風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

トルコ9日間/イスタンブル・トロイ・ベルガモン・エフェス・パムッカレ・コンヤ・カッパドキ1

2009年07月24日 | 家族でトルコ
トルコ9日間の観光の旅をした 2009/7/13~7/21

HISの“イケ 行け!トルコ9日間”のツアーに家族[妻、娘]で参加した。
ツアーは総勢17人、最高齢は私で男性は二人だけ、中高年は4人、後は皆とても若い女性であった。
母と娘が2、二人組が2、四人組が1、一人が2、そして私たち3人の計17人であった。
高齢者の私が言うのは変だが、中高年の多いツアーはおしゃべりがうるさく、わがまま行動も多く、買い物に時間を使う。
今回それらが全くなくとても静かであった。
今回の旅は、娘が手配し私は参加しただけであった。


だいたいのスケジュールは以下の通り
7/13~昼成田発-夕方モスクワ着-深夜モスクワ発-深夜[7/14]イスタンブル着-ホテル宿 
7/14~トロイ遺跡観光-アイヴァリク宿 
7/15~ベルガモン遺跡観光-エフェソス遺跡観光-パムッカレ宿 
7/16~パムッカレ観光-コンヤ観光-コンヤ宿 
7/17~カッパドキア観光-カッパドキア宿 
7/18~カッパドキア観光-アンカラへ-22:50発寝台特急でイスタンブルへ 
7/19~イスタンブル旧市街観光観光-自由行動-イスタンブル宿 
7/20~イスタンブル・グランドバザール観光-昼過ぎモスクワへ-夕方モスクワ着-夕方モスクワ発 
7/21~10時成田着


出発 7月13日成田発12:00~モスクワ(シュレメチボ空港)まで約10時間、22:25着[モスクワ時間17:25]着、
モスクワ発23:15~イスタンブル着02:05[イスタンブル時間01:05]~グランド ハリッチホテル着2:00宿


1日目=トロイ観光 7月14日7:30ホテル出発~マルマラ海北側(ヨーロッパ側)を西に進み[325km]、
フェリー乗り場のレストランで昼食後フェリーでトルコ大陸・チャナッカレへ[20km]

     出発するときホテル前に大きな虹が

右上の写真、左丘の上にドームが見える。シュリーマンが発見するまでそこまで土で埋まっていたそうだ。


    遺跡を保護するドームだが、この高さまで遺跡は土に埋まっていたと言う。白い煉瓦は遺跡だが、上部はレプリカ。
左は、シェリーマン穴と呼ばれる、多くの宝物が見つかったが彼の妻はそれを持って直ちにドイツに帰国してしまったという。

祭壇跡                                オデオン

本日の観光はこれで終わり。ホテルのあるアイヴァリクへ[170km]、イスタンブル新市街地のグランドテミゼル ホテル宿
ホテルへの途中で                            ホテルの部屋からの夕焼け


一日目終わり~~~~~~~~~~~~~~~~
さて、トルコのトイレ事情
今回移動の大部分はバスの移動だった。昨年10月訪れたときは、トイレ事情は悪いとの印象であったが、
今回その印象は大きく変わった。幹線道路[高速道路ではない]には、ガソリンスタンドとドライブインが整備されていた。
一部では、トイレは有料[0.5~1トルコリラ=30~65円]であったが、ほとんどは無料でし、掃除が行き届き綺麗であった。
また、大便器には日本ほど使い勝手は良くないがトルコ式ウォシュレットがついている。
電気式ではなく、元栓を回すと水が出る仕組みで、うまく穴に命中しないことがあり、なれない人が使うと水浸しとなるようだ。
男子用小便器の位置はすこぶる高く、つきそうなので私はほとんど大便用を使った。
右はトルコ式便器、かごの後ろの赤い桶に水を汲んでおしりを洗うらしい[私は試したことがない]。

バスがドライブインに着くたびに係の人が洗車していた。
その料金はいくらかは聞かなかったが、こうして仕事を作ってもいるのかなと思った。
また、運転手・ガイドには必ずチャイが提供されていた。客にお茶を出す日本の風習と同じ。
量も日本のお茶と同じくらいか、小さい角砂糖が付く。冷たいと一気に飲むが熱いと少しずつ飲むのが良いかも。


