と同じ時代の女性だった。
同じ時代を生きた人間として、いまさらに父を想い、読んでみた。
老いをテーマに、孫娘が編纂した、著者49歳(1954年)~80歳(1988年)のエッセイである。
様々な身辺雑記が載せられている。
情景がすっと入ってくる文章、ところどころはっとさせられる一文。
明治、大正、昭和、戦前戦後、離婚後、家族の病や死を生きて、
日常に紛れ見失いがちな、大切なことが、繊細な感性と観察眼で記されていた。
著者は、1988年84歳で脳溢血で倒れ、1990年86歳で亡くなられた。
エッセイ一つひとつもさることながら、本の編者である孫娘の「あとがき」の一節が、今の私の心に響いた。
舞台裏・最晩年が明かされる。
引用してみる。
①「老いの自覚があったら、ともあれ、体力能力気力、その他一切の持物の、現在高を確認すること、その上で何なりと選ぶ道を決めることです。終わりよきものすべてよし、です」
②「老後の仕合せとは、小さい仕合せを次々と新しく積み重ねていくことではないか、と私は思う。幸せには、永代続くものなどはない、と思うのである」
…どれだけ周到に老いに備えようと、いずれは不可抗力的な何かが起きます。なりたくてなる病なんてありませんし、病気は選べません。祖母にしても、脳溢血で倒れてからは思い通りにいかぬことが多かったはずです。…