家族でフランスを旅した。
私・妻・娘の無職三人はベトナム航空の安い便、仕事をしている息子は高いエールフランスのパリ直行便であった。
三人は9月16日朝10時半成田発、14:30ホーチミン着、ホーチミンで1泊[トランジット]し、
翌17日23:05ホーチミンを発って、18日朝6:45にパリに着いた。
息子は、9月19日10:30に成田を出て16:05パリに着き、ホテルで三人に合流と、ちょっと複雑な様子であった。
9月16日・17日、ホーチミン市観光

9/16午後2時半にホーチミン市に着き、タクシーでホテルに向かった。
BongSenAnnexHotelは一流では無いが素敵で快適であった。日本人が多く利用するようだ。

市民劇場 聖母マリア教会

中央郵便局

人民委員会庁舎 その前にホーチミン像が

戦争証跡博物館
レ・ドクト、ヴォー・グエン・ザップらの写真が

統一会堂[旧大統領府] 地下はかつての南ベトナム政府の執務室などで博物館になっている

1975年4月30日ベトナム解放軍兵士が旗をはためかせてここに突入し、サイゴン解放を果たした有名なシーンはここ。
3階から正面を見ると、かつてのベトナム労働党の指導者レジュアン書記長の名の付いた道路が歴史博物館につながる。一帯は公園

サイゴンセントラルモスク ヒンズー寺院

その内部

ベトナムの麺=ホゥ[米で作った麺、スープは日本の湯麺、薬味として香菜] 右はホテルのビュッフェ朝食

ホテルの真ん前は、日本食レストラン[中]と中華食堂[左] 日本食レストランはたくさんあってこんな看板も

コンビニもたくさんあった 中国将棋に興じる人

ベトナム市内はバイクが氾濫している 至る所にバイクの駐車場が

メコン川 清掃車

ホーチミン市の二日間、妻と娘とは別れて一人で行動した。
二日目は暑くて疲れたので喫茶店で休んだり、メコン川のほとりの木陰で休んだ。
男一人は「よいカモ」らしく、バイクタクシー・輪タク・物売りがとてもしつこい。
一番しつこかったのは、マッサージと女性紹介であった。
メコン川ではつりをしている人がいた。その近くに川のトイレがあるようでおばさんと子どもが用を足していた。
深夜23:05発の飛行機でパリに向かった。
9月18日/パリ


パリ、シャルル・ドゴール空港に着いたのは、翌朝6:45であった。
空港は大きかった。 バスでホテルに向かう。

さて、パリの空港のトイレ 壁は綺麗なのだが その中は
さて、ホテルはパリ市内西の国鉄リヨン駅近く、フランス革命の発祥の地として有名なバスチ-ユ広場近く、
その名もHotelBaudelaireBastille
とても歴史のあるホテルのようで、ガイドブックにも紹介されているようだが、
一部屋にダブルベッドが二つ、シャワーの出も悪かった。一晩一人26ユーロ。
パリ地下鉄事情
地下鉄は1回券1.60ユーロ、回数券は11枚で11.40ユーロ、一日券は8.80ユーロ。
私は、1日券を使った。買い方がわからないで自動券売機の前でうろうろしているとと教えてくれた。
大きい駅では、有人の切符販売所があるが、小さい駅では自動券売機もない改札口もあった。
地下鉄が縦横に走っている。何号線と行き先で調べる。
駅名看板では、日本のように前・後の駅が紹介されていないのでまごつく。
ドアは自分であける路線が多い。通勤時間帯は本を読んでいる人が多い。
女性に対して席を特別には譲らない。電車の中でパンや菓子を食べている人もいる。
車内は結構綺麗である。日本のように携帯をいじる人はほとんどいない。
駅、電車の中で楽器を大きな音で演奏しお金をもらう人がかなりいる。
改札は、切符を自動改札機に入れ、ターンバーを押し回して入る。出る時はチェックなし。
若者が時々そのバーを飛び越えて入っていた。

この日は、一人でパリ市内を見物した。移動は、地下鉄と徒歩。
オペラ座

マドレーヌ教会


コンコルド広場

サン・ロック教会 コメディ・フランセーズ

パレ・ロワイヤル その中庭

リシュリュー国立図書館 街角

オラトリオ教会

ルーブル美術館一部 ルーブル宮[ルーブル美術館]

サン・ジェルマン・ロークセロワ教会

最高裁判所 サント・シャペル教会 警視庁

ノートルダム大聖堂

リュクサンブル宮殿 オデオン・ヨーロッパ劇場
アンヴァリッド宮殿 ピカソ美術館[外観のみ]