二日目・ベルガマ遺跡/エフェソス遺跡観光
ベルガマ遺跡[60km]

ゼウス神殿跡

トラヤヌス神殿


エフェソス遺跡~190km、その前に、セルジェクというところで昼食

チャイを作る道具                          飲むヨーグルト[=アイラン]を作るもの、甘くなく塩味[左上の写真のストローが二本カップ]

浴場跡                              アゴラ

オデオン                              円柱

ドミトス広場                             カレッツア通り

ヘラクレスの門                           トラヤヌスの泉

モザイクの歩道                           ヘラクレスの門を振り返る                    ハマム跡

ハドリアヌス神殿                        猪の象[中はドーサの象]

古代水洗トイレ

図書館跡                        

シアター[テアトル]

ツアー恒例のショッピング・皮革店のファッションショーと販売会、私もモデルとなる。やわらかく、肌触りがとてもよい。
 本日の観光は終了、パムッカレのホテルへ[190km]
リッチモンド スパ ホテルと夕食

屋外にプール、屋内地下に水着着用の温泉[プール]があり、入った。

二日目・パムッカレ観光/コンヤ観光
パムッカレ観光・それにヒエラポリス遺跡が隣り合わせ
ヒエラポリス遺跡[ビザンチンの門]をくぐり、しばらく歩くと石灰棚=パムッカレ



靴だと痛めるので、サンダルか裸足で入ることができる。水は熱くはなく、冷たく気持ちよい。

コンヤへ、410km、コンヤは、メヴラーナ教団の総本山がありイスラームの宗教色の強い都市だそうだ。
メヴラーナ教団はかなり神秘主義の強いイスラームで、くるくる回る続ける中で神との一体感を得るらしい。
日本語では旋舞と言われるそのセマーにこの教団の特徴が現れているそうだ。
ホテルの壁のレリーフにその踊りの様子が出ている。  バスの中から、一面の麦畑。

途中で、レストランで食事

トルコ9日間/イスタンブル・トロイ・ベルガモン・エフェス・パムッカレ・コンヤ・カッパドキ2

2009年07月24日 | 家族でトルコ
メヴラーナ博物館[メヴラーナ教団の総本山、モハンマドの髭の箱]が展示されている。     洗い場=手足を清める

洗い場           靴を脱ぐかビニルをはく、ビニル返却・喜捨箱       内部は撮影できない


インジェ・ミナーレ博物館

鷲のレリーフ                   棺                  


ドゥンダールホテル                              ホテルの窓から、近くにモスクがあり早朝[4時過ぎ]にアザーン[お祈りの呼びかけが]


四日目・カッパドキア観光
コンヤからカッパドキアへ[230km]
隊商宿[キャラバンサライ]                     ハマム                モスク



絨毯工房見学

繭から糸を
シルクの絨毯=ヘレケの肌触りはとてもなめらか、純目・逆目で色調が代わり、模様も綺麗だ。だが、非常に高価だ。
トルコの絨毯のもう一つは、羊毛を染めないでオリジナルな羊毛の色で編んだ絨毯も味わい深い。

昼食会場へ。クズルウルマク川[黒海に注ぐトルコ最長の川]  洞窟レストラン



カイマクル地下都市                            通路をふさぐ石の門

地下都市の上部                          売店                             靴磨き屋さん


鳩の谷                                                                   気球から撮った写真


ウチヒサール


パシャバーウ

ラクダ岩                   ナポレオン岩            マリア岩[右]


陶器屋見学


ローズバレー

エルジャス山[カッパドキア一帯に火山灰を降らしたと言われる]   ムスタファホテル    部屋からプール


五日目/カッパドキア観光続き~アンカラへ
早朝4時半起床し、気球でカッパドキアを空から見るオプション[185ユーロ=約2万4千円]


気球の旅は、決して安くないがお勧めである。
早朝なのが難であるが。日が高くなると上昇気流が起きで風が出易く、風が吹くと気球は駄目である。
この気球、少し前は安全対策が十分でなく、事故があったが最近は改善されたようである。
 
