昨日の朝は珍しく食卓に「静岡産の紅ほっぺ」というイチゴがありました。
あとは何もつけていないトーストと温かいストレート・ティーにヨーグルト、その中に蜂蜜とシリアル。
昔は紅茶とかコーヒーに砂糖やミルクを入れないなんて考えられなかったですが、
今は砂糖やミルクを入れなくても飲めるようになりました。
慣れというものは恐ろしい!(笑)
ある方のブログに、テレホン人生相談の加藤先生の言葉が載っていました。
「金のたまごを生むメンドリ」
ある人が、金のたまごを生む美しいメンドリを飼っていました。
そのメンドリの中に金のかたまりがあるだろうと考えて殺したところが、中はほかのメンドリと同じようでした。
この人は、金のかたまりを見つけるつもりで、いままでのわずかな金もなくしてしまったのです。
これも自分の位置を忘れた結果。この人はメンドリに食べさせてもらっているということを忘れてしまっている。
自分が受けている恩恵を忘れている。
出版社を止めて独立する人がいる。なかには成功する人もいるのだろうが、私の知っている限りでは、はるかに失敗する人の方が多い。
それはその出版社あっての自分という「自分の座標軸を忘れている」からである。
自分が編集した本が売れている。それから考えると、自分の給料が少ないと不満に思う。
自分の力は凄いと思う。そして止める。しかし人が相手にしてくれるのはその出版社の人だからである。
それを忘れて自分が、その出版社を止めても、皆から相手にされていると思ってしまう。
自分の今の幸運を、
当たり前と思った時に、
不運は始まる。
自分と付き合ってくれている人が、心優しい。
そのことを当たり前と思った時に、
不幸は始まる。
気がついた時には、
酷い人に囲まれている。
自分のことを良くしてくれる人がいる。
それでずにのった時に、
地獄の入り口にきている。
一度去ったその人は、もう戻らない。
なぜなら、その人は、さる前に、できる事を精一杯しているから。
カレン・ホルナイは名声追求の強迫性について特徴のとして「満足しない、際限がない」と言う事をあげいいる。
つまり100点を目標にする神経症者は100点とれても120点が欲しくなる。
いつも「もっともっと」と急き立てられる。とにかく際限がない。
カレン・ホルナイはもうひとつ神経症的傾向の強い人は「見境がないこと」と言う事もあげている。
つまり「何をしても」もっともっと言う事である。すき焼きをこれだけ食べたで満足しない。もっと食べたい。
そのうえに「給料この位もらった」で満足しない。「いや、もっと欲しい」。「常に」「何についても」「もっともっと」である。
そこで「あなたはどの位欲しいんですか」と聞かれれば分からない。何だかわからないけれども「何でも」「もっともっと」欲しい。
これでは生きていて苦しい。欲しいものに領域も限界もないのだから。そこで常に心が満ち足りていない。いつも何についても不満。
皆が「あなたいい生活してるわね」と言っても絶対に満足しない。そしてもう何をするにも不安、この私がやる事は全部自信がない。
運動になると跳び箱を9段を超えたらきっと幸せになれると思っている。でも9段を超えたら今度は10段を跳べないんだから不満になる。
そして不満は跳び箱だけではなく、他の事についても同じ事で、いつも何事も不満。何をしても幸せになれない。
私は跳び箱10段を跳べなければ絶対に幸せにならないと思っている。
毎日がこれでも駄目だ、あれでも駄目だ、とイライラしている。今日も10段を跳べなかった。
そして他の事も全て跳び箱10段の考え方になる。だから生きる事が辛い。
就職の時には大蔵省に受からなければ幸せになれないと思う。絶対に大蔵省に行かなければ私の人生はもう駄目と思う。
行けなければ自分の今まで生きてきた事が全部無意味になると感じている。
