風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

三郷駅から吉川駅まで歩く

2011年03月31日 | ウォーキング
三郷駅から吉川駅まで歩いた。[3/28]


三郷駅10:30発、グローバル交通の新三郷駅西口行きバスで谷口不動尊まで行った。(200円)
成就院(谷口不動尊)
  
 
境内外に弁天堂が                          途中の道で
 

西善院
 

蜜乗院
 

香取神社                                円能寺
 

神明神社


迎攝(ほうしょう)院                          右・鐘楼、左奥・観音堂(室町時代)
 

善照寺                                                           水神宮
  

東光院                                上口香取神社
 

延命院
  
 
                                     ここの本尊は虚空菩薩、鰻は虚空菩薩の化身と言われ丑・寅年の人は食べなかったという
  

三郷市立郷土資料館                        密蔵院
  
玉蔵院                           地震で倒れたのであろうか            途中で
  
慈眼寺                                                               珍しい像のあるお墓が
  

円明寺
 

香取神社
 

安養院鎮守稲荷                     途中で[成田山別院か]、                その隣に「自由党員の碑」が
  

安養院
 
  

長福寺
 
庚申塔が多数安置されていた                   道庭香取神社
  
宗眼寺                                               観音寺
  

密厳院                                お砂場霊場[東寺、四国、百観音]
     
                六地蔵
  

観龍院
 

蕎高(そばたか)神社
 

清浄寺                                西念法師の碑(親鸞聖人の高弟、鎌倉時代の物)      板碑


熊野山神社                             吉川駅前に親子ナマズの像が[江戸時代、ナマズ料理で有名だったとか]
 

日射しがあり暖かかったが、冷たい風が少し吹いていた。散歩には、暑くもなし寒くもなし、だった。
三郷市・吉川市を歩くのは初めてである。両市の東は千葉県、南は東京都である。
つくばエクスプレスが開通し少し交通の便は良くなったと思うが、交通事情は良くはないと思う。
地図を見た時は、ほとんど田んぼか畑ではないかと思ったのだが、全くの住宅地であった。
だが、市街地と異なり地図上に目印になる建物や商店がなく、地図はわかりづらく、再三間違えてしまった。
一般の住宅が十軒も入りそうな大敷地の農家も数多くあり、
あちこちに小さな墓地や稲荷や村神社や庚申塔やたくさんの小さな寺があることからも多くの人が住む古村だったのだろう。
大きな寺や神社はなかった。
お寺はほとんどが真言宗豊山派のお寺で、その他には曹洞宗の慈眼禅寺と浄土真宗の清浄寺があったと思う。
水量豊かな中川。

中川は埼玉県と千葉県の境・千葉県と東京都の境を流れ、大きな江戸川と荒川に合流し、江戸時代から水運業が盛んであったらしい。
鰻は虚空菩薩の化身ということで鰻が祀られているお寺や、吉川駅前広場の金色の巨大な親子ナマズはそうした風土の名残なのだろう。
また、多数の庚申塔を保管しているお寺はゆったりしていた。

浜松町・旧芝離宮庭園、八丁堀、九段下を歩く

2011年03月27日 | ウォーキング
3月26日、浜松町・旧芝離宮庭園、八丁堀・九段下駅周辺を散歩した。
北風が強く吹き、放射能も心配でちょっと寒く、散歩日和ではなかったかったが、
原発事故で気持ちがイライラしていたので出かけたかった。
午前中は強い北風が吹き荒れ、午後になって少し風が弱くなったので思い切って出かけた。

JR浜松町駅前に、都立旧芝離宮庭園がある[入園料150円]。
この公園は知らなかった。たまたま地図を見て発見した。
江戸時代、老中の大久保忠朝が4代将軍家綱からこの地を拝領し、後、幕末頃は紀州徳川家の芝御屋敷となり、
明治になると有栖川宮家の所有になり、更に宮内省が買上げ、昭和になって東京に寄付されたという。
 
 
  
 
 
 
 
   
浜松町からツバル名誉領事館を目指して、新橋駅まで歩いた。
文化放送[浜松町駅前]      ツバル名誉領事館の住所のビルにはそれはなかった。
                    ビル内に太平洋地域の開発を行う南洋貿易株式会社があり、
                    この会社内にキリバスとツバルの名誉領事館がおかれていると思われる。
   