ギョレメ野外博物館

ダーク教会[有料で入らず]             他の教会の壁画


洞窟に住むハッサンさんの家

トイレと入り口                            ハッサンさんのお店で伸びるアイスを食べる


昼食の洞窟レストラン                       マス料理


私は昨年、ピースボートでカッパドキアを訪れた。そのときのブログは カッパドキア/トルコ編/をクリックしてください。

トルコ石の販売店に立ち寄り[省略]、首都・アンカラへ [280km]
アンカラはさすが首都という感じであった。道路がとても広いのだが、信号・横断歩道が無いのは困りものだ。
アンカラでもう一泊し、アンカラ観光もしたいものだ。

アンカラの巨大ショッピングモール・スーパー
                               食堂                              映画館

スーパー、ショッピングモールと、トルコの家庭生活の一端を垣間見ることができ、楽しい、が2時間はちょっと長かった。
食材は豊富だが、飲み物・例えば水やミルクやジュースなどはとにかく巨大である。
肉も豊富だが、他の食材と比べるとちょっと高いかなと感じた。
下町の店は見ることができなかった。
台所での小物にはトルコらしきものがあってけっこうおもしろかった。
お酒コーナーも充実し、寝台列車で飲むワインを探した。コルク栓が多く、簡易ふたのものは少なかった。

アンカラ駅に向かう。

トルコ9日間/イスタンブル・トロイ・ベルガモン・エフェス・パムッカレ・コンヤ・カッパドキ3

2009年07月24日 | 家族でトルコ
アンカラ駅                                                        駅の外は遊園地だった

トルコの新幹線                     トルコ建国の父アタチュルクの専用列車     駅食堂での夕食

発車までしばらく時間があった。駅の食堂で食事を、そこでしばらく時間をつぶすことになった。
するとウエイターの青年が英語で話しかけてきた。
彼は、建国の父・アタチェルクの話を情熱的に話した。
アタチェルクが彼の専用列車でこの駅に来、食事をしたことなどを。
そのときの写真が壁に掲示されていて、それらの写真についても説明してくれた。
特に、彼は青年・女性への教育に力を注いだことなどを話してくれた。
私は、20%位しか聞き取れなかったが熱心に聞いた。彼はチャイをサービスしてくれた。
アタチェルクの宗教・政治分離の国是=共和国構想は、トルコでは成功したと私は思う。
最近は、トルコでもイスラーム原理主義が台頭しはじめているという。

六日目/イスタンブル観光は電車の中で迎えた。
私たちが乗った特急一等個室寝台列車                           朝食

特急寝台は楽しかった。
個室には、冷蔵庫[水、ジュース、ビスケット、チョコ]、スリッパ、タオル、手洗いが付き、
トイレは、1車両にトルコ式1、様式1があり、個室は2段で二人、朝食付きだった。
車掌チップは、1トルコリラ、シャワー室もあるらしいが、水量が十分ではないらしい。
私は、スーパーで買ったワインをゆっくり楽しんだ。
22:50発、翌8時前、車掌がイスタンブールと連呼しながら車内を歩き、列車はハイダルパシャ駅着いた。
                                構内                         待合室

イスタンブル・ハイダルパシャ駅はアジア側にある。
ここから旧市街地を通りホテルのある新市街地に行くと渋滞なのでフェリー[1.5リラ]で行くことになった。
フェリーからは、ブルーモスクやトプカプ宮殿などの絶景が一望できた。

ホテル・グランドハリックホテル[一日目と同じホテル]に行き、チェックイン後、市内観光に出かけた。
ローマ時代の競技場跡・オベリスク[エジプトから持ってきた]  蛇の円柱/頭部は考古学博物館に展示されている
 

ブルーモスク[スルタンアフメット・ジャーミィ]

9mある像の柱が支える                  ミンベル[説教壇/右]・ミフラーブ[メッカを示すくぼみ/左]


アヤソフィア博物館

多数のモザイクがが残されている

モザイクの写真パネル展示会も行われていた        サルタンライブラリ                        二階から

大理石のツボ                  穴に指を入れて一回転できると願い事が叶うとか

ミンベルとミフラーブ                        サルタンのラーゲ


トプカプ宮殿
入り口                         アヤ・イリニ教会

送迎門                           送迎門には、“アラーは一つ”のアラビア文字とスルタンの花押

ハレム[入らず]                        議事堂

幸福の門             宝物館[宝物館内はすごい混雑、撮影はできない]                