初めは、あと2カ所回る予定だったが、暑く疲れたので早めにホテルに戻った。
清掃車は夕方回ってきた。ゴミ集積のコンテナを背後に止めて機械で回転してゴミを排出、

少しこぼれようがお構いなしでそのまま、早朝に清掃車が回ってきてこぼれたゴミを拾っていった。
ホテルの前の通りは結構繁華街というか、下町で、アパート・店が軒を連ね、
ちょうど土曜日で、深夜明け方まで人通りと喧噪があった。
私・妻・娘の無職三人はベトナム航空の安い便、仕事をしている息子は高いエールフランスのパリ直行便であった。
三人は9月16日朝10時半成田発、14:30ホーチミン着、ホーチミンで1泊[トランジット]し、
翌17日23:05ホーチミンを発って、18日朝6:45にパリに着いた。
息子は、9月19日10:30に成田を出て16:05パリに着き、ホテルで三人に合流と、ちょっと複雑な様子であった。
9月16日・17日、ホーチミン市観光

9/16午後2時半にホーチミン市に着き、タクシーでホテルに向かった。
BongSenAnnexHotelは一流では無いが素敵で快適であった。日本人が多く利用するようだ。

市民劇場 聖母マリア教会


中央郵便局


人民委員会庁舎 その前にホーチミン像が


戦争証跡博物館


レ・ドクト、ヴォー・グエン・ザップらの写真が


統一会堂[旧大統領府] 地下はかつての南ベトナム政府の執務室などで博物館になっている


1975年4月30日ベトナム解放軍兵士が旗をはためかせてここに突入し、サイゴン解放を果たした有名なシーンはここ。
3階から正面を見ると、かつてのベトナム労働党の指導者レジュアン書記長の名の付いた道路が歴史博物館につながる。一帯は公園



サイゴンセントラルモスク ヒンズー寺院


その内部


ベトナムの麺=ホゥ[米で作った麺、スープは日本の湯麺、薬味として香菜] 右はホテルのビュッフェ朝食


ホテルの真ん前は、日本食レストラン[中]と中華食堂[左] 日本食レストランはたくさんあってこんな看板も


コンビニもたくさんあった 中国将棋に興じる人


ベトナム市内はバイクが氾濫している 至る所にバイクの駐車場が


メコン川 清掃車


ホーチミン市の二日間、妻と娘とは別れて一人で行動した。
二日目は暑くて疲れたので喫茶店で休んだり、メコン川のほとりの木陰で休んだ。
男一人は「よいカモ」らしく、バイクタクシー・輪タク・物売りがとてもしつこい。
一番しつこかったのは、マッサージと女性紹介であった。
メコン川ではつりをしている人がいた。その近くに川のトイレがあるようでおばさんと子どもが用を足していた。
深夜23:05発の飛行機でパリに向かった。
9月18日/パリ


パリ、シャルル・ドゴール空港に着いたのは、翌朝6:45であった。
空港は大きかった。 バスでホテルに向かう。


さて、パリの空港のトイレ 壁は綺麗なのだが その中は


さて、ホテルはパリ市内西の国鉄リヨン駅近く、フランス革命の発祥の地として有名なバスチ-ユ広場近く、
その名もHotelBaudelaireBastille

一部屋にダブルベッドが二つ、シャワーの出も悪かった。一晩一人26ユーロ。
パリ地下鉄事情
地下鉄は1回券1.60ユーロ、回数券は11枚で11.40ユーロ、一日券は8.80ユーロ。
私は、1日券を使った。買い方がわからないで自動券売機の前でうろうろしているとと教えてくれた。
大きい駅では、有人の切符販売所があるが、小さい駅では自動券売機もない改札口もあった。
地下鉄が縦横に走っている。何号線と行き先で調べる。
駅名看板では、日本のように前・後の駅が紹介されていないのでまごつく。
ドアは自分であける路線が多い。通勤時間帯は本を読んでいる人が多い。
女性に対して席を特別には譲らない。電車の中でパンや菓子を食べている人もいる。
車内は結構綺麗である。日本のように携帯をいじる人はほとんどいない。
駅、電車の中で楽器を大きな音で演奏しお金をもらう人がかなりいる。
改札は、切符を自動改札機に入れ、ターンバーを押し回して入る。出る時はチェックなし。
若者が時々そのバーを飛び越えて入っていた。


この日は、一人でパリ市内を見物した。移動は、地下鉄と徒歩。
オペラ座


マドレーヌ教会




コンコルド広場



サン・ロック教会 コメディ・フランセーズ


パレ・ロワイヤル その中庭


リシュリュー国立図書館 街角


オラトリオ教会

ルーブル美術館一部 ルーブル宮[ルーブル美術館]


サン・ジェルマン・ロークセロワ教会


最高裁判所 サント・シャペル教会 警視庁



ノートルダム大聖堂




リュクサンブル宮殿 オデオン・ヨーロッパ劇場


アンヴァリッド宮殿 ピカソ美術館[外観のみ]


初めは、あと2カ所回る予定だったが、暑く疲れたので早めにホテルに戻った。
清掃車は夕方回ってきた。ゴミ集積のコンテナを背後に止めて機械で回転してゴミを排出、

少しこぼれようがお構いなしでそのまま、早朝に清掃車が回ってきてこぼれたゴミを拾っていった。
ホテルの前の通りは結構繁華街というか、下町で、アパート・店が軒を連ね、
ちょうど土曜日で、深夜明け方まで人通りと喧噪があった。