キリバス共和国

ツバル


港区立エコプラザ

都営地下鉄浅草線新橋駅から東銀座に行き、地下鉄日比谷線に乗り換え八丁堀駅まで行った。


日比谷稲荷神社            徳船稲荷神社
  

鉄砲洲稲荷神社
  

サモア大使館
 
ビル内には入れない、どの部屋かはわからない。
八丁堀駅に戻り、茅場町まで行き、地下鉄東西線に乗り換え、九段下駅に行った。


タイ大使館
 

チュニジア大使館
  

パラグアイ大使館                         イギリス大使館の塀[裏側]、パラグアイ大使館の前
  
半蔵門駅まで歩き、半蔵門線で永田町に行き、地下鉄南北線に乗り換え、王子駅に出、JR王子駅経由で帰って来た。

冷たい風であったが、出かけてとても良かった。
旧芝離宮庭園があることは知らなかった。とても落ち着いた公園で、浜松町駅から徒歩2分、150円、お勧めです。
ツバル大使館、キリバス共和国大使館は日本にはなく、それぞれの名誉領事館が南洋貿易株式会社内にあると思います。
ビル内は入れませんでした。サモア大使館もビル内に入ることはできませんでした。
タイ大使館、チュニジア大使館、パラグアイ大使館は大きな建物でした。
土曜日でしたが、震災後の都心はやはり人通りは少ないと思います。
地下鉄東西線はかなり混んでいましたが、他の鉄道、メトロは空いていました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

【福島原発について、やはり触れておきたい】
福島原発の危機が増大している。
東電・原子力保安院・政府の事故・事実の公表が、後出しになっていることが我々の不安を拡大させている。
中央制御室が使用できなかったこと、従ってあらゆる計器類が作動していなかったことはこれまで全く言われていなかった。
それらが、明らかにされたのはつい先日のことであって、事故後10日も過ぎてからである。
それなのに当初は、東電も原子力保安院も政府も学者も全くの根拠なしに重大な事故にはならない等と言っていたのである。
放射線量の数値や電力需要・供給量などが東電のホームページに公表されたのも同様に最近のことである。
私は、日常的に放射線については関心を持っていなかった。
そもそも野菜や水道水の放射線量測定は今回だけでなく、普段も行われているのかどうかについても私は知らない。
理科の知識が少しある妻は、放射線と一口に言っても色々あって、
拡散しやすいもの、水に溶けるもの、半減期が短いものや長いもの、重度の危険性があるもの、
また障害にも急性のものと晩発性のものがあり、また内部被曝と外部被曝の違いもあるし、
それらの一々の分かり易い説明と、それぞれの放射線ごとの個別のデータと経時的変化が大事だという。
多量の放射性物質や悪質なプルトニウムを持つ使用済み核燃料が、ほとんど無防備の状態で保管されていたなんて信じられないし、
タービン建屋内での被爆がもし今回生じず、明らかにならなかったら、
建屋内が水浸しになっていて、強度の放射能で汚染されていることも公表されなかったのではないだろうか。
自主避難とはなんとも曖昧・無責任である。
つまり、移動の手段も、費用もすべて自分でしなさい、政府や役所は何の責任も負わないよ、というものだろう。
職場は、病院は、学校や保育園は、病人や高齢者は、そして何より住居はどうしろと言うのでしょう。
自治体や政府は、どうして放射能防護服や装置を提供しないのでしょうか。

ささやかな朗報は、
政府の震災ボランティア連携室室長に、反貧困ネットワーク事務局長・湯浅誠さんが就任したこと。
その湯浅さんの言葉 {毎日新聞から、3/25}:
今後長い時間をかけていく復興過程の中で、私たちが目指すべきものは何だろうか。
私にとってそれは貧困や自殺に追い込まれない社会であり、一人一人の力が発揮される条件を整える包摂型の社会である。
今まで求めてきた物と別の物ではない。……
本当にしんどい人は「しんどい」とは言わない。周囲に遠慮し、何より重荷になることを恐れ、自分に食べる価値があるのか、
飲む価値があるのかと自問している。その人の隣に、それと気づく「誰か」はいるだろうか。
私たちの社会は誰もがその「誰か」になれる社会を築いてきただろうか。十分築いていないとしたら、
これから築いていかなければならないのではないか。……
せめて学びとれる全てを学び取りたい。それが「この社会」に生き延びた私たちの責任でもあるだろう。