テラスモスク[窓からはボスポラス海峡が]     外のテラスから                           厨房

                                城壁と警備官  


トプカプ宮殿の宝物は、トプカプ宮殿のHP [英語]から見ることができる。
特にその中の Imperial Treasury


昼食


一度ホテルに戻り、その後自由行動、私は一人で考古学博物館に行くことにした。
地下ケーブルカー[チュネル]              =山側・海側も駅はチュネル駅、その間に駅はない[1トルコリラ]

路面電車のカラキョイ駅からギュルハーネ駅まで[一律1.5トルコリラ]


トルコ国立考古学博物館10トルコリラ
入り口                              トプカプ宮殿に向かう通りにある博物館の門   

旧館                                古代東方博物館


アレキサンダー大王の立像  長さを測るスケール                   金角湾海中で船の侵入を防いだクサリノレプリカ

ローマ時代競技場跡の蛇の柱頭部    装飾タイル博物館内
  

トルコ9日間/イスタンブル・トロイ・ベルガモン・エフェス・パムッカレ・コンヤ・カッパドキ4

2009年07月24日 | 家族でトルコ

考古学博物館はとても素晴らしく、見応えがあった。
だが、館内は冷房が効いておらず、私は熱中症になりそうだったので、中庭のカフェで、冷たいジュースと水を買い、しばらく休憩した。
その後、しばらく見学したが、閉館時間も近づき、全てを見学できなかったが引き上げることにした。

考古学博物館を出てしばらく歩くと、トプカプ宮殿が見える広場に出た。

旧市街地に別れを告げ、新市街地に向かう路面電車に乗った。その電車の中で私はスリにあってしまった。
電車はかなり混んでいた。鞄をたすき掛けにしてはいたのだが、鞄をお腹側にはしていなかった。
ファスナーは閉めていたのだが、一番外側に入れていた電子辞書が盗まれてしまった。
これは、私のミスで、どの国でもあり得ることであって、決してトルコの治安が悪いということではない。
もちろんパスポートは腹帯、財布は紐付きでズボンポケットで安全であった。
がっくりしながらも、気を持ち直し、チュネル駅まで戻り、そこからチンチン電車[1.10トルコリラ]に乗って、

新市街地の繁華街イスティクラル大通りの坂を上り、終点のタクスィム広場まで行った。そこからは地下鉄も走る。

広場周辺のお店でサンドイッチを4トルコリラで買い、再びチンチン電車に乗って、ホテルに戻った。
ホテルでゆっくりバスタブにつかり、その後テレビを見ながら飲み残っていたワインでサンドイッチを食べた。
妻達は、地下宮殿観光の後スィルケジ駅で『セマー』[旋舞]を見に行った。
トルコの夜はなかなか暗くならない。9時頃まで明るいので大丈夫だ。
だが、深夜・人通りの少ないところはやはり行かない方が良い。

七日目/最終日
この日の観光は、グランドバザールだけ。
私は、初めは妻達の後ろを歩いて居たのだが、私はバザールを出て、周囲を一人で散策した。
集合時間が近づいたので、集合場所に行ったのだが、誰もいない。
デジカメで撮った写真を見るとそこは集合場所の門ではなかったのだ。
ゲートのガードマンにその映像を見せて、どこかと聞いてもわからないという。
[これももっともなことで、トルコ語では通じないし、口頭で入り組んだバザールの地図など教えようがないのだから]
若い店員に聞くと、案内するというので付いて行ったら、違う門であった。
こうして、私は迷子になってしまったのであった。
何人かの人に聞いてやっとたどり着いた時は、約束の時間を10分も過ぎていたのであった。
昔のアメ横の何十倍の広さがあり、しかも路地は複雑に入り組んでいるのだ。
門はたくさんあって、どれも似通っている。
ゲートに番号が付いているのを知ったのは後で娘に聞いてからであった。[赤線で囲ったところ]


待ち合わせの門                              [バザール内は早朝のため、あちこちで掃除をしていた。]

                                    背負子達[バザールに車は入れないので、彼らが背負って運ぶ]


