風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

劔岳 点の記/さまよう刃

2010年03月26日 | 映画
映画二題


おもしろかった。
どのようにして撮影したのかと驚いた。特に雪崩に巻き込まれるシーンはすごかった。
浅野忠信の押さえたしゃべりとしずかな演技が特に良かった。
逆に香川照之は演技がオーバーで芝居じみていた。

ストーリーは明治末期、日本で唯一登頂されていない山・剣岳の登頂を巡る物語。
一方は、陸軍の測量部で地図作成のために剣岳に登頂し三角点を設置しようとしている。
他方は、中村トオルらの山岳隊で、その両者が初登頂を競う。
傑作なのは、この両者の服装の違い。
浅野隊は、まるで江戸時代のスタイル・服装、足元は草鞋      中村隊は、昭和後半のシティファッション、
    
両者のアンバランスはまことに興ざめで漫画チックだった。
少しは時代考証をしてくれよって言いたい。[本当ならゴメンである]
時代考証と言えば、夏の立山を人々が列を作って登っていた。
まるで今日の夏の富士山状態、それって本当だったの。
ヒマラヤのシュエルパのように荷物を運ぶ人歩荷(ぼっか)と言う。
この人達にもう少し光を当てるともっと良かったと思う。

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東野圭吾原作は読んでいないが、おそらく原作を十分に生かし切れていないのではないかと思った。
つまり、私としては映画としては失敗と思った。
まず、警察は重大なミス・失敗の連続ばかり。
これはストーリーとしては致命的で、映画展開のおもしろさは半減。
警察はミスしない、が色んな偶然や主人公の智恵などによって事が進んでこそ意味があるのに。

つぎは、製作側のセンチメンタリズムな映像がやたらと目に付く。
自然の色んな風景を長時間撮していたり、変化のないワンシーンに延々とカメラを回しているのだ。
スッカリ、間延びしてテンポのないものになってしまった。
主人公の娘を殺した未成年の少年達だけが悪者で、後は善意な人ばかりってのがとても薄っぺらい。
主人公役の寺尾に猟銃を渡すペンションオーナーの初谷とその娘はあまりにもいい人でもうイヤミだった。
また、警察官の竹野内豊のいかにも深刻ぶった善意もヘキヘキであった。
最後、寺尾が少年に空砲の猟銃を突きつけ殺す寸前、警官に射殺されるシーンはまさに"グラン・トリノ"と同じ落ちであ~あ、であった。
このクライマックスの場面に寺尾がうまく登場し、少年に銃を突きつけることが出来るのは「映画だから」と目をつぶるにしても、
「助けて」と懇願する少年を射殺してこそ、復讐が完成しイイのだ。
だが寺尾が一発の拳銃で射殺された後、空砲だった事が明らかにされ、そこで、
「少年に死ぬほどの恐怖を与えることが真の罰だ」と竹野内に語る寺尾が映るのである。
こんなのあり、そうだったの? では最初に殺した少年はなぜ殺したの。
映画は更に続き、裁判のシーンで終わるなんて、興ざめ。
少年を射殺した後、その直後、警官の一斉射撃で寺尾が射殺されて終わるのがよい。

上福岡=福岡河岸記念館を歩く

2010年03月23日 | ウォーキング
昨日に続いて、東武東上線沿線を歩いた。


福岡河岸記念館 [入館料100円]=福田屋            文庫蔵
 
文庫蔵内になぜか剣道の防具が                           
  
土蔵                                  新河岸川 [荒川の支流]江戸時代もこんな小さな川だったのでしょうか。
  
ここ福岡河岸には江戸時代、回漕問屋が複数あり栄えていたそうだ。
新河岸川、川岸はコンクリート製でなく自然のままで、アシや雑草が茂っていて見た目は綺麗ではないが良い雰囲気です。
ただ、水の流れは綺麗ではなく、河原には多くはないがゴミが捨てられていました。
江戸時代は、各地に農業用水路・水運用水路が沢山作られたようです。
江戸時代は封建時代と言われるが、今日の日本の社会の文化や生活習慣・様式に大きな影響を与えていると言われる。
農民を始め人々の生活の実際はどんなものだったのだろうか。

蓮光寺 [曹洞宗] 総門                       三門 [増長天と持国天]
 
本堂 [開放されていました、靴を脱いで上がりました。やはり良いですね。]
  

御嶽神社 (社はなく小さな丘でした)               ふるさとの森 [新河岸川河川敷の森]
  
                                    森は、金網のフェンスで覆われていて、入り口が少ないのは残念。
                                    だが、そうしないとゴミ捨て場になってしまうのだろう。

権現山古墳群 [入り口が開いていたので入ったのですが、本当はまだ工事中の未公開で工事の人に注意されました。]



西養寺 (寺はなく仏像が安置された堂があるだけですが、仏像は綺麗でした。下に説明)
 
鉄造阿弥陀如来(江戸初期):鉄製の仏像はとても珍しく埼玉県内には鉄仏8体しかないという。

大杉神社 [船頭の守護神だった]                 雪中庵梅年[芭蕉の弟子]の句碑が
 

長宮氷川神社                            出会いの碑[神話から題材を取ったという]
 
市立歴史民俗資料館 [休館だった]


