風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

熊谷市・ 妻沼聖天山歓喜院を訪ねる

2009年06月29日 | ウォーキング
熊谷市・妻沼聖天山歓喜院を訪ねる  2009/6/28

埼玉県熊谷市妻沼(めぬま)にある高野山真言宗の仏教寺院・歓喜院(かんぎいん)を訪れた。
日本三大聖天の一つといわれ、「埼玉の小日光」とも言われる。

久しぶりの熊谷市だった。普段は暑い熊谷だが、天気予報では暑くないので出かけた。
熊谷駅を降りると、駅前に大きなラグビーボールのモニュメントがあった。

熊谷市に、立派な県営ラグビー場があり、「ラグビータウン熊谷」と言われているのは知らなかった。
バスで歓喜院まで行った。パス亭⑥から30分、450円をスイカで払った。[本数は少なくない]

1.バス停“聖天山前”で降りると、参道であった。  境内図[ほぼ番号順に回った]


2.貴惣門                           3.斉藤実盛公像[熊谷市妻沼を本拠とした武将]  観音像  境内には四国札所の碑。


4.護摩堂                               内部


5.中門                                6.仁王門


7.井戸                           8.大師堂                              内部


13.仮本殿[本殿は後ろで工事中のカバーで被われている]  8.板碑阿弥陀如来、観音、勢至両菩薩、光背部に七化仏を配した善光寺式三尊像板碑]


9.本坊門                              10.本坊本堂[行者修行堂]


稲荷                                 12.聖天山裏の神社[工事中]


14.平和の党         身代わり地蔵[貴惣門近くにある]


15.軍荼利明王滝                     16.軍荼利明王         17.鐘楼


熊谷市は、埼玉県北部に位置し群馬県と接している。歓喜院を通るバスは、群馬県太田駅行きなどである。
熊谷市は、国内の最高気温40.9℃を記録し、夏の異常高温ですっかり有名になった。
駅の庇からは冷房のミストシャワーが吹き出している。
歴史的には古い町だったようで、源平合戦時の熊谷次郎直実はこの地の出らしい。
熊谷という名から想像すると熊が出没した地であることは間違いなさそうだ。
谷といっても丘陵地ではなく平坦・平野で豊かな荒川の流れに沿う農村地帯であった。
最近では新幹線、高崎線の通勤快速などで東京まで通勤できる距離[60km]となった。

歓喜院は古く境内も広いが、広大と言うほどではない。
本堂が修理・工事中で、参拝できなかったのは残念である。
お祓いを受けている人への読経がスピーカーで流されていて、よかった。
日曜日の昼時、決して多くはないが参拝の人々の流れがあった。

ウォーキング番外/不思議空間・蕨市の安売り街

2009年06月23日 | ウォーキング
今回は、ウォーキング番外/不思議空間・蕨市の安売り街

蕨市は不思議な市である。
東西約4km・南北1.7km、面積は5.10k㎡と全国一狭く、人口密度が全国で最も高い市で、人口は約7万人。
埼玉県の南端に位置し、東京都の北に隣接し、東京駅には電車で約30分、約20kmの距離である。
市内を通る鉄道は、京浜東北線だけで、駅は蕨駅だが、
右[東]は西川口駅、左は京浜東北線・武蔵野線南浦和駅、下[南]は埼京線の北戸田駅・戸田駅の方が近い。

標高差は全くなくフラットで当然坂はない、このような小さい川が二本走っている。市内移動なら自転車で十分だ。

緑地・空き地はほとんど無く、林・森林は皆無、家庭菜園のような畑が少しある。
最近建物の高さ制限が無くなったのか、少し高いマンションが出来た。
昔は、小さな映画館があったが、無くなって久しい。
大日本インキと沖電気以外に大きな企業はなく、市内全域“住宅”という感じ。
どの家の敷地もとても狭く、外から見える住宅だけでは金持ちかどうかはわからない。
近隣に沢山の大型ディスカウント量販店や巨大スーパー・ショッピングモールが取り囲んでいる。

市長は共産党員であり、市議会は保守系無所属9、共産党4、公明党3、民主2である。
数年前、川口市・鳩ヶ谷市・戸田市・蕨市の四市との間で合併協議会まで出来たが、
財政事情の良い戸田市は反対、蕨市は表向き合併後の市名反対で、御和算となった。
蕨市は日本では、狭く、小さい市だが、ヨーローッパでは人口7万人は、決して小さくはない。
フランスのカンヌは、蕨市の約4倍の広さに人口7万人である。



成人式発祥の地としても知られ、市役所に隣接する蕨城趾公園にその碑が立つ。


蕨駅東口[北側]駅前は、安売り店が連なる不思議なゾーンがある。
100メートルほどの間に多くの安売り店が連なっているのである。

おかしのまちおか                       100円ショップ・ダイソー

洋服の安売り店・平和堂               マツモトキヨシ

ザ・プライス[イトーヨーカ堂系ディスカウント店]、それまで隣にあった100円ショップ・キャンドゥがその4階に移転した。
これまで、イトーヨーカドーはどちらかというと高級スーパーのイメージであったが、
【ザ・プライス】というディスカウント店に変身した。商品陳列は見栄えなど気にせず、棚に置くだけという感じに。
百円ショップより安い商品も多く、2gbUSBが680円であった。

