風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

フランス/パリ・ブロワ・モンサンミッシェル・ブルゴーニュ・リヨン1

2009年10月21日 | 家族でフランス
家族でフランスを旅した。
私・妻・娘の無職三人はベトナム航空の安い便、仕事をしている息子は高いエールフランスのパリ直行便であった。
三人は9月16日朝10時半成田発、14:30ホーチミン着、ホーチミンで1泊[トランジット]し、
翌17日23:05ホーチミンを発って、18日朝6:45にパリに着いた。
息子は、9月19日10:30に成田を出て16:05パリに着き、ホテルで三人に合流と、ちょっと複雑な様子であった。

9月16日・17日、ホーチミン市観光

9/16午後2時半にホーチミン市に着き、タクシーでホテルに向かった。
BongSenAnnexHotelは一流では無いが素敵で快適であった。日本人が多く利用するようだ。

市民劇場                              聖母マリア教会

中央郵便局

人民委員会庁舎                           その前にホーチミン像が

戦争証跡博物館              

                                   レ・ドクト、ヴォー・グエン・ザップらの写真が

統一会堂[旧大統領府]                      地下はかつての南ベトナム政府の執務室などで博物館になっている

1975年4月30日ベトナム解放軍兵士が旗をはためかせてここに突入し、サイゴン解放を果たした有名なシーンはここ。
3階から正面を見ると、かつてのベトナム労働党の指導者レジュアン書記長の名の付いた道路が歴史博物館につながる。一帯は公園

サイゴンセントラルモスク                    ヒンズー寺院

   その内部
   

ベトナムの麺=ホゥ[米で作った麺、スープは日本の湯麺、薬味として香菜] 右はホテルのビュッフェ朝食


ホテルの真ん前は、日本食レストラン[中]と中華食堂[左]    日本食レストランはたくさんあってこんな看板も

コンビニもたくさんあった                 中国将棋に興じる人

ベトナム市内はバイクが氾濫している              至る所にバイクの駐車場が

メコン川                             清掃車


ホーチミン市の二日間、妻と娘とは別れて一人で行動した。
二日目は暑くて疲れたので喫茶店で休んだり、メコン川のほとりの木陰で休んだ。
男一人は「よいカモ」らしく、バイクタクシー・輪タク・物売りがとてもしつこい。
一番しつこかったのは、マッサージと女性紹介であった。
メコン川ではつりをしている人がいた。その近くに川のトイレがあるようでおばさんと子どもが用を足していた。
深夜23:05発の飛行機でパリに向かった。


9月18日/パリ



パリ、シャルル・ドゴール空港に着いたのは、翌朝6:45であった。
空港は大きかった。                         バスでホテルに向かう。

さて、パリの空港のトイレ 壁は綺麗なのだが             その中は


さて、ホテルはパリ市内西の国鉄リヨン駅近く、フランス革命の発祥の地として有名なバスチ-ユ広場近く、
その名もHotelBaudelaireBastille
 とても歴史のあるホテルのようで、ガイドブックにも紹介されているようだが、
一部屋にダブルベッドが二つ、シャワーの出も悪かった。一晩一人26ユーロ。

パリ地下鉄事情
地下鉄は1回券1.60ユーロ、回数券は11枚で11.40ユーロ、一日券は8.80ユーロ。
私は、1日券を使った。買い方がわからないで自動券売機の前でうろうろしているとと教えてくれた。
大きい駅では、有人の切符販売所があるが、小さい駅では自動券売機もない改札口もあった。
地下鉄が縦横に走っている。何号線と行き先で調べる。
駅名看板では、日本のように前・後の駅が紹介されていないのでまごつく。
ドアは自分であける路線が多い。通勤時間帯は本を読んでいる人が多い。
女性に対して席を特別には譲らない。電車の中でパンや菓子を食べている人もいる。
車内は結構綺麗である。日本のように携帯をいじる人はほとんどいない。
駅、電車の中で楽器を大きな音で演奏しお金をもらう人がかなりいる。
改札は、切符を自動改札機に入れ、ターンバーを押し回して入る。出る時はチェックなし。
若者が時々そのバーを飛び越えて入っていた。


この日は、一人でパリ市内を見物した。移動は、地下鉄と徒歩。
オペラ座


マドレーヌ教会

  

コンコルド広場


サン・ロック教会             コメディ・フランセーズ


パレ・ロワイヤル                        その中庭


リシュリュー国立図書館                      街角


オラトリオ教会


ルーブル美術館一部                      ルーブル宮[ルーブル美術館]


サン・ジェルマン・ロークセロワ教会


最高裁判所                             サント・シャペル教会               警視庁


ノートルダム大聖堂


リュクサンブル宮殿                       オデオン・ヨーロッパ劇場


アンヴァリッド宮殿           ピカソ美術館[外観のみ]

