団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

今のお年寄りは、本当によく働かれますね!

2013-08-21 15:08:33 | 日記
今朝は特別擁護老人ホームの宿直明けでした。

いつも朝の5時半頃来られるランドリーのおじさんがいらっしゃいます。私もおじさんなので、おじさんと言っては失礼だとは思いますが。(笑)
今年で73歳になられますが、元気そのものです。60歳からこの施設で働き始められました。
それ以前は自分で商売をされていたようです。
体は小柄な方ですが、胸板が厚くいかにも丈夫という体格をされています。
最初に入居者が使ったエプロンやおしぼりなどを集められますが、1階から4階まで往復されますので、一日一万歩は軽く歩かれていると思います。
少し話しをしていましたら、「病気などにかからなかったら、75歳まで働きたい!」と、言われました。
この施設は男女とも丈夫なおじさん、おばさんが多いです。(笑)
私は仮に元気であっても75歳までは働きませんね!
元々働くのは好きではないですし、75歳まで働いたら残りの健康年齢はほとんどなくなってしまうと思うからです。
今のお年寄りは、本当によく働かれますね!




この歌を聴くと切なくなりますね!(笑) 竹内まりやさんの♪駅♪
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妹も「いつも頂くお中元が来ないけど、どうかしたの?」なんて聞く訳にもいかず

2013-08-20 06:39:22 | 日記
毎年 お中元・お歳暮は、息子が勤めている会社に頼んでいます。
今年も7月の初旬に息子に頼みました。
現役時代と違い、送るのは息子と私の妹と私の弟への3件だけです。
が、どうも届いていない様子でした。
いつもお中元が届くと、妹や弟から「届いた」との電話がありますが、今回電話がないのです。

7月の終わり頃、妹から様子伺いの電話がありました。
どうもいつも来るお中元が来ないので、何かあったかな!と思ったようです。
私は息子に依頼済みですので、あえてその件には触れませんでした。
妹も「いつも頂くお中元が来ないけど、どうかしたの?」なんて聞く訳にもいかず、お中元の件を聞きたかったと思いますが、お中元の件には触れませんでした。(笑)

7月の終わりに息子に確認しましたら、「7月の処理に間に合わなかったので、8月の半ばには届くのでは。」という電話での答えでした。
ところが8月半ばになっても届かないので、家内が息子に電話しましたら、息子が嫁さんに私からのお中元が届いているか確認していました。息子の家にも届いていづ、送った控えもないとのことでした。
先日 息子が嫁さんがお盆で実家に帰ったので、夕食を食べにきました。
お中元の話をしますと、会社で調べてみるという話でした。

翌日 電話があり、どうも手続きがされていないようです。
家内から受け取ったお中元の依頼書をどこかへやってしまったようです。
この辺りの性格は子どもの頃と同じです。(苦笑)
書類を受け取ってもきちんと整理しないのです。
整理整頓が苦手なようです。困ったものです。
よくこれで会社勤めが出来ているなぁと思ってしまいます。(苦笑)

家内は「何かキャンペーンがあったら、妹と弟にお中元の代わりに送って!」と電話で言ったらしいですが、そんなに上手い具合にキャンペーンなんてあるのかな?と思いました。
今年はお中元は無しになりそうですので、その分お歳暮に上乗せしなければいけないようです。(苦笑)

妹や弟に、息子の不始末を言った方が良いかな?
お中元のことで、私の家計が苦しいと思われるのも困るので。(笑)




先日 NHKテレビで吉永小百合さんと坂本龍一さんの私の好きな曲 10曲という番組を視ていました。
吉永さんのご主人がご病気された時、吉永さんがご主人を励まそうと「希望」のレコードを探しまわったというお話をされていました。
「希望」が入ったカセットが見つかりご主人に渡すと、ご主人は毎日聴かれて元気を取り戻されたとのことでした。
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お盆休みも終わり、今日から本格的に人々が動き出します。

