しばらく妻とイタリアに旅して来ます。9月28日出発し、10月22日に帰ってきます。
9月28日成田を発ち、香港で乗り継ぎ、9/29早朝ローマ空港に着き、
ベネチアへ。~10月3日。
フィレンツェ、10/4~10/8。
ナポリ、10/9~10/13。
ローマ、10/14~10/20。10月22日午後成田に帰ってくる予定です。
四都市間は電車で移動し、ホテルは、二人で一泊朝食付き・6000円の安宿です。
現地のツアーにいくつか参加し、後は全て自由な旅です。
古代ローマは、私の憧れで、イタリアを旅したいとずっと思って来ました。
その思いを強くしたのは、塩野七生さんの『ローマ人の物語』です。
古代ローマについては、諸説ありますが、紀元前7~8世紀頃から紀元4世紀頃でしょうか。
その後、ローマは東西に分裂しますがその時代を含める人もいますが、華やかな時は紀元前1世紀~紀元2世紀でしょうか。
アジア・中国では始皇帝の秦の時代、日本は吉野ヶ里遺跡時代で、ローマではキリストとキリスト教が誕生します。
古代ローマは、ギリシャと同じように多神教です。
私は、多神教の世界は多様的・相対的な気がします。仏教も多神教です。
多神教の神々は実にユニークで、「人間的」で浮気したり・喧嘩したり、ローマには人間の夫婦喧嘩を仲裁する神もいるそうです。
その考え方は、日本の八百万の神々と似ています。
天照大神が隠れた時、女神達がストリップする天の岩戸神話なんて傑作ですよね。
これに似た神話は世界各地にあるようです。
とまれ、唯一絶対がない、それを信じないというのは穏やかな気が私はします。
古代ローマは実にユニークな社会でした。
ユニークと言いましたが、極めてまっとうな社会であったと私は思っています。
帝政ローマの礎を築いたのはユリウス・カエサルですが、彼は志半ばで暗殺されます。
その後を次いだのはアウグストゥスですが、彼はカエサルの実子ではなく、養子でした。
カエサルにはクレオパトラとの間に男子がいましたが、カエサルは若い時からアウグストゥスを養子にして教育したのでした。
アウグストゥスが帝政を作り初代皇帝になったのはカエサルの子であったからではなく彼の実力によってでした。
アウグストゥスは帝政の基礎を築き盤石なものとしました。
英語のJuly(7月)はユリウス・カエサルから、August(8月)はアウグストゥスから付けられたそうです。
カエサル像[ルーブル博物館] アウグストゥス胸像[アテネ国立歴史博物館]
ローマの皇帝は世襲ではなく、議会のような元老院で選ばれました。
世の多くの王政・帝政はただ血筋だけによる世襲で、跡目争いなどで腐敗しました。
ローマの皇帝は終身制ですが、信頼・支持を失った時は暗殺されました。
ローマもその後、何人かの皇帝が子に世襲させ、腐敗・暴政となりました。
ヨーロッパ中世の王は、キリスト教によって戴冠されるという壮大な儀式=虚構を必要としました。
王とは言うが、もともと正統性などないのですから、神・宗教の権威によって権力の権威を偽造する以外に方法はなかったわけです。
このことは宗教と権力の癒着をうみ、それは必ず両者の腐敗をもたらしました。
ローマはもちろん他国を侵略しますが、侵略された地域が恭順を示せば、虐殺や奴隷にしないで、地元の神=宗教も是認しました。
もちろん奴隷もたくさんいました。
だが、奴隷は一定の条件をクリアすれば解放奴隷となり、市民権を得ることが出来、皇帝にまでなった者もいます。
ローマ圏に入った地域では、本国と同様の税制がしかれ、円形劇場や公衆浴場と水道と街道などが整備されました。
街道は、直線でした。道は舗装され、並木道や里程標や宿場町も整備されました。
それは侵略を防ぐことより、侵略された時はローマ軍が瞬時に進軍できる道路だったのです。
ヨーロッパの都市の多くは城壁で囲まれていますが、ローマは防衛のための閉ざされた城壁は造りませんでした。
また、軍隊は常備軍・徴兵制ではなく、市民の志願兵でした。
“パックス・ロマーノ”(ローマによる平和)のほうが、各都市にとっては自力で防衛するよりはるかに安全で、経済的でした
無料の公衆浴場と水道は市民の衛生と健康のためであり、広場には今なお公共の井戸=水飲み場や噴水が設置され、円形劇場は市民の娯楽場でした。
イギリスのチャーチル首相は、「カエサルの来英でイギリスは文明国になった」と演説したそうです。
ヨーロッパ各地の今日の大都市の多くは、ローマが造った都市でした。
