風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

佐野洋子さんの本/100万回生きたねこ・死ぬ気まんまん

2011年11月21日 | 読書ノート

読みたかった、佐野洋子さんの『100万回生きたねこ』を図書館で借りて読みました。
ごらんのようにちょっと怖い主人公の"ねこ"は、王・船乗り・泥棒・おばさん・女の子などにかわいがられましたが、彼は彼らが嫌いでした。
彼は、100万回死んで、100万回生き返りました。
自分のネコになった彼は、美しい白い猫と出会います。
彼女は彼を見向きもしませんでしたが、彼は彼女のそばにいつも一緒にいました。
彼女は彼の子どもをたくさん産みました。
白い猫が死んだ時、彼ははじめて泣きました。
彼は100万回も泣き、そして静かに動かなくなり、生き返りませんでした。

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佐野さんの最後のエッセイ集とお医者さんとの対談集。
彼女にしては軽妙さや毒舌が少し薄れた印象です。
「立派な死」という魅惑的な言葉に私は大変引っかかりました。
生にこだわるあまり、"がむしゃらな延命治療"などを求めない意味ならわざわざ「立派」と言う必要はないのになぁっ、と思います。
生きよう・生きたいと懸命に頑張るのも良し、でも私はそれをしません、の方が私は「潔い」と思うのですが。
人は生まれ、生き、そして死ぬ。
そこに、「格好いい」、「立派な」、「ぶざまな」、「立派でない」などの形容詞は要らないと私は思いたいです。
もっとも、佐野さんが言うように、「命は地球より重い」とか「命は何にもまして優先される」などとは私も決して思いませんが。
ガンとわかってからも喫煙し、麻雀するのは豪快かも知れないけど、とりたてて自慢することでもないとも思います。
日教組、戦後民主主義が日本を駄目にしたなどというのもちょっと的外れというかやけっぱち気味だなと思います。
対談の相手の平井達夫医師の「人の脳は全てを支配しているのではない」は、もっともなことなのですが、ハッとしました。
人が自分の生命維持活動について意識的にすること、出来ることは本当に少ない、いやほとんど無いのですね。
呼吸・血圧・体温・消化・髪の毛が伸びたり抜けたりすることなど体のほとんどのことは自分の意志や感情とは無関係に行われています。
暴飲暴食を控えたり、栄養や肉体の鍛錬やなど、私たち人は健康=死を遠ざける為の努力を大変にします。
でも、自分の意志と全く無関係に行われる動物的生と死に関わる営みは、それと比較にならないほどはるかに偉大です。
若い頃は、自分の運命は自分が切り開くことが出来る、傲慢的に言えばどうすることも出来る、と思ったものですが、
人は、出来ないことの方がはるかに多いのであって、出来ることを慈しんだ方が良い、そうフッと思うと急に気楽になりました。
おそらく、こうした思いが「老い」なんだろうな。                                                【終わり】

佐野洋子さんの「人生の基本」

2011年10月23日 | 読書ノート

私の好きな佐野洋子さんが作年11月72歳、癌でなくなった。ブックオフから入荷のメールが届き、白馬・松本の旅行で読んだ。
西原理恵子、リリー・フランキーさんとの対談集なのですが、その二人が武蔵野美術大学出身で、佐野さんの後輩とは知りませんでした。
私は、佐野さんの絵本はまだ読んだことないが、「生に執着」しない「達観」の佐野さんのエッセイと、その独特の文体が好きだ。
闘病のため、執筆は難しく対談が多くなったようだが、スタイルは変わっていないようだ。
ソファーに横になって、紫煙をくねらせる写真 良いですねぇ。
「人間も動物だから、一生なんて、息して、ごはん食べて、うんこして、子ども産んで、死ぬっていうだけなんだよね。」
「贓物を取り替えたりするほうが不自然で、飢えて死ぬ方が自然だと思うね。命って、そういうものだと思う。」
「『人の命は地球より重い』って言う人がいたら、『えーっ!!』と思うよ。重いわけねーじゃんかって。」
「生まれてくるのも死ぬのも、自分の意志ではないわけでしょ。"生きる"というのは、死ぬまでのひまつぶしという感じがするんです。
たいしてみんな、意味のあることをしてるっていうわけじゃないんだよね。だけど生きていると、くだらないことがおもしろかったりするじゃん。
そうすると、やめられない。…だから生きてみなきゃ、わからないんだよね。」
「余命を聞いたときに、死ぬまでいくらくらい病院に払わなきゃなんないかもきいたの。そうしたらいちおう見通しが立ったの。
だからその日にジャガーを買った。」
「この年になったら、『あのときやっておけばよかった(=男女のおつきあいのこと)』って。」
「(論理に対して)『だってそうだもん』って人の方が強いんだよね、絶対に。」
佐野さんの母親が"ぼけて" 「世の中は、あってもなくてもいいことばっかね」と。
西原さんもかなり豪女です。

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第64回ロカルノ映画祭金豹賞(グランプリ)審査員特別賞を受賞したというが、駄作そのものでした。
ストーリーには何の新味もなくマッタリししていて、主演の三浦春馬は美形というだけで芝居はへたくそな素人そのもでした。
幼い頃に母親を亡くした光司(三浦春馬)はカメラマンを目指す学生で、彼の父親は、美咲(小西真奈美)と言う娘を持つ母親と再婚するのですが、
その彼女が、義理の弟・光司に思いを寄せ、また光司の死んだ友は成仏仕切れず、光司の家に住み込んでいる、という何とも漫画チックな設定です。
公園で家族の写真を盗み撮りしている光司は、ある日、一人の男からある女性の写真を撮って欲しいと頼まれます。
頼んだ彼は、妻の浮気を怪しむ金持ちの医者の夫、普通なら探偵に頼むのに、初対面の彼に頼み、彼もそれを引き受けると言う無理な設定。
このように無理だらけの設定ですから、リアリティの欠片もないのですが、結局最後まで見てしまいました。
ロカルノ映画祭は、この映画の何が優れていると評価したのでしょう。
並映の『軽蔑』は予告遍で面白くなかった上に、『東京公園』も面白くなかったので見ないで帰りました。
映画はつくづく「ばくち」だと思います。                                          【10/17】

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今年の夏(8月)、妻の実家に行った時の江ノ島 小田急電鉄江ノ島線の駅         奥は江ノ島
 
  

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今年12月ベトナム・カンボジアの観光旅行をするので、9月26日、ビザを取りにカンボジア大使館に行ったのですが、
国民の祝日=旧盆で大使館は休みでした。カンボジアでは三連休のようですが、日本ではこの日だけが休みでした。
翌27日再訪しました。カンボジアは入国にビザが必要な数少ない国です。
カンボジア大使館
 
 
私は、昼前に着いたのですが、10人ほどがビザ申請のため並んでいました。
カンボジアのビザの取得方法は、いくつかあります。 ちなみに、
電子ビザ                         ビザ

もちろん、大使館や領事館に直接行く方法、その他郵便で申し込む方法、そして安く簡単なのが"電子(e)ビザ"です。
電子ビザは料金が安くインターネットオンラインで申し込めるので便利なのですが、かつて「偽サイト」が横行し、詐欺に遭うことがあったようで、
在日カンボジア大使館のホームページでもその警告をしています。
私が、"Google"で電子ビザを発行するカンボジア外務省にアクセスを試みた時は、"Not Found"でアクセス出来ませんでした。
旅行代理店なども電子ビザは推奨していなかったので、私は在日カンボジア大使館で求めました。
この記事作成の時、試しにアクセスを試みると出来ましたので、大丈夫になったのかもしれません。
大使館で求めると翌日受け取りの場合は2500円ですが、当日受け取り(約10分後)だと1000円割り増しとなり、
電子ビザは安く25米ドル、郵便方法だと4300円、代行業者に頼むと4500円ほどのようです。
もっと安い方法は、20米ドルでカンボジアの空港で求めることが出来るそうです。

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10月8日、千葉の病院に入院している友人を見舞いました。 千葉駅から病院まで歩きました。
千葉公園
 
れんげ亭                                
 
元陸軍鉄道第一連隊演習場                    元鉄道隊架橋訓練線跡
 
千葉県下には、旧日本軍の基地がたくさんあり、この一帯には、明治期陸軍の鉄道専門の連隊があったと言う。
荒木山                                茶室・好日亭
 

千葉駅から伸びるモノレール、一つ目の駅が千葉公園駅


厳島神社
 
7月から、入院していた友人は、過酷な5回に及ぶ抗がん剤治療に耐え抜いて、つい先日退院した。
予断は許されないが、今後は自宅通院で抗がん剤治療を彼は戦う。私は、その強い心に励まされる。
彼は入院中、退院後を見据え、ビオカメラを購入し、手足に重しを付けて院内を歩くリハビリをすでに始めていたのです。
私が、福島五色沼や白馬の旅行のことを話すと、「ビオカメラをいじりながらスキーで行ったよ」と話していました。

覚えていない

2006年12月31日 | 読書ノート
覚えていない/佐野洋子


楽天のポイントの締め切りが近づいたので、久しぶりに新本を買った。
1990年頃の雑多のエッセイ集だが、ちっとも古くさくない。
佐野さんの本はいつも楽しい、それでいてつらくもある。

気に入った文。
【立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花に人格は必要か。バラはバラだからバラなのである。
年老いて自分の役割が終わると、男達の言語も終わるのである。
今や、私の生きる目的はいかなるババアになるかということに尽きる。
私は読むはじから忘れていくので、いくら本を読んでも何の役にも立たない。読んでいる間だけ面白いのであって、読み終えるとすっかり忘れている。】

以下余談
12月に入って剣道の道場に再び通い出した。
自分では健康と暇つぶしで行っているのに、脚が曲がっているだの、腕がどうのと人の欠点を指摘し、教えたがる人がいるのは本当にヘキヘキだ。
好きにさせろっての、いかんせんこの世界は、マイナーで、保守的で古い。
でも30秒も持たないで「参りました」と休んでまた稽古。
大汗をかくほどの一生懸命にはならない。

同じく、12月に入って英会話の勉強を始めた。
もっぱらリスニングだ。
ネットは大変便利で、外国語のラジオが聞ける。
重いカセットレコーダーに録音して通勤時に聞いている。
携帯CD、MDもデジタルレコーダーも持っていないので。
VOAのスペシャルイングレッシュは初心者向けにゆっくりしゃべる。
聞き取りはできないが耳ざわりはいい。
ゆっくり過ぎる時はスピードをちょっと速めて。
だが、女性アナは、あの過剰な英語らしい発音でなんともイヤらしい。
ラジオジャパン、ABC、CNN、などいずれも早過ぎる、を通り越して聞き難い、いやそれも通り過ぎてこれはもう騒音である。
NHKのラジオジャパンは口がマイクに近すぎて息継ぎの音がとにかくうるさい。
これは日本人アナウンサーがネイティブらしく早くしゃべるために、小声でしゃべるためだと思う。
日本人を使うのはどうしてなのだろう。
VOAは文字化もされているので、翻訳ソフトで翻訳するが、日本語に全くなっていない。わからない単語の意味を調べるには一括翻訳が便利だが。
新しいソフトはもっと良くなっているのかもしれない。
さて、いつまで続くであろうか。
そのため、しばらく読書は休止。


わが友マキアヴェッリ

2006年11月26日 | 読書ノート
わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡/塩野七生著

・マキアヴェッリは1469.5.3生まれ。

・15世紀後半のイタリアはミラノ公国、ヴェネツィア共和国、フィレンツェ共和国、法王庁国家、ナポリ王国が列強として連なる大国であった。
・『君主論』のモデルは、チューザレ・ボルジアであった。
・16世紀初頭の都市国家フィレンツェの人口は約50万人であった。
・プラトンやアリストテレスの時代の政治[ポリティカ]は、倫理[エティカ]と同じことであった。
・マキアヴェッリが指導者に求めた三大要素は
 ①ヴィルトゥ=力量・才能・器量、~元々の意味は生命力が最上の状態で発揮され  た時の人間
 ②フォルトゥーナ=運・好運、
 ③ネチェシタ=時代の要求に合致すること

・真のルネサンス魂はレオナルド・ダ・ヴィンチに体現されている。
・もともとその面の素質があったからその結晶である作品が生まれるのであって、環境はその素質を自覚させる役割しかもたない。
・マキアヴェッリ作喜劇『マンドラーゴラ』
・ある制度を維持したいと思えば、時にはその制度の基本精神に反することもあえてする勇気をもたねばならぬ~マキアヴェッリ