初めは、あと2カ所回る予定だったが、暑く疲れたので早めにホテルに戻った。
清掃車は夕方回ってきた。ゴミ集積のコンテナを背後に止めて機械で回転してゴミを排出、

少しこぼれようがお構いなしでそのまま、早朝に清掃車が回ってきてこぼれたゴミを拾っていった。
ホテルの前の通りは結構繁華街というか、下町で、アパート・店が軒を連ね、
ちょうど土曜日で、深夜明け方まで人通りと喧噪があった。

フランス/パリ・ブロワ・モンサンミッシェル・ブルゴーニュ・リヨン2

2009年10月21日 | 家族でフランス
9月19日=ブロワ城巡り
フランスのほぼ中央にブロワ市がある。
ここに中世からルネサンス期までの様々な建築様式で改築されたブロワ城がある。
フランスは鉄道網=国鉄もかなり発達している。
パリ/オーステルリチッツ駅から急行で約2時間。

前日夜から、私は腰痛になっていた。最近疲れた時たまに痛くなる。
思い切って、オーステルリチッツ駅構内にある薬局に飛び込んで薬を買うことになった。
だが、英語が通じない。腰を指し、痛い=「ペイン」と言うのだが全く通じない。
アウチとか言うと、ストマックかとか歯かととか聞く。
やっと腰が痛いとわかって湿布を持ってきた。13ユーロであった。
飲み薬もほしいというと、鎮痛剤をやっと持ってきてくれた。確か7ユーロほどで飲むと嘘のように痛みが消えた。

ブロワ駅

駅前に軽食屋があって、サンドイッチを食べた。ブロワ城はそこから歩いて10分ほど。
ブロワ城正面                           入り口




この建物では絵の展示会が開かれていた。

                      これは中世の大砲の弾

城外を見る

妻と私は馬車に乗った。40分で市内を巡る。


9月19日、エッフェル塔下で感動の再会
我々三人は電車でパリまで戻る。
娘は、今日パリに到着した息子をガール・ド・リヨン駅まで迎えに行き、妻と私はエッフェル塔下で娘と息子を待つことになった。
妻と私は、暮れなずむエッフェル塔近くで娘と息子をのんびりと待つ。

夜のエッフェル塔
夕方で地下鉄はまだ空いていた。地下鉄の駅=トロカテロを出るとそこはシャイヨー宮、今は海洋博物館・国立シャイヨー劇場。

シャイヨー宮は、巨大な建物で一枚の写真には収まらない、左はエッフェル塔側からの写真。




凱旋門                       展望台には世界の都市の方向が

階段の数[下りは歩いて降りた]                エレベーター

エレベーターなどを動かすモーター              階段を下りる人

土曜の夜、深夜になっても沢山の人が              こんな注意書きが

土曜の夜と言うこともあって、展望台チケット売り場は長蛇の列、1時間以上並んだ。
エッフェル塔展望台は3階まであって、12ユーロ。
一挙に3階までとは行かず、何回もエレベーターを乗り換える。
乗り換えのシステムが悪く、その度にうろうろして並ぶ。その案内がすこぶる悪い。
ホテルに帰ったのは真夜中過ぎであった。

9月20日/モンサンミッシェル
パリ・モンパルマス国鉄駅9:05発のTGV[フランスの新幹線]で、Rennes[レンヌ、11:08]へ。
11:30発のバスで約1時間半。バスは1台しか待っていない。乗客は3台分。
日本なら、休日を見越してあらかじめ臨時バスを用意しておくだろうが、外国では、これからバスを手配するようだ。
臨時バスがやっと来たが、チケットが販売できるバスは1台目だけで、
全ての乗客が無事乗ってやっと3台のバスが出発したのは12時をはるかに過ぎていた。
モンパルマス駅

レンヌ駅


なぜかこの日は入場無料であった。                                    入り口

跳ね橋                  お菓子の実演販売







                              荷物を引き上げる道具[監獄時代は囚人が行ったという]




トイレは数カ所あるが、有料[30~50セント]なのは良いのだが、狭く便器の数が少なく長蛇の列。
妻と私は、こちらで言うバー[カフェ]に入って、休憩した。
数件のバーと店で共同のトイレがある。客は無料、飲み物は安くはないが、バーは利用価値がある。
さて、来る時のバスが大変だったので、早めにバス停に来て休憩していた。
バスは2台準備してあった。最終のバスは時間通りに出発した。
だが、この部分を脱出するのに小1時間かかった。
問題は、電車に間に合うかだ。TGVは座席指定なので、乗り遅れたらチケットが買えないかもしれないのだ。
タッチの差で、電車に乗ることは出来なかった。すると善くあることなのか、職員が来てチケットを用意するという。
渡されたチケットは30分後位の一等車のそれであった。
一等車と言ってもそれほど立派ではなかった。私の向かい合った席は家族連れであった。
夫はフランス人、パリの一流デパートに勤めている奥さんは台湾人で赤ちゃんを連れていた。
友人の結婚式の帰りだという。夫は日本語を大学で勉強し、日本にも行ったことがあるという。
三人は、フランス語・英語・日本語・漢字での筆談で楽しくいろんなことを話した。
自動販売機のことが話題になって、フランスのメトロには自動販売機があるが値段が高い、
街角にあればすぐ壊されてしまうだろうから、今後も増えないだろう、がおもしろかった。
始めはらはら、結果オーライ、楽しい旅となった。
夕飯は、近くのコンビニ程度のスーパーで買ってホテルで食べた。