フランスのリヨン、ドイツのケルン、スペインのバルセロナなどみなそうです。
今日ではプロバンス地方とは「しゃれた街」ですが、もともとの意味は『ローマの属州』だそうです。
今日のフランス料理などもオリジナルはローマでした。
ただ、美食家となったローマ人は満腹になると吐きだして、また食べたと言います。
ローマにまつわることわざもたくさんあります。
これはことわざではないですが、「人間は、自分が見たいと思う現実しか見ない」は、カエサルの言葉です。
西洋では、結婚式の後、新郎が新婦を抱えて家に入る風習があるそうですが、これも源はローマだそうです。
ローマの建国をしたのは次男三男の独身男性集団だったそうで、近隣の村を襲っては花嫁を略奪した、と言うのです。
とまれ、「人類は今、2000年前のローマより豊かになっているのか」、が私の“思い”なのです。
もちろんイタリアへの旅でこの思いへの解答があるわけはないのですが、“ローマの豊かさ”を味わって来たいと思っています。
これはかなりマニアックなのですが、古代ローマから続くローマの紋章をいくつか撮ってきたいと思っています。
それは"SPQR"のことで、ラテン語"Senatus Populusque Romanus"(元老院とローマの市民)の略称で、あらゆる地域で公共物に刻まれたと言います。
それは現代のローマ市内を走るバスやタクシー、マンホールの蓋にも入れられていると言います。
今回の旅のために、小さいノートパソコンを買ったのですが、ホテルのラン事情はわかりませんし、
ブログを作成する余裕はないと思いますので、私のこのブログの更新はしばらくありません。
【参考】
私のブログに、
古代ローマの遺産展
ポンペイ展・横浜美術館 があります。
9月28日成田を発ち、香港で乗り継ぎ、9/29早朝ローマ空港に着き、
ベネチアへ。~10月3日。
フィレンツェ、10/4~10/8。
ナポリ、10/9~10/13。
ローマ、10/14~10/20。10月22日午後成田に帰ってくる予定です。
四都市間は電車で移動し、ホテルは、二人で一泊朝食付き・6000円の安宿です。
現地のツアーにいくつか参加し、後は全て自由な旅です。
古代ローマは、私の憧れで、イタリアを旅したいとずっと思って来ました。
その思いを強くしたのは、塩野七生さんの『ローマ人の物語』です。
古代ローマについては、諸説ありますが、紀元前7~8世紀頃から紀元4世紀頃でしょうか。
その後、ローマは東西に分裂しますがその時代を含める人もいますが、華やかな時は紀元前1世紀~紀元2世紀でしょうか。
アジア・中国では始皇帝の秦の時代、日本は吉野ヶ里遺跡時代で、ローマではキリストとキリスト教が誕生します。
古代ローマは、ギリシャと同じように多神教です。
私は、多神教の世界は多様的・相対的な気がします。仏教も多神教です。
多神教の神々は実にユニークで、「人間的」で浮気したり・喧嘩したり、ローマには人間の夫婦喧嘩を仲裁する神もいるそうです。
その考え方は、日本の八百万の神々と似ています。
天照大神が隠れた時、女神達がストリップする天の岩戸神話なんて傑作ですよね。
これに似た神話は世界各地にあるようです。
とまれ、唯一絶対がない、それを信じないというのは穏やかな気が私はします。
古代ローマは実にユニークな社会でした。
ユニークと言いましたが、極めてまっとうな社会であったと私は思っています。
帝政ローマの礎を築いたのはユリウス・カエサルですが、彼は志半ばで暗殺されます。
その後を次いだのはアウグストゥスですが、彼はカエサルの実子ではなく、養子でした。
カエサルにはクレオパトラとの間に男子がいましたが、カエサルは若い時からアウグストゥスを養子にして教育したのでした。
アウグストゥスが帝政を作り初代皇帝になったのはカエサルの子であったからではなく彼の実力によってでした。
アウグストゥスは帝政の基礎を築き盤石なものとしました。
英語のJuly(7月)はユリウス・カエサルから、August(8月)はアウグストゥスから付けられたそうです。
カエサル像[ルーブル博物館] アウグストゥス胸像[アテネ国立歴史博物館]
ローマの皇帝は世襲ではなく、議会のような元老院で選ばれました。
世の多くの王政・帝政はただ血筋だけによる世襲で、跡目争いなどで腐敗しました。
ローマの皇帝は終身制ですが、信頼・支持を失った時は暗殺されました。