・ローマ法王が招集して成立する同盟は、普通、神聖同盟と呼ばれる。

・『君主論』:時代が変われば統治の方式もそれに応じて変わる必要がある。1513年。
・『政略理論』:共和制を維持したければ時には共和制の精神の反することもあえてする勇気をもたねば、共和制そのものをつぶしてしまう結果になる。1516年。
・『戦略論』:市民兵制度確立の必要性を徹底して論じる。1521年。

・1527年ドイツ・スペイン連合軍はローマ(バチカン)を陥落させる。現代ローマにバロック建築が多いのは、この時の略奪でルネサンス建築の8割が破壊された。ローマの人口は9万から3万に減った。
~フィレンツェはメディチ家が追放され、共和制に復帰した。マキアヴェッリは書記官に立候補したが落選した。その10日後、マキアヴェッリは病気で死んだ。58歳。
~1530年、フィレンツェ共和国は神聖ローマ帝国の手によって滅亡した。
以降、専制君主政が始まり実質的にはスペインの支配下に入り、反動宗教改革野荒らしが吹きまくり、ルネサンス時代は終焉した。
~1559年、マキアヴェッリの全著作は良きキリスト教徒には不適当なものとされ、禁書に指定された。

最後に「これを読み終えられた今、あなたにとってもこの男は、「わが友」になったでしょうか」と書いて塩野はこの本を終えたが、私のは今ひとつマキアヴェッリが魅力ある人物には感じられなかった。
・マキアヴェッリがルネサンスのまさに時代の渦中にいて、ミケランジェロに製作代金を届けたり、政治論だけでなく演劇の脚本まで書いていたことは知らなかった。
また、フィレンツェの大統領府の書記官(ノンキャリア)=課長クラスとして外国と交渉したりしたことも知らなかった。



2006年10月

2006年10月21日 | 読書ノート
2.ルネサンスとは何であったのか/塩野七生ルネサンス著作集1

写真は表紙に使われたミケランジェロの「アダムの創造」
・見たい、知りたい、わかりたいという欲望の爆発が後世の人々によってルネサンスと名付けられることになる、精神運動の本質でした。
・宗教には教典をもつ宗教か、それをもたない宗教かの違いがある。教典をもつ宗教はユダヤ教、キリスト教、イスラム教でいずれもが一神教。教典をもたない方の代表はギリシャ人やローマ人が信じていた宗教でこちらは多神教。 独立した聖職者階級をもつかもたないかの違い、聖職者とは教典を解釈し一般の信者に説き聞かせる、ギリシャ・ローマには聖職者階級は存在する必要も無かったし、存在しなかった。
・中世は土地を資産とする経済構造下にありその土地を所有する封建領主が主導権をふるっていた時代、これに対し、土地は持っていないが頭脳は持っている人々が集まって作ったのが都市国家。頭脳宗団であった都市に住む住民達の一人一人の生産性は高くルネサンス盛期では封建領主や修道院の所有地で働く人の40倍にもなっていた。フレンツェ・ヴェネツィアの経済力の方がフランスやイギリスやトルコを完全に凌駕していた。
思考と表現は同一線上にあってしかも相互に働きかける関係にある。明晰で論理的に話しかけるようになれば頭脳の方も明晰で論理的になる。~自分の目で見、自分の頭で考え、自分の言葉で話し書くルネサンス、神を通して見、神の意に添って考え、聖書の言葉で話し書いた中世。
現代イタリア語の基本は14~16世紀フレンツェのダンテからマキャヴェッリ等によって完成した。イタリア語では古文が存在しない、そのまま現代に通じる。
ヴェネツィアではペストの潜伏期間とされている40日を過ぎた後でないと入港させなかった。検疫という言葉はヴェネツィアの方言40日間の意味から来ている。
デカメロンとは10日の物語の意味だが、10をあらわすギリシャ語のデカと日をあらわすhemeraの合成語。
政治とは、行き過ぎを是正することで経済の繁栄を長続きさせる人智、と言い換えても良い。
レオナルド・ダ・ヴィンチは見ることのできないものを論ずるのは意味がないと言ってプラトン・アカデミーには参加しなかった。
宗教とは信ずることであり、哲学は疑うことである。哲学では原理の樹立と破壊をくり返し行うことによって成される。
マキャヴェッリは考えた。
 千年以上もの長きにわたって指導理念であったキリスト教によっても人間性は改善されなかったのだから、普遍であるのが人間性と考えるべきだと。
・十字軍とはそもそも人口が増加したヨーロッパに増えた人口を養っていけなくなってパレスチナに繰り出したのが発端。
・異なる考えも認めたのがルネサンスならば認めることを拒否したのが反動宗教改革=カトリック教会内部に生まれた危機意識の所産で異端裁判嵐が吹き荒れる時代になった。主役はスペイン人となった。
・ヴェネツィアでは、利益率の高い胡椒を初めとする香味料を運ぶ大型ガレー商船は個人の所有は許されず国家所有であった。
・ヴェネツィアでは、プラトンアカデミーのような古典の研究機関はなかったが、古典を対訳までつけて、文庫本で出版した。
ルネサンスの遺産とは、
 ①芸術品
 ②精神の独立に対する強烈な執着=自分で見、自分で考え、自分の言葉で話し表現し他者に伝える。
 ③二元論ではなく一元論的考え方。
 ~キリスト教では神は善であり、悪の方は悪魔としか言いようがない。善と悪・精神と肉体・神と悪魔というように元は二つに分かれている。
 ~古代のギリシャ・ローマでは神さえも善と悪の双方を持つ存在であり、まして人間では自分の内に善と悪の双方を持つ。古代を復興したルネサンスでは当然ながら人間が中心にならざるをえない。悪もまた我にあり、なのだから自己コントロールを求められる、精神も強靱でなければならない。

《とにかく一神教の害毒は計り知れない。今日のアメリカは一つの一神教と言える、世界の唯一超大国の善なのだから。金日成もしかり、スターリン主義の共産主義も、毛沢東・ヒトラーもそうであった。唯一絶対を掲げるものを一神教とすると少し世の中見えてくる。全てをこれで割るのは乱暴だが。仏教は一神教ではないが、他力本願=絶対的な仏に導かれる、は一神教につながるかもしれない。
絶対神にあこがれ・信仰する人の精神はどこから生じるのだろうか?
古代ローマの次はルネサンスか中国かと思っていたが、間をおこう。》


1.紅衛兵の時代/張承志著/岩波新書


2006年9月読書ノート

2006年09月12日 | 読書ノート
1.図解雑学・ローマ帝国/坂本浩
ざっと流れを整理しようとしたのだが、期待したのが無理だった。

2.中国文化故事物語/王矛(ワン・モウ)・王敏(ワン・ミン)
著者の博学はすごいのだが諸説の紹介は専門的で煩雑な感じだ。それはさらっとながして良いのでは。「黄色の信仰」「苗字」「観音様」「徐福は神武天皇か」など興味深話題がたくさん。

3.人々のかたち/塩野七生・雑誌フォーサイトに連載された映画エッセイ集

4.『映画の名画座』/橋本勝/社会思想社・現代教養文庫~259本だてイラスト・ロードショウ
=イラストが面白く、たくさんの映画を極短く紹介・絶版で古本史上でかなり高いらしいがカバーが無く廃棄した。

2006年8月読書メモ

2006年08月31日 | 読書ノート
1.ローマ人の物語 14 キリストの勝利最終巻/塩野七生著


・人間の顔を表現する場合、その人の顔の現実を映すだけでなく、表現する側がどう見るかをも映すものである。どのような面構えであって欲しい、とでもいう想いの現れでもある。
・神に向ける関心の高まりに反比例して人間への関心は低下したのが帝国末期の特色の一つか、とさえ思ってしまう。
・キリスト教がローマ伝来の宗教と違ったことの一つは、専業の聖職者階級をもつ点にあった。
「偶像」はギリシャ語・ラテン語でもともと「イメージ」を意味する言葉から派生した。~「偶像崇拝」は宗教的な象徴として具象化された像を尊崇すること、特定人物を絶対的な権威として尊敬するこ意味する。
日本語で、偶像と訳されている言葉の語源はidolo、アイドルもイディオーター(馬鹿)も、この派生語である。
・偶像崇拝禁止令に続いたのが、神殿の閉鎖命令であった。 閉鎖まで来れば破壊に進むのは時間の問題である。
・退役兵=ヴェテラーヌス=ヴェテラン、三世紀からは20年の兵役期間は死文化した。
・職業の世襲制は脱税の一手段を産み出した。聖職者は免税=脱税となり、地方自治体の有力者層は雪崩を打ってキリスト教化した。

ミラノ勅令=諸宗教の信仰の自由を保証した文面になっているが、それは建前で本音はキリスト教に公式な立場を与えることであり、その後コンスタンティヌスはキリスト教優遇への道をひた走る。
ギリシャ語・ラテン語の異端はそもそも選択の意味で使われ、「塾考した末に選択した説」であって排斥まで行く「正統な解釈からはずれた説」ではなかった。それが一神教になると選択ではなく、正しいか誤りかとなる。選択ならば共生は可能だし道理さえ認めれば相手に歩み寄ることも可能だが、異端になっては共生も歩み寄りも不可能になり残るは自分が排斥されない前に相手を排斥する布かなくなってしまった。

・オリエントには、現代のイラク・イラン・アフガニスタン・パキスタンが一緒になった大国が古代のは存在していた。
・異教徒=パガヌスと言う言葉は、もともとキリスト教徒がギリシャ・ローマ教徒を
指して言った、未だに迷信を信じている田舎者、の意味をこめた蔑称であった。
・統治ないし支配の権利を君主に与えるのが「人間」ではなく「神」であるとする考え方の有効性。

・これまで国費を使ってなされてきた、教会を建造して寄贈すること・教会活動の経費の財源となる教会資産(農奴付き農耕地・工員付き手工業・店員付き商店など)の寄進や寄付は全て廃止された。[皇帝ユリアヌス]

人間を導くのが神ではなく人間を助けるのが神々の役割である多神教では、神の教えなるもの・教理が初めから存在しない。それゆえ教理を解釈する必要もないからその解釈を調整ないし統一しそれを信者に伝える人=祭司階級は必要ないし存在しない。
・投機は古代にも存在した、語源はラテン語のスペクラティオ=考えをめぐらせることの意味。
・石造りの建物は家事に強いというのは誤解で、柱・壁・梁など多くは木材が使われている。
・キリスト教の司教は自分の教区の教会資産を思い通り使える立場にあり、また司法権まで握っており、権力者である。抗争は過激さはこの権力が介在していたからだ。

宗教が現世をも支配することに反対の声を挙げたユリアヌスは、古代では唯一人一神教のもたらす弊害に気付いた人ではなかったか。古代で唯一の一神教はユダヤ教だが、選民思想を持つユダヤ教徒は自分たちの信仰に他者を引きずり込む考えからして持っていなかった。キリスト教だけが異なる考えを持つ人々への布教を重要視してきた宗教なのである。

・蛮族の精神とは日々の労苦に耐えることで生活を立てるりも他人の者を奪って生活の糧にする生き方を良しとする考え方である。
・蛮族による収奪と国家による重税の双方に攻められて農民の生活は苦しくなる一方であった。彼らは独立よりも保護を選ぶようになる。農民は農奴に変わったのであった。

この頃になって私(塩見)は、ローマの滅亡・崩壊・分解・解体とかは適切の表現ではないと思い始めている。もう存在していない、溶解が妥当と思う。ローマ人がキリスト教徒に敗れたのではなくローマ人がキリスト教徒になってしまった、のだ。

ローマ人はしねば二人の天使が両側から支えて天に昇る、と信じていた。そういう古代人にとって地獄(落ちたら責め苦しか待っていない)は新しい概念であり、恐怖であ
った。

三位一体派はこの時期以降カトリックと呼ばれるが神とその子イエスは同格であり・それに聖霊を加えての三位は一体であるとする。アリウス派はイエスは限りなく神に近いが神とは同格ではないとする。

