風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

築地あたりから神田を歩く

2011年02月28日 | ウォーキング
昨日[2月25日]は4月中旬頃の暖かさで、今日は気温が10度位でちょっと寒かったが出かけた。

新橋駅を出てすぐ、ビルに囲まれて烏森神社がひっそりとあった。   コソボ大使館[ビルは閉まっていて中に入れなかった、14階]
            

新橋駅前の高層ビルの脇に日比谷神社[元は日比谷公園内にあったという]、左は日本テレビ、右は共同通信のビル
 

ゆりかもめ新橋駅                          銀座柳の碑
 

手水鉢跡
 

街角にこんなオブジェが                               築地市場前に朝日新聞東京
  

築地市場周辺の市場街                           
 
ここは、築地市場の中ではなく、周辺のお店であるが、ちょうど昼時で、ものすごい混雑であった。
ソウルの市場の様な混雑であった。中でも食堂、特に寿司屋は行列が出来ていた。
観光バスのツアーで来ている人、そして外国人もたくさんいて、韓国語や中国語も飛び交っていた。 

稱揚寺                                 妙泉寺
  

アルバニア大使館[ビルは閉まっていて入れない]4階窓に国旗が
 

法重寺                  善林寺
 

築地本願寺[浄土真宗]                       本堂内は大きな葬式の準備で本尊等は見られなかった。
 
中に大きなパイプオルガンがあった。
 

地下鉄築地駅から八丁堀駅までは駅一つだが、地下鉄に乗った。

玉円寺
 

坂本小学校[第一大学区第一中区第一番官立というのは珍しいと案内板にあった]      大原稲荷神社
           

出世証券という珍しい名前の証券会社   イスクラ産業というこれまた珍しい名前の会社          開運橋跡
  
イスクラ[火花]とは、ロシア革命の時レーニンが出していた新聞の名前。イスクラ産業は漢方関係の会社らしい。

於竹大日如来井戸跡
 

宝田恵比寿神社                身延別院                               油かけ大黒天
  

千代田区立十思公園
石町時の鐘                      松陰終焉の地の碑
  
伝馬町牢屋敷跡
 

大安楽寺
  
ここから、JR神田駅まで歩いて帰宅し、スポーツジムに行ってお風呂に入った。
吉田松陰は伝馬町牢で処刑されたが、その屋敷跡がこの十思公園にあり、その公園がここにあるとは知らなかった。
処刑後葬られた松陰の墓石は、小塚原回向院(東京都荒川区)に残っている。

また、死した後、神とされた松陰を祀る松陰神社が世田谷区若林にあり、墓所もある。私が訪れた時のブログは、松陰神社に。
   以下は、そのブログから
   
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【以下個人的なこと】
一年前、友人の I さんが亡くなった。
神田駅の居酒屋で、友人達と彼を偲んだ。
彼は仏教徒ではなかったが、私がこの日、浄土真宗の築地本願寺にお詣りしたのは良かったと思う。
友人が、一人、また一人とその一生を終えていく。

映画/冬の小鳥・トロッコ

2011年02月24日 | 映画

文句ない秀作である。
原題は、"Une vie toute neuve"、フランス語で「全く新しい命」と言う意味らしい。
私は、この映画が韓国・フランス映画とは知らなかった。

冒頭、父親らしき人物の運転する自転車に乗せられている幼い女の子・ジニの二人の姿がかなり長い間映り、
その後、買い物をし、食事をし、そして二人で食べるには大きすぎるケーキを買うシーンが続くのだが、
自転車を運転する男の顔は映し出されない。
農村を走っていた車から出て来た少女が田んぼの片隅でおしっこをし、車に戻る時真新しい靴がぬかるみにはまって汚れてしまう。
この冒頭のシーンは、これからジニの身の上に悲しい出来事が訪れることを予感させる。
ジニは、児童養護施設に置いて行かれる。
その時初めて父親の顔が短い時間映される。

