風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

秋葉原~湯島聖堂~神田明神~湯島天神を歩きました。

2017年08月29日 | ウォーキング
神田明神
8月28日、愛用しているコンパクトカメラにゴミが入って久しくなり、修理に行きました。
秋葉原にパナソニックのパソコンとカメラの持ち込み修理所があります。
簡単なのはすぐ修理してくれます。終わるまで、秋葉原と周辺をウォーキングしました。
秋葉原のメイドカフェやフィギュアなどの新スポットのいくつかを行こうと思ってあらかじめ調べたのですが、
よくわからない上にあまり興味が無いので真剣には探さず、ほとんどわかりませんでした。
ウィークデーの日中というのに、大変な人混みで、外国人も非常に見かけました。

10時過ぎ、パナソニック秋葉原修理センターで修理受付を済ませました。完了後携帯にショートメールが届きます。
今日は、いつものカメラではなく、サブカメラで撮ってきました。
秋葉原の駅構内の様子
 
講武稲荷神社                   秋葉神社
 
mAAch ecute(マーチエキュート)=神田 万世橋、旧万世橋駅等が2013年9月に開業しました。お店と倉庫です。
 
万世橋                      柳森神社
 
神社内力石
 
柳原土手跡                    秋葉原の街並み
 
  
 
花房神社、ビルの間、人一人がやっと通れる狭い路地の中にあります。

湯島聖堂
 
 
以前は、建物の中に入ることが出来たのですが、今日は閉まっていました。
ニコライ堂、本堂内は午後1時からでした。
 

東京医科歯科大学                 聖橋の由来
 
神田明神           随ノ神門
 
大黒天
 
恵比寿天
 
神田明神境内江戸神社
 
国学発祥の地碑                  銭形平次碑には笑ってしまいます。
 
神田明神御神殿                  獅子岩
 
天水桶と狛犬                   遠藤家店舗と住宅
 

嬬恋神社                     神社内馬頭観音
 
湯島天神
 
天神境内、新派・日時計・ガス灯

心城院・天台宗                   柳の井
 
心城院放生池                   ビルの壁に「神田アート、妙音(山下恒太郎作)」とありました。
 
JR御徒町駅に出、秋葉原駅で降りて、パナソニック店で修理が終わったカメラを受け取り帰りました。3240円でした。
秋葉原は、かつての大昔の雑踏・混沌は今はありません。
所々にある、電機部品のパーツ専門店などにその名残がありますが…。
現在は、平日の昼間なのにすっかりたくさんの老若男女・外国人が行き交う「エキセントリック」な感じの町です。
少し離れると、大きな通りに観光バスが止まっていたりするので、ツアー客も多いように感じます。
少し前は、電機製品の量販店が軒を連ねていたのですが、現在は、若者向けのメイドカフェやガンダム、フィギュア、
ガチャガチャ専門店など目がクラクラするような店や若者向けの食べ物の店の洪水です。
それらが大きなビルなのでかなり儲かっているのでしょう。
ゴミは落ちていないし、過激な性的看板や怪しい雰囲気はなく、「安全」対策に充分気を配っているのを感じます。
しかし、夜はギンギラの電飾で「不夜城」の様な感じかもしれませんが……。
とても良いのは、基幹道路の歩道がとても広いことです。人々がかなりゆっくり歩き、立ち止まって広告・看板などを見たり、
写真を撮ったり、スマホをいじっている人にもぶつからないようなゆとりがあって良いです。
難点は、秋葉原の駅構内と周辺のわかりづらさです。
目的を定めないで一軒一軒お店を冷やかしのように覗いて、ゆっくり街歩きを楽しむのも一興かもしれません。
28℃の予報でしたが、次第に気温が高くり、とうとう汗だくになり、疲れたので帰りました。
【終わり】

映画/Moonlight

2017年08月24日 | 映画

文句なしの珠玉作品です。
タイトル映像は、シャロンの3つの時代を分割して表しています。
この映画は、黒人差別と同性愛、貧困、暴力を巡る問題を扱っています。
登場人物はすべて黒人という「異色」さです。
マイアミの黒人コミュニティに生きるシャロンとケヴィンの二人の黒人の物語です。
二人の児童期、少年期そして成人期の三つの章・時代に分けてエピソードを綴ります。
シャロン