異端の排斥
・教えを説くこと/聞くこと/集団で聞くこと/そのための場所を提供すること/それを知った司法関係者が告発しなかった者~全財産が没収され追放された。
・さらに異端者に他の人々は交渉をもってはならない。
・異端者を探し出し裁決するための特別の機関が設立された。
皇帝・グラティアヌスはこれまで兼務してきた最高神祇官の就任を拒否した。
・女祭司制度を消滅させた。
・神殿に維持費を出さず、神殿の経費を没収した。
・神殿は閉鎖された。
・神像は破壊された。
・神々に捧げられてきたオリンピックも幕を閉じた(393年)
388年テオドシウスはキリスト教をローマ帝国の国教にするよう元老院に提案し承認された。

・時代が過ぎるにつれて聖人の数も増え近現代になると寝取られ男までが守護聖人をもつと言う有様で、一年に余る聖人数となり祝日をはずれた聖人の祝祭日=万聖節=11.1という。

395年、テオドシウスは息子二人に帝国を二分し世を去った。
東ローマ帝国・西ローマ帝国とそれぞれ独立した無関係な二つの国になった。

ローマ人の物語完結である。
メモ紛失・ブログ作成ミスなどで再読、入力のやり直しと多くの時間を費やした最終巻だった。

NHKでフランス世界遺産縦断の旅があった。
「中世の面影が残る」とのコメントがたくさん流れたが、古代ローマの影響についてはほとんど触れられず、であった。
プロバンスについては、そのことに触れずには語ることはできないのにとつくずく思った。そもそもプロバンスはローマの属州(=プロバンス)の意味なのだから。
古代ローマは、秦と同じ時代であり、その同時代に秦では万里の長城が造られ、ローマでは街道・水道が造られた。
長城も街道も侵略を防ぐ目的で造られた。
それだけを見ると長城は非生産的、街道は生産的のように見えるが、
それは、中国では秦と匹敵する国が他にもたくさんあってそれらをうち破ることなしには秦の生きる道はなかった、
ローマでは、城壁に囲まれた都市国家=ポリスという形・比較的狭く国が作られたことなどが関係しているのではないだろうか。
シルクロードはまだできていないが、ローマとオリエント(ペルシャ)そして秦とは既に交流があったという。
始皇帝の兵馬俑にはその名残が残っているという。
鐙はローマでも秦でもまだ発明されていなかったらしいが、
鞍は秦では使われていたという。

ローマと秦は、今日のヨーロッパとアジアの源流であり、
その精神は今も息づいているように感じられる。

また、ローマは東方には、現代のイラク・イラン・アフガニスタン・パキスタンが一緒になった大国が存在していたこともローマの生成と発展にとっては大きな影響があった。中国にとっても北方の騎馬民族の存在は大きいが、ローマにとっては大国であるパルティア=オリエントの存在は、それとは計り知れない位置を占めていた、つまり戦争はありながらも交易はするが、お互いの地を占領することは現実的ではなかった。

ローマの全盛時は、キリストが生まれた時代でもあった。
唯一神を絶対視する一神教=キリスト教が、多神教の古代ローマ溶解させ、時代は中世へと入る。
中国もおそらく古代は多神教であったのだろう。その後、仏教・道教・儒教などの宗教が中国社会の中でも生まれるが、それらは多神教であって、一神教は起こらなかった。
中国・アジアでは一神教が生まれず、支配的宗教にならなかったのはどうしてであろうか。
これらのことは現代にも影響しているのでは無いだろうか?
キリスト教・ユダヤ教・イスラム教という一神教はたしかに、広い意味でのオリエントで生まれたのだが。
イスラム教は、今日ではアジアで広く信仰されているがインド・中国では支配的ではない。

一神教の世界では、靖国問題は理解が難しいだろう。
靖国問題は、A級戦犯が合祀されていることだけが問題・重要なのではない。
戦争で死んだ人間が神として、祀られ・信仰されているのだ。
多神教のローマでは、皇帝の何人かは、その死後、神として祀られているが、
キリスト教の世界ではそうしたことはない。
ただ、その後、信仰の対象となった聖人は無尽蔵に造られた。

古代は多神教であった。
ローマ[ヨーロッパ]は一神教のキリスト教に溶解(塩野)したが、秦・アジアはその一部はイスラム教になったが多くは多神教のままである。
一神教と多神教の共存はあり得るのだろうか。

ヘーゲルはアジアでは生まれようがない。
今日のアジアは、共通性より多様的な感じがする。
だが紛れもなくアジアには一体性・同一性があるように感じられる。

ローマは今なお多くのことを私に語りかける。


塩野さんの後書きはない。
「それは(五世紀)、皇帝の息女が蛮族の長に嫁ぐ世紀でもあった。」
で、この長い物語は閉じられた。







2006年7月読書ノート

2006年07月17日 | 読書ノート
1.ローマ人の物語13「最後の努力」

/塩野七生著

〈第一部〉ディオクレティアヌスの時代(294~305)
・帝国
エンパイアーの語源~インペリウム=支配する、統治する、命令する、を意味する動詞から生まれる。政体(共和制・帝政)のは関係なく、自分たち以外の国や民族まで支配下に置く覇権国家であれば「帝国」である。
ディオクレティアヌスの統治期間(20年)蛮族の侵入は無かった。
蛮族の方にはローマ化する気もなくなったし、ローマもローマ的でなくなった。
[以前は敗者は敗北の後は喜んでローマ化を喜んだ]
ローマ帝国は「元首政」から「絶対君主制」への第一歩を踏み出した。
 皇帝は「市民中の第一人者」から「支配する者」となり、一般人からは皇帝は仰ぎ見る存在となった。~それまで私邸の召使いが使う言葉であった「御主人様」は、市民が皇帝に対して使う言葉になった。市民中の第一人者は支配者に、市民は臣下に変わった。皇帝の服装は宝石をちりばめたものに変わった。

・権力とは、それを持つ者を堕落させるが、持たない者も堕落させる。

四頭政は官僚的ヒエラルキーを生んだ
 東方―正帝ディオクレティアヌス(首都ニコメディア)―副帝ガレリウス(首都シルミウム)
 西方―――正帝マクシミアヌス(首都ミラノ)――――――――副帝コンスタンティヌス(首都トリアー)
地方組織は、管轄区・県となりその官僚の任命権も皇帝が握った。

・税制も変わった
アウグストゥス時代は、国家は税収の範囲内でしか手がけなかった。
ディオクレティアヌス時代になると、国家に必要な経費が課税された。
・ほとんど全ての職業に世襲制が布かれた。

【増田総括。ディオクレティアヌスは、それまでの軍人割拠を統一し蛮族侵入を防いだが、古代ローマのローマらしさのほとんどがなくなり、中世の絶対君主制を準備した。】

〈第二部〉コンスタンティヌス時代(306~337)
兵站=ローマでは兵站はars=英語ではartつまり技(わざ)、すなわち人間がなすべき全てのことを意味したが、以降兵站はロジスティクス=輸送が使われる。
・コンスタンティヌスは元老院議員を富裕度に応じて四段階に分けた。
・コンスタンティヌスは新しき首都[ビザンティウム]、新しき政体、新しき宗教による、新生ローマ帝国を実現しようとした。
・元老院の始まり~数多くの部族の連合体であった王政時代のローマで300人にもなった部族長達を集め王への助言機関として設置された[紀元753年]。
 紀元509年に共和制に移行。
・「金本位制」を導入~金貨で給料をもらう国家公務員はますます富裕化した=銀・銀貨の価値は低下  

〈第三部〉コンスタンティヌスとキリスト教
・ミラノ勅令312年=キリスト教を宗教の一つとして公認した。
「各人は自信が良しとする宗教を信じそれに伴う祭儀に参加する完全な自由を認められる。キリスト教徒に認められたこの宗教の完全な自由は他の神を信仰する人々にも同等に認められる。
~それまで弾圧時に没収された教会の資産は返済された、同時に没収財産を競売で手に入れて所有していた者に国家による補償をした。
・宗教を大義名分に使えなければ争いは人間同士のことになり単なる利害の衝突に過ぎなくなる。ゆえに争うことが損と分かるや自然に収まる。宗教を旗印にすると問題は常に複雑化する。
・一神教では教祖の言行が最重要の教理になる、その教理は解釈し意味を説き明かす人を通すことによって一般の信者とつながってくる。
 教理の存在しない多神教では専業の祭司や聖職者階級は必要としない、一神教ではこの種の人々の存在が不可欠になる。
=教会資産の必要性の一つは聖職者達を養い維持することにある。第二は恵まれない人々への慈善事業のためである。つまり、資産は教会活動で重要克不可欠な要素である。
・コンスタンティヌスは皇帝の私有財産=つまり帝国最大の地主になっていて本来は国家財産をキリスト教会に寄付した。
・さらに聖職者階級の独立・公務免除=[あらゆる公務に就かない権利]を強力に支援した。~没落していた中産階級は教会に引き寄せられていった{キリスト教会の聖職者の独身が義務づけられたのは中世には行ってから}
ニケーア公会議[325年]アリウス派とアタナシウス派N教理論争を調停。~神とその子イエスは同位か・同位でないか、つまり〈三位一体〉説=神とその子と生霊は一体であり同位であるという説と十字架上で死んだイエスは神ではありえない、とする論争。イエスは死んだが三日後に復活したのだから神になった。
~多神教であったローマでは祭司はいたが聖職者[神の意志を人間に伝えるのを仕事にする人]はなかった。          

なぜコンスタンティヌスはキリスト教信仰に熱心だったのか?
キリスト教徒の数は5%で決して多数派ではなく少数派であった。
塩野の答えは、【支配の道具】である。
ローマの皇帝の任期は終身であった、皇帝のリコールは肉体の抹殺しかなかった、三世紀リコールが次々と起こり政局は不安定となった。
権力者に権力行使を託すのが人間であればリコールも人間である、この権利が人間でなく他の別の存在であったらどうであろうか、多神教ではそれは無理だが一神教ではそれは可能だ。
「各人は上に立つ者に従わなければならない、神意外には権威を認めないが現実の世界に存在する諸々の権威も神の啓示があったからこそ権威になっているのだ、だからそれに従うことは結局はこれら現世の権威の上に君臨する、至高の神に従うことになるのだ」[パウロ]
=現実世界の統治・支配の権利を君主に与えるのは人間ではなく神である、とするアイデアの有効性。
~神意を伝えるのはキリスト教では聖職者であり、上級の聖職者・司教である。
司教を見方にする方策とは?
・教会資産の保証とその増やすこと~教会の建設・資産の寄贈・聖職者の公務と納税の免除・独身者への法律上の不離の改称・司法権を司教に認めた.