薬王寺 [曹洞宗]                   水天宮[隣接]                    隣接する赤沼共同墓地のお堂に
  

護国寺 三門                             本堂
 
板碑(鎌倉時代)                           福徳弁財天
  

こんな内陸に回漕の船運が盛んだったのは驚きでした。
焼失した川越の仙波東照宮の再建資材を帆掛け船で運んだのが繁栄の始まりだとパンフレットにありました。
荒川と新河岸川はそんなに離れてはいません。荒川は大きく流れも急だったのかもしれません。
船運は昭和初期まで続いたとのこと。
そんな川の畔にひっそりとたたずむ曹洞宗の蓮光寺は広い境内でゆったりしていました。
最後の護国寺も落ち着いていました。

ふじみ野市とは私にはなじみがない名前でした。福岡市と近隣が合併してできた市でした。
しかし、ふじみ野駅があるのは隣接する富士見市。ややこしいです。
川越街道は曲がっていますが、東武東上線も定規で線を引いたようにまっすぐです。

昨日のブログ「若葉~鶴ヶ島を歩く」で、春は・自然は自分で歩くと町中で探せると書いた。
そこで、今回は柄にもなく、見かけた花々を少し。最後の護国寺からふじみ野駅に向かう間に撮った。1cm以下の小さな花だ。

若葉~鶴ヶ島を歩く

2010年03月22日 | ウォーキング

家を出た時は、北風が強く寒かったが、次第に暖かくなった。
ウインドーブレイカーを脱ぎ日陰に入ると少し涼しいちょうど良い天候だった。
JR京浜東北線、武蔵野線北朝霞で東武東上線朝霞台に乗り換えそこから、30分すると若葉駅に着く。

雷電池                                雷電社
 

善能寺 本堂 [1843年作られた。明治5年鶴ヶ島小学校・男19、女3]
 
薬師堂


白髭神社 [奈良時代・高句麗人達の神社]           左:脚折才道木庚申塔、右:馬頭尊
 
白髭神社には、十一面観音が祀られている(左の建物・文化財収蔵庫内)

日光街道杉並木 [国道407号も日光街道と言われる]、立ち枯れも多く立派と言えない


慈眼寺 (ここで道を間違ってしまった)、這松が有名らしい      
 

高徳神社 [大正時代に作られた新しい神社、敷地を豪農が寄進した]
 

満福寺                                満福寺前の道の反対側に                                
 

法昌寺 [曹洞宗]                           正音寺
 

国道407号も日光街道とも言うらしい。奇しくも昨日も日光街道であった。
詰まる所どちらも日光に行くらしい。
だが、国道407号の杉はお世辞にも立派とは言えない。排気ガスで今にも枯れそう。
藤金の高速道路のジャンクションは高層で、いい映像と期待したのだが、全く高層ではなく、普通の立体交差だった。
東武東上線で川越からの先は初めでだった。特別特徴がある街ではなかった。
川越を超えるとすっかり田んぼ・畑の風景に変わり、農地と住宅がせめぎあっていた。

道を歩いていると、歩いている人が少なく、車が多く、そして車が我が物顔で生意気だ。
車を運転する人はとても傲慢で、歩行者を馬鹿にしているように感じる。
日本では、横断歩道で立ち止まっていても、止まる車は皆無だ。
フランス圏では横断歩道で立っていると車は必ず止まる。
私はフランスは余り好きでは無いが、そのことだけはフランスとフランス社会は良い。
私は最近は、横断歩道では車を無視して横断している。
本日の写真でも人影がほとんど映っていない。人がいなくなるのを待って撮影しているのではない。
被写体の大きさがわかるのでかえって人が映る方が良いのだが、人通りがないのが実情なのだ。

テレビでは、東京では今日桜が開花したと宣言したと報道していた。が、まだ蕾だ。
気象庁の役人が靖国神社の境内で桜が5つほど咲くと開花したと言うのだそうだが、
そんなことは、気象庁が宣言したり、テレビがわざわざ報道することではない。
自分で町を歩けば気づくのだから。
季節の移ろいはそもそも自分で感じるもので国家の役人やマスコミが決めるものではない。

幸手=権現堂桜堤・正福寺を歩く

2010年03月21日 | ウォーキング


安寺
 

神明神社                               螺(たにし)神社 [眼病] {同境内}
 

幸手駅前に有名人の手形が、この他鈴木大地とか若乃花など多数
 

坦景寺                                
 

常光寺                                 満福寺                      満福寺内幸手観音堂
 

心鏡寺                                幸宮神社本殿彫り物
 

妙観院                                雷電神社
 

聖福寺 勅使門
 
 

浅間神社                       大日神社                         水神社
 
大日神社の近くにマリア地蔵があるというのでそれを目当てに行ったのだが見あたらなかった。

権現堂桜堤 [カンピザクラなど一部を除いて桜はまだだった、満開の時はきっとすごいだろう]
 
 
権現堂の堤にあった清保堂[近くのお寺の僧の墓、神社のように拝殿・本殿みたいな構造だった] 


正福寺
 
 
義賑窮餓之碑 [1783年の浅間山の大噴火で大飢饉となった時、篤農家が救援したという]
 

寶持寺(曹洞宗)
 

法蔵寺                                香取神社
 

寶積院                                香取神社 [昔、この一帯は下総の国であり、下総の守り神は香取神社であった。]
  この一帯に大阪の落人が渡り住んだという。