ケヴィン

シャロンは、同性愛の性癖を持っています。少年期、唯一ケヴィンだけが彼を友として接してくれます。

家庭にも恵まれないシャロンは、ある日、麻薬の売人フアンに危ういところを救われます。
このフアンはとても謎に満ちた人物です。
彼がシャロンに近づいた本当の意図は不明です。
始めは、彼の妻が言ったようにシャロンを手なずけ、自分の忠実な手下にするつもりだったのかもしれません。
しかし、沈黙し続け、沈み込み続ける彼の中にかつての自分を見い出し、息子のようにいとおしく思い、
父親のように接したのかもしれません。
フアンを演じたマハーシャラ・アリがオスカーの助演男優賞を得たそうですが、魅力あるフアンでした。
 
思春期に入ったシャロンとケヴィンは、ある晩、ふと海辺で過ごすことになります。
「泣きすぎて自分が水滴になりそうだ」と語るシャロンにケヴィンは不思議な感情に襲われ、二人はキスを交わし、
互いを慰め合い射精するのでした。
 
その翌日、シャロンが登校すると、学校で番を張るテレルは、ケヴィンにシャロンを殴ることを強要します。
ケヴィンは自己を守るために仕方なくシャロンを殴ります。シャロンは倒れても何度も静かに立ち上がるのでした。
倒れたシャロンはテレル達に殴られ続けました。
このシーンは、自分ではどうしようも抗うことのできない二人を取り巻く社会の象徴の様に私には思えました。
翌日、シャロンはテレルをイスで叩きのめし、警察に逮捕されます。
それはテレルから受けた暴力への報復と言うより、かけがえのない友人ケヴィンを悲しませ、彼と別れざるを得なくなった
ことへの怒りと悲しみ、そして新しい人生の彼自身の決意・選択という二つの象徴的シーンだと私は思います。
ケヴィンも些細なことで刑務所生活となり、二人は、「別れの挨拶」無しに別れ、こうして二人は少年期を終えるのでした。
この刑務所生活は、二人のその後の人生を大きく変えます。
シャロンは、肉体を鍛え、暴力的に強くなり、かつて彼が慕ったフアンのようなヤクの売人の元締めとなります。
他方、ケヴィンは、料理に興味を覚え、料理人となり、ささやかな自分の店を持つようになります。
数年が過ぎ、シャロンは唐突にケヴィンから電話を受けます。
シャロンは、その夜、夢精するのでした。そして、シャロンは、ケヴィンの店を訪れます。
お酒を飲めないシャロンでしたが、二人でワインのボトルを数本開けます。

ガラスのワイングラスでなく、プラスティックのコップでした。
シャロンは、「俺の体に触れたのは生涯で一人だけ、ケヴィン、君だけだ」、と静かに語るのでした。
二人の目は、それまでのわだかまりが消え、心底から信じ、求め合うものでした。
この表情を撮影するのにキャストとスタッフはどれほどの時間を要したか、と思われるほど悲しいほど素敵なシーンでした。
嬉しさと憂いと、恋しさと、不安に満ちたとても素敵な目でした。
今、世界では白人至上主義を始め、民族・人種・性・性愛・身体・美醜・貧富・宗教・階級・身分・市民・国籍・地域・など
ありとあらゆることへの差別が横行し、ヘイティスト(この言葉があるかわかりませんが)が跋扈しています。
これらの多くは、個人の力では選ぶことの出来ない先天的・先験的な不条理です。
もちろん、映画はそれらは大問題だ、と叫ぶわけではなく「その克服・解決」を模索・提示するものではありません。
タイトルの「ムーンライト(月光)」とは、暗闇の中で輝く光、自分が見せたくない輝くものを暗示しているも言われますが、
東洋的な「太陽と月」、「陽と陰」も暗示していると私は思います。
上手く表現できませんが、明るい日の光の下の男女と違って、暗闇ではないが皆の前では大ぴらに表せないような…。
また、映画では、様々な「色」が語られました。ブルー、ブラック、ホワイトそしてニガーなど。
私には、その意味・意図はわかりませんでしたが、特別な暗示を示しているように思えてなりません。
女性は、三人しか出てきません。しかもそのうちの一人は、ケヴィンと抱き合うガールフレンドの後ろ姿だけ、
フアンの妻テレサは、すこぶるセクシー美人で、シャロンをまるで息子のように暖かく包み込みます。