「コンスタンティヌスは、現世ではキリスト教の教えでは大罪でもやらざるを得ない以上、キリスト教徒になるための洗礼をあのような行為はやろうにもやれない時にまで先延ばししたのである」


読書ノート2006.5

2006年05月31日 | 読書ノート
5.中国怪食紀行
小泉武夫著/「我が輩は『冒険する舌』である」
中国には10回以上行っている小泉さん、
食を心から愛する小泉さんの面目躍如・抱腹絶倒の一冊。
中国は国も歴史も広く古く、食文化も広い。


4.新落語的学問のすすめ
/桂文珍著・慶應大学の約4ヶ月の講義録。
関西大学での講師経験を踏まえ精選され、佳作である。
「ひるからは ちとかげもあり くものみね」
蛭、蚊、蜂、蜥蜴、蟻、蜘蛛、蚤が隠れている。


3. ローマ人の物語Ⅹ すべての道はローマに通ず・塩野七生著



はじめに
1.街道
・社会資本と訳そうが下部構造と訳そうが、インフラストラクチャーくらい、それをなした民族の資質をあらわすものはないと信じる。
・ローマ人の考えていたインフラには、街道、橋、港、新田、公会堂、広場、劇場、遠景闘技場、競技場、公共浴場、水道等の全てが入ってくる。ソフトのインフラになると安全保障、治安、税制に加え医療、教育、郵便、通貨のシステムまでも入ってくる。
・言語とは、現実があって、それを表現する必要に迫られた時に生まれる。
・ローマ人はインフラを「人間が人間らしい生活をおくるためには必要な大事業」と考えていたのではないか。

第一部 ハードなインフラ
・紀元前三世紀とは、偶然にしろ、地球の東と西で大規模な土木事業が始まった時代でもある。
 東方では万里の長城・秦の始皇帝時代に建設された長城だけでなく16世紀の明の時代の建設の長城までを加えるとその全長は5千キロにおよぶ。
 西方ではローマの街道網、前三世紀から後二世紀までの五百年間にローマ人が敷設した道の全長は幹線だけでも八万キロ、支線まで加えると15万キロに達した。
・ローマ街道とは、幹線ともなればことごとく一面に大石を敷き詰めた四メートルを超える車道と両側三メートルずつの歩道の計十メートルを幅を持ち、深さも四層からなる一メートル以上にもなるように設計されていた
・インフラがどうなされるかは、その民族のこれからの進む道まで決めてしまうのである。
・人間がローマ街道を行く速度を上回る早さで目的地に到達できるようになったのは、19世紀半ばから始まった鉄道の普及によってである。
・ローマ人はしばしば人間が人間らしい生活を送ることを、文明という一語で表現していた。
・ローマ時代のマイルとは1000歩に等しい距離のことであり、1.485キロ前後になる。
・ギリシャ人は書いている。ローマ人が創造した傑作は三つあり、それは街道、上水道、下水道、の完備である。

2.橋
・首都ローマに橋は、百万を超える人口を考慮してか幹線道路並みの幅を持つようになる。車道の幅は四メートル強は通常に使われる馬車の幅が1.5メートル前後であったので対向二車線であったと言える。
・神殿や広場や水道の工事は「ソチエタス」と言う私企業が入札制度によって請け負うシステムになってたが、街道と橋だけは実際に工事を行っていたのは軍団兵だった。

3.それを使った人々
・「ローマ軍はつるはしで勝つ」と言われたくらいで、兵士全員が「工兵」だった。
・ローマの街道網が20万にも満たない軍団兵だけで大帝国の安全保障が維持できた最大の要因だった。
・カエサルが転戦する地にはことごとく常時数頭の馬をプールしているスタティオネス(ステーションの語源)が線上の点のように配置されていた。
システムとは、衆に優れた力に恵まれた人のためにあるのではなく、一般の人々の力に合致し、その人々の必要性までも満たすものでなければならない。
・一日の行程ごとに諸々の設備を全て備えた「宿駅」が置かれた。
賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶと言うが、学ぶのは歴史と経験の両方でないと真に学ぶことにはならない。歴史は知識だがそれに血を通わせるのは経験ではないかと思う。
ローマ帝国が滅亡した後を暗黒の中世と呼ぶのは「パクス・ロマーナ」が失われたから、つまり外的への防衛、宗教と民族間の紛争防止、治安への保障の全てが瓦解してしまった時代である。
地図とは、情報の集積である。
・コンスタンティヌス帝はキリスト教を公認し国教と認めたが他の宗教を禁じはしなかったが、紀元392年になってテオドシウス帝がキリスト教以外の全ての宗教は邪教であると決め、それらの異教の徹底的な排除に乗り出した。
・車輪外地回転すると鉄の多摩が落ち、それが10個になると少し大きな玉が落ちる、これを繰り返して踏破距離を測った。
十分に機能する道路行政は一貫した政治が行われる国家でしかなしえない。
法律もまた、立派なインフラである。

4.水道
・最初のローマ式街道を造ったアッピウスは水も自然に頼るだけでは不十分であり人工による安定供給システムの確立を目指した。=アッピア水道・紀元前312年。
・地下の坑道を通す距離のほうが長い。流水中の水の温度の上昇を抑えるためであり、水分の蒸発を防ぐためである。
・ローマ時代には水売りがいなかった。
・水もまた、水道・井戸・雨水の三つの選択肢を持ち続けた。
優れた武将は、組織作りの巧者でもある。
・アグリッパ(初代皇帝アウグストゥスの右腕・軍人)は紀元前30年内乱終結後、240人の奴隷[かつての敗者であるが専門家であった]からなる技術者集団を作った。アグリッパが死んだ跡この集団はアウグストゥスに遺贈され、奴隷から解放しただけでなく解放奴隷・一般市民・地方自治体議員という三階級を飛び越え騎士階級に昇格させた。
ローマ帝国とは、カエサルが青写真を引き、アウグストゥスが構築し、ティベリウスが定着させた。 
 国営郵便制度を創設したのはアウグストゥスだが、ティベリウスは各宿駅ごとに警備兵を配置することで郵便や旅行者の安全を期した。
・紀元一世紀半ば、ローマへの総水量は百万立方mを越えている。人口100万として一人あたり1立方mで、現代の大都市と同水準である。
ローマの水道はながしっ放しで、共同水槽は約40メートルごとにあった。
 水をきれいに保つため
 下水道を充分に機能させるため
・水道代の一年の総計は、最高級アパートの一年分家賃の10倍以下であった。
・家まで水道を引くと料金が取られたが、申請手続きは複雑で許可が下りるまで時間がかかった。また、有効期限は申請者一代で相続譲渡は認められなかった。
・水道の水を盗んだものに対してはすさまじい楽の罰金を科した。最高は、84人分の軍団兵の年給に相当した。
・浴場の料金はパン一つと葡萄酒一杯の値段であった。兵士と子供はただ、奴隷も入浴できた。ハドリアヌス帝までは混浴であった。その後は時間によって男女が分かられた。
~充分な飲料水・下水道の完備・入浴=疫病の流行がローマではほとんど無かった。

4世紀キリスト教の拡大
 ・男までが腕を露わにしなくなり長袖の下着をつけ、公衆浴場の混浴は無くなり、浴場にあった裸体の彫刻も撤去された。

・紀元538年には、蛮族の侵入により、ローマに入る水道の水源地の取水口を自ら閉じた。こうしてローマ街道もローマ水道もメンテナンスされずに放置された。

第二部 ソフトなインフラ
1 医療
・ローマは長い間地下鉄がひかれなかった。~低いと遺跡に突き当たるから。
・同じ理由で駐車場が造られず路上駐車が多い。
ローマには長く専門の医師が存在しなかった。~家庭医療と神頼みである。
~家庭医療では家父長の権限と責任が重く大きかった。=予防医学とも言え、身体の抵抗力の強化=食事、適度な労働、じゅうぶんなすいみん、と衛生の保証。
・ローマには病気ごとの神がいた、疫病・発熱・腹下し・腰痛など。

カエサルの医療改革
医師と教師には一代限りのローマ市民権を与えた。~優秀な医師と教師がローマに来た。
・仕事を終えた後入浴し、身体をマッサージし、夕食を取るというライフスタイル。

ローマ市内に大病院を建てなかったのはなぜか?
 寿命がつきたならばじたばたしないと言う死生観~若者や兵士には徹底的に加療する。~墓を不浄なものとしないで幹線道路の両側に墓を造った。
 遺灰埋葬で墓は深くする必要はない。
 医療は公ではなく、私中心の概念(コンセプト)であった。
 「貧しいことは恥ではない、だが貧しさに安住することは恥である」(ペリクレス)
 「貧しき人は幸いなれ」(キリスト)
 キリスト教の「慈愛」は近現代になると「人権」に取って代わり、医療もまた「公」中心の担当分野と考えられるようになった。

2.教育
〈教育も医療と同じ公教育でなく私教育だった。〉
・カエサルはガリア人の家庭教師から学んだ。
・家庭教師料・私塾料=一ヶ月8アッシス[非熟練労働者日当10アッシス、公衆浴場料金成人男子0.5アッシス]
・ローマ軍団志願兵の選抜に際しラテン語の読み書き能力と計算力。
・小学校で学ぶ数学は分数計算まで、分数計算能力は絶対必須だった。属州税10分の一税、売上税百分の一税、相続税20分の一税
・小学校というと、私立の小学校と言うよりフォールムの一郭や屋根のある場所など、午後は公衆浴場=体育場・庭園があった。
・中等教育は、12~17才。
・高等教育は、17~20才で、弁護士・政治家の養成が目的。
・最高学府は、ローマにはなくアテネのアカデミア、エジプトアレクサンドリアのムセイオンであった。教育機関と言うより研究機関で、大学院大学様であった。皇帝の中でこの種の教育機関に学んだ人は皆無であった。学歴は無関係だった。この両機関には国庫から助成され、教授達は年金が支払われた。

初頭・中等・高等教育の公営はキリスト教の支配と共に進んだ。
・帝国の経済力がさかんであった時代には医療も教育も私営であったのに、経済力が衰えた時代に公営化された。ある一つの考え方で社会は統一されるべきと考える人々が権力を手中にするや考え実行するのは、教育と福祉を自分たちの考えに沿って組織し直すことである。
 ローマ帝国の国家宗教がなって後のキリスト教会がしたこともこれであった。そしてその半世紀後ローマ帝国は滅亡した。
 アテネのアカデミア、エジプトアレクサンドリアのムセイオンもまもなく廃校になった。疑いを抱くことが研究の基本だが、世の中は「信ずるものは幸いなれ」の一色になった。

 おわりに

 ローマ人の定義ならば、社会資本・基礎設備・下部構造を意味するインフラストラクチャーは「人間が人間らしい生活をおくるために必要な大事業」となる。

 【現代でも、先進国ならば道路も鉄道も完備しているので、われわれはインフラの重要さを忘れて暮らしていける。……水も、世界中では未だに多くの人々が、充分に与えられていないのが現状だ。
 経済的に余裕がないからか。
 インフラ整備を不可欠と思う、考え方が欠けているからだろうか。
 それとも、それを実行するための、強い政治意志が、欠けているからであろうか。
 それともそれとも、「平和(パクス)」の継続が保証され内からであろうか。】

 本巻は、このシリーズでは異色・傑作である。
 ローマが絶世期・輝ける世紀を迎え、(衰退に向かって)折り返しを迎えるかのような時期にこの巻、
「ローマ人の真の偉大さはインフラ=社会資本の整備にあった」と、
これまでの通年史の方法と全く異なり、インフラ=社会資本についてまとまって叙述されている。
 たくさんの図やカラー写真やが紹介され、ほとんど全ページ引用したいほどの記述である。各巻でまとまって述べられてはいるのだが、
 ・軍隊、軍備 ・税金 ・農場 ・工業 等の叙述にもう一巻必要=欲しいと思う。

 キリスト教=絶対一神教がローマ社会・人間の歴史に与える影響(よくない)を予感させる。


2.ローマ人の物語Ⅸ「賢帝の世紀」・塩野七生著

~ローマ帝国の輝ける世紀をもたらした、トライアヌス、ハドリアヌス、アントニヌス・ピウス。

・トライアヌス[紀元98年~117年]は属州出身の最初の皇帝であった。
・ローマの興隆の要因は、敗者でさえも自分たちと同化する彼らの生き方にあった(プルタコス)

属州対策の原則
・税率を上げない
・インフラの整備~生活水準の向上
・地方分権の徹底

・敗者の神々までいて、それに“ローマ市民権”を与え、30万もの神を持つようになっていた。

・心の底からまじめに皇帝を務めたトライアヌスの治世20年であった。

ハドリアヌス[117年~138年]
・公正な税制とは、広く浅く税を課す制度、と言ってよい。
 関税:20分の一、売上税:百分の一、国有地借地料:十分の一、が定着していた。
・ハドリアヌスは通貨に自分の統治のモットー:寛容・融和・公正・平和を彫らせた。
・ローマ市史に接していて最も強く感ずることは、ローマ人の一貫した持続性である[塩野]
【ローマ軍】についてのまとまった記述。全文引用しておきたいほど。
・薔薇の花咲く島という意味の「ロードス島」
・古代ギリシャは「男の世界」であった。ギリシャ文化を愛すれば美少年への愛に行き着いてしまう。
フラヴィウス・ヨセフス(ユダヤ人)の書いた『ユダヤ戦記』が抜粋引用されているが、これも全文転載したいくらい。

・ローマ皇帝の責務は「安全」と「食」の保障である。だが安全のほうが優先する。人々は安全さえ保障されれば自分たちで自分たちが必要とする食の生産はできるのだ。
・135年からの「ディアスポラ」=離散~ユダヤ教を信仰するユダヤ人イェルサレムに住むことが禁じられた。20世紀半ばのイスラレル建国まで続く。
・ギリシャやローマ[多神教]の人々とユダヤ人[一神教]では自由の概念が違っていた。~ギリシャ・ローマ的自由には「選択の自由」もあるが、ユダヤ教徒・近代までのキリスト教徒にとっての自由には選択の自由は入っていない。神の教えに沿った国家を建設することだけがこの人々の自由なのである。

