一昨日録画しておいた「人生フルーツ ある建築家と雑木林のものがたり」という地元の
東海テレビが製作したドキュメントを見ました。
そこに理想の夫婦を見ました。
建築家で元大学教授の津端修一さん(90歳)と奥様 英子さん(87歳)の生活を2年間追いかけたドキュメントでした。
独身時代、私はJR中央線の多治見から千種まで通っていましたので、途中にある高蔵寺ニュータウンはよく知っていました。
山を切り開いて出来たニュータウンで、よくもこんな田舎に作ったものだと思いました。(苦笑)
高度成長期で沢山の住宅が必要だし、安い土地ということで高蔵寺という田舎に白羽の矢がたったんでしょうね。
このニュータウンは、4万5千人も収容できます。
この高蔵寺ニュータウンの設計に携さわれたのが、津端修一さんでした。
1970年に自ら高蔵寺ニュータウンの集合住宅に入居され、その5年後1975年に
その近辺に300坪の土地を購入され、一軒家を建てられました。
30畳一間の家に住まわれ、裏には雑木林、家の前には果林や畑、農機具小屋などがあり。
雑木林は自然なクーラーの役割をしています。
修一さんは都市計画者は、設計しても自分は都会に住んでいる、それじゃ住民の気持ちは
分からないということで、高蔵寺ニュータウンに住まれたようです。
英子さんが修一さんと知り会われたのは、65年前 修一さんが東大のヨット部のキャプテンを
されていた頃のようです。
英子さんは、「当時も変わった人だなぁと思っていましたが、変わった人でした」と仰っていました。(笑)
「言いたいことを言うようになったのは結婚してからです」とも言われました。
修一さんと英子さんは何でも自分達でされます。
自給自足に近いです。
修一さんは90歳という高齢にもかかわらず、高いところの果実を取るにも脚立を使い軽々と取られるし、
英子さんも低いところの果実をすばやく収穫される。
お二人とも歩きが達者なのにはビックリさせられました。
木や草花、小鳥の水飲み場には、修一さんが書かれた立て札が置かれています。
温かい文章とイラスト入りで。
朝はしっかり食べるということで、赤飯やうなぎ、カマス、ミョウガ、スダチなど栄養価が高く、
美味しい食事をされます。
奥様はこんがり焼いたトーストにブルーベリージャムをたっぷり塗られて食べられます。
奥様の作られる料理のレパートリーが素晴らしい。
イチゴのケーキ、サクランボ入りのヨーグルト、大きなプリン。
なんでも上手に作られます。
保存食もたくさん作られるのには驚きです。
作られた保存食を知り合いの方にも送られていました。
買い物は月に一度、名古屋まで出かけられ、なじみの八百屋さん、魚屋さんなどで
大量に買い付けされ、自宅まで送っていただきます。
修一さんがイラスト入りの礼状を書かれ、買われた野菜などの感想も付け加えられているようです。
貰った業者さんもうれしいですよね。
心配りが違います。
修一さんは1日10通ほど手紙を書かれ、自転車に乗って郵便ポストまで出しに行かれます。
その自転車に乗られた軽やかな姿、私よりずっと若い。(苦笑)
修一さんは「お金よりも人が大切」ということを信条として働かれています。
「できるものから、小さくコツコツと。時をためて、ゆっくりと。」
依頼を受けた仕事も速やかに対応されています。
著書もたくさん書かれています。
私も昨日その中の1冊を注文しました。
台湾でもニュータウン建設に関わられたということで、修一さん・英子さんご夫婦は
招待を受けて、一緒に訪問されています。
戦時中弟のように可愛がった台湾の方の墓参りもされました。
2015年6月2日
修一さんは畑の草むしりをされた後、昼寝に行かれたまま起きて来られませんでした。
英子さんは「おじいさん、命尽きて灰になったら、そちらへ行くから待ってて」と、言われました。
「お父さんが亡くなって、寂しいというより、むなしい」と語っていらっしゃいました。
英子さんは毎朝 修一さんの食事を作られて備えられています。
修一さんのお好きな物ばかりです。
老齢になられてもいろいろ工夫され、お二人仲良く暮らされていました。
英子さんは「お父さんのいいようにやってあげたい」というお気持ちを常に持って。
修一さんは英子さんを信頼してやさしく応対されていました。
ほんとうに仲の良いご夫婦、高齢になってもいつも元気で楽しく過ごされたお二人の
生活を垣間見ることができて、胸いっぱいです。
あまりに書くことが多すぎて、うまくまとめることができませんでした。
記憶間違いも多いと思います。
お時間があれば、下記の動画が放送された内容です。