映画/ソフィアの夜明け・彼女の消えた浜辺

2011年03月24日 | 映画

原題は、Eastern plays
ソフィアは、女性の名前ではなく、ブルガリアの首都。
ブルガリアの映画を見るのは初めてだと思う。また、私は、ブルガリアについては知らない。
トルコ人がブルガリアで差別されていることも知らない。
主演したフリスト・フリストフはこの映画の撮影終了直後事故で亡くなったという。
主人公のイツォは、青年芸術家と紹介されているが、中年の様な感じ。
イツォ兄弟は閉塞した社会の中で、生きている実感・現在と将来の希望を持てず、屈折し、うごめき、
弟はネオナチに心引かれ、兄は鋭敏過ぎる感覚故少し精神を病み始め、ほとんどアル中状態である。
あるトルコ人家族が、ドイツにいる兄の所に行く途中、ソフィアに立ち寄り、ネオナチのチンピラに襲われる。
チンピラ見習いの弟はその見張り役であったが、彼は自分の居場所がここではないと気づく。
その場にたまたま出くわした兄は止めに入り、怪我をさせられるが、一家は助かる。
彼は、その一家の若い女性・ウシェルとささやかな交際を始める。
だが、彼女の父親は娘が異邦人とつきあいするのを認めることが出来ず、一家は彼に黙ってトルコへ帰国してしまう。
イツォは一人取り残されるのだが、弟とも心を通わし始め、何とか踏ん張った。
彼が暗闇のソフィアの町を彷徨う映像の後、
一瞬トルコ国旗が映り、その町の雑踏にたたずむイツォの姿が映し出され、映画は終わる。
映画の題材としては、取り立てて目新しいものでもないし、ドラマチックなストーリー展開があるわけではないのだが、
私は、はらはらして映画館にいた。
旧東欧諸国社会は、東の世界からユーロに目を向けたのだが、でもその道は決して平坦ではなく、大きな困難を抱えている。
この映画は、旧東欧社会が行き詰まるほど閉塞し、明るい兆しの見えない時代を映し出していると私は、強く思った。
私の感受性はもうかなり鈍感にはなっているのだが、イツォたちの抱える思いは、日本の若者達が抱くそれであると感じる。
イツォと彼女が結ばれる結末でもなく、絶望して酒やドラッグにはまり、ソフィアの町を彷徨うのでもなく、
トルコの旗が、一瞬映し出された時、あぁ彼は一歩前に踏み出したんだと安堵し、同時に
この終わり方は、すごくありふれているんだけど、私にとっては穏やかに映画館を去ることが出来る終わり方でした。
ちょっとエモーショナルだけど、この映画は佳作です。
イツォとトルコ人のウシェルの会話は、私にも聞き取ることが出来る、ゆっくりでやさしい英語でした。
異なる言語で向き合う民族や人々が、共通の言語やジェスチャーで会話し、気持ちを交わしあうことが出来るのは、やはり素敵です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


