中日新聞に姜 尚中(カン サンジュン)さんの講演記事が乗っていました。
タイトルは「先延ばし人生やめよう」です。
姜 尚中さんの名前の読み方が分からず、ネットで大学教授・哲学者・韓国籍と検索したら名前が出てきたのにはびっくりしました。
肝心の講演内容です。
昨年で明治維新から150年がたって、平成の30年はどのような時代だったのかと考える。
1995年、阪神大震災があってボランティア元年となった。
2016年は熊本地震があり、私も被災した。
平成は災害が多かった。
東北大で、津波と地震の世界的権威の方に会ったら、地震は予測できない、出たとこ勝負ですという。
ああ、そうか。
いろいろ考えても仕方ない。
なるほどと思ったときに、文芸評論家である小林秀雄の言っている無常の意味のある部分が分かった。
無常というのは、消極的なニヒリズムではなく、積極的な虚無主義だ。
今を一生懸命生きよう。
あすを思い煩う必要はないということ。
私にとっての、平成30年の最大のコペルニクス的転回になった。
先延ばしする人生をやめよう。
先延ばしする人生は高度経済成長期の行動パターンになっていた。
今を楽しむな。
今を楽しんだやつは受験に失敗する。
会社の入試に失敗する。
日本列島は自然災害という運命から逃れられない。
日本には限界がある。
限界は外側にあるのではなく、内側にある。
気づいていなかった。
やっぱり生き方を変えないといけない。
高度成長期は2度とない。
2度とないのを、イベントで埋めようとする。
日本人は祭りが好き。
老いも若いも、イデオロギーが右や左であれ、みんなが沸き立つ。
カンフル剤を何度も注射して、奮い立たせる。
やめたほうがいい。
イベントがあるから、今を我慢する。
それは先送りではないか。
生き方を国も個人も変えないといけない。
以上です。
>無常というのは、消極的なニヒリズムではなく、積極的な虚無主義だ。
今を一生懸命生きよう。
あすを思い煩う必要はないということ。
高校生の時に小林秀雄の「無常という事」という本は読んだことがありますが、
分かったような、分からなかったような気がしましたね。(苦笑)
「今を一生懸命生きよう。
あすを思い煩う必要はないということ。」。
このように生きたいです。
でもあすを思い煩いますね。(苦笑)
>日本列島は自然災害という運命から逃れられない。
日本には限界がある。
限界は外側にあるのではなく、内側にある。
気づいていなかった。
やっぱり生き方を変えないといけない。
これは間違いないように思います。
日本に住んでいる以上、自然災害が起こりうるという覚悟が必要でしょうね。
>高度成長期は2度とない。
2度とないのを、イベントで埋めようとする。
私は今更東京オリンピックや大阪万博をやる必要がないと思っています。
まだやったことがない国に譲れば良いものをと思っています。
あすを思い煩うことなく、今を一生懸命生きたいですね。
恋のひとこと 竹内まりや&大滝詠一
タイトルは「先延ばし人生やめよう」です。
姜 尚中さんの名前の読み方が分からず、ネットで大学教授・哲学者・韓国籍と検索したら名前が出てきたのにはびっくりしました。
肝心の講演内容です。
昨年で明治維新から150年がたって、平成の30年はどのような時代だったのかと考える。
1995年、阪神大震災があってボランティア元年となった。
2016年は熊本地震があり、私も被災した。
平成は災害が多かった。
東北大で、津波と地震の世界的権威の方に会ったら、地震は予測できない、出たとこ勝負ですという。
ああ、そうか。
いろいろ考えても仕方ない。
なるほどと思ったときに、文芸評論家である小林秀雄の言っている無常の意味のある部分が分かった。
無常というのは、消極的なニヒリズムではなく、積極的な虚無主義だ。
今を一生懸命生きよう。
あすを思い煩う必要はないということ。
私にとっての、平成30年の最大のコペルニクス的転回になった。
先延ばしする人生をやめよう。
先延ばしする人生は高度経済成長期の行動パターンになっていた。
今を楽しむな。
今を楽しんだやつは受験に失敗する。
会社の入試に失敗する。
日本列島は自然災害という運命から逃れられない。
日本には限界がある。
限界は外側にあるのではなく、内側にある。
気づいていなかった。
やっぱり生き方を変えないといけない。
高度成長期は2度とない。
2度とないのを、イベントで埋めようとする。
日本人は祭りが好き。
老いも若いも、イデオロギーが右や左であれ、みんなが沸き立つ。
カンフル剤を何度も注射して、奮い立たせる。
やめたほうがいい。
イベントがあるから、今を我慢する。
それは先送りではないか。
生き方を国も個人も変えないといけない。
以上です。
>無常というのは、消極的なニヒリズムではなく、積極的な虚無主義だ。
今を一生懸命生きよう。
あすを思い煩う必要はないということ。
高校生の時に小林秀雄の「無常という事」という本は読んだことがありますが、
分かったような、分からなかったような気がしましたね。(苦笑)
「今を一生懸命生きよう。
あすを思い煩う必要はないということ。」。
このように生きたいです。
でもあすを思い煩いますね。(苦笑)
>日本列島は自然災害という運命から逃れられない。
日本には限界がある。
限界は外側にあるのではなく、内側にある。
気づいていなかった。
やっぱり生き方を変えないといけない。
これは間違いないように思います。
日本に住んでいる以上、自然災害が起こりうるという覚悟が必要でしょうね。
>高度成長期は2度とない。
2度とないのを、イベントで埋めようとする。
私は今更東京オリンピックや大阪万博をやる必要がないと思っています。
まだやったことがない国に譲れば良いものをと思っています。