残光寺                                幸手駅構内のスナップ:幸手の名産品
 

幸手とかわいらしい名が付いている。
利根川を越えると茨城県で、町中を日光街道が走る。
街のどこかで本陣跡の看板を見た。宿場町だったと思うのだが私はそれを知らない。
小さいが古いお寺が沢山あることが歴史を感じさせはするが、宿場町の名残は私には分からなかった。
多くのお寺の境内に、無縁仏や庚申塔や地蔵や観音像などが集められ保存されていた。
ちょうど春のお彼岸で墓参りする人がちらほらとおり、そのためかいくつかの寺では本堂が開放されていた。
本堂に上がる人は見かけなかったが、私は参拝させてもらった。

幸手駅は東武日光線の駅で、駅はとても小さく、まさに田舎の駅である。
東武日光線は日光街道に沿ってはいるがかなり離れていて、市役所、警察署などは駅から離れた日光街道沿いにある。
鉄道は定規で線を引いたようにまっすぐである。
鉄道と街道の関係は、東海道、中山道、川越街道、甲州街道、五日市街道、青梅街道など皆そうである。

駅の西側はすぐ田んぼで西口はなく、行政は区画整理を進めたいようだ。
区画整理をすると道を広くするために住民は土地の一部が買い取られる。
西口を作り再開発をして、人口の減少に歯止めを掛けたいが区画整理はヤ、と言った所か。
ちなみに幸手市は埼玉県で一番人口が少ない市らしい。
水田地帯だったのだろう、川や小川や用水路が沢山走っている。
だが、その多くが生活排水路やゴミ捨て場となり、汚れ悪臭を放っていた。
それでも今年初めて鶯の鳴き声を聞き、多くの小鳥のさえずりを聞きと姿を見た。

権現堂堤の桜並木は立派であった。もうしばらくで満開となったら定めし綺麗だろう。
私の所からは近くはないので桜見物n再訪はしないだろうが。
菜の花は7分咲きと行った所か。

AVATAR

2010年03月20日 | 映画
を見た。
さて、残念ながら楽しさはあるが、佳作とはとうてい言えない。
3Dと特殊撮影とCDはおもしろかった。2時間42分の大作である。
この種の映画は、リアリティや物語の辻褄やディテールは問題にならないのだが、
ストーリーは陳腐そのもの、いかにもアメリカのB級映画って言う感じで、大雑把でデリカシーも思想性もない映画だった。
映画館のあらすじ紹介には、
「下半身不随になり、車いす生活を送るジェイクは、衛星パンドラにやって来る。
彼は人間とナヴィ族のハイブリッドであるアバターに変化を遂げ、不自由な体で単身惑星の奥深くに分け入って行く。
慣れない土地で野犬に似たクリーチャーに襲われていた彼は、ナヴィ族の王女に助けられる」とある。
150年ほど後の地球と人類を想定しているようだが、人類は全く進歩していない。
そして、主人公の男性も、対抗する地球人もなんと元海兵隊員というステレオタイプには、ガクッと来た。
舞台の星の名は"パンドラ"、軽々しくパンドラを使わないでほしい。
そしてアバターとは人間とその星の先住民ナヴィのハイブリッドの事らしいのだが、
そのアバターは実体のある存在なのかバーチャルな存在なのかよく分からないのだ。
というのはアバターは日焼け機械のような装置に入った人間の脳によって活動するのだから。

ナヴィはアミニズムの世界・社会で、王や姫がいるのである。
繊細さと無縁の元海兵隊員の主人公とナヴィの姫が恋愛関係になるお決まりの展開にはあきれてしまった。
侵略した人類は、主人公の超人的大活躍とその星の森の動物たちによって粉砕されるのだが、
この敗北では人類はキロ数億円すると言うその星にある鉱物を求めて再侵略するに違いない。
強力な磁場と自然力の前に人類は全く無力で、そこに住むことは出来ないとありふれた結論の方がはるかに良い。
例えば、核を打ち込んでもその星の大気は核を雲のように包んで吸収して無害にしてしまうとか、
爆撃機は強力な風によって宇宙に飛ばされてしまうとか、
ミサイルは強力な磁場によってコントロールできず自らに向かってくるとか、である。
あるいは美しい花々やその香りの為にうっとりして戦闘性を喪失してしまうとか。

最後の戦闘シーンで、ナヴィが銃で人類に反撃するのだが、全く興ざめであった。
昔のインディアン・西部劇を見ているようで不快であった。
ナヴィが流ちょうな英語をしゃべるのは愛嬌である。
私は3D映像を楽しむため日本語版で、また、音響を楽しむために名画座ではなくMOVIXで見た。
ナヴィが戦闘に行く時の化粧や鼻を付ける挨拶はニュージーランドのマオリからの引用か。


これがアカデミィー賞をとったらお笑いではある。
最もアメリカのアカデミィー賞はそもそも芸術性とか優秀さとは無縁の商業主義だけなのだが。
ダンス・ウイズ・ウルフズや宮崎駿作品などのぱくりも沢山感じられる。
これなど天空の城ラピュタそのもの。