原題は、Darbareye Elly[何語でどんな意味かはわからないが、Ellyはいなくなった女性の名前]
以下の様に色々な賞をもらっているようである。

ストーリーは簡単だが、ちょっと無理がある。
テヘランに住む中流の数家族がカスピ海沿岸にバカンスに出かける。
その目的の一つは、このバカンスを計画した女性・セピデーの、離婚したばかりの弟の見合い、である。
その相手が、エリ。彼女には婚約者がいるのだが、その婚約を破棄したいと思っている。
そうした細かい事情をセピデーは皆に隠していた。
つまりこれはかなり無理なストーリーなわけ。
男達がバレーボールに興じ、女達は部屋の掃除やバカンスの準備にいそしんでいる間、幼い子ども達が海で遊んでいた。
エリに子どもを見ていてと親は頼んだが、こんな荒い波の浜辺で子ども達を遊ばすのが次の無理筋。
たこ揚げを頼まれたエリが、たこ揚げに夢中になり、子守を忘れ、我を忘れるほどたこ揚げに興じてしまうのが、次の無理筋。
ストーリーにいくつもの無理が重なり過ぎで、イライラしました。
子どもの一人がおぼれ、またその頃エリも行方不明になってしまう。
エリもおぼれたのか、自分勝手に帰ってしまったのかでワイワイガヤガヤもストーリーとしては無理。
どんな変人であっても、勝手に帰ってしまうなんてあり得ないもの。
こうした事態に、各自がそれぞれ責任を転嫁したり、非難しあったりで、夫婦・友人の絆、信頼関係がどんどん怪しくなっていく。
そのうち、エリに婚約者がいることが皆にも知れ、その婚約者が登場し、さらに大騒ぎになるって話。
映画の始まりから、小一時間があまりにも冗舌というか退屈であった。
バカンスの場に行くまでの馬鹿騒ぎ、借りた別荘が使えなくなり、使用されていない別荘を新たに借り、その掃除や
バレーボールや皆でのジェスチャー遊びなどが延々と続いた。
この幸せは、不注意や偶然の重なりで、すぐ壊れてしまうもろいものだ、と言う暗喩を示したいのかもしれないが、
10分で十分である。
日本では婚約と婚約の破棄はかなりルーズだが、この映画を見る限りイスラム社会では厳格の様である。
エリは自分の意志で婚約した様なので、自分の意志で婚約を破棄すれば何の問題もないのに。
この映画は多くの賞を取っているが以上のようなわけで、私には佳作とは言えない。
出演している女優達は、息をのむほど、とびきりの美しさです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今回の大地震以後、初めての映画であった。
自粛していた訳ではない。
Movixは計画停電で閉館だし、あまりにも混雑する電車には乗りたくなかったからである。
土・日・休日は電車は座れるほど走っていて、ジムも休みだし、雨も降っているので出かけた。
12時過ぎからの回、館内は70%ほどの入りだろうか。おそらく雨の休日としては空いている方かもしれない。【3/21】

四谷~信濃町~平河町を歩く

2011年03月19日 | ウォーキング
福島原発事故の放射能の心配はあったが、放射能の影響が出るのは何十年も先のこと、私への影響は少ないので出かけた。
以前歩いた時は分からなかった所や見過ごしてしまった大使館のいくつかを訪れた。

地下鉄南北線市ヶ谷駅から歩き始めた。
防衛省                                パラオ共和国大使館
  

四谷消防署と消防博物館[四谷三丁目交差点]
 
  
ちょっと変わったビルがあるので近づくと消防博物館だった。こんな物があるとは知らなかったし、地図にも載っていない。
高い建物が消防博物館で、その右側の低いのが四谷消防署。屋上にへりもあった。10階建ての立派な博物館で、入場料は無料。

韓国大使館

四谷三丁目駅まで戻り、そこから四谷駅までは一駅だったが、地下鉄丸ノ内線で行った。

ここからは四谷駅。
ニコラ・パレ修道院            心法寺
 
下野皆川藩松平家墓                  塩地蔵
 

東チモール大使館                         三遊亭円歌事務所
 

ベルギー大使館
 
イトーヨーカドー本部ビル                      聖イグナチオ教会
 
                                      手前左と右、真ん中奥は上智大学

街角の神社                             マーシャル諸島大使館
 
                                     どの部屋かは分かりません

香運寺                                 本迹寺(ほんじゃくじ)
 

林光寺                                信濃町駅近くの街角で
 

聖徳記念絵画館                            

都営大江戸線・国立競技場駅から青山一丁目まで地下鉄で行った。

レソト大使館 [以前来た時は、ビルの名がわからず、この前を通り過ぎていました。]
  どの部屋かは分かりません。
青山一丁目駅まで戻り、地下鉄半蔵門線で半蔵門駅へ
高橋是清翁記念公園の高橋是清像               カナダ大使館では窓掃除が
 