2013-08-19 05:43:41 | 日記
昨日 帰省していた娘が東京へ戻りました。
いつものことですが、別れはいやですね。

私は娘が帰ってくると窮屈になります。と、いうのは、今は娘の部屋を自分の部屋として使っているからです。
娘も嫌でしょうね!
自分の場所がないのですから。
部屋数が少ないので、日頃あまっている娘の部屋を使うことになってしまいました。

単身赴任のお父さんが自宅に戻られると、自分の場所がないのと同じ心境ではと思ったりします。
このお盆休みでそんな心境になられた方も多いように思います。

お盆休みも終わり、今日から本格的に人々が動き出します。
毎日が日曜日の私でさえ、人々がいつもの生活に戻ったことを実感します。

あと2週間孫の面倒を見なければ行けません!(笑)
夏休みも後半ですね。

ところで話は変わりますが、昨晩目覚めた時に日頃何も取り立ててしないのに生活できている現状に感謝の気持ちが生じました。これも家内のおかげです。
いつまでこんな幸せが続くのでしょうね。感謝以外ないです。



「冬のソナタ」の後番組「美しき日々」も毎週視ました。この頃から韓国ドラマにハマりました。(笑)
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「悪い奴ほど、長生きする」は、真実ですね!(苦笑)

2013-08-18 08:56:36 | 日記
今朝も暑いです。

昨日の中日新聞の朝刊にこんな記事が載っていました。

靖国神社にある遊就館の片隅に奇妙な像がある。
潜水服姿で頭には大きなかぶと。
両手で長い棒を持ち、身構えている。
先端に付けられているのは機雷である。

8月15日の遊就館は見学者であふれていたが、この像をあまり気に留める人はいない。
それはそうであろう。
本土決戦を水際で食い止める「人間魚雷」の存在はほとんど知られていないのだから

敗戦直前に横須賀や呉などで部隊が編成され、三千人近くの若者が潜水訓練を受けた。
上陸する米軍の舟艇を水中で待ち構え、竹ざおの先の機雷を突き上げて自爆する。
「伏龍」と名付けられた水際特攻隊である

空を飛ぶ夢を失った予科練の少年兵たちは、ひたすら死に向かう訓練に明け暮れた。
本土決戦が回避されたために実践には至らなかったが、潜水具には構造的な欠陥があり、多くの若者が訓練中の事故で命を失った

当時の戦争指導者の愚劣さが凝縮されている
人間機雷を考えたのは、参謀として真珠湾攻撃の作戦を立案した人物だ。
自らを犠牲にして祖国を守ろうとした少年達の命をここまで軽く扱うのか。
以前、取材した時に心底、怒りがわいた

戦争が長引けば伏龍の要員になるはずだった人物に城山三郎さんがいる。
特攻を命じた側に常に厳しい視線を向けた作家の原点だろう。

「日本が戦争で得たのは憲法だけだ」。
城山さんの言葉が重く響く。

と、記事は結んでいました。

竹ざおか!
こんな作戦駄目なのは誰でも分かるのに!
物資がなくて竹を。もう負けに決まっている。
先日 本土決戦に備えて女性がなぎなたの修練を受けている戦時中のニュースを視ていましたが、なぎなたでアメリカのB29にどう立ち向かうのと言いたかったです。
もう負けに決まっているのに。
上層部は敗戦の際の自分の身分保障を求めるために、アメリカと交渉していたのに。
馬鹿をみるのは下っ端の常ですね!