シニア料金1000円、そのほか3Dメガネ代は300円。

映画/グラン・トリノ、レスラー

2010年03月18日 | 映画

"グラン・トリノ"とはフォードの昔の車らしい。
主人公は、朝鮮戦争に従軍したことのあるフォード社の組み立て工だった男で、引退後もこの車を毎日磨いている。
映画は、彼の妻の葬式で始まり、彼の葬式で終わる。
彼は、戦争中取った行動にトラウマを抱えて、子どもや孫達の生活態度にも苛立っていた。
そんな彼の隣にミヤ族の一家が引っ越してくる。
ミヤ族は、ベトナム戦争でアメリカに協力し、アメリカに移民してきた。
ある出来事をきっかけに彼と隣人は親交を深めていく。
私には、この映画の出来事はフィクションであって、アメリカの日常とは違うのだと思うのだが、
度胸試しに車を盗んだり、黒人が白人を脅迫したり、喧嘩をやめさせるのに銃を使ったり、
仲間が暴行を受けた仕返しに彼の家を銃撃し、その姉をレイプしたり、そしてその暴力的復讐を企んだりする、
こうした"暴力の連鎖"を是認する「映画のストーリー」がどれだけアメリカの現実を反映しているのかはわからないが、
こうした暴力を許容イヤ擁護する下地がアメリカにはあると感じた。
私は、そこにイラク・アフガニスタンなどのアメリカの暴力を感じた。

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筋書きのあるプロレスの裏話はおもしろい。
カミソリをテーピングの中に隠し、倒れた隙にそれで自ら出血させると技も見せる。
大型ホッチキスを体に打ち付ける攻撃を、見た目は派手だが痛みはそんなではないなどと
事前に打ち合わせするのは苦笑ものだし、
老いた体の見栄えを良くするために、髪を染めたり、脇毛を剃ったり、日焼けサロンに通ったりは頬笑ましいが、
痛み止めの薬やビタミン剤などの大量摂取はもう痛々しい。
傷の特殊メーキャップは上手い。
心臓の病で引退したのだが、堅気に戻れずマットに復帰する。
トップロープの上からの大技・ダイブで宙を飛んでいるところで映画は終わる。
これは、「男の美学」などと美化しては行けない。
人は、老いにどう向き合い、老いを受け入れていくのか。

グラン・トリノもレスラーも穏やかな老いの日々を迎えられそうだったのだが、残酷な結末となった。
さて、私の老いはどうだろう。

熊谷市=東竹院・集福寺を歩く

2010年03月16日 | ウォーキング


熊谷駅北口前にラグビーボールのモニュメントがあり、そこを少し行くと小さな水路が流れていて、交差点ごとに彫刻がたたずむ。

                         星川の広場[花園の歌]                  緑の広場[やすらぎ]
  
太陽の広場[レダ]                  若者の広場[新風]         憩いの広場[戦災者慰霊の女神]
  

圓照寺[本尊は身代わり不動明王]                水掛不動明王
  
 
境内は広くはないのだが、所狭しと様々な仏像が飾られている。

星渓園[月曜で休館であった]


石上寺
 

宇佐稲荷神社                             八坂神社
 

賢勝寺
 

万平公園 蚕霊塔            熊谷堤(万平公園内)     水雷神社              その近くに
        
                                
賢の魚・ムサシトミヨ生息地(とても綺麗な流れだった)     ムサシトミヨ[転載]
 
東竹院                                ダルマ石
 
  
 

長福寺
 

佛説寺


以上は3月15日に歩いた所なのだが、熊谷寺を行き忘れてしまった。
また、星渓園も休館で入れなかったので、翌16日再訪した。
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せっかく来たので少し遠出した。
バスで中奈良と言う所まで行き、そこから少し歩き、その後バスで熊谷市内に戻った。

常楽寺[曹洞宗]                           立派な鐘楼があった
 

長慶寺                                長慶寺の三門 [ちょっと中途半端な大きさだ]
 

長慶寺の隣に奈良神社               國性寺                         1249年(鎌倉時代)の紀年銘の板石塔婆(國性寺境内)
     

集福寺 祈祷門                          本堂 [祈祷門と本堂は回廊で結ばれている]
 
天保時代[1833年]の名主の墓(飢饉の際貧しい人々を助けた)                    鐘楼(左は祈祷門、右は本堂)      
  

熊谷(ゆうこく)寺と言う。公開されていない。
鍵のかかっていない戸を開けて入ると番犬に吠えられ、駐車場から来た人に「何の用事ですか」と詰問され、
「参拝に来ました」と言うと、「管理上の問題から、参拝はお断りしています。予約して来て下さい」と言われた。
 

星渓園
 

高城神社


熊谷寺は、残念という他ない。
熊谷寺前と言うバス停まであり、広大な境内を市街の一等地に占めながら、日曜のみ・予約が必要と立ち入りを閉ざすのは驚きであった。
入り口に、「信徒・法要以外立ち入り禁止」との看板があったように思うが、これはよく行われていることで、"予約が必要"と明記して欲しい。
いろいろな考えがあるとは思うが、境内への立ち入りまで予約が必要とは私には信じられないことであり、不快であった。
「宗教とは、仏の教えとは、誰のための…」と「釈迦の説法」を飲み込んで、「立派なお寺なのに残念です」と後にした。


狛江市=明照院を歩く

2010年03月15日 | ウォーキング
小田急線和泉多摩川駅から京王線仙川駅まで歩いた。【3月11日】


小田急線・和泉多摩川駅で降りて、京王線仙川駅まで歩いた。
玉和泉寺                               多摩川
 
多摩川土手の上から富士山が見えた              水神社
 

仏壽寺                                伊豆美神社
 

兜塚古墳                               古民家公園(休館であった)
 

泉龍禅寺 鐘楼門                        本堂
 
聖観音像                 庚申塔
 

千手院                                糟嶺神社
 

明照院                              入間観音堂                       除病延命地蔵
  

この一帯の雑木林、半世紀前の三多磨・武蔵野はこのような雑木林がいたる所にあった。
  

武者小路実篤記念館(200円、入らなかった)、 向かって左の地下道を通ると 実篤の旧宅のある実篤公園(無料)
 