ローマもその後、何人かの皇帝が子に世襲させ、腐敗・暴政となりました。
ヨーロッパ中世の王は、キリスト教によって戴冠されるという壮大な儀式=虚構を必要としました。
王とは言うが、もともと正統性などないのですから、神・宗教の権威によって権力の権威を偽造する以外に方法はなかったわけです。
このことは宗教と権力の癒着をうみ、それは必ず両者の腐敗をもたらしました。
ローマはもちろん他国を侵略しますが、侵略された地域が恭順を示せば、虐殺や奴隷にしないで、地元の神=宗教も是認しました。
もちろん奴隷もたくさんいました。
だが、奴隷は一定の条件をクリアすれば解放奴隷となり、市民権を得ることが出来、皇帝にまでなった者もいます。
ローマ圏に入った地域では、本国と同様の税制がしかれ、円形劇場や公衆浴場と水道と街道などが整備されました。
街道は、直線でした。道は舗装され、並木道や里程標や宿場町も整備されました。
それは侵略を防ぐことより、侵略された時はローマ軍が瞬時に進軍できる道路だったのです。
ヨーロッパの都市の多くは城壁で囲まれていますが、ローマは防衛のための閉ざされた城壁は造りませんでした。
また、軍隊は常備軍・徴兵制ではなく、市民の志願兵でした。
“パックス・ロマーノ”(ローマによる平和)のほうが、各都市にとっては自力で防衛するよりはるかに安全で、経済的でした
無料の公衆浴場と水道は市民の衛生と健康のためであり、広場には今なお公共の井戸=水飲み場や噴水が設置され、円形劇場は市民の娯楽場でした。
イギリスのチャーチル首相は、「カエサルの来英でイギリスは文明国になった」と演説したそうです。
ヨーロッパ各地の今日の大都市の多くは、ローマが造った都市でした。
フランスのリヨン、ドイツのケルン、スペインのバルセロナなどみなそうです。
今日ではプロバンス地方とは「しゃれた街」ですが、もともとの意味は『ローマの属州』だそうです。
今日のフランス料理などもオリジナルはローマでした。
ただ、美食家となったローマ人は満腹になると吐きだして、また食べたと言います。
ローマにまつわることわざもたくさんあります。
すべての道はローマへ通じる。 All roads lead to Rome.
ローマは一日してならず。 Rome wasn't built in a day.
ローマにいるときは、ローマ人のするようにせよ。 When in Rome, do as the Romans do.
ナポリを見てから死ね。 See Naples and then die.
賽は投げられた。
ルビコン川を渡る。
舗装道路は最強の武器。
ブルータスお前もか。
ローマは一日してならず。 Rome wasn't built in a day.
ローマにいるときは、ローマ人のするようにせよ。 When in Rome, do as the Romans do.
ナポリを見てから死ね。 See Naples and then die.
賽は投げられた。
ルビコン川を渡る。
舗装道路は最強の武器。
ブルータスお前もか。
これはことわざではないですが、「人間は、自分が見たいと思う現実しか見ない」は、カエサルの言葉です。
西洋では、結婚式の後、新郎が新婦を抱えて家に入る風習があるそうですが、これも源はローマだそうです。
ローマの建国をしたのは次男三男の独身男性集団だったそうで、近隣の村を襲っては花嫁を略奪した、と言うのです。
とまれ、「人類は今、2000年前のローマより豊かになっているのか」、が私の“思い”なのです。
もちろんイタリアへの旅でこの思いへの解答があるわけはないのですが、“ローマの豊かさ”を味わって来たいと思っています。
これはかなりマニアックなのですが、古代ローマから続くローマの紋章をいくつか撮ってきたいと思っています。
それは"SPQR"のことで、ラテン語"Senatus Populusque Romanus"(元老院とローマの市民)の略称で、あらゆる地域で公共物に刻まれたと言います。
それは現代のローマ市内を走るバスやタクシー、マンホールの蓋にも入れられていると言います。
今回の旅のために、小さいノートパソコンを買ったのですが、ホテルのラン事情はわかりませんし、
ブログを作成する余裕はないと思いますので、私のこのブログの更新はしばらくありません。
【参考】
私のブログに、
古代ローマの遺産展
ポンペイ展・横浜美術館 があります。