ところで、「人間機雷を考えたのは、参謀として真珠湾攻撃の作戦を立案した人物だ。
自らを犠牲にして祖国を守ろうとした少年達の命をここまで軽く扱うのか。
以前、取材した時に心底、怒りがわいた」

この人物をネットで探しました。

黒島 亀人(くろしま かめと)という海軍の事務方のお偉さんでした。最終的には海軍少将までいきました。

こいつはこんな卑劣な奴です。
黒島亀人は終戦時に宇垣纏の日記『戦藻録』の一部を勝手に処分した。『戦藻録』は、昭和16年から昭和20年まで、ほぼ毎日書いていた太平洋戦争当時の連合艦隊の当事者の心の推察や作戦の内幕を知る上で貴重な資料である。しかし、昭和17年11月から昭和18年2月頃までの日記は欠落している。黒島は極東国際軍事裁判証人として出廷するのでが借りたいと遺族から受け取り、該当部分のみ電車に置き忘れたとしているが、黒島は軍事裁判に出席していなかった。 また軍令部からも重要書類を借り受けて紛失させた。連合艦隊通信参謀市来崎秀丸からも連合艦隊電令作綴を受け取り焼却処分する。 何らかの保身のために黒島にとって都合の悪い部分が書いていた箇所を処分したのではないのかと疑いが持たれている]。

若者の命はないがしろにしておきながら、自分の保身に走る悪魔のような奴です。

戦後ある商事会社の常務をし、その後、麹町の広大な旧鍋島侯爵邸に住み哲学、宗教の研究に没頭した。

「アホクサ!」何が哲学、宗教の研究だ!
若き命を無駄死にさせ、自分は優雅に学問を学ぶのか。
こんな人物が72歳まで生きたのが信じられない!
「悪い奴ほど、長生きする」は、真実ですね!(苦笑)

黒島はミッドウェー作戦を立案して失敗。それ以降も山本五十六は黒島をかばい寵愛を受けたとのことですが、山本五十六も人を見る目がなかったようです。(苦笑)

映画館で観ました。映画での主題歌は違う歌手だったような気がします。
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まさか日本が原爆投下に協力していたとは。

2013-08-17 14:24:23 | 日記
ネットを視ていましたら、こんな記事が載っていました。
私も以前 広島・長崎への原爆投下が事前に軍部は知っていたという話を父親から聞いたことがありましたが、どうやら本当だったようです。
下記はネットの記事です。

上層部は原爆投下に協力して見殺しに

聞きたくなかった上層部の原爆投下への協力。


チャーチルは3度の警告を前提に米国と共同開発した原爆の投下を認めた。当然、大本営上層部は事前に警告をキャッチするが、既に敗戦処理に汲々とした命乞いを議論する最終局面にあった。その結果は、おぞましい醜悪な保身の見殺しへと走った。

上層部は原爆投下前に米軍捕虜を避難させ、一部の軍人はこっそり前夜に広島を逃げ出していた。当日は、広島長崎とも秘密指令で来た単独のB29の存在を何時間も前に知りつつも、なぜかなぜか高射砲にも航空隊にも攻撃命令を出さない!!いらっしゃいませ秘密指令のB29さん。

そして、アメリカが待ちに待った恐るべき都市規模の人体実験が幕を開けた。6000度の熱が地上に届いたのである。

愛されて生をまっとうすべき生まれてきたはずの無辜の庶民は皮から神経、肉、骨へと悪魔の業火に生きたまま水分と炭素をはがされていき、その魂は1万メートルの成層圏に吹き飛ばされて彷徨わされた。

天皇、大本営は敗戦後の身の安全と引き換えにそれをさせたのか。

下のものの多少の犠牲は常にあるものなのだという日本の論理は原発被爆で再来。

NHK・TVの「NHKスペシャル」「原爆投下 活かされなかった極秘情報」(8月6日放送)。


 これまで、日本はアメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らぬまま、米軍の奇襲を受けたとされてきた。しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の動きを事前に察知していたことが、新たに証言と資料から明らかになってきたというのである。

 広島も長崎も、諜報レベルではB29来襲の情報を掴んでいたにもかかわらず、軍は空襲警報を発令しなかった。これはおそらくはじめてNHKが報道したのだろう。しかしわれわれは鬼塚英昭氏の著作(『天皇のロザリオ』『原爆の秘密』など)によって、日本政府も、天皇も、軍上層部も事前に原爆攻撃を知っていたことを勉強した。
 本当は、今さらNHKが何を抜かすか、だが…。