この庭園を通り過ぎて、更に地下道をくぐると旧宅である。大邸宅と言うほど大きくはない。
 

以下四つのお寺は浄土真宗のお寺である。
光徳寺                                安養寺
 
光西寺                                西照寺
 

明西寺                                正善寺
 

桐朋学園



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【このブログは全く個人的なものなのだが、以下はもっと個人的な事柄である】
沖縄に出かける一週間ほど前、若い頃の友人がガンで危篤との連絡があった。
お見舞いを希望していたが、彼の体調が良くなく、かなわないまま沖縄に出かけ、
旅から帰った翌朝、「3月9日亡くなった」との訃報が届いた。
享年60歳であった。
私は運命論者ではないのだが、私たちが沖縄にいる時に彼が亡くなったことに、私は不思議な縁を感じる。
彼は私より数年若いのだが、度胸が据わり、一途な性格だった。
亡くなる1時間前まで、連れ合いにこうしろ・ああしろと指示というか頼んでいたという。

沖縄4日間の旅 1

2010年03月14日 | 国内旅行
沖縄に行ってきた。
『デラックス沖縄4日間』と言う阪急交通社のツアーに参加した。
寒い冬、暖かい所に行きたいねと言う話になり、沖縄に行くことにした。
ツアーを探すとハードスケジュールな他に比べて、阪急交通社のこのツアーがかなりゆったりしていたので申し込んだ。
一般的にハードなものが多い阪急交通社のツアーでは珍しい。
【3/6、13:30羽田発~3/9、21:15羽田着】


一日目・3/6
国内線の搭乗手続き・保安チェックは極めてスムーズ簡単であった。
ボーイング777・300は定員477人だそうだがほぼ満席でった。
一列3/4/3、10人はとても広いのだが、座席は貧困であった。
足は組めない、リクライニングは出来ない、隣席とは肘がぶつかる。
かつて贅沢であった飛行機、今は階級=貧富の差の象徴である。
エコノミーは人を人とは思っておらず、貨物扱いである。
トイレの設備の劣悪さはもう論外である。
食事、飲み物、新聞、テレビ、ラジオなどのサービスは不要であるから、人に優しいサービスにしろと言いたい。
ビジネス・ファーストクラスは入り口が違い、並ばずに乗れる、ゆったり座席、食事・トイレが違う。
沖縄までは約2時間半である。
ホテルまで直行である。
サンマリーナホテル 建物は真ん中が吹き抜け=V字形(ブイ)になっていて、どの部屋も海に面しているようだ。
 
 
部屋からの風景
洗面室等の施設は、
バスタブの外で体が洗える風呂など日本人向けに細かい配慮がされた仕様だった。

夕食は、和食・洋食・バーベキューからの選択だった。
洋食を選んだのだったが、スープ・ディッシュ・デザートだけのセットで物足りなかった。
出てくるまでの時間も長く、そのせいでもなかったが写真を撮り忘れた。デザートはもっとあったが。

朝食


二日目・3/7 9時出発でゆっくりだった。雨だった。風も強かった。
万座毛
 

ナゴパイナップルパーク
                                     左木麻黄、右南洋杉
 
シダ                  パイナップル(花ではない)
  
                                パイナップルのワイン                島らっきょう
  
パイナップル炭石けん
  
オカリナトロンボーン        もずくうどん
  

琉宮蝶々園 入り口                      蝶園から、右は入り口、左は海洋博公園のラン植物園
 
オオゴマダラ                             黄金色のオオゴマダラのさなぎ
 

昼食
沖縄ソバセット                    タコライス[タコスの具である挽肉・チーズ・レタス・トマトなどを米飯の上に載せた沖縄料理]
 


海洋博記念公園
 
沖縄美ら海水族館                               
 
 
 
 
 
 
 
サメの顎                                巨大なダイオウイカ
 
マナティ                          息つぎするマナティ                尾びれをケガし人工ビレを付けたイルカ  

熱帯ドリームセンター 水族館チケットを持っていると340円[自由参加]
 
       
 
                                     パラミツ
 
パパイア                                ピタンガ
 
 
カカオ                                 パンレイシ                                
  
インドザス                               カニステル                                
  
タヒチモンジン                            ボウガンオウ
 
センナリバナナ                            展望台
  
南米の巨大魚ピラルクー                      オオベニゴウカン
 
パキスタンキス                            ネペンテス・ベントリコーサ・レッド
 
レッドジンジャー
 
【つづく】

沖縄4日間の旅 2

2010年03月14日 | 国内旅行
海洋文化館
                                     ニュージーランド・マオリ族の守護神
 
                                     漁労用トラップ
 
太鼓                                  カヌー
 
 
ハワイのクーの神像                         トラジャ族の住居
 
パプアのラカトイ
 
海の墓標                               海の贈り物
 
楽器                                  パプア族のラカトイ[大型船]
 
                                     生きている祖霊
 
祖先の霊                               全景
 
ジャン・コクトーの言葉があった。「私の耳は貝の殻、海の響きを懐かしむ」
海洋博公園の一シーン


JALプライベートリゾートオクマ[ホテル]
入り口                                 私たちが泊まった棟
 
 
夕食[和食ビュッフェ]
 