アリスティデス[26才のギリシャ人が建国を祝う記念講演(143年)]の話。
ホメロスは謳った。
ローマ人は傘下に収めた土地の全てを測量し記録した。その後で河川に橋を架け、平地はもちろんのこと山地にさえも街道を敷設し、帝国のどの地方に住まおうと往き来が容易になるように整備した。そのうえ、帝国全域の安全のための防衛体制を確立し、人種が違おうと民族を異にしようと共に生きていくための法律を整備した。これらのこと全てによってあなた方ローマ人はローマ市民でない人々にも秩序ある安定した社会に生きることの重要さを教えたのである。


アントニヌス・ピウス[138年~161年]~ピウスの意味=慈悲深い
祖先はローマに征服されたガリア人(南仏ローヌ河近郊)
・トライアヌス[至高の皇帝]、ハドリアヌス[ローマの平和と帝国の永遠]、アントニヌス・ピウス[秩序の支配する平穏]
・リーダーの条件~力量、幸運、時代への適合性
 ピウスの場合力量と訳すより「徳」と訳す方が適切かもしれない。
・「帝国の主になった今は以前に所有していたものの主でさえもなくなったと言うことだ」[ピウス]

・次皇帝-マルクス・アウレリウス(ピウスの養子)が父アントニヌスについて述べた文章が全文引用されているが、これも味わい深く全文引用したいほど。

再度、アリスティデス[26才のギリシャ人が建国を祝う記念講演(143年)]の話。
ローマは全ての人の門戸を開放した。それゆえに異人種・異民族・異文化が混ざり合って動くローマ世界はそこに住む全員がそれぞれの分野での労働にいそしむ社会を作り上げたのである。ここでは共通の祝祭日には皇帝が主催する祭儀が行われるが、民族別や宗教別にもそれぞれの祭儀が自由に行われている。このことは各人が各様に自分たちの尊厳と正義を怖じするのに役立っている。ローマは誰にでも通ずる法律を与えることで人種や民族を別にし文化を共有しなくても法を中心にしての共存共栄は可能であることを示した。そしてこの生き方がいかに人々にとって利益になるかを示すために数多くの権利の享受までも保障してきたのである。このローマ世界は一つの大きな家である。

・ギリシャ人の歴史は都市(ポリス)間の抗争の歴史であり、ローマ人の歴史は権力抗争はあっても都市間や部族間の抗争はなかった。

・トライアヌスとハドリアヌスは統治者としてその治世をまっとうした、アントニヌスは父親を務めることで一貫した。


1.コンスタンティノープルの陥落・塩野七生著[新潮文庫]


1453年5月29日、難攻不落と言われたビザンチン帝国の首都コンスタンティノープルはオスマントルコの猛攻によって陥落した。
オスマントルコを率いたのは、21才のスルタン、マホメッド二世であった。
紀元330年ローマ帝国のコンスタンティヌス一世はビザンチウム=コンスタンティノープルを新しいローマとして遷都した。
コンスタンティノープルが陥落し、以降イスタンブールとなり、20世紀初頭までトルコ帝国は続いた。
ビザンチンという何となく東方の香りがするギリシャ正教国は、イスラームの前に滅ぼされた。
・おもしろかった。

2006年4月読書ノート

2006年04月16日 | 読書ノート
3.『落語的学問のすすめ/PARTⅡ』桂文珍著・PARTⅠと比べると芸能人ネタが多くおもしろさは半減。

2.『落語的学問のすすめ』桂文珍著・佳作。~関西大学文学部での講義録。
話した内容にどれだけの加筆・削除・修正が加えられたかは分からないが、主要部分の変更はないだろう。
しゃべり言葉そのままなので、文珍のシャベリがそのまま、っ感じられる。
軽いものをとたまたま手にしたのだが、内容はとても素晴らしい。
もちろん、笑いの連続。
それにしても、非常勤講師の賃金は安すぎる。時給、2000~4000円ってとこか

1.「ローマ人の物語」[8]=危機と克服~塩野七生著

失政を重ね混乱をもたらしたネロが自死した翌年(紀元69年)、ローマには三人(ガルバ、オトー、ヴィテリウス)の皇帝が現れては消えた。内戦状態であった。
[英語のヒストリーには、歴史の意味に加えて“記憶に値する事象”の意味もある]
被統治者は統治者に『正当性・権威・力量』の三条件を求めた
平凡な資質の持ち主は本能的に自分よりも優れた資質の持ち主を避ける

「目的のためには、有効ならば手段を選ぶ必要はない」(マキャベリ)
・敬意とはしばしば、武力よりも有効な抑止力になりうる(塩野)
・報復の応酬こそが国家の自壊につながる。

ユダヤ民族の特殊性
①居住地が強大国が治めるシリアとエジプトを結ぶ線上に位置する。
②優秀な民族であること。[支配者から見れば優秀な民族のほうが支配しにくい]
③離散傾向にあった。
④自分たち以外の民族を支配下に置いた歴史がない。
⑤一神教の民族では、宗教が政治に介入してくる神権政体にならざるを得ない。
一神教は人間にどう行為すべきかを命じ、それに反するなら罰を下すことを辞さない。

小麦法=小麦の無料配給制度~配給は月一度だったが、安息日と土曜日が重なる時は、ユダヤ人に対しては翌日でも許した。
 1ヶ月一人(男のみ対象)30キロの受給申請証明書を得るには受給者自らが出頭しなければならない、とした。~本当に必要とする人のみが申請した。100万中約20万人。後、地方都市、属州にも普及したが、飢餓死は全くと言って良いほど起こらなかった。

皇帝ヴェスシアヌスは、「小便税」を創設した。公衆便所の小便を集めて使用した繊維業者(小便が羊毛に含まれる油分を抜くのに使用した)に課税した。
~ヴェスシアヌスの各国読みがその国の公衆便所の通称になっている。[イタリアではヴェスシアーノ]
ヴェスシアヌスの長男として皇位に就いたティトゥスは、ヴェスヴィオ山の噴火によるポンペイの全滅・首都ローマの火災に全力で立ち向かうが2年も経たぬ内に病に倒れる。続いて皇帝になった弟ドミティアヌスはかなり尽力し成果を上げたが、暗殺される。

・愛敬=シンパシー
・ローマでは「融和」や「信義」のような理念まで神にしてしまう。
・ローマがあれほども長く存続できたのか?~ローマ人は他民族を支配するのではなく、他民族までローマ人にしまったからである。
 ローマ帝国では各属州の独立ないし離反は最後の最後まで起こっていない。
・ローマ式の街道は、平坦に石を敷き詰めて舗装し、幅は5メートルあり、両側には水はけ用の溝が整備された、無料の高速道路である。

ローマには、大規模な教育と医療の施設がない。また、官庁街=独立した官僚施設がない~それでいてどうして大帝国を運営できたのか? 
 中央の仕事は、安全保障と税制とインフラストラクチャーの充実で、それ以外のことは地方(自治体)がした。

マンチェスターのように、チェスターがつく地名は、砦を意味するカストゥルムから来ている。

・自分(塩野)の判断の基準は、
皇帝がなしたことが共同体・国家にとって良いか否かの判定には、その皇帝の後に続いた皇帝たちが彼が行った制作・事業を継承したか、それともしなかったか、を判断の基準にすえた。

・上部構造こそが下部構造を決定するとローマ人は考えた。

暗殺されたドミティアヌスの後を継いだのはネルヴァであった。
彼は、初の属州出身の皇帝であった。
皇帝になって1年半で彼は自然死するが、トライアヌスを養子に迎え、後継者に指名した。

2006年3月読書ノート

2006年03月21日 | 読書ノート
3.「ローマの街角」~塩野七生著・国際情報誌『フォーサイト』に1994年春~1999年の冬間(5年)のコラム集。一コラム新書判3~4頁。

・マキャベリは、1000年もの間キリスト教で指導してきたのに人間性に少しも進歩も向上も見られないのは、人間自体がもともと宗教によってさえ変わり様もないほどに「悪」に対して抵抗力がないからであると考えた。ゆえに、そういう人間達が住む世の中を変えて行くには、この人間性を冷徹に直視することが第一と、主張する。
・勝った武将はいずれも、自軍のハンディを埋めることなど考えず、不利を有利に変えることができた人である。司令官に最も必要な資質は想像力なのである(マキャベリ)  ~不利を有利に一変させるには発想の大転換を求められる以上、想像力しかない。
・人種差別は、宗教上の理由からでもイデオロギィーからでもなく、ただ単に生活上の不都合から生まれる。経済的余裕を持たない「貧しい白人」が他のどの階級よりも先に人種差別主義者に一変する。
・イタリアでは、高校でも大学でも試験の半分以上が口頭試問である。
・優れた人物とは、不測の事態への対処ができた人であったと言うことを歴史は教えている。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が突きつけたもの
~人智による話し合いでは解決できず
 アメリカが断固として介入しない限り国連軍にもNATOにも紛争解決は不可能という事実
 だが、アメリカは世界の安全保障に自国人の血を流す決意はないこと
 冷戦時代には大国のエゴ[意向]と非難されたが、今ではそれさえ明確ではないといこと
 ナチスドイツとともに葬り去ったと思っていた異民族、異宗教、異文化への民への非寛容が不死鳥のようによみがえったこと。非寛容な人間の精神はこの50年、形を変え場所変えて生き続けている。
・動機の正否などは関係ない~動機ならば皆良き意志の発露だ、問題はその良き動機がなぜ悪い結果につながってしまうか、だ。
 「どれほど悪い事例とされていることでもそもそもの動機は善意によるものであった」(マキャベリ)
・韓国と日本は自分たちのことばかり話題にするからケンカするのです。第三国の、しかも遠い昔の第三国を話題にしたら意外と同意見になるかもしれない。
・全てを決するのは持てる力の多少ではなく、その効率よい活用にある。
・民族の「生命」の長さとは、ある時期に真のリストラ=再構築をやれたか否かにかかっている。
第二次世界大戦の日本の敗北の原因は
 ~日本人自体のものの見方とものの考え方と事への処し方にあった。=古代ローマと反対のことをした。
 日本は侵攻した所では必要品を現地調達した~ローマでは基本は本国からの補給でやむを得ない場合でも銀・銅で支払った
 ローマでは玉砕戦法は無縁だった~最少の犠牲で最大の戦果を得ると言う常識。
マザー・テレサを評価する
 救いの手をさしのべた貧しい人たちに対し、キリスト教への帰依を求めなかった
 彼女が与えようとした救いは、貧困や病気からの脱出よりも、その中での安らかな死の方であったこと。
 事前に要する費用を集めるために積極的にマスメディアを利用した冷徹さ。
・“思い遣り予算”なんて英語にもできない形容で自国民を騙すのやめて属国税とはっきり言ってはどうであろうか。
・ローマでは、敗因は細部に至るまで追求された。ただし、敗因は追求したが責任者の処罰は行われていない、敗者復活の機会まで与えられている。失敗は誰でもする。同じ誤りを繰り返さないことのみが勝者と敗者の分岐点になることを歴史は教えてくれている。
外国語という道具を手にする前に修得しておくべき事
 哲学や歴史に代表される一般教養を学ぶこと。
 自らの言に責任を持つ習慣。
 完璧な母国語の修得。
通訳を介さなければならない時の心得
 なるべくなら相手方と同じ国出身の通訳を使う。
 相手の方に身体を向け相手を見て話す。通訳は無視して良い。
 センテンスを短くする。長くなりそうな場合は動詞で切る。~通訳に要約させないため。
 英語が不得手出あることを公表しておく。
構成の歴史家ならば、20世紀をどう見るであろうか。人間は平等であるべきと言う信念を現実化しようとして、様々な実験を試みた世紀、と見るかもしれない。
・覇権国家とは、コンピュータではインプット不可能な「敬意」とか「尊敬」とかいう概念がないと、存続不可という面白い生き物である。
憲法について
第96条のみ改正する。~必要となれば常に改正が可能な状態にしておくべきだから。
=各議院総数の二分の一プラス一人の賛成を必要とする。[絶対不可侵は弊害が多い]
ユダヤ・ローマ法について
 ユダヤ法~神が人間に与えたもの~神聖にして不可侵、改めることは不可。
  法に人間を合わせる。
 ローマ法~人間が定めたもの~神聖不可侵ではない、必要に応じて改める。
  人間に法を合わせる。