シングルマザーであるシャロンの母ポーラは、売春婦のような生活をフアンから買ったクスリでかろうじて生活しています。

右は、クスリと売春婦の生活を止めたポーラ、彼女は訪れたシャロンと和解します。
また、この映画の秀逸は、暴力、セックス、薬物などのシーンをほとんど映像化しない、極めて禁欲的、控えめの表現なのです。
また、細かいストリー・経過も一切省きました。
シャロンの父親は?、ケヴィンの家庭は?、フアンが死んだ経過は?、二人の刑務所生活?とその後は?、
特に成年したシャロンがギャングになる過程、シャロンの母親がクスリと縁を切った経過、などなど。
それらはいずれも物語としては大事なポイントなのですが、それらを描けば長時間となり、冗舌は避けられません。
それらをすべてそり落としました。そうすることによって、かえって物語に深みを増し、観客に想像と思いを
膨らませことが出来たのだと私は思います。
また、映画は、差別やレイシズムなどを一切糾弾していませんし、同性愛を擁護・嫌悪したりもしていません。
決して啓蒙的にならず、説教や価値観・倫理観や自分たちの思いを主張せず、「差別だ」と声も荒げません。
シャロンとケヴィンの二人の黒人の成長と彼らを取りまく環境を風景のように描いているだけです。
そして、ちょっと不自然ですが、不思議なことに救いようのない絶対的悪・悪人が登場しないことです。
そこには、、自分たちは価値観や思想が分かれる微妙で難しい問題に、ある一方の立場には組しない、
同時に共感や連帯は求めるけれども同情や嫌悪や排除はヤメテと言う「すがすがしい謙虚さ」があります。
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2017年・第89回アカデミー作品賞は、大本命で大衆受けする『ラ・ラ・ランド』を押さえ、『ムーンライト』が獲得しました。
私は、アメリカのアカデミー賞に対してはいつもはとても冷ややかですが、今回の出来事は「快哉」です。
ここ数年、アメリカ映画・アカデミー賞について、「ホワイトウォッシュ(映画界が白人中心の世界であり、
黒人やアジア系といった人種が十分に活躍できていないこと)」が問題にされましたが、この映画が賞を獲得したのは
それとは全く無縁と思います。
私はこの映画を少しほめすぎかも知れませんが秀逸です。
そして、アメリカ社会は時にはこのようなサプライズを与える不思議さがあります。
ブラッド・ピットがエグゼクティブプロデューサーとして名を連ねています。
彼は、86回アカデミー作品賞を取った黒人奴隷を扱った映画『それでも夜は明ける』の共同プロデュースもしました。
私のそのブログは、映画/フルートベール駅で(Fruivale station)、それでも夜は明ける(12yeare a slave) 
【終わり】

深大寺を訪れました。

2017年08月22日 | ウォーキング
 白鳳仏
8月19日、調布駅北口広場で「ちょうふグローバルフェスタ2017」が行われ、行って来ました。
在日マオリパフォーマンスグループ"Nga Hau E Wha-Japan"(=四つの風)が出演しました。
このフェスタは、調布市で行われる国際交流をテーマに行われるイベントで、今年で4年目を迎えるそうです。
このパフォーマンスを見るために調布に出かけ、その後、深大寺周辺をウォーキングする予定でした。
ところが、薄曇りでしたが、じっとしていても汗が流れ落ちてくる猛烈な暑さでした。
バスで、深大寺に行って、深大寺参拝後、バスでJR吉祥寺駅に出て、帰宅しました。
深大寺は、天台宗の古刹で何回か訪れたことがあります。2017年5月に深大寺の白鳳仏が国宝に指定されました。
深大寺本堂







珠瓔庭                                 深大寺水車館
 
 
大黒天、恵比寿尊
   
深沙(じんじゃ)

延命観音堂                              延命観音堂内の観音像
 
動物霊園
 
 
開山堂
 

元三大師堂
 
釈迦堂=国宝の白鳳仏殿
 
銅造釈迦如来倚像 [無料で拝観できます。写真は撮れません。]
神々しくきれいでうっとりです。国宝に指定され、平成30年3月31日まで特別拝観です。
椅子に腰かけ、少年のようなお釈迦さまで、7世紀後半ないし末の飛鳥時代後期と推定されるそうです。
全高83.9cm、坐高59.3㎝と決して大きくはありません。[写真は引用です。]



