中日新聞の今週の言葉という欄に愛知専門尼僧堂長(にそうどうちょう)青山俊董さんが「国語を忘れた民族は滅びる」という藤原正彦さん(お茶の水女子大名誉教授)の言葉を紹介されていました。
茶の間に活けた五月雨萩(さみだれはぎ)がはらはらと散ったのを見て、友と日本語の豊かさを語り合った。
「椿は落ちる」といい、「桜は散る」という。
「牡丹はくずれる」といい、「朝顔はしぼむ」といい、「萩はこぼれる」という。
花が散るのにさえ、これだけの言葉を使いわける日本人の豊かな情緒と、それを育てた日本の恵まれた自然環境を大切にしたいね、と。
素人の私の書いた文章さえ、英訳するのに言葉がないと嘆いたアメリカの友の言葉を思う。
豊かな日本語が通じない若者がふえていることは悲しい。
ラスター彩再現の功労者で、文字通り国際人といえる陶芸家の加藤卓男先生は「国際人とは無国籍人になるということではない」と語られた。
上掲の藤原先生の言葉がそこに思い合わされる。
吾々は考える時も表現する時も言葉を使う。
語彙が貧しいということは、思考も貧しいということを忘れまい。
以上です。
>素人の私の書いた文章さえ、英訳するのに言葉がないと嘆いたアメリカの友の言葉を思う。
日本には外国から移住された方が多くいらっしゃいます。
日本語を覚えるのは大変でしょうね。
日本語は一つの事象を捉えても、いろんな表現の方法がありますから。
>語彙が貧しいということは、思考も貧しいということを忘れまい。
私は語彙が貧しいと自覚しています。
当然思考も貧しくなります。
遅かりしですが、本を少しでも読んで語彙を増やさなければ。
涙の敗戦投手