フランス/パリ・ブロワ・モンサンミッシェル・ブルゴーニュ・リヨン3

2009年10月21日 | 家族でフランス
9月21日/パリ観光=私は一日ルーブル
8時半にルーブルに着いた。100人ほどがすでに並んでいた。
チケットは沢山の種類がある。
妻と私はルーブルのみ、子ども達は二日券[他の美術館塔も見ることが出来る]を買ったようだ。
午前中は妻と一緒に行動し、昼は外のカフェで取り、その後は自由行動、私は終日ルーブルであった。
いくつかある入り口の一つ

                                  クロトーナのミロン

サモトラケのニケ

                                    ラファエロ



                                                                ミケランジェロの瀕死の奴隷

                             中世ルーブルの濠

                ヴァットーのピエロ         ミロ

ミロ                                  ルノアール

                                   アインガザル像

ハムラビ法典    フィリップ=ポーの墓

ナポレオン三世の居室       シュジュの鷲                            カタツムリに載った地の精


ルーブルは確かに広い。
ルーブル美術館とは言うが、美術館と考古学博物館とが一つになったものである。
大きく三つの建物からなり、それぞれ3~4階ある。とても全部見て回ることは出来ない。
日本語のパンフレットと表示のフランス語が合致せず苦労する。
1から順に2、3、4と回って行くようには展示されていると楽なのだ、
行って戻って、あるいはぐるっと回っているうちに思わぬ所に行ってしまう。
ダビンチのモナリザとミロのビーナスは、案内表示がある。

フラッシュを使わなければ写真撮影出来るが、多すぎて撮れない。
だが、ルーブルは所有している豊かさを誇るべきではない。
なぜなら、それらはルーブル・フランスの偉大さではなく、フランスのかつての侵略と略奪の証拠なのだから。
そらが偉大で価値あるものだけに、違和感を私は感じた。
世界一と言われる大英博物館や金にものを言わせて世界の美術品を集めた米の美術館もきっと同様なのだろう。
本来は、元の国々・人々に返すべきものなのに。

レストランで食べたサラダ      いつも使うメトロ・バスチーユ駅前広場


9月22日/午前中パリ観光、午後ブルゴーニュ地方へ移動
午前中私は単独で市内観光に向かった。


まず、モンサンミッシュエルの帰りの電車の中で、パリで一番のお薦めと紹介されたモンマルトル/サクレ・クール聖堂

メトロ・アンヴェール駅を降りた所                パリ市街が一望できる

電車の中で、「聖堂に近づくと物売りが指に糸を結び、ミサンガのような紐を編む。
要らないなら初めから断るように」
と注意されていた。一度編まれると断るのが大変だ。

凱旋門                     凱旋門の展望台に上る螺旋階段     無名戦士の墓

これはモンマルトルの丘・サクレ・クール聖堂だろうか[展望台から]
エレベーターに乗ろうとしたら、シニア用だという。私はシニアだと言うと、シニアは65歳からだと笑って乗せてくれなかった。

シャンゼリゼ通り


グラン・パレ                             グラン・パレ後ろ側


アレクサンドル3世橋                       アレクサンドル3世橋よりグラン・パレ方向

アレクサンドル3世橋よりアンヴァリッド[軍事博物館など]   橋の上から


ブルボン宮                            エリゼ宮に向かうところにチャーチル像が


プチ・パレ

エリゼ宮[現在は大統領官邸]、厳重な警戒であった。


パリ市内見物はこれで終わり、ホテルで妻と合流し、ガール・ド・リヨン駅で子ども達と家族と合流、
14:28のTGVでDIJON[デヨン]14:28へ、そこから各駅電車でBEAUNE[ボーヌ]=ブルゴーニュ地方に向かった。

パリ市内は、東京と比べるとそれほどは大きくないという。
それでもやはり広く、見て回ったのはほんの一部であった。
特にカルチェラタン地区は全く行けなかった。美術館は興味があまりないので行かなかった。

パリの交通事情
パリには、メトロ・高速郊外鉄道[国鉄]・バス・タクシーなどがある。
メトロは先に少し触れたが一番安く充実しているが、外国人には少しむずかしい。
一律料金なのはとても良い。
鉄道は本数が少なく、また乗り場案内などわかりにくかった。
バス、タクシーは乗らなかった。
TGVは本数は多くなく、案内[何番線かとか行き先とか]がわかりにくく、スピードも早くはなかった。