三日目/3月8日
朝食の写真は撮り忘れた。 9時出発、雨。
茅打バンタ
 

辺戸岬[最北端]祖国復帰を願い、この地に集い与論島(日本)に向かって思いを叫んだという。
 

昼食
沖縄煮付け(妻)                            ゆし豆腐(私)
 

琉球村
 
サバニ                                 大綱
 
 
キジムナーの家          旧仲宗根家
  
親子ガジュマル                            御嶽と神アシャギ拝所
 
 
ハブセンター
 
 
登り窯
 
 
 
 
チョンダラー(京太郎)=元は念仏者と言い、先祖供養の念仏を唱える、今はエイサーの盛り上げ役
 
旧島袋家(築約200年で一番古い)
 
 


黒糖工場
  

座喜味城跡 [首里城など一帯が世界遺産である]        
 
 
読谷村歴史民族資料館[月曜で閉館]
 強い風と雨のため、他所を見ることをしなかった。

那覇市内のDFSギャラリア・沖縄(免税店)、雨が止んだので私たちは近くを散歩した。モノレールとその駅
 

日航那覇グランドキャッスルホテル(写真を撮り忘れたのでHPより転用)
 
夕食は、20階の展望レストランで和食のブッフェにした。この他にもおかわりをした。特別キャンペーンで2000円だそうだ。
 
翌朝の朝食


【つづく】

沖縄4日間の旅 3

2010年03月14日 | 国内旅行
四日目/3月9日
9時半のゆっくり出発だったが強風とかなりの雨であった。ホテルの部屋から


首里城
守礼門
    
歓会門                                瑞泉門
 
漏刻門                                広福門
 
正殿
 
  
                                                      傘の自動販売機があった
  
強風と強い雨で、他の興味深いスポットを見ることもじっくり撮影するゆとりもなかった。

平和記念公園                          平和のくさび[がま=(洞窟)のイメージ]、後ろ方向は摩文仁の丘
 
平和の碑[三角錐の所が沖縄で、そこから平和の波が世界に広がるイメージという、日本が侵略した地域も描かれている]
 
平和の礎(いしじ)
 
 
平和記念資料館 (時間がなく私は入ることができなかった。)
 
韓国人慰霊塔[平和の礎には韓国人の一部しか載っていないという] 矢印の方向は韓国なのか。[ここは、平和記念資料館の後方にある]
 

ひめゆりの塔
 
  
ひめゆりの塔資料館                         女神の像(左)とひめゆりの石像
 
赤心之塔                               井伊文子(琉球国王の子孫)の歌碑
 

琉球ガラス村
昼食[沖縄そばセット、ニヘベビールを飲んだ]
 
 
 

那覇市内国際通り
依然と強い雨が降っているので県庁前駅から牧志駅までモノレールで行きそこから歩いた。
  
初乗り200円は安くはない。沖縄は人口の数よりバイクを含めた車の台数が多いそうだ。
さて、沖縄にモノレールはさらに普及するだろうか。
平和通り[市場街]
 
牧志公設市場
 
 
 
メンピ[豚の皮、クラゲの食感に似てしこしこしている]
                        
  
牧志公設市場では、二階のレストランで好みの魚を調理して、食することが出来るそうである。
市場全体は広くはない。
ベトナムや台北でいろいろな物を見ているので驚きはなかった。
かえって、沖縄の食への拘りというか豊富さと中国の影響を強く感じた。

空港で食べた、沖縄そばの夕食。

そばと言うが、そば粉は使わず小麦粉だけの太めの麺、具はかまぼこ・厚揚げ・昆布・豚の角煮。
スープは、一般的に鰹節と豚骨と言われ、こくはあるがどぎつさはなく、塩味である。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

那覇空港19時発のボーイング747-400で帰ってきた。
この飛行機は二階もあって、座席数は569だそうだ、席はほぼ満席であった。
約2時間半のフライトである。
低気圧の影響で時々揺れたが、安全運行には影響がないと言うが本当であろうか。
羽田に着くと雪であった。空港のトイレで冬支度をした。
東京では分厚いオーバーを着ている人がいて驚いた。

沖縄が日本に「復帰」したのは、1972年5月15日である。
それ以前、沖縄はアメリカの占領下にあり、沖縄に行くには日本のパスポートが必要であった。
沖縄の歴史はよく知らないが、薩摩の琉球支配以前は日本とは別個の王国であったようだ。
薩摩は沖縄、沖縄を通じての東南アジアとの貿易で益を上げ、後の明治維新の原動力を得た。
中国の沖縄への文化の影響は計り知れないほど大きいと感じる。
沖縄の言語はおそらく日本の言語とは同一とは言えない別個の物だろう。
沖縄は、気候的にも、言語的にも、文化・食的にも、そして何より宗教的に日本とは別個・異質の独立性を持っている。
日本米が取れない沖縄は、米は輸入である。沖縄の酒・泡盛はタイ米を原料にする。
また、仏教の影響はほとんどなく、土着宗教・アニメズムの色彩が強くそれはポリネシア海洋民族のようだ。
この事情の為だろうか墓の形状は日本とは全く異質で台北のそれによく似ている。
音楽、踊りも日本とは異なる沖縄独特のようで、中国の影響の方が強いと思う。
また、顔つきは男も女も本土人よりホリが深く、髭も濃い人が多いようだ。
沖縄の気候は亜熱帯に近く、多くの果物やサトウキビなどが自生できるようだ。
沖縄の自然はもともと自然の恵みが豊かなのだと思う。
サトウキビは植えるだけで自然に成長するので男は一生懸命働く必要がない、などと言われたそうである。
それは事実ではなく、きちんと仕事した。
だが、夏の日中は農作業をするには厳しすぎるので、朝早く、夕方に仕事をしたのだ。
これは東南アジアでも良く言われることでもある。
この地では、昼下がり、人々が昼寝をしたり、木陰でお茶やおしゃべりをする光景をよく見かける。
暑い日射しの中、動き回っているのは観光客である。
かつてカンボジア・アンコールワットのツアーに参加した時は、昼食後ホテルで休憩があった。