【感想】
味わい深く読み応えある一冊である。
投げかけている問題・問は多岐に渡る。
彼女の発想はとにかく柔軟で創造性に富んでいる。
イデオロギィの色目で見ることの誤り・おかしさに気付く。
彼女の考え=提言に全て賛成とは言えないしそれをそのままマネしてもダメであり、現実を“冷徹”に見つめ、現実的解決策を自分の頭で考える事の重要さを痛感する。
『最後に』の「5年間書きつづった提言がどれ一つとして聞き容れられていない」の一言に何と言えばよいか。

2.『イタリアからの手紙』・塩野七生著

エッセイ集
[マフィア]はおもしろかった。
シチリアマフィアが第二次世界大戦後一大勢力になり今日なお絶大な力を保持するのは~
ムソリーニは法手続きなしにマフィアを壊滅まで今一歩の所まで追いつめたが、戦況は変わり、連合国がシチリアに侵攻する。アメリカ(FBI)はムソリーニを攻める時にシチリア上陸への手助け・道案内をマフィアに頼んだのが功を奏し、電撃的に進撃勝利する。イタリア解放後もアメリカの庇護のもとに密輸(酒は安いのでタバコ)・野菜果実市場(オレンジとレモンの輸出)・建設業・住宅・道路・港湾・工場、そして今では水道まで支配下に置いている、と言われる。現在では与野党中枢まで影響力を持っている、と塩野は書く。

1.『ローマ人の物語』[3]勝者の混迷[文庫版上・下]塩野七生著

ポエニー戦争・カルタゴ戦争に勝利し、地中海の覇権国となったローマは政治・経済諸処ほころびが生じてくる。改革に挑むが「内なる敵」もいる。

この巻の前半、ローマの経済について記述されている。
これまで疑問に思っていた経済的仕組みが理解できた。

【騎士階級】[ラテン語:エクイタス]
~ローマ軍に騎士を提供する義務を負う第一階級の属すほどの資産家という意味。
 国政より経済活動に専念する道を選んだ人々と言っても良い。
 ・その重要な仕事の一つは租税徴収の請負(落札すると手数料が入る)。
 ・金貸し業[租税を変わりに払い、後で借金として取り立てる]
 ・軍団に必要な物資の納入
 ・公共事業の請負[この頃セメントが発明された]
  =元老院議院は「商」に携わることは法律で禁じられ、〈裏で:自分の配下の解放奴隷などにさせていた〉
 ・富んだ騎士階級は土地の投資した。

【国有地】~同盟国にした国の土地の一部は没収し国有地とした、紀元前140年当時は国有地総数は50haで全領土の七分の一であった。
国有地はローマ市民に貸与された(借地料は小麦=年収益の十分の一、オリーブブドウ畑=五分の一)、借地権は相続・譲渡も認められた=ほとんど私有地。
~牧畜業やブドウ栽培などは
収穫まで年月を要するので先行投資を要し、兵役義務のある農場と多数の奴隷を使う大規模農園との価格競争で小規模農民は苦境に陥り借金をし次第に土地を失い、ローマに流れ込んだ。
=元自作農の失業者の出現と“農業の構造の変化”
:兵役を務める資格資産を下げても兵役免除者(プロレターリ)が増え、市民(兵役負担がある)がが減った。

「失業者とはただ単に職を失った・生活の手段を失った人々ではない。社会での自らの存在理由を失った人々なのだ。福祉を充実させれば解消する問題ではない」(塩野)

【グラックス法・改革】
・国有地の相続は認めたが、譲渡は認めない。
・広大な国有地を借用している者は、補償金をもらいそれを国家に変換しなければならない。
・返還された国有地を希望する農民に再配分する。
 ↓
無産者に落ちた農民に再度農地を与え自作農に復帰させる=失業者救済・社会不安解消・兵士の獲得。
この借地権がローマ市民の間で譲渡されている限りでは問題はなかったが、実際はローマ市民以外[ローマ連合加盟の市民]の多数譲渡されていた。

「人間とは食べていけなくなるや必ず食べて行けそうに思える地に移動する」(塩野)=ケルト(ガリア)人の移動

【マリウスの改革】 徴兵制から志願制の軍政改革
・総司令官の使える軍団数が伸縮自在になった、~防衛型かた攻撃型に変化
・資産の多少に分かれていた軍団分類が無用になった、同時にバラバラであった隊旗も廃止となり銀製の鷲旗となった。以後鷲がローマを象徴する。
・軍団内の〈ローマ市民-ローマ連合参加兵〉の区別=ローマ市民権の有無の消滅
・これまでは荘官や幕僚は市民集会で選出されて来たが総司令官の任命になった
・歩兵間の区別・武装の区別が消滅し、同じ投げ槍と盾と剣をを持つようになった
・騎兵団[これまでは上流階級の子弟の士官学校的であった]は、乗馬の上手いヌミディア・スペイン・ガリア人によって構成されるようになった。
・近衛兵[これまでは同盟諸都市からの選抜兵]は、全軍団から選抜した。
 ↓
・失業者の吸収、長期に兵を使える
・軍団内では資産による階級制度は消滅した
・ローマ市民と同盟諸都市市民の区別は希薄になった
・最高司令官の権力の増大[軍団数の伸縮・将官階級の任命制導入]
・最高司令官を頂点とする将官階級・一般兵士の関係がより緊密になった
 ↓↓
{マイナス面}:
・ローマ軍団の私兵化
・平時における兵士の過剰

「改革とはもともとマイナスであったから改革するのではなく、当初はプラスであっても時が経つにつれてマイナス面が目立ってきたことを改める行為なのだ」(塩野)
「法律とは厳正に施行しようとすればするほど人間性との間に摩擦を起こしやすいものだが、それを防ぐ潤滑油の役割を果たすのがいわゆる義理人情ではないか」(塩野)
「恵まれた階級以上に頑迷な守旧派と化す‘プアー・ホワイト’はいつの世にも存在する」

【紀元前一世紀のローマ人口】
成年男子(市民権):90万人
イタリア半島全体人口(60歳以上老人女子供);650万人
奴隷:250万人(俗習民やシチリアは含まない)

【奴隷】~高い順
教師(家庭教師)・熟練技術者(医者、建築家、彫刻家、画家)・上級技能者(交易、農園経営、秘書)・一般職人(店のマネージャー、職人、芸人、剣闘士)・芸能(舞踏、奏楽の女奴隷)・家事労働の男女奴隷・非熟練(農園、鉱山)
最高値と最低値の格差は100対一
・自由民の二分の一から三分の一いた奴隷だが大規模蜂起したのは、
大規模農園の多いシチリアで2回で、国内ではスパルタクスの反乱だけだった。


2006年2月読書ノート

2006年02月27日 | 読書ノート
3.『ローマ人の物語』[2]=“ハンニバル戦記”文庫版[上中下]塩野七生著

【ローマ軍団】
ローマ市民・35に分かれた行政区に所属。17~60歳男子は所有資産に応じ五階級に分かれる(無産者除く)。現役(ユニオーレス=ジュニアの語源)=17~45歳。予備役(セニオーレス=シニアの語源)=46~60歳。[将官は年齢制限無し]
執政官[冬=自然休戦期に市民集会で二人選出され、将官も選挙される]~一人の執政官は二個軍団で、合わせて四軍団、将官は24人(内10人は27歳以上10年以上の経験者、残りの24人は23歳以上5年の軍歴が必要)。
24人の将官は獲得票数の多い順に初めの4人は第一軍団。、次の三人は第二軍団、その次の四人は第三軍団、その次の三人は第四軍団、残りの10人は年齢順に配属された。
執政官・将官の選出・配属決定の後、35行政区から抽選で次の年の軍役者を出す四つの区を決める。
軍務担当の四つの区の男子は全員集まり、四つの区ごとにまず4人ずつ前に進み出[年齢体格など同じように]順次四軍団(1.2.3.4.2.3.4.1.3.4の順に)に配属され定員まで続けられる。残ったものは予備役となる。
一個軍団の人数は、歩兵騎兵合わせて4500人前後・全部で18000~20000。
騎兵は最多資産階級で、一軍団あたり300騎。
紀元前225年の軍事力
ローマ市民兵[歩兵20800,騎兵1200=22000]、同盟国兵[歩兵30000,騎兵2000=32000]
シチリア等属州防衛(ローマ市民のみ)[歩兵8400,騎兵400]
ローマ市民・30800、同盟国32000、現役予備役の割合を二対一とするとローマ市民の現役数は20万、同盟国は60万。

執政官の近衛兵は同盟国から選出され、宿営地では近衛兵が執政官を護衛した。
ローマ軍の一日の行程は25キロ。
ローマ人は肉食人種ではなかった。主食はパンかお粥。
夜間歩哨勤務中に眠ると事実上の死刑[両側に並んだ全員が棒で殴る]
最も軽い戦闘中の罰は、食料が小麦の変わりに大麦(馬の飼料=馬並みってこと)。
次は、宿営茅野作の外に宿営した。
最も重い罰は、集団で軍規に反す(総司令官に従わない)ことで軍全体から十人に一人の割合で犠牲者が抽選され、代表で鞭打ちの後斬首であった。(自分自身同罪でありながら同僚を処刑する)[十分の一処刑]

軍務中は無報酬が建前だったが、紀元4世紀初め頃日給が支給される様になった。
一日・歩兵4アッシス、百人隊長8アッシス、騎兵12アッシス、当時奴隷でも一日12アッシス稼げた。
従軍兵士の食糧の配給[同盟国には無料配布、ローマ市民兵は給料から差し引いた]。
ローマ市民歩兵小麦6モディウス(54リットル)、ローマ市民騎兵小麦18モディウス(従者分含む)馬様に大麦63モディウス。

この当時のローマ連合動員可能戦力:75万人。
古代では、鐙(あぶみ)は発明されていなかった。簡単な鞍だけだった。
そうだとすると生まれた時から乗馬になれていないとうまくは乗れない。
従って騎兵は社会的地位が高く裕福な家の私邸に限られてくる。
鐙は11世紀になってようやく普及する。

『天才とは、その人だけに見える新事実を、見ることのできる人ではない。誰もが見ていながらも重要性に気付かなかった旧事実に、気付く人のことである』(塩野)

15年に渡る「ハンニバル戦争」で国土の半ばを荒らされ、10万人以上もの兵士を失い、10人もの執政官・司令官を戦死させているローマであったが、スキピオは講和の交渉をした。
ザマで壊滅的敗北を喫したカルタゴに対し、復讐的制裁を行わず、戦争は犯罪であると言わずそこにはただ勝者と敗者がいるだけで、正義・非正義と分けてはいない。
ハンニバルを殺しもしなかった。
ローマン人の伝統は、敗者さえも許容するところにある。敗者の絶滅は、ローマ人のやり方ではない。武装を解いた敗者に対しては自らも武装を解いた心で対する。

マケドニアのフィリップス五世の言葉「自由な社会のあり方を進めているローマでは、奴隷さえも社会の構成員だ。何かあると彼らにさえ市民権を与える。公職にさえ就かせる。立派なローマ市民だと思って対していると一代前は奴隷だったなどと言うことは始終だ。結果としてわれわれは地からわいてくるのかと思うほどにいつも新手のローマ人と相対さざるを得ないことになる。このやり方でかくも強大になったローマ人に誰が勝てるというのか」

紀元前753年に建国してから600年以上もの間ローマは敗者であろうとも地上から抹消するようなことは一度としてやらなかった。
前146年にはコリント、カルタゴ、スペインのヌマンツィアを消滅させた。
これに対し、塩野はコリント、スペインは「蛮行」と言えない、という。ギリシャ全土・スペインは秩序ある平和をもたらした。
しかしカルタゴの滅亡は、新たなる問題〈ヌミディア=源アルジェリア〉の強大化に歯止めをかけることの余地を閉ざしてしまった、と。

一世紀に渡る、カルタゴ-ローマの争いは、ローマの覇権確立で決着がついた。


2.『ローマ人の物語』[1]=ローマは一日にしてならず(文庫版)[上][下]塩野七生著

【エジプトのファラオ:王自らが神、
メソポタミア:神と人間たちの間を間をつなぐ・神官的色彩が強い、
ギリシャ:豪族の首領という感じ、
ローマの王:神の意味をあらわさない、共同体の意を体言しその共同体を率いていく存在、終身だが世襲でなく、選挙によって選ばれる。】