心理的に健康な人は「跳び箱10段がそんなに大事なの?でも私は10段跳べないから、私は縄跳びをやってみる。
縄跳び1000回出来るわよ。」って人である。自分の出来る範囲で自分の力を出す人、それが心理的に健康な人である。
心理的に健康な人は水泳をしても満足している。
それで「ええ、プール?そんな事は世間では認めないわよ。」って言われても、心理的に健康な人は平気。
心理的に健康な人は今まで生きてきた人生を自分が認めている。どんな人生でも自分が満足している。
もっと頂戴っと思っている人は自分自身の世界観を変えなければもっともっと自分の首をしめてしまう。
大事な事は今自分がこれでも自分は幸せなのかなと思うかどうかである。
今この幸せの平凡な毎日が自分自身の力であって、今までの生きてきた証だと思うこと。
この人生が最後に幸せにつながっている道だと信じる事である。
そうすればメンドリを殺さない。
心の空洞が埋らない。
そこで名誉がほしい。
空洞が大きければ大きいほど、
大きな名誉がほしい。
同じ名誉を得ても、生きる支えのない人は、
もっと、もっと名誉が必要になる。
同じ名誉でも、生きる支えとして名誉をほしい人と、
すでに生きる支えがある人が、名誉を求めるのとは違う。
同じ地位にいても一人は満足し、
もう一人は「もっと、もっと」と焦る。
心の支えを持っている人と、持っていない人では、
地位の持つ意味が違う。
心の支えを持っていない人は、
より高い地位で少しでも心の支えを強化しようとしているのである。
だから、「もっと、もっと」になる。
このイソップ物語と同じ様な話しを考えれば次のような物語であろう。
ゆで卵が健康に良いというので皆でゆで卵を作っていた。
6人の人がいたが、卵は3個しかなかった。
あるよく深い人がゆで上がってからでは、とるのが遅いとお湯に手をつっこんで火傷をした。
焦る人は夢がない。早くしよとすると今までの努力が無駄になる。
よく深い人は一時間なら30分、30分なら5分と焦る。そして全てを失う。
以上です。
>自分の力は凄いと思う。そして止める。しかし人が相手にしてくれるのはその出版社の人だからである。
それを忘れて自分が、その出版社を止めても、皆から相手にされていると思ってしまう。
会社の看板があるので相手も話に乗ってくれるのに、自分の力で商談をまとめたと
錯覚する方は、確かに多いです。
相手は、貴方の後ろについている看板を見ているのに。(苦笑)
>心理的に健康な人は「跳び箱10段がそんなに大事なの?でも私は10段跳べないから、私は縄跳びをやってみる。
縄跳び1000回出来るわよ。」って人である。自分の出来る範囲で自分の力を出す人、それが心理的に健康な人である。
自分の出来る範囲で自分の力を出す人、それが心理的に健康な人である。
なるほど、自分の出来る範囲で自分の力を出すようにする。
人生の指針になりますね。
オリーブの首飾り ポール・モーリア Paul Mauriat El Bimbo
あとは何もつけていないトーストと温かいストレート・ティーにヨーグルト、その中に蜂蜜とシリアル。
昔は紅茶とかコーヒーに砂糖やミルクを入れないなんて考えられなかったですが、
今は砂糖やミルクを入れなくても飲めるようになりました。
慣れというものは恐ろしい!(笑)
ある方のブログに、テレホン人生相談の加藤先生の言葉が載っていました。
「金のたまごを生むメンドリ」
ある人が、金のたまごを生む美しいメンドリを飼っていました。
そのメンドリの中に金のかたまりがあるだろうと考えて殺したところが、中はほかのメンドリと同じようでした。
この人は、金のかたまりを見つけるつもりで、いままでのわずかな金もなくしてしまったのです。
これも自分の位置を忘れた結果。この人はメンドリに食べさせてもらっているということを忘れてしまっている。