この一帯には、当然、小売店は無くなった。
また、市内には巨大スーパー・イトーヨーカ堂、        マックスバリュ店

また、中小沢山のスーパーと、すぐ近くに大規模・イオンモール川口キャラ、イトーヨーカドーアリオ川口、がある。

さて、今回、狭いとはいえあちこち回るので、ウォーキングではなく自転車であった。

蕨駅と京浜東線、高崎線                  蕨ミニ劇場[赤い看板、ヌード劇場5F]はつぶれずに何十年もここにある。


わらびやまとの湯[数年前に発掘された天然温泉]もある。  市立病院・保健センターもある[最左端のビル]。

しかしゴミ焼却場はなく戸田市に頼っている。

以下、私としては、寺社のご紹介も。
三学院                               中山道蕨宿

本法院                                宝蔵院                              

堂山寺[庚申塔]                         塚越5丁目の庚申塔

和楽備神社                             長泉院[檀家のいない祈願時で門とおしゃみの鐘だけ]

宝樹院                               正蔵院

三蔵院


蕨市については、以下に私の関連ブログがある。
ウォーキング番外/不思議空間・蕨市の安売り街の蕨市塚越の神社
中山道を歩く/板橋宿~浦和
蕨~南浦和ウォーキング

和楽備神社公式HPは、和楽備神社

野火止/平林寺を歩く

2009年06月21日 | ウォーキング
野火止/平林寺を歩く 2009/6/20


梅雨の晴れ間を縫って、JR武蔵野線新座駅から歩いた。
暑かったが、木陰に入ると風がすずしい。
野火止用水遊歩は木陰が多い、住宅がどんどん建っているが畑もある。
江戸時代、川越藩主・松平信綱によって野火止用水が作られた。
野火止用水

野火止線道

この魚、40cm以上あっただろうか。この写真は帰りに撮ったもの。

野鳥の森


平林寺の前の道路を挟んで睡足軒の森がある。
江戸時代高崎藩の陣屋があった。後に、新座市に寄贈され文化施設となっている。
睡足軒[田舎家]とその室内[入ることは出来ない]                             紅葉亭[集会室]


平 林 寺 禅宗・臨済宗妙心寺派の寺院、境内は横700m、縦1km、13万坪にも及ぶという。

以下、数字は概ね回った順番である。
1.総門                               2.山門

3.聯芳軒                               4.見桃庵

5.さざれ石                         6.戴渓堂

7.仏殿[釈迦殿]、本尊釈迦牟尼仏、左右に迦葉尊者・阿難尊者

8.経堂[桂林荘]                          9.鐘楼

10.地蔵尊            11.禅堂入り口                           禅堂[未公開]

12.本堂 

13.書院                              14.庫裡

15.平和観音      16.島原の乱供養塔  増田長盛墓[豊臣五奉行の一人]

17.武田信玄次女の墓    18.平林寺堀                            地蔵

敷地内には、幾筋もの用水が流れ、その音は涼しげだった。
19.松平家墓

松平信綱の墓                                             20.野火止塚

21.放生池と弁天堂                        23.喫煙所

22.半僧坊                            内部                                 

24.半僧門[外から]                      伊豆殿橋[雑木林は平林寺、下を野火止用水が流れる]


梅雨の合間を縫って、暑かったが歩いた。
新座には、『のびどめの里フィールドアスレチック』があって、子どもが小さかった昔はよく来たのだが、
その頃は、平林寺と言う寺があるのも全く知らなかった。
平林寺境内はとても広く、寺と言うより手入れの行き届いた雑木林である。
また周辺にも雑木林が残っていて、野火止遊歩道の多くは木陰であった。

上空から撮られた写真/転用

拝観料は300円であった。印刷された案内があると良い。
私は、ゆっくりと散策した。
初夏だと言うのに、幾つかの楓の葉が紅葉していた。
境内には楓の木が多い、秋の色づきはすごいだろう。
お薦めのスポットだ。

西武新宿~高田馬場を歩く

2009年06月15日 | ウォーキング
西武新宿~高田馬場を歩く 2009/6/14


クラブツーリズムの『西武新宿線を歩く』第一回に参加した。30人。

西武新宿駅・プリンスホテル   新宿高層ビル                    東京モード学園ビル      


成子天神社            本殿         

  富士塚                        力石
  
常円寺                                淀橋七地蔵【常円寺境内にある】                    
     

常泉寺               新栄稲荷神社

 現在の新宿の高層ビルからは想像つかないが、都庁周辺はかつては角筈といわれ、新宿中央公園一帯は淀橋浄水場であった。
 新宿での国際反戦デーのデモの跡、ここで夜を明かしたこともあった。
 その中央公園先には十二社[そう]温泉が今もある。
 約35年ほど前、ここはまだ汲み取り式のトイレであった。その十二社に私は一時住んでいたこともある。
 西新宿一帯は、今も高層ビルの谷間、すぐ脇道は消防車も通れない細い路地の下町でもある。