両替屋
イスタンブル大学                          ハマミ                        

VAKIF HAT SANATARミュージアム                SULTAN BYEZID2 CAMII


モスクワ行き飛行機は少し遅れて、13:15発。機内で昼食。モスクワ着、17時[時差時間]。
飛行機がモスクワに着いた時、乗客からかなり大きい一斉の拍手が起こり、苦笑がもれた。
モスクワ発19:50[30分遅れ、時差5時間]。成田着10:05。
飛行機は、ロシアのエアロフロートだった。
エアロフロート、飛行機は古いし、アテンダントの愛想は悪いし、空港の設備・特にトイレがすこぶる悪い。
空港ビル内は冷房が十分きいていない、トイレは少なく汚い。
ドル・ユーロの使えない売店が多い。
飛行機のトイレ事情の悪さは、エアロフロートだけでなく、すべてに当てはまる。
多数の乗客・2~3百人が乗り、10時間も乗るのにトイレが5個しかないないなんて、信じられないことだ。
朝など、トイレは長蛇の行列である。
座席は窮屈で、足など組めないし、ゆっくり寝ることはできない。国際線は日本の新幹線ほどの余裕がほしい。
100円の空気枕を持って行ったのだが、途中で穴が開いてしまった。肩通の私には湿布薬が必携であった。
飛行機は高級のイメージがあったが、とんでもない。
機内食・飲み物サービス・美人アテンダントなんていらない。
もう少しゆったりした座席・男女別のトイレこそが、真のサービスだ、と私はつくづく思う。
機内で、夕食と朝食。着3時間前に出す決まりらしいが、体は眠っていて腹も空いていないのに起こされ、おまけにおいしくない。
信じられない飛行機事情=まるで苦行である。
高齢者にとっての海外旅行の最大のネックは、そうこの飛行機事情の悪さにある。
ビジネスクラスの値段は目の玉が飛び出るほど高く、庶民には手が出る金額ではないのだから。
ほんとに何とかしてくれって言いたい。

イスタンブル空港は混んでいた。出国ゲート。          ガイドのギョクセルさん。
 
ガイドのギョクセルさん、写真の通りイケメンだが、余計なことはしゃべらないナイスガイであった。
皆、寝ている移動の時は、ほとんどマイクを使わなかった。
でも、質問すると丁寧に答えてくれた。
今回のトルコのツアー会社は、“DORAK”と言う会社で、トルコの古い民族の名前を由来にしている、と言う。

実は、私はHISに偏見を持っていた。安いぶん、サービスが悪いだろうと。
だが、今回そんなことは全く無かった。
もっとも全体のプランには、私には若干の不満がある。
私として価格が少し高くなってもかまわない。後二日増えてもう少しゆっくりスケジュール、イスタンブルもう一日が良いな、と思う。
この「少し」が問題らしい。人の価値観は様々だから、価格を高くなると催行がむずかしくなるらしい。
事実少し高めのツアーがあり、私たちはそちらを申し込んだのだが人が集まらず催行中止となってしまった。

かつて、HISはトルコでバスの死亡事故を起こしたという。
以降、一日600kmを超えるときはドライバーを二人にするなどの改善が行われたそうだ。

添乗員の古田さん、とても若いのにとても素敵な女性であった。
ガイドのギョクセルさん同様、必要以外なことは話さない。だが、必要なことは的確・簡潔であった。
また、私がスリの被害にあい、保険などに聞いたときも面倒がらず、親切・的確に説明・対応してくれた。
【私は、結果的には保険は請求しなかったが。
保険を請求するには、現地警察に被害届を出し、証明書をもらうすのがベスト。
次善は、成田で日本の警察に被害届を出し証明書もらい、保険会社に請求する。】
私はバザールで迷子になったが、【ゲートナンバー】をツアー参加者に教えるのが良いと思う。

さて、トルコだが、トルコは、気候・景色・食事・治安・人々・トイレ事情、全く申し分なく、第一級で、お勧めである。
路面電車で私はスリにあったが、このこと一つを取ってトルコの治安が悪いとは決して言えない。
多くの人は、笑顔で異国人を迎えてくれ、人なつこく親切である。
田舎に行くと日本人を見るのは初めての人もいるようで、ジャパンではなくジャポンだが、知らなかったようだ。