以下は、監督・脚本のウニー・ルコントの言葉。
【脚本は、私の母国語である韓国語で書かれるべきでしたが、私はすっかり言語を失っていました。
フランス語で書くことになりましたが、私は映画という共通言語で書くことを信念としていました。
それこそが私のハンデを補ってくれると信じていたからです。
『冬の小鳥』は、私が過ごしたカトリック系の児童養護施設での体験に着想しています。
自伝的な要素を消し去ることは困難でしたが、同時にただ記憶の再現にとどめる気も全くありませんでした。
捨てられ、養子にもらわれていくという途方もない状況に面した少女の感情を、現代にも通用する形で表現したいと思ったのです。
二つの人生が交差したあの日々。諦めることを学ぶ必要もなかったそれまでの人生と、限りなく切望することを知る人生。
その二つの結び目をしっかりほどいて見せることは、映画でしかできないと思ったのです。
私はどのように施設に行ったのか覚えていませんが、ジニのように家族が私を迎えに来るのを期待して、心うつろに待っていた記憶はあります。
あの時抱いていた一縷の希望は、生涯忘れることができません。
この映画は、捨てられた子供が感じる怒りと反抗、子供は受動的な存在ではなく、喪失感や傷を感じられる存在なのだということを描いています。
「養子」の話ではなく万人が理解できる「感情」についての映画です。
ジニはたった一人世界に取り残されてしまいますが、そこから新しい人生を生きていくことを学びます。
これは愛する父親を失ったからこそ学びえたことです。今の私の人生があるのも、両親が私を捨てたおかげです。
同時に「どうして親が子を捨てられるのだろうか」という問いかけも数え切れぬほどしてきました。
ありがたみと捨てられた痛み。実の両親を思い浮かべると、コインの裏表のような感情が複雑に交差します。
実父にこの映画を観てほしいとは思いますが、捜してまで会うつもりはありません。
今まで父が私を訪ねてこなかったのは、父には別の人生があるということですから。】

この映画には、悪人・意地の悪い人は登場せず、暴力やいじめや嫌がらせのシーンも全くありません。
また、ものすごくドラマティックなストーリー展開もありません。
児童養護施設の日常の生活をまさに坦々と描きます。
子ども達が一人、また一人と養子となって施設を出て行きます。
もうすぐで青年になるイェシンは施設を出て行かなければならないのだが、彼女は足に障害を持っている。
彼女は施設に出入りする青年に密かな想いを持っていて、彼に思い切って告白するのだが振られてしまう。
死にきれなかった彼女は、仲間の子ども達の前で謝罪をするのだが、子ども達は笑い声をあげる。
誘われる様に笑い声になった彼女は、老いた夫婦に家政婦のように引き取られる。
このエピソードはこの映画のクライマックスでした。
彼女たちの人生は、自分が選んだものではけっして無く、彼女たちには何の責任もないのだが、
それは個人ではどうにもしようのないほど重たい現実で、理不尽・不条理としか言いようがないのだが、
彼女たちは、ウニーさんが言う様に、新しい人生を能動的に生きていくのです。
そして、「今の私の人生があるのも、両親が私を捨てたおかげです。」というウニーさんの言葉は重いです。

子ども達が養子にもらわれていく時、施設の子ども達は"蛍の光"を歌って送り出すのですが、
その時の表情・笑顔はこの上なく素晴らしいです。
この表情を引き出した監督・カメラ等のスタッフと大人のキャスト達はすごいです。
私は、このシーンだけでもこの映画を見る価値はあると思う、と言うのは私の言い過ぎでしょうか。

これは、スチール写真ですが、映画のシーンはもっと素敵です。
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原作は芥川龍之介の『トロツコ』というが、それは正確ではないと思う。失敗作である。
私は、芥川のトロツコはもう覚えていないが、舞台は台湾では無いと思う[違っていたらごめん、です]。
すでに使われなくなったトロッコで遊んだ郷愁を題材にしているというだけで原作というは、
芥川の名を借りて宣伝する手立ての様な気する。
映画の舞台は、携帯電話の現代であり、敦一家は若くして無くなった台湾人である父親の遺骨を台湾の祖父の元に届ける。
そこにトロッコがあり、トロッコで遠出する。
旅行作家を仕事とする母親は、台湾人と結婚したとは言え、ずっと日本で生活してきたのに中国語がぺらぺらである。
祖父は、日本の植民地政策である創氏改名で日本名を名乗り、帝国陸軍に入隊した経験を持つ。
この植民地政策とその後の日本政府の不誠実な責任の問題が、あたかもこの映画の主題のよう、である。
敦達兄弟は自分たちだけで勝手にトロッコに乗ったのではない、
そのトロッコの持ち主で林業を営む青年に促され、勧められて乗ったのである。
寂しくなった兄弟が泣きながら帰ると言いだした時、そこはもうかなり山奥で、夕方が近づいているのに、
その青年が彼らの後を追わないで、彼らだけで帰すなんて信じられないストーリー展開で、
このあまりに嘘っぽいスクリプトに私は、あ~ぁと思うのでした。