ボーヌ=ブルゴーニュ地方
ホテル・ド・フランスはボーヌ駅の真ん前で、これまでのホテルとは雲泥の差であった。
綺麗で、バスタブが付き、ウォシュレット、一階にダブルベッド、二階に3つのベッド。
4人2泊190ユーロ[一人あたり22ユーロ]
ボーヌ駅                              ホテル・ド・フランス         ローカル鉄道


散歩をした 翌朝、洗濯した[洗濯3ユーロ、乾燥2ユーロ]      魚屋                他の町でもメリーゴーランドを多く見かけた    
                                 本屋と文房具        スライドする広告を変えていた

不動産屋        交番か           ワイン屋                 ポストマン


フランス/パリ・ブロワ・モンサンミッシェル・ブルゴーニュ・リヨン4

2009年10月21日 | 家族でフランス
9月23日/ボーヌ市=ブルゴーニュ地方

旧城壁は約1km四方。
朝食後、コインランドリーで洗濯。その後四人で市内を散策した。

ホテル デュー[神の館と言われ、病院、15世紀]

薬調合所                               台所


教会              綺麗なトイレであった                     地下に貯水池が

薬局                             最後の晩餐の絵


バザール



2時過ぎに通ったら店は閉じていた。

市内一周のトラムに乗った[45分、6.50ユーロ]     市庁舎                映画人マレーの撮影画



共同洗濯場跡

ライオン広場

ワイナリー工場見学[10ユーロ]


色                               香り[ワイン以外の臭いのサンプルをかぎ分ける]  舌触り[絹、ビロードなど]                          

これは私が生まれた年にできたワインとか       光にかざして


市内散策[一部昨夕も含む]

                     聖ニコラ門
 
  

 
ノートルダム教会

自動車教習所事務所[路上練習]                パーキングメーター   

裁縫所                   お化けの館と言われているらしい

ゴミ収集車[ゴミはきちんと分別されていた]


ホテルの食事[コースで13ユーロ、以下は一人分ではなく色んなメニュー]
スープとサラダ                      エスカルゴ           サラダ
 
魚                        肉                        朝食



フランス/パリ・ブロワ・モンサンミッシェル・ブルゴーニュ・リヨン5

2009年10月21日 | 家族でフランス
9月23日ボーヌからリヨンへ
ボーヌ発8:53の電車でリヨンへ10:35着
リヨンからは、妻と娘、私と息子は別行動となる。
[妻と娘はリヨンは一日だけでスペインに、私と息子はリヨン観光後帰国]





実は、これから大変な一日の始まりだった。

リヨンの地下鉄労働者がストをしていたのだ。

このストは、私たちが滞在中続いた。
タクシーの列に並ぶが近すぎるのか乗車拒否された。
交通局の職員が案内しているので話しかけると英語を話せる職員を呼んでくれた。
彼は「トラムで行って、後は歩くしかない」と言い、自動券売機での切符の買い方を親切に教えてくれた。
トラムは全然来ない、先ほどの職員が来て、
「タクシー運転手に15ユーロでどうかと交渉してみたら」とアドバイスしてくれた。
私はリヨンにはパールデューとペラーシュの二つの駅があり、
ホテルはペラーシュの方が近いことを思い出し国鉄の駅に向かった。
次のペラーシュ行きは12時45分で、それに乗ってホテルに向かった。
ペラーシュ駅で、まず27日パリ空港行きのTGV[全て指定席]のチケットを買った。

ベトナム航空はリコンファーム[予約の確認]が必要で、ホテルに着いてベトナム航空に電話したのだが全くつながらない。
ホテルのレセプションでベトナム航空のパリ支店の電話番号をインターネットで調べてもらい、代わりに電話をかけてもらった。
それでもなかなか通じず、もう一人の女性が携帯でかけたらやっと通じたのであった。
嫌な顔一つしないで、親切に対応してくれた。
“地獄で仏”とは良く言ったものだ。
27日9時25分までに搭乗手続きが必要だと言われた。
私の求めたチケットはパールデュー発6時59分で空港駅着は9時10分とぎりぎり。
26日に帰る息子は6時半頃の電車なので、
再び駅に行ってペラーシュ駅発の電車はあるか、また早い電車に替えてほしいと頼んだ。
ペラーシュ駅発のTGVはなく、6時59分が始発だという。
26日は土曜、27日は日曜、土日でダイヤが違うのだ。
電話をかける小銭が必要で先刻買ったサンドイッチを食べ何とか気を取り直して、
息子と二人でリヨンの旧市街地観光に出かけたのであった。
【リコンファーム出来ず、万一予約がキャンセルされた場合、帰国できないことはなく
以降の便となることがありうると知ったのは帰国後であった。】
【このどさくさの間に私は用意してきた日本語ガイドブックのリヨンの地図のコピーを紛失し、この後苦労した。】