ベナン共和国大使館
  
地下鉄有楽町線・永田町駅まで歩き、地下鉄有楽町線でJR有楽町駅に出て、JR京浜東北線で帰宅した。

今日は、かなり広い範囲で、電車・地下鉄もあれこれ利用して移動しました。
気温はとても高く、上着を脱いでも暑かったです。
消防博物館があるのは知りませんでした。とても立派でした。
聖徳記念絵画館は明治神宮外苑の広大なエリアの中にあり、まるでヨーロッパの雰囲気でした。
私がよく知らない外国の大使館をいくつか訪れましたが、ビルの入り口が閉まっていて残念ながらビル内には入れませんでした。
ベルギー大使館、韓国大使館は大きく、きれいな建物でした。
地下鉄は、間引き運転のせいか、かなり混んでいました。
しかし、道路は青山通りも、靖国通りなどの幹線道路も車も人も少なく、閑散としていました。
市ヶ谷自衛隊基地は防衛省となりすっかり新しくなり、昔の面影は全くありませんでした。
その防衛省の前の道路が靖国通りというのは奇縁ですかね。
地下鉄都営大江戸線は、地下深く、「事故があった時ここでは助からないな」と毎度恐怖に思います。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

以下、個人的なこと】 今回の大地震後のいくつかの不可解なこと
1.テレビ報道番組からスポンサーの撤退の不可思議
~「商品を買って」とは言えないので自主規制なのでしょう。
 しかし、企業には放送・報道を支える使命があると思うのですが。
 また、非災害時にスポンサーとなるのは商品を買ってもらいたいだけなのでしょうか?
 多くの企業は、普段は「環境に配慮しているか」とか、「社会的使命を果たしているか」とか気にしているでしょ。
 こんな時だからこそ、企業はスポンサーになって報道や安否情報を伝えたりで、支えるべきではないでしょうか。
 宣伝・販促を控えたければ、企業名だけでもさりげなくつたえれば良いと私は思うのですが。
 大企業はやはり建前だけの、「エコ派」、「社会派」だけなのでしょうか。
2.広告メールも自粛
~普段はかなり頻繁に送られてくる、広告メール・メールマガジンもほとんどなし、です。
 メールチェックして、「あれれ、メールゼロ」の拍子抜けです。
3.災害時、携帯電話は全く通じず、役に立たず無用の長物でした。
~私は携帯電話は普段はほとんど使っていません。
 非常時・災害時の緊急連絡のためにいわば保険として持っているようなものなのですが、非常時に使えないとは。
4.商店に品物が少ないことについては特別には触れません。
5.これは、不可解なことではないのですが、私の娘は外資系企業に勤めているのですが、
 原発事故のために、希望者には名古屋支店への短期異動があるそうで、本日出立しました。
 ウィクリーマンション、交通費などは会社負担だそうです。
 「名古屋近くは、浜岡原発もあるし、中部地震が起こるかも」と私が言ったら、「また、移動すればいいでしょ」との返事であった。
 だが、日本は「原発列島」である。
6.今日、地下鉄を利用したらあちこち「節電」で、すごく暗かったです。
 通常が明るすぎるのです。「節電」の大号令があると極端に電気を消してしまうのです。
 もし、このために転んだりして怪我したら、「転んだ自分が悪いのでしょう」ね。
 エスカレータも止まっていました。
 障害者・高齢者は外出するなと言うことなのかもしれませんね。
 「計画停電」も東京都の中心ではほとんど実行していません。
 この著しい不平等は不公正過ぎます。政治家の人々は、庶民の暮らしを知るよしはないのかも。