浅草橋を歩く

2011年02月20日 | ウォーキング
浅草橋駅一帯には、雛人形や武者人形などの人形屋、ビーズ屋、女性のファンシー小物などの問屋や小さな店がたくさん並んでいます。
 
ブライダルの小物屋                筆など
 



銀杏岡八幡神社                            須賀神社
 

浅草蔵前・天文台跡の碑                          銭湯・梅の湯
 

法林寺                                 西福寺
 

長應院                                 浄念寺
 

龍寶寺                                 厳念寺
 

信入院                                 無量寺
 

鳥越神社                                 蓬莱園跡[旧平戸藩主松浦氏の屋敷跡=今は忍岡高校敷地]
 

コンゴ民主共和国大使館
  
コンゴ大使館への地図を途中で落としてしまい、仕方なく、駅近くの交番で聞いて訪れた。
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浅草橋を歩く前に、目黒駅前と田町駅まで足を伸ばし、これまで行き忘れていたいくつかの大使館を訪れました。
目 黒                          マリ共和国大使館
       

田 町
御田八幡神社
  
笹川記念館
 
モザンビーク大使館[6階ベランダに国旗が掲揚されています]
 
ボツワナ大使館[6階のエレベーターの扉が開かず入り口にはいけませんでした。]


晴れるとの天気予報だったが薄曇りであった。だが、寒くも無く暖かくもなくちょうど良かった。
過日目黒を訪れた時、マリ大使館は見落としてしまったので立ち寄った。
モザンビーク大使館・ボツワナ大使館もそうであった。
電車にたくさん乗った。京浜東北線・山手線は空いていたが、総武線はすごく混んでいた。
浅草橋を訪れたのはずいぶん久し振りだ。大昔の浅草橋の記憶は全く無かった。
土曜日のせいか、閉じている会社や店が多く、人通りは多くはなかった。
それでも一風変わったきらびやか女性の小物やビーズのお店がたくさんあって楽しそうではあった。
私には入る勇気は無かったが。
浅草橋駅の北側一帯の道路は、かなり広く五番目状であった。
それは東京大空襲でこの一帯が焼失し、戦後、街が再建されたためではないだろうかと思った。
京浜東北線の電車の中、上野駅あたりでスカイツリーが見えました。
ちょっと前までは気がつきませんでした。                           [2月19日] 

映画/毎日かあさん

2011年02月17日 | 映画

先週末から天気が悪かったのでウォーキングに行かず、映画を見た。
「毎日かあさん」は西原理恵子原作の漫画で、毎日新聞に連載され、テレビでアニメ化され、以前山田優でドラマ化もされた。
その絵は、決して上手くきれいではないのだが、単なるギャグでもなく、かなり独特の世界を持つユニークな漫画で、私は好きである。
映画公開前、毎日新聞紙上では小泉今日子のエッセイ風連載記事も出るなどかなり宣伝されていた。
主演している永瀬正敏は、特に理由は無いのだが、私が好きな俳優の一人だ。

おそらく、山田洋次監督の「息子」、「学校2」、「隠し剣 鬼の剣」などの影響が強いのかもしれない。
今回もとても良かった。
だが、残念ながら映画は失敗作であった。
現在の原作はかなりユニークな子育ての話で、テレビでは夫・父親のカモシダはまだ生きていて、しきりに登場する。
映画では、かつて戦場カメラマンだった西原の夫・カモシダのアル中騒動が主になってしまった。
前半は型破りな二人の交際や子育てでかなりコメディタッチで面白いのだが、後半は一挙にシリアスになってしまう。
私は、コメディタッチの物語を小気味・テンポ良くもっと長くし、アル中騒動はもっと控えめにすれば良かったと思う。
だって、この映画にシリアスさは求めない、と私は思うのです。
アル中の失敗話を軽妙に笑い飛ばすのだが良いんであって、アル中の解決策を求めて映画館に来ているんじゃないでしょ。
酒は飲まずにはいられないでしょ、でもアル中になったらそれは病気だから専門的に治療しようね、で良いと思うんだけど。
NHKのテレビドラマ、漫画の“連れが鬱になりまして”が良かったのもシリアスなんだけど「軽く」扱うのが良かったと思う。
小泉が、失敗する永瀬やブンジをひっぱたく場面は、自然に手が出ている様にほんとにたたいていてよかったし、
永瀬の子煩悩ぶりはまことに自然というか上手く、最高でした。
この"幸せさ"がほおずりしたくなるほど・いとおしいく心温まるだけに、あぁこれが壊れて行くんだなという予感が怖かった。
テレビアニメでは娘・フミはまだとても幼く、会話もままならない。
フミを演じる声優藤井結夏のオトッシャン・オカッシャンのシャンの台詞はとてもかわいらしく、耳に心地よく、
彼女の人気はブレーク中らしい。
映画ではそれがあまりに多様・連発され過ぎ、そのかわいさは減退を越えて、耳障りになってしまったのも失敗でした。
漫画・アニメのブンジはとてもユニークなキャラクターで愛くるしいのだが、映画でその味を出すのも難しかったですね。
つまり、私は期待が大きかっただけに、映画の出来としては感動が小さく、私には期待はずれだったと言うことでしょう。
映画の最後、癌に冒されたカモシダは、それまで忘れてしまっていたカメラを取りだし、日常を撮るシーンは出色でした。
私は、永瀬が実際に撮っているなと感じて見ていました。
すると永瀬が撮影したとのコピーが流れ、その写真がモノクロで紹介、映されました。
それらは良い写真でした。
撮影する永瀬は、ほとんど泣いていました。
それは演技を越えて、彼が死を間近にしたカモシダになりきっていたからだと思います。
元夫婦だった永瀬と小泉が夫婦を演じていました。