世界三大料理は納得である。フランスに行ったことはないが、日本・トルコ・中国が三大だと私は思う。
特に食べ物は、肉・魚・野菜・果物・スイーツいずれもすこぶる豊富であり、味付けも豊かである。
ホテルの朝・夕の食事は、ビュッフェだったが、食材は豊かで、食したのは半分以下であった。
だが、外国のレストランでの一番嫌なことは、飲み物の別注だ。レストランに入ると、必ず飲み物が聞かれる。
水か、アルコールか、ジュースか、いずれもそんなに高くは無いが安くもない。しかも現金決済。

英語が通じない人もいるが、それはトルコだけでなく、ヨーロッパ全体に当てはまること。
若い人は、英語を話すことができるのも、ヨーロッパ共通だ。
基本的なトルコ語をノートに書いておいて、それをペンでいくつか示せばよい。
たとえば、
 ・聞きたいことがある。
 ・~へ行きたい。
 ・~はどこか。
 ・バス乗り場、美術館、ホテル。
 ・いくらですか?   等
物価も安く、日本の3/5というところか。

私は、作10月についでのトルコ再訪であった。
前回の時は、トイレ事情が悪いと持ったが、そんなことは決してなかった。
ホテル事情については、私は全く詳しくないが、いずれのホテルもバスタブ付きで、良であった。
スリにあったが、トルコへの愛着は決して減じていない。
遠くない将来、イスタンブルを個人で、ゆっくり歩いてみたいと思う。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~終わり

池上本門寺を歩く

2009年07月12日 | ウォーキング
池上本門寺を歩く 2009/7/11

東京・大田区の池上本門寺(日蓮宗)を訪れた。
京浜東北線蒲田駅乗り換え、京急池上線二つ目の池上駅から歩いて10分。
 
急な此経難持坂[しきょうじざか]を登り切ると風鈴の音が涼しかった。
                 1総門                                 2此経難持坂


3日蓮聖人像        4長栄堂                                5淨行[じょうぎょう]菩薩


6日朝堂                               7仁王門(三門) 



8鐘楼堂                               9霊宝殿


10大堂(太子堂)                           11経堂                                経堂内
 

12客殿寺務所


13本殿[釈迦牟尼仏と四菩薩が奉安されている]        内部[ガラス越し]


14御廟所                               17宝塔[工事中]         右は、引用                  

18歴代墓所                             19五重塔


境内には、たくさんの風鈴があり、高台にある境内には涼しい風が吹いていた。


15大坊本行寺[日蓮聖人はこの地で無くなったと言われる] 本殿                         16御臨終の間

  左から、御硯井戸、毘沙門堂、稲荷、旅着高祖日蓮大菩薩    ・宗祖御灰骨堂、その右に万霊供養塔
  

20妙見堂                           21芳心院墓所[家康の側室・お万の方の孫]、弥生時代の集落遺跡が発見された[レプリカ]


本門寺墓所に力道山の墓があった。              22久遠林[照栄院の永代供養廟]


東急池上線は初めて乗った。東京は広く、訪れていないところがたくさんある。
池上は、下町という感じであった。

日蓮聖人は今から約700年前の弘安5年(1282)に、この地で61歳亡くなったといわれる。
檀家の池上宗仲が、法華経の字数(69384)に合わせて約7万坪の寺域を寄進し、以来
「池上本門寺」と呼ばれるようになったそうだ。
その後、徳川幕府から庇護を受け発展したが、太平洋戦争で消失し、その後再建された。

大師臨終の地と言うことからであろうか、大師堂は本堂より大きく、本堂の手前にあった。
日蓮聖人臨終の間と言われる大坊本行寺だが、必ずしも十分手入れ・維持が行われているとは私には思えなかった。
寺務所などがあまりに巨大で豪華なのに、それらとの落差があまりに大きいからかも。
また、大坊本行寺への参拝者の数も多くはなかった。
本門寺境内はとても広く、建物も大きいのだがコンクリート製のようで、古刹という雰囲気はない。
仁王像はプラスティック製のように感じた。仏像などは見えなかった。
それらは宝物殿に安置されているのだろうが、開放は日曜だけで見られなかった。
寺務所はすごく大きいのだが、参道入り口ではなく本堂の裏手にあるのはおもしろい。
もっとも、布教道場、文化会館なども豪華で、これらは総門の脇にあった。
境内は広大なのにベンチや休憩所がなかったのは残念だ。案内・説明板なども少なく、とても親切とはいえない。
盆のため墓参りの人がかなり見えていたが、まだ多いと言うほどではなかった。