人災・福島原発事故

2011年03月16日 | 雑談
私のブログにはそぐわないのは承知しているのだが、福島原発事故について少し書いて置きたい。

極めて危険で困難な状況下で、多くの労働者が自らの命を削って作業していると想像し、頭が下がる。

だが、福島原発の危機的状況は「人災」である。
現在の福島原発事故の全ての要因・源は電気が無いことである。
電気を作り出す施設が電気がないために困難に陥っている皮肉さ。
原発内部は、常に水で覆われていなければならない。
その水は、使い捨てではあまりにコストがかかりかつ危険なので冷却して循環して使う。
そのためには常に電源が必要なのだが、地震で停電となった。
停電になると自家発電装置が作動するシステムなのだが、これも作動しなかったという。
自家発電装置が壊れ、作動しなかったのはまさに人災である。
この時点ではとにかく冷却水を送る電源の確保に全力を上げるべきなのである。
私には、どのようなことをしたかは分からないが、
自衛隊や米軍や中国軍に非常発電装置・船はないのであろうか。
彼らにそれがあればその提供を求めたのであろうか。
電源確保の初動対策の失敗が現在の極めて深刻な危機を生み出し、刻々とそれを拡大させている。
電源がなくなって以降の福島原発事故は「人災」以外の何物でもないである。
一番の責任は東電にあっても、それを放置した政府といわゆる原子力の専門家の責任は計り知れない。
テレビのマスコミに出演したほとんどの専門家は「大事には至らない・落ち着いて」のコメントだけであった。
詳しい名前は覚えていないが、テレビ朝日に出ていた東京工業大の教授だけが、情報の公開要請と的確なコメントをしていた。
原子力資料情報室の記者会見だけが警鐘を鳴らしているが、2時間以上もだらだらしゃべっていた。
一番の責任は、政治・政府にあって、「命がけでやる」といった菅政府は口だけで、危機管理能力はゼロであった。
原子炉の自家発電装置が作動しないことが分かった時点で、集中管理するべきであった。
事態の正確な把握も出来ていなかったし、それ以上に危機意識すらなかったのだと思わざるを得ない。
今からでも遅くはない。
現場とホットラインを結び、情報を一元的に集中し、最悪の事態に備えて万全の措置を講じるべきだ。
私は、素人考えだが最悪の大爆発を避けるためには炉全体の散水も考慮するべきだと考える。
それは放射能に汚染された大量の水を周囲・海に流すことになるので非常に危険だが、
メルトダウンよりはましだと思うから。
ヘリコプター等が足りないなら、米軍・中国軍等に援助を要請すればよい。
チェルノブイリでは最終的にはコンクリートと鉄で全体をそっくり封鎖した。
そもそも炉周辺の水蒸気量計・水位計・温度計などは現在も作動しているのだろうか、
それともはもはや破壊されていて計測できていないのか、いずれにしてもそれらの情報を公開するべきだ。
モニタリングしている場所はどことどこで、そこでの数値を経時的に公開するべきである。
そのうえで各自治体も測定している様だが、その数値を一元的に集約し公表するべきである。
使用済み核燃料が原子炉施設の上部になって、その冷却も出来ていなかったなんて信じられない。
おそらく、定期点検中と言うことで安心しきっていたのだろう。
使用済み核燃料も長期間にわたって冷却が必要なのにである。
東電HPで以下の『柏崎刈羽原発リアルタイムデータ』のみ発表している。福島原発についてのそれはない。

ここに記されているのと同種のデーターを福島原発についても公表するべきであり、
計器が壊れていて測定できないならそのように公表するべきである。

計画停電について
海江田大臣は記者会見で東電の計画停電計画をそのまま認め国民に節電を呼びかけ、蓮舫節電大臣の任命が紹介された。
海江田大臣がまずするべきは、節電のお願いではない。
求められているのは国として、不足する電力をどう供給するのかと施策だ。
東電管内のこれまでの電力の通常の経時的供給量・需要量が福島原発事故によって供給能力がどれだけ減るのか、
そして中部電力など他の電力会社からの援助はどの位か、家庭や社会での節電はどの位見込まれるのか、
その上で電力供給量がどの位足りなくなるのかすら明らかにしない無策無為である。
ほとんど思考停止状態である。
東電は計画停電の発表時[3月14日]、翌日の18時から19時の供給量は3300万kw、需要量は3700万kwと発表した。
一番消費量が増えると予想される18時から19時の需要量の約一割=400万kwの不足が予想されるのであって、
そのことは常時に電力不足が生じているのではない。
つまり、最高消費電力が予想される時間帯に社会全体が1割りの節電をすれば、停電は起きないのである。
それ以外の時間帯に節電しても停電を避けることとの直接的関係はないのに、である。
東電は、15日は当初予定した計画停電しなかったが、停電は起きなかった。
実際の供給量・需要量はどうであったのかを公表するべきである。
おそらくそのデータは調査すらしていないのではないだろうか。
計画停電はまるで、節電された電気は蓄積されて後の時間に使われる様な錯覚を与えている。
仮に計画停電するにしてもピーク時だけの計画停電だけで良いはずである。
私は、東電の計画停電計画は実は「目くらまし」作戦ではないかと思う。
被災地は大変なのだから、国民は我慢しろ、そして原発の現状から目を背けて、という目くらまし作戦ではないかと思ったほどだ。
この計画停電措置は、市民生活・経済活動に多大な影響を与える。
この措置が長期にわたれば、零細企業や経営基盤が強くない中小企業の経営を圧迫すること確実である。
政府は、東電だけにまかせるのでなく、国家的規模での施策をするべきである。