映画/トイレット・オカンの嫁入り

2011年02月11日 | ウォーキング

面白かった。
外人と結婚した日本人の母が死んで、ひきこもりのピアニストの兄、プラモデル・オタクの弟、勝気な大学生の妹が残された。
日本人の祖母が彼らと同居することになる。
そのばーちゃんは長時間トイレを占領し、出てくる度に溜息をつく。
彼女が英語をまったく話せないという設定には無理があるというよりナンセンスではあるが。
彼女は「日本のテクノロジーの粋=ウオシュレット」が無いトイレに溜息をついているだけなのに、
溜息には何か深い哲学的意味があるかの様な思わせぶりな脚本はあまりに不自然・イヤミである。
もたいまさこの芝居もわざとらしくイヤミである。
パニック障害の兄、オタクの弟という設定も映画を造るためのあまりに作為的設定という感じがする。
でも面白かったのは、四人のすれ違いと勘違いと日本人向け英語にあるのでは、と思う。
英語を解せないばーちゃんは、つまり映画鑑賞者である一般日本人の代表=投影であり、
英語の台詞は、我々にも聞き取ることの出来るようにゆっくりかつ易しい英語なのである。
でも、映画の終わりにパニック障害の兄がそれを乗り越えてしまうのはあまりに安易すぎ。
映画の途中から、映画館館内で笑い声が頻繁に起きたのがとても良かった。
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これも面白かった。
監督の呉美保さんは知らなかった。
名前から在日かなと思い、調べたらそうであったが、それに特別なことはない。
こちらのストーリー、30代のかっこいい男性と50代女性の結婚というのもちょっと無理がある。
宮さきあおいはへたくそで、大竹しのぶは上手かった。
國村隼以外の出演者が大げさな芝居の中、彼だけが控え目で静かで味があった。
だが、医者の國村に頻繁に煙草を吸わすのには何か特別な意味があるのだろうか。
彼に煙草を吸わす意味は全く無いと私は思って見ていた。
宮さき=月子は職場でセクハラ・パラハラを受けて電車に乗れなくなるのだが、
会社はその上司を有能だからと言って彼を擁護するのも変である。
彼は首にされたのだが、月子は職場に行けないと言う筋の方が良いと思うのだが。
町中で月子と陽子が自転車に二人乗りしたりするのもいただけない、違う演出方法があるだろうに。
月子は娘、陽子は母親、月と太陽からのネーミングにも意味があったのだろうか。
かつての日活ポルノスター・絵沢萠子の大家は小気味よく、良かった。

久し振りのマイナーな日本映画であったが、楽しかった。


平林寺/新座・朝霞を歩く

2011年02月06日 | ウォーキング
平林寺から北朝霞駅までを歩いた。
JR武蔵野線北朝霞駅=東武池袋線朝霞台駅[一度駅内を出るがその間は100m位]前からバスで平林寺まで行き、そこから北朝霞駅まで戻った。
平林寺一帯は、新座市内にあり、野火止と言われる。