新市街地から、ボナパルト橋・旧市街地へ、真ん中の塔はノートルダム聖堂  ローマ時代の遺跡



ノートルダム聖堂                                               
 
隣の教会


ノートルダム聖堂脇の広場からの眺望


サンポ-ル教会           マリオネット博物館・ガダニュ館[閉館]  
博物館だったと思うが忘れた[閉館]
何教会か忘れた          セントジョージ教会

旧市街側、新市街側[この橋を渡るとホテルはすぐ]


イベントなのか学生達が騒いでいた

夕食は、近くのコンビニ風スーパーでサンドイッチ・サラダ・ハム・トマト・果物・ミルク・ジュース・ワインなどを買った。

Alexandraホテルは、ペラーシュ駅・文豪のビクトル・ユーゴの名の付いたメトロ駅の近く

交通の便の良い所にあり、レセプションは親切で申し分ないのだが、シャワーのみ、トイレ共同、ダブルベッドに息子と二人である。
二人で3泊、123ユーロ・一人あたり26ユーロ、一日当たり一人0.83ユーロの滞在税がおもしい。

9月25日/リヨン観光リヨン観光
真っ先にベルクール広場のインフォメーションセンターに。  広場から旧市街地=フルヴィエールの丘を臨む

『リヨン・シティカード』を買うため。
1日券[19ユーロ]、2日券[29ユーロ]、3日券[39ユーロ]とあり、美術館・博物館・メトロ乗り放題のチケット。
このカードを売っているのはこのインフォメーションセンターだけ、地下鉄がストとしているのでメリットは少なくなったが。
                                市庁舎

オペラ座                             

リヨン美術館[リヨンではここだけが写真撮影が許されている]



印刷博物館

                                   ホテル・デュー[市立病院博物館]

カルノ広場              ポストマン             パリ名物の“ヴェリブ”=セルフサービス式レンタサイクル
これは広告チラシ配り
電動自転車の観光自転車    フランスで大人気の日本の漫画1冊9ユーロ位だった


午前中は息子と一緒に観光、息子は明日早朝帰国の途につくので、
明日空港までのタクシーが万一確保できなかった時のためにパールデュー駅までの道順の確認と買い物に出かけた。
夕食は、息子と二人でファストフードみたいなレストランでスパゲティを食べたがまことにおいしくなかった。

9月26日/リヨン三日目、息子の帰国
朝5時過ぎ息子はタクシーに乗って帰国の途についた。
息子を見送って一眠りしていると、
無事TGVに乗り、空港に着き、搭乗手続きが済んだと携帯にメールが入った。
ストはまだ続いていたが、リヨンの街の観光に出かけた。
レジスタンスと強制収容資料館           装飾博物館
  
たぶん市民病院博物館の寄付者のリスト                映画館

再度旧市街地を訪れた サン・ジャン大司教教会
         

フルヴィエール美術館[午後から開館]=ノートルダム聖堂隣       ローマ劇場をもう一度見て
   

さらに坂を上ると寂れた教会があった

地図にjardin de l'Abbe Lantueとあったので家族連れに場所を聞くと、絶景ポイントだった

Automates美術館[午後から開館]


リヨン・シティカード、私は二日券を買ったが、地下鉄ストもあり十分使いこなしたとは言えない。
それ以上に、このカード十分普及しているとは思えない。と言うのは、売っているのはベルクール広場のインフォメーションセンターだけ、
しかも入場する時、カードの番号を手書きで書き写し、ナショナリティを聞かれたりする。
リヨン美術館以外写真撮影が出来なかったり、また開館が1時からとか2時半からとかの所もあって、入れない所もあった。

手持ちのユーロが少しになり、リヨン・カードの購入やスーパーなどの買い物はカードでするようにした。
早めにホテルに戻り、荷物整理をし、食事をした。
外では一人でお酒は飲まないと決めたので部屋でゆっくりワインを飲みながら食事をした。

さて、リヨン市はドイツのケルン市などと同様古代ローマ人が作った町である。
確かにフランス中央部・北部から地中海に抜ける、アルプスを越えてイタリアに抜ける交通の要衝地にある。
だが、私が滞在したのは中心部に数日だけでそのことを実感はすることはなかった。
二つの川は運輸・交易には便利だったに違いない。
ローマ劇場のある旧市街地は急勾配の坂を上った狭い地域、
どうしてローマ人はここにフランス進出の足がかり的拠点を築いたのだろうか。
防衛のためだったのだろうか、当時の市民はここに住み川の畔に毎日降りていったのであろうか等と思いを巡らした。
小高い丘から眺める二つの川とそこから延々と続いたであろう林や森は美しかったに違いないが、
当時のフランスはまだほとんど未開の地、ローマ人は進出の気概と同時に寂寥感も強かったのではないだろうか。
鉄道やバスで一気にアルプスを越えてイタリアに行ったら少しはローマ時代の感慨も味わうことが出来るかもしれない。