日本政府は、上記二点において無為無策、すでに統治能力を喪失している。

現時点で一番信用できると私が思っているのは、原子力資料情報室で、そのホームページは原子力資料情報室です。

【この私の思いは、このブログにそぐわないこと私は十分に承知しているが書き残しておきたい。】
その他の原発事故に付いての感想は、
渋谷から六本木を歩く の記事の最後にもあります。
また、四谷~信濃町~平河町を歩くの記事の最後にもあります。
また、浜松町・旧芝離宮庭園の記事の最後に少しあります。

渋谷から六本木を歩く

2011年03月13日 | ウォーキング
東日本巨大地震の翌々日、都内の繁華街を歩いた。[3月13日]

JR渋谷駅から地下鉄六本木一丁目駅間を歩いた。
渋谷駅前は驚くほど人が少なかった。
六本木通りから渋谷駅を撮った。
 

常陸宮邸                               國學院大學の白根記念郷土博物館
 
[手前の植え込みを越えたら警察官が来て、ここに入ってはダメ、でもここは公道です。]
ブルキナファソ大使館
 
ブルキナファソ国については知らなかった。アフリカの西部に位置する国で旧国名はオートボルタと言う。
第二次大戦後一時期社会主義路線を取っていた。

スロヴェニア大使館
 

高樹町交差点で長崎で被爆したクスノキの種子から育てた木という。     
 

曹洞宗・永平寺別院長谷寺 山門の右は観音堂[地震の影響で中は入れない] 以前訪れた時撮った麻布観音
 
本堂
  
僧堂
  

根津美術館                                  ジャズのライブ店Blue Mote
      

ベネズエラ大使館他が入っている
  

タジキスタン大使館
  

オイスターのレストラン[六本木交差点付近、明治屋の近く] 地震の影響で客がいないと言っていた
 

六本木交差点、日曜の昼過ぎなのに人影がほとんどいない     六本木ヒルズビル
 

サウジアラビア大使館
 

泉ガーデンタワービルの脇にこんな物が
 

実は、昨日もこのコースを歩こうと出かけたのだが、京浜東北線は徐行運転で3駅行くのに20分もかかり、
他の路線も通常の3~5割の運行で、ターミナルは大変な混雑なので引き返して、帰って来た。
一変、今日は電車はガラガラ、繁華街も人通りはほとんどいない。
普通の日曜の渋谷駅構内などは人とぶつかりそうなほど混んでいるのだが、人影は本当に少ない。
渋谷駅前の通りなども車も人もまばらで、多くの店が閉じていた。
  
日曜の洋菓子店アマンド前と言えば通常では大混雑なのに、今日はこんなであった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

【以下は、全く個人的な感想】
福島第一号原発の事故は、チェルノブイリ・スリーマイルの事故に次ぐ大事故である。
政府の危機管理はまことに遺憾である。
徹底した情報の隠蔽・事故隠しである。
水素爆発してから3時間も経ったにもかかわらず、「調査する・あわせないで」だけしか言わない。
そもそもどうして自動冷却装置が作動しなかったのか、
自家発電を試みたが出来なかったのは何故か、
爆発して建屋が破壊されたのにその映像をどうして公開しないのか、
どの位の損壊が生じたのか、
炉心が高熱になって、溶解・爆発の危険が生じた時点でどうして海水を使っての冷却をしなかったのは何故か、
モリタリングの定点観測地はどことどこで行われ、数値の変化はどうなっているのか、
派遣されている職員はどこで何の作業していて、そこと連絡は取れているのか、
そこと危機管理室はホットラインで結ばれているのか、
というような点について全く情報が提供されないし、マスコミも全く追求しない。
全てを想定していた以上の大規模地震と言うことのせいにして、対策の不備を逃れようとしている。
わかっている事実を余すことなく隠さず伝えることが何にもまして優先されなければならない。
全国の原発を直ちに止めて、総点検をするべきである。