【1月Ianuarius語源ヤヌスの神
 2月Februarius清めると言う意味から、この季節家畜を殺す
 3月Martus軍神マルスに語源
 4月Aprilis花開くという意味から
 5月Maius旅と商いの神マーキュリーから
 6月Iuniusユピテル神の妻か若者に語源
 7月Iuliusカエサルの出生月を記念、カエサル暗殺(紀元前44以前)は(3月から数えて)第5月と呼ばれた
 8月Augustus初代皇帝アウグストゥスを記念して、それまでは第6月
 9月September第7月の意
 10月October第8月の意
 11月November第9月の意
 12月December第10月の意
 英語はラテン語を直接の母体にしていないが、ローマ文明の強い影響を受けている】

【多神教=ギリシャ・ローマ:人間の行いや倫理道徳をただす役割を神に求めない。神々は人間並みの欠点を持ち、道徳倫理の正し手ではない。
一神教=ユダヤ・キリスト
教:それこそが神の専売特許なのである。神は完全無欠で、人間を正すのが神の役割。
ユダヤ教から派生したキリスト教は、モーゼの十戒中の第一[わたしの他に何ものをも神としない]だけはユダヤ教に忠実だがその他の戒律は全て多神教を取り入れたようだ。②刻んだ像を造ってはならない、③神と主の名をみだりに唱えてはならない。
 ローマ人は、神は守り神であり、守護を求めた。
 愉快な例・ヴィリプラカ女神=夫婦喧嘩の神。
 キリスト教では、守護神とするわけにかいず守護聖人とした。
 ローマには選任の神官たちが存在しなかった。巫女を除けば、最高神祗官から祭司に至るまで市民集会の選挙で決まる。
 ローマでは、狂信的でない故に排他的でも閉鎖的でもなかった、異教徒・異端の概念にも無縁で、戦争はしたが宗教戦争はしなかった。】
 
【人間の行動原則の正し手を、
 ・宗教に求めたユダヤ人
 ・哲学に求めたギリシャ人
 ・法律に求めたローマ人】

 「ブルータスとは、綽名で、意味は阿呆」
 「新しい文明は、なぜか周辺から生まれる」
 「紀元前6世紀頃のローマは東京都の十分の一程度の広さ」
 「紀元前500年頃ギリシャには、150ものポリスがあった」

 貴族と言っても生まれながらの貴族を意味したのは最初の頃だけで、エリートの意味が普通になる。

 元老院(セナートゥス)=S・P・Q・R「元老院並びにローマ市民」の頭文字で現在でもローマ市の告示に使われ、マンホールのふたにも刻まれている。

 ローマ人は地中海を制覇した後でさえも平然とバイリンガーを続けた。  
 ローマ人は同盟国に対し、貢納金や年貢金のような形の納税を求めず兵力の提供(自費での武装)を求めた。
 
 ギリシャでは奴隷は一生奴隷であった。
 ローマでは主人がそれまでの奴隷に報いるとか、貯め込んだ金で自由を買うことができた。この奴隷を解放奴隷と言い、その子の代になると市民権を取得できた。
市民の二重国籍も認めた。
政府の要職や元老院の議席を平民にも開放することで常に新しい血と人材を供給することができた。

【2000年も昔の人記した歴史書=ローマ観の方がなぜすぐれているか?】
 ①ローマの興隆の因を精神的なものに求めない。
~興隆や衰退の要因を感性的なことに求めない。=興隆の因は作り上げたシステムにある。
 ②それらはキリスト教の普及以前に生きた人が書いた。キリスト教の倫理観価値観から自由でいられる。
 ③フランス革命の「自由・平等・博愛」の理念、価値観に縛られていない。
 ④問題意識の切実さにあった。~「あれほど高度な文明を築いたギリシャが衰退しなぜローマは興隆を続けるのか?」
・ローマ興隆の要因は=宗教~人間を律するよりも人間を守護する型の宗教のローマでは狂信的傾向が無くそれゆえ他の民族に対し対立関係よりも内包関係に進む=他の宗教を認めることは他の民族の存立を認めるということ。
・ローマ興隆の要因は=ローマ独自の政治システム。
・ローマ興隆の要因は=敗者でさえも自分たちと同化する生き方。
知力ではギリシャ人に劣り、体力ではケルト(ガリア)やゲルマン人に劣り、技術力ではエトルリア人に劣り、経済力ではカルタゴ人に劣っていたローマ人がこれらの民族に優れていた点は、彼らの持っていた《開放性》=宗教が異なろうと、人種が異なろうと人種や肌の色が違おうと同化してしまった。

“ローマ人の物語”第一巻。
第一巻は全体のエッセンスのような感じがする。[もちろんまだ全部は読んでないが]
《ひとまずの結び》が、また、簡潔でとても良い。



1.『さらに・おとな は が の もんだい』五味太郎

2006年1月読書ノート

2006年01月24日 | 読書ノート
4.お金の思い出~石坂啓 
沖浦さんの重いテーマだったので軽い読み物にした。
石坂さんが大学を卒業し、手塚プロにアシスタントとして入社し、「一流」と言われ始める頃までのお金にまつわる=つまり貧乏暮らしについての断片的エッセイ集。
金持ちだった実家の会社が倒産し、一家で夜逃げし、本当に貧しい生活だったらしい。普通こういう話は成功談=つまり実家や、初めは貧乏だったけどくじけず頑張った、今日の成功は“私のガンバリ”みたいな自慢話が多いのだが、石坂さんの文章は、さらりとしていて、そんなことをみじんも感じさせない。
手塚プロがアシスタントを安くこき使う漫画制作会社ではなく、かなりの高給を払っていたことは「へぇ~」と言う感じがした。

3.瀬戸内の民族誌~沖浦和光 [岩波新書]
瀬戸内は古来から日本の大動脈であった。
しかし、海の民は身分制社会の底辺であり、「板子一枚下は地獄」という過酷な労働を強いられた。
今は、消えた「家船」[=船を家とし、漁業権を持たない、戸籍を持たない零細被差別漂流民]、「おちょろ船」[=ちょろ押し船=小舟で春をひさぐ人]の風俗を伝える。
・675年〈殺生禁断〉令が布告された。仏教の五戒第一律の「不殺生戒」にもとづくもので牛、馬、犬、猿、鶏の肉を食することを4月から9月間禁じた。この禁止令が後代における「穢れ観念」による狩猟民・漁民差別の一つの端緒となった。
禁じられたと言うことは、これらを日常的に食していたと言うことだ。

【メモ】「ワタツミ神」~ワタ=海、ツ=助詞、ミ=霊。
【メモ】「一向」~ひたすら・純粋のこと、「一向専修(せんじゅ)」=ひたすらナミアミダブツを唱えて阿弥陀仏の大慈悲にすがり救われることを意味した。
16世紀には、商人、職人、海陸運送人、卑賤視されていた山の民・海の民・などにどんどん広がっていった。

竹の民[その一部は、サンカ・被差別民]、海の民[その一部は家船]は社会・生産の重要な位置を占めたが、律令制度下農本主義の非農民ということで、戸籍を持たず視され、差別を受けた。
いずれも文字を持たなかった。
その存在を示す資料はとても少ないという。
サンカ・零細漁民は次第に、陸上がり、定着するようになるが、その場所は被差別の近くで、だが、被差別部

落民からもその下とされ差別されたという。
明治以降は戸籍を持つことが強制され次第に歴史から消えていく。
30年前から沖浦さんはこの問題を取り上げているが、沖浦さんの本は図書館にはほとんど無い。
無くなった網野善彦さんは民衆の視点から中世史をとらえ返し風穴を開けたが、沖浦=網野のもっと論争があればよかったのにな~とつくづく思う。


2.竹の民俗誌~沖浦和光 [岩波新書]
竹は日本人に身近な植物で、日常生活品もたくさんある。
竹は南アジア・マレー半島周辺に自生したらしい。
竹の日本上陸は、そうした海洋民族の日本への渡来を示している。
しかし、竹を生活用具にしたのは、農民ではなく、土地無き被差別民であった。
または、河川や山に分け入るサンカと言われる漂白民であった。
沖浦の竹取物語の解釈はおもしろい。時の権力者の天皇一族に破れた隼人系=海洋系の人々の伝承という。
【メモ】
アニミズムと竹の霊力
・竹は三ヶ月で成竹となる、その異常な生長力
・竹の空洞の霊的空間~籠もると言う呪術的意味
・永世的生命力~一本の竹の15~20年だが、地下茎が次々と伸びて若竹を生育させ竹林全体としては途切れることなく続く。
・神秘的一斉開花~20年周期で開花するという。開花の理由はまだよく分からないらしい。花が咲いたからと行って種子ができる訳ではなく、地下茎で世代交代していく。
・竹林の強靱な地盤と神業的葉変わり~落葉期と新緑期がうまく重なり端境期が無く、常緑である。春先の紅葉を竹の秋と呼ぶ、竹の春は秋の季語。
・竹の精力~いろいろな薬用成分が含まれていて、漢方薬・精力剤として用いられてきた。葉芽には殺菌力がある。

〇ヒンドゥー教では全てのモノを浄穢の観念で価値・序列づけた。それをヒトの世界に適用したのがカースト制だ。

1.けったいなアメリカ人~米谷(こめたに)ふみ子

アメリカのユダヤ人脚本家[ジョシュ・グリーンフェルドで映画『ハリーとトント』などを書く]と結婚した米谷さんのアメリカの作家、映画監督、役者たちとの交友録、というより彼らの世界のエッセイ。
マッカーシズムでのエリア・カザンをめぐる『華やかなハリウッドで起こった大論争』、『ゴッドファーザー』脚本のマリオ・プーゾは興味深い。
だが、文章がなぜか翻訳調で読みにくい。