フランス/パリ・ブロワ・モンサンミッシェル・ブルゴーニュ・リヨン6

2009年10月16日 | 家族でフランス
9月27日/さて、いよいよ帰国である
ホテルにタクシーの予約を頼んだら、地下鉄ストのため明日10分前に電話してくれるという。案じながら寝た。
5時に起床し軽い食事をし6時20分にレセプションに行くと、タクシーが来ていた。
10ユーロであったがチップをはずんだ。
TGVは6時59分発なのだが、何番線からは15分位前にならないとわからない。
車窓は、雨みたいに濃い朝靄が夜明けの光の中で明けていく綺麗な農村の風景だった。
TGVは10分も遅れて着いたのであった。
シャルルドゴール空港はとても広いのでターミナル2の搭乗窓口まで簡単に行けるか心配だったが杞憂だった。
乗手続きは、ベトナムのビザがないことが問題のようでとても時間がかかった。
何人もの職員がやってきて相談してやっと搭乗手続きが終わり一安心。
荷物はベトナムでピックアップしないで成田直行となった。

12:25パリ発、ホーチミンには翌5:35着である。

ベトナムの入国手続きがまた一悶着であった。
係官がビザは?と聞く。トランジットだと言うとチケットを見せろと言う。
思わずチケットを見せてしまった。すると、乗り継ぎだから入国できない、と言う。
仕方なく、乗り継ぎ窓口に行くと、女性係官が乗り継ぎ[ホーチミン発は深夜0:05]まで長時間で大変ですねと言う。
私は、何とか入国できないかと粘ると、彼女はなんと「もう一度入国審査を試みたら」と言ってくれた。
ここでも「地獄で仏」であった。
先ほどとは違う係官のところで、今度は本物のチケットは見せず電子チケットの写しを見せると、入国OKだった。
こうして再びホーチミン市に立つことができたのであった。

まだ早いので空港の喫茶店で紅茶を頼んだ。
砂糖を入れるかと聞かれたので、要らないと言った。砂糖の入れ物を見ると小さいアリが徘徊していた。
ドンはかなり持っていたのだが、足りないと困るので10ドル両替し、
ヴァンギエム寺までのタクシークーポン[8ドル]を買って、観光に出かけた。
フランスでは朝晩は涼しく、日中は暖かかった。
ベトナムは、まだ夏。フランスから長飛行機だったので今日の観光は二つのお寺だけ、タクシー移動と決めていた。



ヴィンギエム寺



この寺は、日本に留学していたベトナム人僧侶が開いたそうだ。
鐘は、日本の曹洞宗の寺がベトナム戦争犠牲者の鎮魂のために贈ったもの。
ベトナムの仏教僧はアメリカのベトナム戦争に抗し平和デモをした。
また多くの僧が自らの体にガソリンを撒き火を付けて抗議した。
当時の南ベトナム大統領の弟夫人、ゴ・ジン・ヌー夫人はそれを「人間バーベキュー」と称した。

道路を挟んでこのお寺が      その道路は

大きな交差点しか信号は無い、横断歩道はない。
人々は平然とこの道路を横断する、車である自転車は車道の真ん中をゆっくり走り、
方向転換する時バイクは逆走も平気である。
スピードは出ていないが、接触事故を私は見なかった。
車はクラクションの連打だ。
これは「バイクよどけ」ではなく、車が来ているヨと知らせる合図のように私は感じた。
私は最近は車は運転しないが、ベトナムではバイクの列の隙間を縫って道路に出るのすらむずかしいのではと思った。

近くのダンディン市場に行き、お土産の小物でも買おうと思ったのだが、場所がわからずうろうろ。
10m~20m歩くとバイクタクシーが乗れ乗れと騒がしい。
ベトナムでは車は右側通行、バイクが多すぎてタクシーを上手く止められない。
止まったのでホッとしてボサッとしていると運転手がドアを開けてくれた。
そうタクシーのドアは自分で開けなくてはならない。
交差点近くだったのでバイクから文句のクラクションの嵐であった。
市場はタクシーに乗る距離ではないほどのすぐ近くだった。

                                                          アオザイを作っていた

バイク以上のすごい熱気とバイタリティをこの市場で感じた。
生きたナマズやカエル、豚の頭や足など食べ物は何でも売ってるという感じ。
野菜も果物もあふれるばかりであった。
路地の奥は、昔の上野のアメ横のようにうずたかく積まれた商品で日中でも薄暗い、日常雑貨の店だった。
そこには日常のあらゆるものがそこで売られているように感じた。でも、あまり中までは行かなかった。