災害時に弱く、役立たない「携帯電話」と言うのも奇々怪々。
何かの下敷きになって動けない被災者が助けを求めようにも使えない携帯って、なんなのか。
携帯会社はこの点について責任があるはずである。

高崎を歩く

2011年03月06日 | ウォーキング
少し遠出をして、群馬県高崎市西側を歩いた。[3月5日]

高崎は、浦和駅から電車でほぼ1時間30分。
JR駅高崎駅から市内を巡る期間設定コース『ぶらり中山道高崎宿』が、作12月から3月までの間、行われている。
これは、JRの『駅からハイキング』の一つで、高崎駅のビレッジセンターで受付すると、マップと缶バッジがもらえる。
通常の『駅からハイキング』は、JRの各駅主催で一日だけ行われるイベントで、
1000人、2000人ほどのたくさんの人々が、道路いっぱい歩行・交通信号無視の傍若無人で、とても耐えられないもので、
私は久しく参加していないが、期間設定コースはこのイベントはちょっと違うので良いかなと思った。
ビレッジセンターの受付簿ではこの日の参加者は二人だけであった。
以前、高崎市内は歩いたことがあるが、この「駅からハイキング」に私好みのお寺散策を加味したと言うわけ。
高崎市内は、土曜日のせいか人通りは少なかった。

高崎駅                                 延養寺
 

興禅寺 このお寺の境内は変わっていて、右の門をくぐると、すぐ道路・公園でその先に本堂のある境内となる。
  

向雲寺                                 永代供養塔・さら          生類供養塔
  

光明寺
 

竜広寺                                 豊川稲荷
 
元ロシア兵士の墓[日露戦争でロシアの捕虜500名が高崎市内の所々に抑留され、内3名が病気で亡くなったという]
 
高崎市内に陸軍の駐屯地があった。

頼政神社                            内村鑑三の碑              高崎観音[利根川の支流烏川の先の丘陵に]
  
高崎出身とは言え、キリスト教徒の内村鑑三の碑が神社の境内にあった。面白いので写してきた。
「上州無智亦無才 剛毅木訥易被欺 唯以正直接萬人 至誠依神期勝利」

高崎公園                  白モクレンの木
 

旧高崎城堀                             将軍の孫の像[後ろは高崎市役所]     ハープの泉
  

諏訪神社                                高崎城乾櫓
 

群馬音楽センター                         洒落た電話ボックス
 

玉田寺                                高崎神社[右の赤い屋根は美保大国神社]
 

惠徳禅寺                     三途川婆(しょうづかばあ)さん石仏[口・鼻・のど・胸などの病気に効くと言われ、すり減っている]
  

長松寺[高崎高校発祥の地]
 

茶の古豪商・水村園                          街角の猿田彦大神
 

成田山光徳寺
 
                                     寝具の金澤屋
        

法華寺                                何かのお店か
 

正法寺                                 法輪寺
 

本元寺                                 善念寺
  

糀屋[漬け物やこうじを使う店]
 

大信寺              徳川三代将軍家光の弟・忠長の墓[乱行があり、自刃させられたが、相続争いの説もある]
 

安国寺


高崎市には昔、高崎藩・高崎城があった。
江戸時代広大な敷地であった城地の多くは、大日本帝国の軍隊がその地を引き継いだ。
高崎城も同様で、高崎市は軍都と呼ばれ、太平洋戦争末期には米軍の空襲を受けて、町の多くが焼け出された。
今日の町は、碁盤目状で古い町並みはあまり残っていない様に感じた。
人口は30万人ほどで、今日歩いた線路の反対側にも街並みはあるが、日本では決して大都市、広いとは言えない。
城下町であったためか、曹洞宗のお寺が多かったが、松平忠長の墓がある大信寺は浄土宗のお寺であった。
高崎市役所の建物はあまりも高層・巨大でまるで城の天守閣の様で異様で、町を圧迫している様だった。