  
深大寺本堂と天水華座                         
 
鐘楼                                   庫裏
 
山門
 
開福不動堂(境内の外)                        多聞院坂
 
不動の瀧                                神代水生植物園
 
ここまでで、汗びっしょり、すっかり疲れたのでここで帰ることにしました。
バス停に行くと、吉祥寺駅行きのバスが待っていました。
初めの計画では、周辺のお寺と神代植物園、バスで三鷹の禅林寺や三鷹の森・ジブリ美術館や井の頭公園等を
訪れる計画でしたが、とてもそんな元気は残っていませんでした。
この周辺には三鷹国立天文台や龍源寺などもあるのでいつの日か訪れたいと思っています。
「ちょうふグローバルフェスタ」のマオリパフォーマンスを見るために、急遽計画したウォ-キングでした。
暑い夏になって、久しくウォーキングは出来ませんでした。
疲れましたが、やはりスポーツジムの運動よりは、実際のウォーキングはいいものでした。
深大寺はそばで有名です。約20軒もの大きなそば屋が門前し、一大観光地です。
神代植物園が隣接し、涼しければ一日のんびり出来るお薦めのポイントです。
私の2009年の深大寺参拝のブログは、「深大寺・武蔵国分寺を参拝する」です。  【終わり】

 

ちょうふグローバルフェスタ2017、マオリパフォーマンス

2017年08月19日 | 学習

2017年8月19日、調布駅北口広場で、『ちょうふグローバルフェスタ2017』が行われ、
在日マオリパフォーマンスグループ"Nga Hau E Wha-Japan"(=四つの風)が出演しました。
このフェスタは、調布市で行われる国際交流をテーマに行われるイベントで、今年で4年目を迎えるそうです。


  
 
 
 





















今年の日本は、異常気象の感じです。まるで、亜熱帯の気候のようなスコールが続き、
8月に入ってからは、涼しい雨の日が連日です。
この日は、久し振りに雨ではなく、曇り空でしたが、何もしなくても汗が噴き出て来る暑さでした。
私は、この後、深大寺や神代植物園などを巡り、井の頭公園などをウォーキングする予定でしたが、
余りの暑さに、深大寺だけを参拝し、帰りました。
深大寺参拝は、別記、稿を改めて書くことにします。 【終わり】

映画/シャボン玉

2017年08月15日 | 映画


乃南アサの小説の映画化、ストーリーは至極単純です。
家庭に恵まれず育った伊豆見は、女性や老人だけをねらって通り魔や強盗傷害を繰り返して来ました。
人を刺し、平家落人伝説のある宮崎県の山奥・椎葉村に逃げ込んできます。
そこでたまたま怪我した老婆を助けたことから、老婆の家に居候します。
彼は、人々の優しさと大阪で通り魔に遭って古里に逃げ帰ってきた女性と知り合い、改悛すると言うありふれたお話です。
彼は自首し、服役後この地に戻って来る所は、幸せの黄色いハンカチのラストシーンに似た場面で、映画は終わります。
ハンケチではなく、明るい電灯と煙突から揚がる白い煙でした。

悪人が出て来ない不自然ですが、併映が「愚行録」だっただけに、シンプルさと人の善意がとても新鮮でした。
伊豆見は人々の優しさもそうですが、この地の自然の懐の大きさに癒やされ救われたのです。