ベトナムでは路上での食事は普通である。
日本人が入浴の時使う小さいプラスチックの椅子のようなものに路上で座ってである。
日中は暑いので休憩する、そのぶん涼しい朝早くから仕事するようで午前中あちこちで食べている。
赤ん坊に乳を含ませながら自分も食事し、商売もする姿、その他市場の様子など魅力的被写体だらけなのだが撮るわけにはいかない。
私には買うものはなかったが、なかなか立ち去りがたく右往左往した。

ヤックラム寺はホーチミン市最古の仏教寺院で、かなりの郊外にあった。タクシーで20万ドン・1400円だった。
第一の門                             第二の門






この寺に着く直前、ずいぶん遠いなぁ、と思った。降りる時運転手がここで待ちますか?と聞いてきた。
もちろんベトナム語で。雰囲気でわかった私は、待ってもらうことにした。
私は、お腹が減ったので食事をしたい、空港の近くで高くないレストランを紹介してくれと頼んだ。
彼は一度空港まで行って、Uターンして、ボーリング場のあるショッピングモールに連れて行ってくれた。
韓国人の経営のようで韓国料理やハンバーガーなどの店であった。
レストランに客は入っていないので、日本のラーメン屋のような一般の店に思い切って入った。
看板の文字は読めなかったが、どうもホーらしいのを注文した。
ビーフがトッピングされ1.6万ドン=112円だった。
生水はいけないのでお茶を頼んだ2000ドン=14円だった。
空港までのんびり歩いた。

さて、これから約10時間、空港で時間をつぶさなければならない。
塩野七生さんの『海の都の物語』3、4巻を読み、眠たくなったので長椅子で横になって寝た。空港はすいていた。
上着を着て寝たのだが、冷房の効きすぎで目が覚めた。
空港の外で体を温めていたら、タクシードライバーの勧誘が英語でしつこい。
こうして空港の中と外を座ったり歩いたり、時の経過をまった。
8時半頃だったろうかチェックインが始まった。
国際線ロビーには食堂とマッサージがある。
来た時はフットマッサージ[17$]、今度は頭・首・肩・足[30$]1時間コースでリラックスした。

その後、レストランで焼きそばを食べたが、おいしくなかった。お酒は我慢した。

レストランのやわらかいソファで、0:05発までゆっくりした。

飛行機の席はエコノミー席の一番先頭、壁に面したゆったり席であった。
すぐ飲み物サービスがあり、ワイン・ビール・ウイスキーなどフリーだったが水だけもらって一眠り。
うとうとして目が覚めると4時半、朝食であった。

食後一寝入りして目が覚めると成田であった。
成田は雨が降ったようで、緑が瑞々しく美しかった。
こうして長い旅が終わった。

10月11日リヨンで分かれた後、スペインまで足を伸ばしていた妻と娘が帰国した。
娘から請求書が来た。全て込みで約20万円強であった。
私たちは、贅沢な食事はしなかったし、
お酒は外ではほとんど飲まずホテルの部屋で飲み、お土産はほとんど買わなかった。
個人的に使ったお金を加えても22万円は行かなかったと思う。


ベトナムの通貨事情
ベトナムの通貨単位は“ドン”で、1万ドン=70円である。
昼食に食べたホーは1.6万ドン=約112円、紅茶がその倍であった。
私の乗ったタクシーは、15万ドン~20万ドン=約千円~1500円。
タクシーなどはメーターなのでわかるが、ホーの値段などはベトナム語で言われてもわからないので、
私は紙に書いてもらった。
10万ドン札もある。
ベトナム人の月収は100ドル=160万ドンと言われる。
空港などではドルもOKである。
だが、空港内は驚くほど物価が高い。
バイクと並んでベトナムドンは当局にとっても頭が痛い問題だろう。
財布は、お札でパンパン。デノミをしたいだろう。

携帯電話
私、妻、息子が携帯を持って行った。国際携帯の機種で特別な手続きは不要。
私は2500円、三人計で16000円だった。
さて、高いか安いか。だが無ければ不便で困ったことは確かである。

ベトナムのバイク事情は触れたが、それは驚きである。
それはあたかもベトナムとベトナム人のエネルギーの象徴のようにも感じる。
その数もさることながら、三人乗りは当たり前、四人乗り、道路横断のために逆走も普通、運転は実に巧みだ。
自転車も大きな荷物を積み、長い物干し竿を担ぎ平気で道路の真ん中を走っている。
確かにスピードはそんなに出てはいないのだが、これで事故が起きないものだと思う。
排気ガスがすごいので、みなマスクをしている。
女性の中にはとてもかわいいマスクをしている。
道路はいつも渋滞であり、そのうち物流・経済に支障をきたすだろう。
当局は、公共交通を普及させたいに違いないが、バイクの便利さを知ってしまった民衆がバイクを簡単に捨てるとは想像できない。
皆ヘルメットをかぶり、また路上駐車をして道路を塞いでいるバイクがないのを見ると、それらを厳しく当局が取り締まったのだろう。
バイクの駐車場が至る所にある。お寺の境内の多くが駐車場であった。値段を聞いて置くべきであった。
飲食店の入口には、ドアボーイがいてバイクで来た客のバイクを駐車場に運ぶのも彼らの仕事であった。