自分が受けている恩恵を忘れている。
出版社を止めて独立する人がいる。なかには成功する人もいるのだろうが、私の知っている限りでは、はるかに失敗する人の方が多い。
それはその出版社あっての自分という「自分の座標軸を忘れている」からである。
自分が編集した本が売れている。それから考えると、自分の給料が少ないと不満に思う。
自分の力は凄いと思う。そして止める。しかし人が相手にしてくれるのはその出版社の人だからである。
それを忘れて自分が、その出版社を止めても、皆から相手にされていると思ってしまう。
自分の今の幸運を、
当たり前と思った時に、
不運は始まる。
自分と付き合ってくれている人が、心優しい。
そのことを当たり前と思った時に、
不幸は始まる。
気がついた時には、
酷い人に囲まれている。
自分のことを良くしてくれる人がいる。
それでずにのった時に、
地獄の入り口にきている。
一度去ったその人は、もう戻らない。
なぜなら、その人は、さる前に、できる事を精一杯しているから。
カレン・ホルナイは名声追求の強迫性について特徴のとして「満足しない、際限がない」と言う事をあげいいる。
つまり100点を目標にする神経症者は100点とれても120点が欲しくなる。
いつも「もっともっと」と急き立てられる。とにかく際限がない。
カレン・ホルナイはもうひとつ神経症的傾向の強い人は「見境がないこと」と言う事もあげている。
つまり「何をしても」もっともっと言う事である。すき焼きをこれだけ食べたで満足しない。もっと食べたい。
そのうえに「給料この位もらった」で満足しない。「いや、もっと欲しい」。「常に」「何についても」「もっともっと」である。
そこで「あなたはどの位欲しいんですか」と聞かれれば分からない。何だかわからないけれども「何でも」「もっともっと」欲しい。
これでは生きていて苦しい。欲しいものに領域も限界もないのだから。そこで常に心が満ち足りていない。いつも何についても不満。
皆が「あなたいい生活してるわね」と言っても絶対に満足しない。そしてもう何をするにも不安、この私がやる事は全部自信がない。
運動になると跳び箱を9段を超えたらきっと幸せになれると思っている。でも9段を超えたら今度は10段を跳べないんだから不満になる。
そして不満は跳び箱だけではなく、他の事についても同じ事で、いつも何事も不満。何をしても幸せになれない。
私は跳び箱10段を跳べなければ絶対に幸せにならないと思っている。
毎日がこれでも駄目だ、あれでも駄目だ、とイライラしている。今日も10段を跳べなかった。
そして他の事も全て跳び箱10段の考え方になる。だから生きる事が辛い。
就職の時には大蔵省に受からなければ幸せになれないと思う。絶対に大蔵省に行かなければ私の人生はもう駄目と思う。
行けなければ自分の今まで生きてきた事が全部無意味になると感じている。
心理的に健康な人は「跳び箱10段がそんなに大事なの?でも私は10段跳べないから、私は縄跳びをやってみる。
縄跳び1000回出来るわよ。」って人である。自分の出来る範囲で自分の力を出す人、それが心理的に健康な人である。
心理的に健康な人は水泳をしても満足している。
それで「ええ、プール?そんな事は世間では認めないわよ。」って言われても、心理的に健康な人は平気。
心理的に健康な人は今まで生きてきた人生を自分が認めている。どんな人生でも自分が満足している。
もっと頂戴っと思っている人は自分自身の世界観を変えなければもっともっと自分の首をしめてしまう。
大事な事は今自分がこれでも自分は幸せなのかなと思うかどうかである。
今この幸せの平凡な毎日が自分自身の力であって、今までの生きてきた証だと思うこと。
この人生が最後に幸せにつながっている道だと信じる事である。
そうすればメンドリを殺さない。