人生フルーツ ある建築家と雑木林のものがたり2016 03月20日
東海テレビが製作したドキュメントを見ました。
そこに理想の夫婦を見ました。
建築家で元大学教授の津端修一さん(90歳)と奥様 英子さん(87歳)の生活を2年間追いかけたドキュメントでした。
独身時代、私はJR中央線の多治見から千種まで通っていましたので、途中にある高蔵寺ニュータウンはよく知っていました。
山を切り開いて出来たニュータウンで、よくもこんな田舎に作ったものだと思いました。(苦笑)
高度成長期で沢山の住宅が必要だし、安い土地ということで高蔵寺という田舎に白羽の矢がたったんでしょうね。
このニュータウンは、4万5千人も収容できます。
この高蔵寺ニュータウンの設計に携さわれたのが、津端修一さんでした。
1970年に自ら高蔵寺ニュータウンの集合住宅に入居され、その5年後1975年に
その近辺に300坪の土地を購入され、一軒家を建てられました。
30畳一間の家に住まわれ、裏には雑木林、家の前には果林や畑、農機具小屋などがあり。
雑木林は自然なクーラーの役割をしています。
修一さんは都市計画者は、設計しても自分は都会に住んでいる、それじゃ住民の気持ちは
分からないということで、高蔵寺ニュータウンに住まれたようです。
英子さんが修一さんと知り会われたのは、65年前 修一さんが東大のヨット部のキャプテンを
されていた頃のようです。
英子さんは、「当時も変わった人だなぁと思っていましたが、変わった人でした」と仰っていました。(笑)
「言いたいことを言うようになったのは結婚してからです」とも言われました。
修一さんと英子さんは何でも自分達でされます。
自給自足に近いです。
修一さんは90歳という高齢にもかかわらず、高いところの果実を取るにも脚立を使い軽々と取られるし、
英子さんも低いところの果実をすばやく収穫される。
お二人とも歩きが達者なのにはビックリさせられました。
木や草花、小鳥の水飲み場には、修一さんが書かれた立て札が置かれています。
温かい文章とイラスト入りで。
朝はしっかり食べるということで、赤飯やうなぎ、カマス、ミョウガ、スダチなど栄養価が高く、
美味しい食事をされます。
奥様はこんがり焼いたトーストにブルーベリージャムをたっぷり塗られて食べられます。
奥様の作られる料理のレパートリーが素晴らしい。
イチゴのケーキ、サクランボ入りのヨーグルト、大きなプリン。
なんでも上手に作られます。
保存食もたくさん作られるのには驚きです。
作られた保存食を知り合いの方にも送られていました。
買い物は月に一度、名古屋まで出かけられ、なじみの八百屋さん、魚屋さんなどで
大量に買い付けされ、自宅まで送っていただきます。
修一さんがイラスト入りの礼状を書かれ、買われた野菜などの感想も付け加えられているようです。
貰った業者さんもうれしいですよね。
心配りが違います。
修一さんは1日10通ほど手紙を書かれ、自転車に乗って郵便ポストまで出しに行かれます。
その自転車に乗られた軽やかな姿、私よりずっと若い。(苦笑)
修一さんは「お金よりも人が大切」ということを信条として働かれています。
「できるものから、小さくコツコツと。時をためて、ゆっくりと。」
依頼を受けた仕事も速やかに対応されています。
著書もたくさん書かれています。
私も昨日その中の1冊を注文しました。
台湾でもニュータウン建設に関わられたということで、修一さん・英子さんご夫婦は
招待を受けて、一緒に訪問されています。
戦時中弟のように可愛がった台湾の方の墓参りもされました。
2015年6月2日
修一さんは畑の草むしりをされた後、昼寝に行かれたまま起きて来られませんでした。
英子さんは「おじいさん、命尽きて灰になったら、そちらへ行くから待ってて」と、言われました。
「お父さんが亡くなって、寂しいというより、むなしい」と語っていらっしゃいました。
英子さんは毎朝 修一さんの食事を作られて備えられています。
修一さんのお好きな物ばかりです。
老齢になられてもいろいろ工夫され、お二人仲良く暮らされていました。
英子さんは「お父さんのいいようにやってあげたい」というお気持ちを常に持って。
修一さんは英子さんを信頼してやさしく応対されていました。
ほんとうに仲の良いご夫婦、高齢になってもいつも元気で楽しく過ごされたお二人の
生活を垣間見ることができて、胸いっぱいです。
あまりに書くことが多すぎて、うまくまとめることができませんでした。
記憶間違いも多いと思います。
お時間があれば、下記の動画が放送された内容です。
人生フルーツ ある建築家と雑木林のものがたり2016 03月20日