日本の米軍専用施設の74.7%が沖縄に集中し、沖縄の10.4%をアメリカが占領している。
しかも人口の多い、県南・中央に集中している。
だが、その多くは戦前、日本軍が占有していた軍事基地であり、米軍はそっくりそれらを引き継いだのだ。
那覇市のメインストリートはかつては中央分離帯がなかった。
「有事」の時戦闘機が離着陸出来るようにするためである。
同様のことがソウルの道路でも行われていたと聞く。
太平洋戦争下、日本で唯一の戦場となった沖縄であったが、米アメリカ占領下の沖縄の人々は日本への復帰を望んだ。
ベトナム反戦運動が高揚した1960年代後半から1970年年代初頭にかけて、沖縄の"祖国復帰"の運動は大きく盛り上がった。
だが、"沖縄独立"や"沖縄の自主自立"を唱えたのは少数であった。
現在、60年安保・70年安保自動延長・沖縄の復帰に関わって、日米政府の間に数々の重大な『密約』があったことが報道されている。
この密約は、ありふれている汚職や失言とは桁外れに大きい問題である。
当時これらの事実が明らかであれば、日米安保の更新も、沖縄の日本復帰も現在とは大きく変わっていただろう。
広大な米軍基地を無償で提供するだけでなく、多額の現金を供与し、さらに核の持ち込みを認めたのである。
知らぬ顔を決め込んでいる自民党、政治家も高級官僚の責任は計り知れないほど大きい。
佐藤栄作はノーベル平和賞を受賞したが、こうした事実が明らかになってその取り消しはないのであろうか。
これほど重大な裏切りと国民愚弄の事実が明らかになっているのに、日本国民は無関心・平静だ。

沖縄の人は、独立や自治を主張する権利と同時に日本政府と本土人に対し損害賠償を求める権利を有していると私は思う。

家族で沖縄を訪れたのは子ども達が小学生の春休みであったろうか。
当時はまだモノレールも、海洋博公園も、平和の礎もなかった。
米軍基地のいくつかが日本に返還されたが、米軍基地の支配が重くのしかかる沖縄の戦後と怒りは少しも変わってはいないと思った。

バスガイドが、反戦歌・"沖縄を返せ"を歌った。
それは、懐かしくもあり、また全く違和感がない自然さであった。
この旅の目的は観光だが、今日の沖縄と日本を少し考える旅ともなった。 【終わり】




渋谷~代官山~恵比寿=旧朝倉家住宅を歩く

2010年03月05日 | ウォーキング
渋谷~代官山~恵比寿を歩いた。
地図を見ると、大使館が目に付いたので、ちょっと気分を変えて訪れた。


渋谷西口前                             日本キリスト教団聖ヶ丘教会
 

アラブ首長国連邦大使館                      乗泉寺[手前は霊堂、奥が本堂]
 

猿楽古代住居跡                           ウガンダ大使館
 

ギニア大使館                            マレーシア大使館
 

西郷山公園[カワズザクラ]
 
菅刈公園                               真ん中の門を入った庭園
 
西郷山公園・菅刈公園とも西郷隆盛の弟・従道の別邸跡に出来た公園。

セネガル大使館                           エジプト大使館
 

デンマーク大使館                          東京バプチスト教会
 

ヒルサイドテラス
建築家の槇文彦が設計した集合住宅、 店舗、オフィスなどの複合施設。猿楽塚、旧朝倉家住居もこの中にある。

猿楽塚 
 

旧朝倉家住宅[大正時代、東京府議会議長の朝倉虎次郎の屋敷、関東大震災で焼失を免れた]100円、シニア無料
 
 
中庭の奥に火事でも焼けないという土蔵があった。

恵比寿神社                              清流寺                                庚申橋供養塔
  

室泉寺                                源秀地蔵尊
 

福昌寺                                阿弥陀石棺仏[石棺仏とは、古墳時代の石棺を転用して仏像を作った]
 

法雲寺                                                東北寺
   

ダビデ像が          チェコ大使館                             寶泉寺
   

氷川神社                               吸江寺
 

郷土博物館                              五輪塔・傘屋の碑・聖観音[郷土博物館の敷地に]
 

國學院大學             松崎慊堂宅地跡[博物館の前]
 

実践女子大学                            ペルー大使館
 

東福寺


金王玉造神社                            絵馬の中にこんな物が                              
 
                                     "爆笑問題"が、映画「DR.パルナサスの鏡」出演者にインタビューしたらしい

豊栄神社[金王玉造神社の前]
 