あすを思い煩うことなく、今を一生懸命生きたいですね。
恋のひとこと 竹内まりや&大滝詠一
国会では予算案が出され、スルーっと可決されてしまます。
イベント(万博.オリンピックetc)は利権がらみで、ため息の出るような金額が算出されます。
私達が知らない懸案もいつのまにか決定されてたり…
今日の内容にあった様に
「地震は予測出来ない」と解っているのに、ある学者.研究者は絶対出来ると言い張り、今までに一度も予測したこたもないのに、国会予算から研究費として何十億と引き出しているそうです。
予算を決める側も使う側も、血税だと言う事を忘れないで欲しいです。
ここからは、大瀧詠一師匠の事です。
ブログを持っていないので、この場をお借りしてmasaさんとの個人的メールのようになってしまうのですが、お許し下さい。
今日の歌は、大瀧詠一さんがお嬢様と歌いたかったそうですが、お嬢様が歌手にならなかったので、
大瀧詠一さんと歌いたいとずっと思っていた、竹内まりあさんとになったそうです。
師匠最後のレコーディングだそうです。
>「地震は予測出来ない」と解っているのに、ある学者.研究者は絶対出来ると言い張り、今までに一度も予測したこたもないのに、国会予算から研究費として何十億と引き出しているそうです。
地震は予測できないとわかっているのに、毎年多額の予算をいただく学者や官僚は詐欺グループと同じようなものですね。
地震が起こった際のケア設備とか連絡網の整備などに予算を計上したほうが、よっぽど役立つように思いますが。
>ブログを持っていないので、この場をお借りしてmasaさんとの個人的メールのようになってしまうのですが、お許し下さい。
とんでもございません、大滝師匠のことを少し知ることができて嬉しいです。
>今日の歌は、大瀧詠一さんがお嬢様と歌いたかったそうですが、お嬢様が歌手にならなかったので、
大瀧詠一さんと歌いたいとずっと思っていた、竹内まりあさんとになったそうです。
師匠最後のレコーディングだそうです。
そうだったんですか!
この歌、とても日本の歌のように思えません。
アメリカからやってきた曲のように思いました。
洒落た歌ですね。
今日で大滝師匠週間は、一時休止させていただきます。
オレンジさんに、毎回拝聴していただきありがとうございました。
で、その国民性だからこそ、評価された信用とかもあるし。
やっぱり、勤勉で、几帳面なのかしら?
農耕民族的ですよね。
どのラインで割り振るか・・・
それにしても、今を楽しむ、今を感謝する気持ちは大事ですよね。
つまりキリスト教の考えと同じです。
「明日を思い煩うことなかれ、
明日のことは明日のみが知ること・・・」
と聖書にあります。
そのことを解ったうえで、一所懸命生きるというのが考え方です。
現代では、一所懸命を一生懸命と書きますが、
正しくは一所懸命です。
「一つの所に命を懸ける」と言う意味です。
一生に命を懸けるのは当たり前のこと、
どんなことにも、一所懸命に生きてこそ、生きる値打ちがあるものと思います。
明日は明日の風が吹く
そんな風に割り切ってケセラセラと暮らせたらどんなに楽でしょうね
まあ私はそれに近い物がありますが・・・(笑)
確かに起るか起らないかわからないことで悩んでもしかたないですものね
姜尚中氏は新聞の悩み相談の回答者として、いろいろなご意見を書いておられます。
なるほど~と思うこともあれば、これはちょっと違うんじゃないか・・・と思うことも(笑)
根っからの性分が邪魔をします。
育った環境、農家では今年が必ず昨年同様な豊作、又は
反対の凶作かは分かりません。
ですから、常に先々の食扶ちを考えて暮らしていました。
居間を我慢して、未来に楽ができるようにと・・・
こういった境遇は、もう身に沁みついてしまっていて
ケセラセラに暮らすことの方が、難しくなってしまっています。
ついつい、明日の我が身を案じながらの暮らしになってます。
>やっぱり、勤勉で、几帳面なのかしら?
農耕民族的ですよね。
日本人はアリとキリギリスではアリのような生き方を選びますね。
高度成長期を終えて、そこからの脱却が必要かもしれないと私は思ってしまいますが。
>それにしても、今を楽しむ、今を感謝する気持ちは大事ですよね。
私には出来ていませんが、過去も未来も忘れて現在を一生懸命生きるのが大切なように思います。
>「明日を思い煩うことなかれ、
明日のことは明日のみが知ること・・・」
と聖書にあります。
そうなんですか!
明日を思う煩う人が多いから、神がそのようなことを言われるんですね。
>一生に命を懸けるのは当たり前のこと、
どんなことにも、一所懸命に生きてこそ、生きる値打ちがあるものと思います。
なるほど。
私はそのように生きてこなかったですが、後悔はしていません。
>そんな風に割り切ってケセラセラと暮らせたらどんなに楽でしょうね
ケセラセラと暮らせれば人生悩むことがないでしょうが、人間って欲望がありますからなかなかそのような生き方は出来ないですね。
>なるほど~と思うこともあれば、これはちょっと違うんじゃないか・・・と思うことも(笑)
姜尚中氏は大変優秀な学者だと思いますが、全ての人に共感を覚えるような思想は無理なような気がします。
神ではないので、やむ得ないでしょうね。
>ですから、常に先々の食扶ちを考えて暮らしていました。
居間を我慢して、未来に楽ができるようにと・・・
なるほど。
自然界は何が起こるかわかりません。
そのための蓄えは生活の知恵ですね。
>ついつい、明日の我が身を案じながらの暮らしになってます。
ねこママさんの現在の環境なら、明日の我が身を案じる必要はないように思います。
これからは少しのんびりして暮らされてもバチは当たらないと思います。(笑)