このお寺、小高い丘の上にあり、夏とは思えない涼しい風が吹いていて、薄曇りでもあり、散策は心地よかった。
仁王門前の広場にはたくさんの風鈴が吊されていて、耳に心地よかった。
振り返ると池上の街が下に見えた。

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さて、以下余談。
7月13日~21日、家族とトルコの旅に出かけます。しばらくお休みです。


西新井大師を歩く

2009年07月04日 | ウォーキング
西新井大師を歩いた 2009/7/2

梅雨の合間、涼しかったので、関東三大師と言われる通称・西新井大師=總持寺を歩いた。
中野区にある新井薬師と同じ真言宗豊山派の寺院で、空海(弘法大師)が開いたされる。
境内に弘法大師による加持水の井戸があり、この井戸が本堂の西側に所在することが西新井の由来と言われる。
交通の便はあまり良くなく、自転車でも行ける距離ではあるが、王子から都バスで行くことにした。
都バスに乗るのはかなり久しぶりであった。本数はかなり出ており、約20分、一律200円で、スイカで乗れる。
この路線はかなりの乗客が乗り降りしていた。
また、都バスは信号待ちする時は省エネのためにエンジンをストップしていた。
だが、冷房が効きすぎで、車内は寒かった。
東京都の新線・舎人ライナーも魅力的だったが、西新井大師の駅はちょっと離れているので都バスにした。



参道                 1.山門                                 2.金剛力士像


3.塩地蔵                            4.六角観音堂


5.大日如来像         6.鐘楼                        7.水洗い地蔵


8.三匝堂[栄螺(さざえ)堂]      9.加持水                         11.井戸            井戸の脇に、福寿地蔵尊


10.身代わり地蔵・水子地蔵     12.不動堂[自由に中に入ることが出来る]                         


13.弘法大師立像     14.稚児大師像                   15.毛塚      16.十三宝塔


17.弁天堂                              18.権現堂               



19.如意輪堂[女人堂]      20.奥の院                        22.出世稲荷


21.大本堂

  
本尊は十一面観音と弘法大師だが、公開されていない。正面左に阿弥陀三尊が。
 

23.鳥塚           24.光明殿                                25.八角堂[大師堂]


西新井薬師の前に西新井氷川神社があった。       王子駅に戻るバスの中から、“長崎の平和像”[王子駅前/北とぴあ前]が見えた。


境内は広くはないが庶民的というか年寄りが散歩の途中に立ち寄る感じ、
平日の割には参拝者が少なからず居た。
昼過ぎ、交通安全祈願の札などの加持祈祷が行われていて、私は札は買わないが参加した。
真言宗では加持祈祷の時、火を焚く。
8人の僧の読経の声、太鼓の大きな音、鐘、そして赤々と大きく立ち上がる炎、
これらがそろうと荘厳と言うより、独特の雰囲気・集団意識を醸し出されると感じた。
この宗教が生まれ普及しだした頃、多くの信者が合掌したり、この儀式にひれ伏したり、読経しただろう、と思う。
集団で念仏を唱えたり、太鼓を叩いたり、踊ったりする宗教などもこうした集団的儀式による一体感や共同幻想を作り出したのだろう。
シャーマニズムなどは特にこの傾向が強いと思う。

このお寺、不動堂、大本堂は入ることが出来る。
大本堂の本尊は御簾で隠されているが、不動堂内は撮影が出来る。
境内の藤棚の下でおむすびをゆっくり食べた。
中野の新井薬師もそうであったが、西新井大師境内にも多くの屋台があった。
また、境内のあちこちに『禁酒』の看板が、飲酒でのトラブルがたくさんあったことを窺わせる。

中野の新井薬師については、私のブログ、『哲学堂公園再訪・2008/3/1』と『中野~哲学堂~を歩く』に少し触れている。