こんな宣伝オブジェが


険しくはないが、坂がかなりあった。
西郷従道の別邸跡の公園は広大だった。旧朝倉邸も豪邸である。
権力者はいつの時代も金持ちのようだ。
歩いた一帯には豪邸が多いように感じた。
また、あちこちでマンション等が建設中であった。
キリスト教会もいくつか見かけた。観光客ではない外人の姿もかなり見かけた。
渋谷・代官山・恵比寿は確かにしゃれていた。
大使館も大きい物、小さい物、しゃれている物といろいろあるようだ。
気温が20度を超えて暑かった。

業平橋~鐘ヶ淵=多門寺を歩く

2010年03月04日 | ウォーキング
業平橋の由来は、歌人・藤原業平の伊勢物語に由来し、"ナリヒラバシ"と読む。

上野から地下鉄銀座線で浅草、浅草から東武伊勢崎線で最初の駅が業平橋駅。
目の前に東京スカイツリーが建設中で、3月3現在304mと言うことであった。
                 本行寺
     

常泉寺                              圓通寺
 

三囲(めぐり)神社 ライオン像が~三越のライオン像とのこと  宝井其角の「雨乞いの碑」・「遊ふた池や田を見ぐりの神ならび」 
 
目尻の下がったキツネ     三角石鳥居                       この神社最古の紀年銘[1707年]
  

すみだ郷土文化資料館[150円]、外観は立派だが展示はイマイチ  言問橋から浅草駅方向
 

牛島神社                               撫で牛[1825年]
 

正円寺                                延命地蔵
 
正円寺内の庚申塔                           飛木神社
   

圓通寺                                 地蔵菩薩
  

藍染博物館                              江戸小紋博物館
 

正覚寺                                露伴児童公園[幸田露伴がこの周辺に住んだ記念にこの地を地主が区に寄付した]
 

蓮花寺
  

向島百花園 [入園料・100円]
  


白髭神社                               境内には沢山の碑が
 

法泉寺
 

セイコー時計資料館 とても珍しい資料館、無料、要事前連絡とパンフにあるが入れてくれた。
自由見学でなくガイドが付く。私は特急のガイドを頼んだ。良いガイドだった。
 
初めての目覚まし時計       明治時代の時計
 
                        時計の原理を説明する時計     お香を焚き、それで時を刻む
  

隅田川神社                              木母寺
 

正福寺                                首塚地蔵尊
  


成林庵                                 圓徳寺
  

多門寺 三門[茅葺き、1803年]                 1945年3月10日東京大空襲の被害=元浅草国際劇場の鉄骨
 
                                     狸塚
                  
 
 

ぐずついた天気が続き、久しぶりであった。
業平橋駅のプラットホームに降りた時、目の前にスカイツリーがあった。
ホームからは近すぎてフレームに入らない。
狭い区域であったが結構歩いた。
セイコー時計資料館は、おもしろく興味深い展示物があった。
しかし原則は事前連絡が必要でガイド付きとなるとちょっと煩わしかった。
資料館でなく、自由見学が出来る博物館の方が気楽に楽しめるのではないだろうか。
白髭公園前は広大な公園で、その前には広大な高層団地や東京都リハビリテーション病院が立っていた。
垂れ目のお稲荷さんキツネはかわいらしく、撫で牛、狛犬の後ろのライオン像、個人の小博物館など盛りだくさんで楽しめた。
江戸小紋博物館の北斎の"赤富士"は綺麗でした。
向島百花園は広くはありませんが春には花々が咲き乱れることでしょう。
大きな寺社は特別ないが、庚申塚や地蔵などきちんと保存し、庭の手入れも行き届いた所が多かったです。
東京大空襲で焼けた所は区画整理がされ、そうでなかった所は車が通れない細く曲がりくねった道です。
その対照ははっきりしています。
【3月3日】

吉祥寺~上石神井を歩く

2010年03月01日 | ウォーキング


月窓寺 本堂                             観音堂
 
三門                                  玄奘三蔵の像
 

蓮乗寺                                 光専寺
 

安養寺
 

武蔵野八幡宮                            大法禅寺
  

成蹊大学                               校門脇に
 

西窪稲荷神社                       源正寺
  

延命寺
  
寿老人               毘沙門天    平和観音(左に250k爆弾)
  

関前八幡宮                             西方寺東京別院
 

御門訴事件祈念碑(明治3年在所の名主・忠左衛門が苛政に直訴した)      武蔵野大学
 

金剛寺                                              東禅寺別院柳沢禅寺
 

東伏見稲荷神社
 
 

下野谷遺跡公園                           武蔵関公園
 

若宮八幡宮                             
 

本立寺


最勝寺                              法融寺                              親鸞像
  

日本[東京]カトリック神学院                 上石神井憩いの森[個人所有/1661㎡]    智福寺
  

はっきりしない天気が続いているので曇りだったが出かけた。
寒くもなく暑くもなくでちょうど良かった。
JR中央線と西武新宿線の間は3kmほど、そこに五日市街道と青梅街道が並行して走る。
中央線の南を甲州街道が走る。
中央線は新宿から立川間25kmを定規で直線を引いたようにまっすぐである。
おそらく中央線を作る時この一帯は田んぼか畑で用地買収なども比較的容易だったのではないだろうか。
西武新宿線駅沿線の各駅前は再開発がとても難しい。
車一台がやっと通れるほどの狭い道が曲がりくねっていて、踏切も沢山ある。
道路と線路の立体交差が狭すぎて難しいのである。
五日市街道沿いは比較的道路も広く、家の敷地も広い。
大学のキャンパスの広さは驚くほどである。
私立大学はこの広大な敷地をどのようにして手に入れたのだろうか。