さて、以下は雑感である。

フランスでもベトナムでもトルコもそうだったが、昼間とても多くの人が路上や喫茶店でお茶している。
特に男同士が多いように思った。仕事をしゃかりきになってやっているという感じはしなかった。
フランスでは、夕方になると喫茶店特に路上の喫茶店は混んでいた。
日本人は紫外線を気にするが、外国人は外・日差しが好きだ。
冬物のオーバーコートを着て、戸外でお茶している。
食事はしないようで、飲み物だけで長時間おしゃべりしているようであった。
これはとてもおもしろい現象だと思っている。

パリ・リヨンの大都市で、大型スーパーは見かけなかった。郊外にあるのだろうか。
普段の買い物はどうしているのだろう。
小さなコンビニ的スーパーはかなりあった。
果物・野菜は量り売りが多く、バナナ1本、トマト1個でも買うことが出来る。
コンビニは見なかった。自動販売機はない。
日常生活品の物価は決して高いとは思わなかった。

日本人は早足で外国人はゆっくりと言われるが、パリではフランス人はとても早足だった。
路上などで体が少しでも触れると「ソリー」であった。
フランスでは、信号のない横断歩道で止まっていると車は必ず止まる。
フランス領だったタヒチでも同様であった。
また、外国人は薄着だと思っていたが、フランス人は色々で、Tシャツ一枚の人もいれば、
冬のコート・レザーの上着・ブーツと冬真っ盛りの人もいた。厚着の人の方が多かったように思う。

次は、物乞いの話題。
フランス、トルコは物乞いが多かった。
彼らは、ただ紙コップを前に置いて座っているだけ。
老若男女様々であった。
地下鉄構内・電車の中では楽器を演奏して、謝金を求める人がかなりいた。
ベトナムでは物乞いは目にしなかった。

フランスでは年齢に関係なく路上で平気で抱擁しキスする。
電車の中でいちゃつく中年も目に付いた。
フランスではトイレに困ること特には無かった。地下鉄の駅にトイレはなかった。
国鉄の駅にはトイレがあったが有料の所もあった。
電車内のトイレは汚く、清掃が十分ではなかった。
地下鉄・鉄道・空港では、エスカレーターはほとんど無かった。
また、点字ブロックは見かけなかった。

フランス語が読めない私には、実物が置かれているレストラン・ファストフード等はありがたかった。
食べ物のサンプルが店頭に置かれている日本のお店はなんと素敵な文化だと感じた。
日本の良い文化の一つに、『細かい配慮』がある。
このサンプルなどは典型。そのほか、駅名の表示=前の駅・この駅・次の駅は電車の来る方向もわかりとても良い、
駅の自動券売機は日本の方が使い勝手が良いのではないだろうか。
交通関係の電光表示、たくさんある交通信号・横断歩道も良い。
コンビニ、飲み物の自動販売機等は便利さもさることながら商品の値段の均一性と安さ。

道を聞く、これは一概に比較できない。日本でも外国人には日本人以上に親切になるだろうから。
今回も実に多くの人に道などを尋ねたが、言葉が通じないと言う表情で断られたのは一人だけで、
後の人は皆、自分の言語で、英語で、身振り手振りで教えてくれた。
パリの地下鉄では券売機がない出入り口があった。どこで買うのか聞いて上手く教えられない人がいた時、
通りすがった女性が違う改札口まで案内してくれた、どこの国でも沢山の親切に出会いましたよ。

さて、英語。
今回は、リコンファーム、切符購入・変更・ホテルのレセプション・場所を聞く・電車の中の会話・買い物など使う場面が多かった。
窮すれば通ず、とは言えるものである。
フランス人は英語を話しているのに、私の耳には英語に聞こえないと言うことが多々あったのではないかと今思う。
外国人に自分のなじみでない英語で場所や道を教えるのは容易ではない。

さて、今回のお気に入りは、


である。

これは番外だが、今回の旅で私が一番うれしく感じたのは、息子と私の関係である。
私はこれまでどうも息子を過小評価、見下すような態度が多々あった。
旅で私は沢山の失敗をしたのだが、
息子は決して私を責めたり馬鹿にすることなく、大丈夫かとやさしく声をかけてくれた。
そのおかげで私は落ち込むこともなく、とても穏やかに過ごすことが出来た。
老いては子に従えとは良く言ったものだ。
私が老いたと言うより、息子がとても成長しているのだなぁとつくづく感じた。
                                   終わり