平林寺境内は、とても広く、幅約550m、長さ850mもある。一部敷地を新座市に寄付したので昔はもっと広かったらしい。
臨済宗妙心寺派のお寺である。臨済宗は禅宗の宗派である。[500円]
日本の禅宗には、臨済宗・曹洞宗・黄檗宗の三派があると言われ、
臨済宗は武家社会の権力者、曹洞宗は一般武士に支持され・黄檗宗は中国の伝統を大事にしている、と言われる。
私にはその違いがよくわからないが、私にはそもそも禅宗は仏教の一宗派なのかという根本的疑問も私にはあるのだが。                                

総門

山門
  
経蔵                                   戴渓堂
 
仏殿
 
中門                                   本堂
 
鐘楼                                  梅が咲いていました。
  
僧堂への門                                                              片割れ地蔵
   
放生池                                  半僧坊
   
松平家墓所                                松平信綱墓
 
廟所参道[未公開]

風呂場と納屋
 
歴代塔所(たっしょ)
 
業平塚
 
野火止塚                                林の中を走る狸が目に入りカメラ向けたが映らなかった
 
武田信玄の娘の墓               夏目漱石草枕のモデルの人の墓
  
島原の乱供養塔                            平和観音
 

ここから、北朝霞駅までゆっくり歩いた。
真功寺


東福寺
 

一乗寺
  


泉蔵寺                                   軽自動車販売のおもしろ広告[川越街道]
   

以前平林寺に行った時はパンフレットが無かったが、今回はきれいなのが出来ていて、境内がよくわかりました。
武蔵野線の新座駅から平林寺までは3kmあります。
北朝霞駅から東久留米行きの西武バスで行くこともで来ますが、バスは1時間に二本ほどです。
黒目川は大きな川ではなく、少し流れは急ですが、とてもきれいな水です。
この近辺では一番きれいな川だと私は思います。
穏やかで暖かい日射しでした。
平林寺で出会った人は10人もいませんでした。             

映画/闇の列車、光の旅・ペルシャ猫を誰も知らない

2011年02月03日 | 映画
予告遍を見て、ぜひ見たいとは思わなかったのだが見に行った。佳作とは言えないがけっして駄作では無かった。
「闇の列車、光の旅」だけ見て帰ろうと思っていたのだが、「ペルシャ猫を誰も知らない」も見た。


私は中米についてまるで知らないので、この映画が中米の実態をどれほど正確に描いているのかはわからない。
しかし、真実の一部は反映されているのだろうと思う。
貧困とそこから来る、アメリカへの憧れと子ども達がギャング・マフィアに流れていく、そんな事情である。
ギャングのちんぴらカスペルは組に秘密にして女友達とつきあっていた。
そのことを組のリーダーが知り、襲われた彼女は事故で死んでしまう。
だが、カスペルにはなす術がない。
一方、ある人々はアメリカに行きさえすればここよりはましな生活が出来るとアメリカへの脱出に希望を托す。
だがそれは命がけの旅でもある。
カスペルとリーダー達は、貨物列車の屋根の上に乗ってメキシコを通ってアメリカへの脱出を試みる人々を襲う。
リーダーが少女・サイラに暴行しようとする。
カスペルはとっさに彼の首にナタを振り下ろし、彼を殺害してしまう。
こうしてカスペルは組に追われることになる。
助けられたサイラは彼と逃避行を共にすると言うストーリー。
虐げられたもの同士が、より弱いものを襲い、痛めつけるという出口の見えない悲惨さだ。
それはあまりに不条理で絶望的だが、おそらく現実の縮図なのだろう。
逃避行を続けるカスペルには一縷の望みもないのだが、彼の表情が次第に穏やかになってくるのが印象的であった。
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見ないで帰ろうと思っていたのだが、見始めたら結構面白かった。
現代音楽がそれほど好きではない私には、流れる音にかなり騒々しさを感じたのだが、
礼拝を呼びかけるアザーンのような音楽や、穏やかでしみじみした音楽も流れてこちらは良かった。
ネガルとアシュカンの男女は、国内ではこの種の音楽活動が禁じられているので外国に脱出しようと計画している。
彼らに共感し、手を差し伸べる音楽仲間の素朴な優しさがこの映画をさわやかに穏やかにしている。
臭い牧場で音楽の練習をし、牛の乳の出が悪くなったと言われるシーンには思わず笑ってしまう。
アパートの住民が警察に通報するので、ただひたすら彼の外出を待つ彼らなのだが、彼を決して非難はしない。
この種の音楽活動をすると逮捕されることが真実かは私は知らないが、彼らが悲壮さで音楽するのでなく、
ただ音楽したいだけなんだと穏やかに語る彼らはしなやかで強いなと思った。