市原悦子さんはやはり珠玉に輝いていました。

伊豆見を演じた林遣都は力仕事などまるで出来そうもない華奢な体とちょっと胡散臭そうな顔つきで良かったです。
     【8月7日】

映画/愚行録

2017年08月10日 | 映画


ひどい映画でした。愚作です。
田向と言うサラリーマン一家が惨殺されます。週刊誌の記者・田中がその真相を探ります。
田中とその妹・光子は、母親は育児放棄と虐待、父親は娘と関係を持つという極貧で崩壊した家庭で育ちました。
光子は、文應大学に入り、セレブにあこがれるのですが、そこで彼女は男子学生の慰みものにされます。
映画のほとんどが、田中が殺された一家の妻の大学時代の関係者のインタビューが延々と続きます。
光子が入った大学は、慶應を連想させる「文應」大学で、付属から来た学生は自分たちは特別なセレブと思い込み、
「見栄と性の欲望と嫉妬、人をさげすんで」いると言うのです。
長々と語られる彼らの下らない話しに、私は嫌気と吐き気を覚えました。
こんな下劣な人間関係の長時間のお話を「人間の本姓」と言うのですから、何をか言わんやです。
光子は、「育児放棄による殺人」で逮捕されます。
田中は、実は彼女が、セレブの親分であった夏原(田向と結婚)を殺していたのをなぜか知っていたのです。
彼は、関係者とのインタビューを通して、その真相を知っている宮村という女を探り出し、彼女を殺害するのです。
つまり、彼の真の狙いは、犯人につながる証拠、証人を隠蔽、削除することにあったのです。
田中がそこまで頑張るのには、田中と光子はただならぬ「禁断」の関係にあったというのですから、
この筋書きは、驚きを通り越してあきれてしまいました。
田中が二人を虐待・乱暴した父親を殺したことはわかるとしても、学生達に乱暴され精神が壊されてしまった光子と
彼が「禁断の関係」を結ぶなんて…。
まして子どもが出来たことも彼は知らなかったようで…。
いかにもサスペンスの謎解きを複雑にするための小細工でしかありえません。
こんな筋書きは全く不要であるばかりでなく、映画の質を大きく落とし込めています。
見終わって何とも救いようのない嫌悪感を覚えた後味の悪い映画でした。
それは、この映画に田中兄妹が育った環境への怒りや彼らへの共感、それでも人には何か希望を見い出したい
と願う感情が全く感じられないからです。
彼らの行動を「愚行」では括れないと私は思います。
田向役は、慶應大学出身で未成年女性とつきあって謹慎中の小出恵介でした。
いやはや大変なオチと言うべきでしょうか。     【8月7日】

映画/エリザのために

2017年08月01日 | 映画


原題:Bacalaureat、英題:Graduation、狭義のバカロレアはフランスの大学入学資格のこと、
ちなみにバカロレアの語源はラテン語の「月桂樹の実」だそうです。
珍しいルーマニアの映画です。私は初めてかもしれません。フランス、ベルギーの会社がお金を出したのでしょう。
可もなく不可も無く、と言ったところでしょうか。
ストーリーは単純で、サスペンス調映画です。
舞台は、チャウシェスク後のルーマニアです。
冒頭、ロメオの家の窓ガラスが石を投げられて割られます。
このシーンは、この映画の謎解きを暗示しています。
医師のロメオは娘のエリザの英国留学に大きな期待を持っています。
奨学金を受けられるかどうかの最終試験の日、エリザは、街中で強姦未遂を受けます。
そのショックで、エリザは試験を受けられませんでした。
ロメオは、かつてのコネ・賄賂の習慣を駆使して再試験と採点をよくする為の違法な工作を始めます。
彼は、エリザが閉塞するルーマニアを脱することが彼女の唯一の幸福で、その実現には奨学金が絶対必要だと言います。
しかし、このストーリーの設定・前提が無理筋で、説得性がありません。
社会的地位もあり、裕福なロメオですから奨学金など無くとも娘を留学させることは出来るはずです。
なのに彼は、若いシングルマザー・サンドラと不倫関係にあります。
こんな設定ですから、背後にかつての社会主義ルーマニアのコネ・賄賂の「残滓」が潜んでいる何て言われても、です。
ロメオに検察の手が伸びてきます。なんだ、ルーマニアは結構まともじゃないか、何て思わせます。
なのに、もっと深刻な真っ昼間の強姦騒ぎは?のまま、です。
エリザが乱暴された場に、エリザの恋人マリウスが居たか居なかったか問題にされますが、本筋ではありませんし、
このエピソードが挿入された意味が私には全くわかりませんでした。
ロメオの車の窓ガラスも石で割られ、その後、家の窓ガラスが再度割られます。これらの謎は最後まで明らかにされません。
石を投げた人間は、ロメオの不倫相手の息子で言語障害を持つマティであることは間違いありません。
公園で遊具の順番を待つ子ども達の列に割り込んだ子に、彼が石を投げるエピソードが唐突に挿入されました。
彼は、「順番を守らない人をどうすればいいの?」、つまり「法を守らない人をどうすれば良いの?」と言うわけです。
言語障害を持つ子が、言葉の代わりに「石を投げる」かは私は知りませんが…。
エリザは、不正を働いてまで奨学金試験に受からなくても良いと、高校を卒業します。
卒業写真のエリザは、吹っ切れたように明るい顔です。
彼女は人生の一つの過程で父とは違う卒業を選んだと言うわけでしょうか。
私は、風景としてのブカレスト以外はルーマニアについては知りません。
この映画が、今日のルーマニアの現状をどのように反映しているかは想像もつきません。
エリザ、妻、サンドラ、そして彼女の息子達は、「卒業」しつつあるのに、彼だけがチャウシェスク時代のルーマニアや、
その残滓を彼の心の中に引きずり、決別できないのです。  【2017.7.24】