心の空洞が埋らない。
そこで名誉がほしい。
空洞が大きければ大きいほど、
大きな名誉がほしい。
同じ名誉を得ても、生きる支えのない人は、
もっと、もっと名誉が必要になる。
同じ名誉でも、生きる支えとして名誉をほしい人と、
すでに生きる支えがある人が、名誉を求めるのとは違う。
同じ地位にいても一人は満足し、
もう一人は「もっと、もっと」と焦る。
心の支えを持っている人と、持っていない人では、
地位の持つ意味が違う。
心の支えを持っていない人は、
より高い地位で少しでも心の支えを強化しようとしているのである。
だから、「もっと、もっと」になる。
このイソップ物語と同じ様な話しを考えれば次のような物語であろう。
ゆで卵が健康に良いというので皆でゆで卵を作っていた。
6人の人がいたが、卵は3個しかなかった。
あるよく深い人がゆで上がってからでは、とるのが遅いとお湯に手をつっこんで火傷をした。
焦る人は夢がない。早くしよとすると今までの努力が無駄になる。
よく深い人は一時間なら30分、30分なら5分と焦る。そして全てを失う。
以上です。
>自分の力は凄いと思う。そして止める。しかし人が相手にしてくれるのはその出版社の人だからである。
それを忘れて自分が、その出版社を止めても、皆から相手にされていると思ってしまう。
会社の看板があるので相手も話に乗ってくれるのに、自分の力で商談をまとめたと
錯覚する方は、確かに多いです。
相手は、貴方の後ろについている看板を見ているのに。(苦笑)
>心理的に健康な人は「跳び箱10段がそんなに大事なの?でも私は10段跳べないから、私は縄跳びをやってみる。
縄跳び1000回出来るわよ。」って人である。自分の出来る範囲で自分の力を出す人、それが心理的に健康な人である。
自分の出来る範囲で自分の力を出す人、それが心理的に健康な人である。
なるほど、自分の出来る範囲で自分の力を出すようにする。
人生の指針になりますね。
オリーブの首飾り ポール・モーリア Paul Mauriat El Bimbo
いつも週二でヒトカラに行って5時間弱歌ってきてますが上手になりません
ただ楽しいからやってるだけ
23時前にはこれも歌ってないって焦ります
人間って面白いですね
僕にはあまり向上心がないのでしょう
でもその中でわずかに培ってきた力で生きてます
僕は心理的には結構な健康体のようです(笑)
画像があるど、なお一層楽しいです。
出版社の方の様に、大企業を退職した人にもこの傾向がある様ですね。
「うちの会社はこうだった…」
暇になり町内会などに顔をだし、コレを連発し嫌われるみたいです。
我が家族は上昇志向や向上心がなく、現状満足タイプなので、ダメですねぇ。
次男だけはチャレンジ精神があり、転職したくて
勇み足なので、皆に止められています。
思慮深い記事ですね。
でその前に、masamiさんの食卓、健康そのものですね。
私はいまだに紅茶やコーヒーにはいっぱいお砂糖やミルク入れるんです。
主人から呆れられていました。
血糖値のことを考えると入れないほうがよさそうなんですが。
以前体調を崩し、当たり前にできたことが全くできなくなってしまったことがあります。
いろいろなことに気づかされました。
今回の記事は、身に沁みました、そうなんですよね、って。
確かに人生の指針になりました。
昔は出来たことができないと、焦ったり嘆いたり・・・・
今できる力で頑張れればいいんですね。
跳び箱10段が飛べなくても、生きてきた歴史でやれることがある。
ただし、過去の看板をひけらかすことなくね・・・
これは、私にはもともと看板がないので大丈夫ですが。
>いつも週二でヒトカラに行って5時間弱歌ってきてますが上手になりません
ただ楽しいからやってるだけ
23時前にはこれも歌ってないって焦ります
週2、一人カラオケですか!