 「NHKスペシャル」の説明ではこうだ。
 日本軍諜報部隊は、テニアン島を拠点に活動する米軍のある部隊を追跡していた。不審なコールサインで交信するこの米軍部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒していた。8月6日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知した。だが、空襲警報は出されないまま、原爆は無辜の人々の頭上に投下された。

 そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受した。情報は軍上層部にも伝えられたが、長崎の悲劇も防ぐことはできなかった。
 つまりは原爆を搭載したB29を、日本側はあえて迎撃しなかったのである。

 原爆投下の2ヶ月前から、日本軍諜報機関はテニアン島における特殊任務機の動きをキャッチしていた。しかし軍は、危険が迫っていることを知りながら何の手も打たなかったのだ。
 生存する当時の諜報部員や、大村の戦闘機部隊で出撃命令を待っていた元飛行士は「分かっていたのに、情報を全然使わなかったことが悔しい」と語っていた。
 さらに、元特殊諜報部員によると、8月11日には諜報記録をはじめ全ての証拠を隠滅するよう命令が下され、終戦の15日まで徹底した焼却処分が行われたという。

 番組では「原爆についての情報がありながら、なぜ知らされなかったのか―――原爆投下後66年、はじめて明かされる真実。」とあった。NHKはそれ以上は決して追跡しない。深く追及すれば昭和天皇にまで達してしまう。天皇教信者たちには見たくない史実が現れることになるからだ。

 そして先に言ったように、われわれはすでに「なぜ知らされなかったか」の答えを鬼塚氏によって教えられている。知らないというのは怠慢であろう。

 「ソヴィエトが参戦しようが、しまいが、原爆は確実に広島と長崎に落とされることになっていた。すべては、原爆で金を儲けようとする悪しき集団がなせる行為であった、……そのためにスティムソン陸軍長官が指揮をとり、大統領、国務長官、科学者、軍人たちを動かした。それだけでは原爆は製造しても投下できない。それゆえに、どうしても落とされる側の協力が必要であった。」(鬼塚英昭著『原爆の秘密 国外編』)

 この「落とされる側(日本側)の協力」に関して説いたのは、鬼塚氏が史上初めてだったと思われる。それは何か。

 8月6日が近づくにつれ、広島には数万の将兵が集められた。アメリカ兵の捕虜だけが広島市内から安全なところへ移送された。すべては天皇の命令によって…。
 広島市内に将兵が集められたため、市民への食糧供給が底をつくほどの状況になったという。その兵隊達は何の意味もない穴掘り作業に従事させられ、原爆投下の時間には営庭に集合させられ、原爆によって命を奪われていった。例外的に生き残ったのは、事前に原爆攻撃を知らされていた第2総軍の司令官・畑俊六だけであった。

 このNHKスペシャルを見た大衆はどんな感想を抱くだろうか。
 政府や軍部は無責任だと思うのであろう。原爆投下を知っていたのに、もし問題にすれば攻撃を防げなかったときに責任を問われるから…というような理由で、一種の保身のために国民を見殺したと捉えるのかもしれない。

 しかしこれはそんな問題ではないのだ。そもそも第二次世界大戦そのものがユダヤ国際金融資本が長年計画して実行した陰謀であったことを知らねば、原爆投下の謎も、なぜ戦争が起きたのかの謎も、なぜ昭和天皇が免責されたのかの謎も、解けはしない。

以上です。

日本の為政者は恐ろしいです。

まさか日本が原爆投下に協力していたとは。
唖然としました。
下のものの犠牲は、自分の保身の為なら止む得ない!
人の命は虫けら以下と思っているようです。(苦笑)


加藤登紀子さんの歌で一番好きです。「愛のくらし」
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