中日新聞の日曜版「おじさん図鑑」に「数え日」というタイトルで、飛島圭介さんがエッセイを書かれていました。
「数え日」というのは美しい日本語の一つだ。
あと数日で今年も終わってしまう。
焦りや諦めも含めて、耐え抜いた月日をいとおしむ時間か。
あるいは、心機一転の新年を待ち望む時間なのか。
いずれにしても落ち着かない日々だ。
考えてみれば、1年は地球が太陽を1公転するだけのことで、べつに何かが終わり、新たな何かが始まるわけでもない。
時間は絶え間なく連続して流れている。
それを1年として区切るのは人類の知恵だろう。
区切ることで、年末や新年もできるし、年齢も季節も年中行事も生まれる。
それぞれの人生が時間軸にきれいに沿うことができる。
ともあれ「数え日」は良い言葉だ。
”指折り数えて”待つ日々なのだから、元旦の10日前あたりからいうのだろう。
つまり12月22日過ぎか。
数え日を歌った歌に「もういくつ寝るとお正月・・・」という童謡がある。
今ではこの童謡を知らない人も多くなったが、調べたら作曲者が瀧廉太郎と知って、おじさんは驚いた。
ただ、この童謡で歌われる正月の子どもの遊び(たこ揚げ、こま回し、まりつき、羽根突き)があまりにも古くなった。
同様に古びたおじさんの命も数え日となったか。
以上です。
昔はお正月が来ることや、夏休み、冬休みなど来る事を指折り数えて待ってました。
今は毎日が日曜日なので、あまり指折り数えて待つ事はないですね。
あと2日でお正月です、その前に紅白歌合戦をお菓子をつまみながら見ると思います。
昔は紅白歌合戦が、午後の9時ごろから始まって12時少し前に終わり、百八つの鐘を聞きながら眠りにつきました。
小学校の低学年時代は、学校に行って校長先生の話を聞きそれから家に帰ってゆっくり雑煮を食ってました。
うちは商売をしていましたので、父親は夜遅くまで商いをして終わると酒を飲んでいましたので正月の朝は寝てました。
今は地元の神社にかみさんとお参りし、家に帰ってから年賀状を読むのが習慣です。
年賀状をやめる方も多いですが、私は数少ない年賀状を読むのが楽しみです。
そういえば昔はお正月が来ると1つ歳を取りましたね。
数えで何歳、満で何歳と返答したものです。
今は満年齢1本になって、良かったと思います。
おもいで