花園神社                              唐獅子像


新宿ゴールデン街            四季の路[廃線になった都電跡の遊歩道]     藤村旧居跡

 私が通っていた西口しょんべん横町は近代的ビルに生まれ変わり昔の面影は全くなくなったが、
 花園神社と隣接する新宿ゴールデン街一帯は、今なお下町である。
 戦争直後東口にあった闇市が撤去される際その替地として都電沿いのこの地に移転して来たという。
 その木造長屋建ての店舗が今も狭い路地をはさんでマッチ箱のように並んでいる。
 西口しょんべん横町は駅の真ん前で一機につぶされたが、歌舞伎町一帯は駅・繁華街から離れていた事情もあり、
 また所有・権利関係が入り組んでいたり、その他いろんな事情が重なり大規模開発が難しかったのかもしれない。

稲荷鬼王神社              真ん中奥が稲荷鬼王神社左に恵比寿神社

  天水琴【左】恵比寿神社[鬼王神社境内内]/奥と水琴窟【天水琴と同様竹に耳をやると手を洗った水が石を濾過する音がする】
  
  これは試してみる価値のある音である。

コリアン街 昼食を食べた烏鵲橋[オザクキョ]

 新宿ー新大久保一帯は、まさに新コリアン街=国際シティだ。
 看板はかなりけばけばしいが、街は国際色あふれている。
 ビビンバの昼食付きであった。

小泉八雲終焉の地[大久保小学校正門横]       小泉八雲公園        夫婦木神社[民家と民家の間にひっそりあった]


玄国寺                       諏訪神社

  田植・子育・水子地蔵          弁財天
  
  庫裡[武家屋敷のを移転した]          諏訪神社
  

箱根山[戸山公園/戦前陸軍の戸山学校跡地/新宿区で一番の高地、44m]、山頂から新宿高層ビルを望む。

 戸山公園はかつて尾張藩下屋敷跡であり、現在はかなり広大な公園=緑地となっている。
 箱根山一帯は明治期以来、陸軍の戸山学校が作られた。
 戦時中は陸軍軍医学校・陸軍軍医学校防疫研究室があり、
 その跡地の国立感染症研究所建設現場から多数人骨が発見された。 
 731部隊等戦時医学犯罪との関係が強く疑われている。
 戦後は、米軍の兵舎払い下げ資材で都営木造アパートが作られ、その後鉄筋コンクリートの都営戸山ハイツアパートとなった。

穴八幡神社                   布袋尊 放生寺[寄らない]


椿山荘 入口[冠木門]                 長松亭

  三重の塔と庭園内                 庚申塔
  
 山縣有朋が私財を投じてこの地を手に入れたと言うが、私は疑問に思う。
 早稲田の広大な敷地を大隈重信もまさに濡れ手の泡で手に入れたように[と私は思う]、
 山縣も二束三文でこの広大な敷地を手に入れたではないだろうか。
 その後藤田観光財閥の手になり、今は結婚式場になっている。
 この日、大隈重信公園にも行く予定であったが、日曜は入れないとのことである。

芭蕉庵跡                        水神社


新江戸川公園

 細川家下屋敷の庭園の跡地であった。

金乗院                   倶利伽羅庚申塔          丸橋忠弥供養塔

 ここは、4月に訪れた。目白不動尊・鍔塚などがある。金乗院を参照。

山吹の里[太田道灌所縁の地/オリジン電気入口脇]、  そこには風力発電装置が。近くの面影橋に里程標が


甘泉園

 徳川御三卿の一つ、清水家の下屋敷があったところで、湧き出ていた湧き水がお茶に適して評判であったという。

水稲荷神社                    大国社          駒繋松

  堀部安兵衛碑                    耳欠神狐          水神社
  

亮朝院/七面明神堂                   本堂          

 金剛力士石像が有名である。
 本尊は、七面明神と一塔両尊四士形式の曼荼羅[本堂]の二つ。
  鐘楼
  

高田馬場駅近くにインド大使官邸、この付近には沢山のインド料理店が


東京は、不思議な街ではある。
大名の広大な上屋敷・下屋敷が点在する。
明治維新の後、その運命は様々のようである。
大名屋敷は、現在の所有概念と異なり、大名の領地・所有ではなく、幕府がいわば貸していたようである。
明治になって、必要な大名には払い下げもされたが、没収されたようである。
広大な敷地・屋敷の維持は経費もかかるので放棄されたようだ。
明治政府はこうして一等地を手に入れ、時の権力者はその一部を安く手に入れ、私服を肥やしたのではないだろうか。
今日、公園であったり、緑地であったり、とにかく大きな建物や施設の多くは、元は大名屋敷だったようだ。

歩いたエリアは非常に狭いのだが、歩いた距離はかなりである。
ガイドはちょっと足を伸ばしすぎたかもしれない。
いくつか省き、のんびりもよかったと私は思うのだが、このツアーの主な目的は歩くことにあるようなので。
新宿は大都会なのだが、ちょっと路地をはずれるとまさに区画整理もされていない。
実は、新宿だけでなく、東京は至る所そんなである、と私は思う。