そこまで歌われているのに、23時前に焦るんですか。(笑)
次回があると思わないほど、楽しんでいらっしゃいますね。
>僕にはあまり向上心がないのでしょう
でもその中でわずかに培ってきた力で生きてます
僕は心理的には結構な健康体のようです(笑)
向上心はお持ちだと思いますが、自分のできる範囲で頑張られているんでしょうね。
精神的には、健康体ですね。
そうでなかったら、週2で5時間ずつ歌うなんて無理でしょう。(笑)
>今日はmasaさん家のmorningの画像があり、新鮮です。
平凡な朝食ですが、大粒なイチゴが珍しく食卓に乗りましたので紹介しました。(笑)
>「うちの会社はこうだった…」
暇になり町内会などに顔をだし、コレを連発し嫌われるみたいです。
誰かに自慢したい気持ちはわかりますが、老後は謙虚でなければ嫌われます。
上に行かれた方ほど、人間心理がわからないのが解せません。(苦笑)
>次男だけはチャレンジ精神があり、転職したくて
勇み足なので、皆に止められています。
これって難しいですよね。
私も息子が転職したいと言ったとき反対しました。
どうしても転職したいなら、親が反対しても貫くと思います。
>私はいまだに紅茶やコーヒーにはいっぱいお砂糖やミルク入れるんです。
主人から呆れられていました。
血糖値のことを考えると入れないほうがよさそうなんですが。
お福さんは健康的な食事をいつも召し上がっていると思います。
でも、できれば紅茶やコーヒーに砂糖やミルクを入れられないほうが良いと思います。
案外砂糖やミルクを入れなくても飲めますよ。(笑)
>以前体調を崩し、当たり前にできたことが全くできなくなってしまったことがあります。
私も1昨年の秋、たった10メートルも歩けなくなりました。
私よりだいぶ年上の方が、スーパーでカートを集められ運んでいらっしゃいました。
これにはショックでした。
病気になるとまさか歩けなくなるとは思いませんでした。(苦笑)
歩けるのが当たり前ではないですね。
>昔は出来たことができないと、焦ったり嘆いたり・・・・
今できる力で頑張れればいいんですね。
跳び箱10段が飛べなくても、生きてきた歴史でやれることがある。
跳び箱10段にこだわる必要ないですよね。
縄跳びを1000回できれば良いのですから。(笑)
>ただし、過去の看板をひけらかすことなくね・・・
これは、私にはもともと看板がないので大丈夫ですが。
自分から自慢するのは1度でいいですよね。(笑)
なんども自慢すると嫌われますね。
ねこママさんは、日展は入選されるし、確か行政書士の資格もお持ちだったのでは。
看板は十分お持ちです。(笑)
私は基本的にパンとコーヒーだけなので、いちごなんかついてると、見ているだけでテンションあがります
でも今朝は7時に家を出て待ち時間にドトールでサンドイッチを食べたので豪華でした(笑)
私も全く向上心がなく、幸せのハードルが低いので
結構いつでも満足状態(笑)
でも人はやはり少しはハングリー精神がないと進歩しないんじゃないか・・・と思うのですが
思うけどやっぱり向上心なし子の私は努力しません(笑)
できる範囲で満足~
>豪華な朝食ですね~
私は基本的にパンとコーヒーだけなので、いちごなんかついてると、見ているだけでテンションあがります
でも今朝は7時に家を出て待ち時間にドトールでサンドイッチを食べたので豪華でした(笑)
うちもかずちゃん宅と同様です。(笑)
たまたま大粒のいちごが食卓に乗ったので写真を取りました。
ドトールでサンドイッチですか!
ドトールのコーヒーも美味しいし、サンドイッチも美味しいですよね。
私の最寄りの駅にドトールがありますが、最近行ってないです。久しぶりに食べたい!(笑)
>思うけどやっぱり向上心なし子の私は努力しません(笑)
できる範囲で満足~
いやいや、かずちゃんは向上心をすごくお持ちだと思います。
毎月読書は欠かされないですし、片付け作業は定期的に行われています。
一番真似できないのはどんなことがあってもブログを書かれることです。
このような意思の固い方は知らないです。(笑)