12月読書ノート

2005年12月25日 | 読書ノート
7.『がんばりません』:佐野洋子著

6.『アジアの聖と賤』―被差別民の歴史と文化=野間宏/沖浦和光
 20年も前の1983年出版である。
 インド・中国・朝鮮・日本の被差別民衆史を60歳代の野間さんと50歳代の沖浦さんが“朝日ジャーナル”で対談したものを加筆したもの。
 テーマは重い。  
 2500年以上も前から今日もなお存続するインドのカースト制度=不可触、日本の被差別民、朝鮮の白丁の歴史を丁寧にひもとく。
 中国・日本・朝鮮は律令制が長く、北方騎馬民族と農耕民族が入り交じって来た。騎馬民族は肉食であり、家畜を殺し、食し、皮革を扱うことは〈賤〉=穢れではない。農耕民だからと言って、生き物を殺すことは必ずしもタブーではない。
 仏教は生き物の殺生を禁ずる、また輪廻思想、などが入り交じって、社会の中に被差別民、とその思想・意識を作り出していく。
 沖浦の挑戦は遠大だ。
 沖浦は、
「(これらの問題は)連続・継続、断絶・消滅が絡み合って、単線的な歴史方法論では解明できない」[被差別問題の本質は、長い歴史を持つ史の中での最終の段階における身分差別の形態である。・制を中心とした近世政治起源説に全て流し込めるような貧相なものではない]
「ヨーロッパ文明中心的な近代主義的歴史観=巨大科学技術体系と資本制市民社会を人類発展のための不可欠の道程として評価する生産力中心主義史観=西洋近代文明のみを人類文明史の正嫡として認知しようとする思想=アジア・アフリカ・ラテンアメリカなどの諸地域に自生し長い固有の伝統を有してきた諸文化を価値的に否定する思想では、被差別民衆の生活と文化の歴史は世界文明史の負の遺産・暗い闇の領域として切り捨てられる」、という。
 《野蛮→未開→文明》という発展史観では、「アジア的社会」は、歴史の進歩から取り残されたものであり、ヨーロッパ近代に駆逐される運命とされる。そう、このマルクスの旧来の「アジア的生産様式」の認識は、アジア的段階・ギリシャ・ローマ的段階・キリスト教的・ゲルマン的段階と発展するヘーゲルの『歴史哲学』の思想に発するが、そこではアジア的段階は世界史圏外に据え置かれる。
 以上のような立場からは、アジアの被差別民は見えてこない、と沖浦は格闘する。
 以後、この課題が、どのように前進したかは、私は知らない。
 20年前、沖浦の問題意識は一部で取り上げられたが、少数派であった。
 過日、五木・沖浦の対談集を読んでこの本を読んだ。
 野間も沖浦も「今日の文明危機から脱しうる国・インド」などとインド幻想に陥っている点は割引いても、二人のテンションは高い。
「日本の歴史の中で被差別民衆の担ってきた役割~産業・技術・流通・文化・芸能・宗教・民俗に渡る広範な領域で彼らが果たしてきた役割と仕事を無視してはまっとうな歴史を語ることはできない。被差別民衆の果たしてきた生産的・創造的役割についての正しい認識が普遍化してくる時こそ真の解放への第一歩が始まったと言える」
 インドカースト制度・不可触の問題は、ガンジーはその存続を支持した。
 朝鮮では、白丁についての歴史はほとんど残っていないと言うし、研究ももほとんど進んでいないという。
【メモ】
・『マヌ法典』~ヒンズー教の元になるバラモン教の教説集
月経中・産褥中のじょせいを不浄と見る、身体障害者を“”と見る、汚れとされている職業に従事している人間をと見る。
・人々を動物の名を付けて差別する~蝦夷、国樔(クズ)、熊襲、隼人、土蜘蛛
・律令制の場合、賤から良への身分的上昇が可能だった。カースト制はこれを全く認めない。
・インドの思想家=アンベドカル~「どのような宗教にせよ、コミュニズムの問いかけに対して回答を用意できないものは生き残ることができない。仏教こそ、コミュニズムの持っている問題点をただすことができる」「あなた(ガンジー)がカースト制を支持しわれわれをいつまでも惨めな状態に置いて置くならわれわれ差別されているアウト・カーストと先住民族はカースト・ヒンズーから分離独立する」
・「アンベドカル大学は校庭を開放してそこに2万人のアウト・カーストがすんでいる」
・「中国の良賤制では〈貴・賤〉が主軸、インドでは〈浄・穢〉が表に出ている」
・「中世の革新仏教・浄土宗、浄土真宗、日蓮宗、禅宗、空也・一遍はの一部、宿、河原の民、山人、川人、海の人、ワタリの層、全国を放浪する商工民は“三界に家なし”と賤視された」
・砂鉄師(蹈鞴タタラ職人)、木地師(轆轤ロクロ細工)、サンカ(ワタリ)、[河原はゴミを捨て、死体を埋めたりする。皮を剥ぐ、染め物をする、芸能を河原でやる、船頭、馬借、観阿弥・世阿弥(猿能楽)、善阿弥(庭師)、雑芸能(猿楽・田楽・声聞師・説経師、琵琶法師)、遊女・傀儡女(クグツメ)・巫女・鵜飼
・〈有縁・無縁〉~神や仏と縁を結ぶ、その功徳=神仏の恵みを授かる“結縁”の日=縁日

 イギリスのアイルランド、南北米の先住民族とスペイン人・白人、北米の黒人と白人、ヨーロッパのノマとユダヤ人、日本におけるアイヌ民族と被差別民と沖縄人、オーストラリアのアボリジニ、ロシアのスラブ主義、などこうした民族的人種的対立や侵略、迫害と差別は、何千年にも渡って続けられて来、今なお存続している。
そのことを考えると、この呪縛から逃れられないのではと感じてしまう。 
 この根深い差別偏見は、障害者や老人、女性、子供、同性愛者、賢くない人、見てくれの良くない人、性格の良くない人、貧乏人(ホームレス・貧乏人)らへの差別を根から支えている。
 人は、人類はどこに向かおうとしているのか。
 思い出した、かつて、レーニンとインドのロイが、コミンテルンで「民族植民地問題で論争」したが、そのインド人ロイの頭の中に不可触民・カースト制度の解決はどう思い描かれていたのだろうか。

5.『ラブ・イズ・ザ・ベスト』~佐野洋子著
佐野さんは「ブス」と言うが、カバー裏にの写真はいわゆる美人ではないが「ブス」ではない。魅力的な顔をしている。
「私たち、ただ産まれてきただけなのね」(「結局母親ってのは子供を産んだだけなのよね、何もできないのよね」と言った後に。)
「ミチコにも私にもあなたにもめざましい人生の出来事はなかったかも知れない。ごく普通の当たり前のことだけを生きてきた。『大丈夫だったらあ』が、一千万、一億の貯えよりも、私達を生かして来た。」
白石公子さん(詩人・エッセイスト)の解説が素晴らしい。佐野さんの魅力を実に簡潔に表現してくれている。

4.『食に命懸け』~小泉武夫著
読みたいと思っていた小泉さんの初めてのもの。
期待したもの=発酵のおもしろさとは違って、ちょっとグルメっぽい=スローフード物、でも一流の人のがんばりは、とてもすごい。
【メモ】鯉ヘルプスは、鯉が風邪を引いたのと同じことです。無理な飼い方からストレスがたまり、弱った鯉がコイヘルプスにかかって死んでしまう。
【メモ】京都では御所に関係のあるところ(御所の出)は「家」を使い、商人だと「屋」になる。
 「おいでやす」は商人言葉、「おこしやす」は御所言葉。
・岡本養豚・千代幻豚=http://www.i-chubu.ne.jp/~cygenton/panhu.htm
・筑紫亭・真ハモの料理屋=国登録有形文化財:http://ww6.tiki.ne.jp/~chikushitei/index2.htm
・マルデンタ=サンマのみりん干し=http://www.rakuten.co.jp/bansuke/911911/969128/
・能登郷土料理・民宿さんなみ=http://www.noto.ne.jp/sannami/
・桝塚味噌・野田味噌商店=http://www.masuzuka.co.jp/

3.『嘘ばっか』~佐野洋子著
38編の昔話のパロディ。
「おとぎ話は、子供にとって心の傷である。大人は傷をなめて生きている」。
私にはあまり、おもしろくなかった。

2.『あれも嫌い これも好き』~佐野洋子著

佐野さんの二冊目、不思議な文章、
読点が少なく、普通の人が漢字を使うところを平仮名を使い、そこで読み間違えることがある。
「長生きは本当にめでたいことなのか。
豊かな老後など本当にあるのだろうか。
世の中は合唱する。自分らしく生き生きと生きましょう。
なら、何で自分らしく死ぬ自由はないのだろうか。
一日でも長く生きることはそんなに尊いことなのだろうか。
私は取り乱しているだけである。」
=しばらく佐野さんと付き合ってみよう。

1.『週末農業を楽しむ本』~宮崎隆典著
週末農業という考えがあることは知らなかった。
やはり農業は大変だなって、感じた。
僕の場合は、家庭菜園程度で良いな。
法律のことは参考になったが、週末農業の意義、楽しみ方などは不要で、技術論・ハウツウ物に徹した方が良いと思った。

2005年11月本

2005年11月17日 | 読書ノート
7.『何もそこまで』~ナンシー関。タレントのヘンを綴る。息抜き。

6.『イラク 爆撃と占領の日々』~豊田直巳=岩波フォトドキュメンタリー
クラスター爆弾と劣化ウラン爆弾による破壊に残されるものは、アメリカを初めとする占領国(日本を含む)へのぬぐいがたい怒りだ。
同時にアメリカは、第二のベトナム後遺症=兵士の劣化ウラン弾による病と、精神の病と、国論の分裂だろう。
【メモ】原子力発電の燃料を造る際に、反応を活性化するために濃縮したウラン235が必要でその残りを劣化ウランという。ウラン238などを含み、密度の高い金属。ウラン235より放射能が弱いとされ、アメリカでは合金として使われる。


5.『ちんちん千鳥のなく声は』山口仲美

犬は、英語圏ではバウバウ、日本ではワンワンと聞き表してきた。そこには、聞こえ方・表音のし方にいろんな物が関係しているんだろうなとは、予想させる。
「日本人は、鳥の声をどのようなことばでうつしてきたのか。それらの言葉の背後には、日本人のどんな物の見方や生活環境がうつし出されているのか。」と山口さんは語る。
ニワトリは、カケロ、コケコー、コッカッコー、コッケイコー、とカ行音でうつす一般的なニワトリの声の歴史があり、室町から江戸時代にかけて、トーテンコー、トッケイコーとタ行音でうつすニワトリの声もあったそうだ。
英語ではcock a doorle doo、フランス語ではcoquericodo、ドイツ語ではkikeriki、イタリア語ではchiccirichi、ロシア語ではkykapekyというそうだ。[ニワトリだけ外国語が紹介された]
なぜ、そのように聞こえ、表現したのか、聞こえ方が変わったのはなぜか、表現の仕方が変わったのはなぜか、について説得ある説明はないが、歴史的変化、言葉遊び(掛詞、隠し言葉=隠喩)、言葉のリズム遊び、などいろんな楽しい紹介がある。
『中国の蝉は何と鳴く』は、著者の中国への日本語学教師として赴任した時の中国人との交流記録でとても佳作であった。
11月19日のTV“世界一受けたい授業”で山口さんが出演したが、気付くのが遅く見逃した、残念。


4.『続 あらすじで読む 古典落語の名作』野口卓著・柳家小満ん監修:気分転換


3.『神も仏もありませぬ』 佐野洋子
著者は、『100万回生きた猫』を書いた絵本作家。65歳。
重いテーマが続いたので、気分転換にと「笑える」と紹介されていた本著を選んだ。
でも、笑いも随所にあるが、隠されたテーマは重く、しんどい。
佐野さんは、老年=死に近づいている日常の小さな出来事を、フワリと語る。
“穏やかな死”をいかに迎えられるのか、なんて考えるから。
女言葉を使わないのがとてもいい響きだ。
食った、うまい、糞する、など。
魅力的文章、女性だ。


2.『サラーム・パックス』~バグダッドからの日記
サラーム・パックス著[サラームは、ペルシャ語(確か)で平和、パックスも平和、パックス・ローマと同じ使い方]

バグダッド・バーニングと同じ、インターネットのブログ。
「同性愛者で大酒飲みで、中学の頃にオーウェルの“1984年”を読んだ」20歳代と思われる男性。
前半は、興味を引かない話題があったり、かなりの皮肉屋で言いたいことが分からないこともあったが、アメリカが戦争を始めそうだと言う頃から俄然緊迫する。
戦争が始まる直前、彼がしたことは、
・家のすべての窓にテープ
を貼ったこと、
・庭に掘った井戸に手動ポンプを付けたこと、
・小型発電機様に60リットルのガソリンを買いだめしたこと、
・石油コンロを二つ買ったこと、
・避難部屋をつくったこと、
・親類用に部屋を二つ用意したこと、 であった。
2003年3月11日、リバーベンドという名前が登場したときは、とても感動した。
「自らを“国際社会”と呼ぶ国々は、ずっと昔に自分の責任に気付くべきだった。自分たちが科してきた制裁措置の本当の意味を、なぜもっと考えてくれなかったのか。兵器や人権侵害の報告に、なぜもっと早く耳を傾けてくれなかったのか。“イラクの民主化を支援する”というのが、なぜ、“イラクを爆撃する”ことになるんだ。これまでずっと長い間、非民主主義的なこの国のことなど気にもかけなかったくせに、なぜ今になって爆撃するのだ? 頼みたいのは、戦争の後何が起こるか、しっかり監視してほしい」には、頭をが~んとたたかれた思いだ。
3月24日から5月1日までネットに接続できず、中断、5月7日にその間の日記が書き込みされる。
酒井啓子さんの【解説】とても素晴らしい。
「サラームは世界を把握しているのに、世界はサラーム=イラクを正確に把握していないことに、彼は怒っている」
「結局、彼が強調するのは『外の人たちはイラクのことはわからない』ということだ。外の世界から勝手にイラク人のことをあれこれ同情しないでくれ」
「自分が攻撃しようとしている相手が、同じ歌を聴き同じ映画を見て、インターネットして、同じジョークに笑いながら一緒に酒を飲めるような『隣のにいちゃん』みたいなヤツだと、気がつきさえすれば、そいつに刃を平気で向けることなんか、できるはずはないんだ」、はそうだよね。
ジョン・レノンの“想像力”の欠如なんだよな。

【メモ】イスラム圏では、赤十字社の「十字」という言葉を避けて、イスラムの象徴である「三日月」を使い、「赤新月社」と名前を変えている。


1.『バグダッド・バーニング』~イラク女性の占領下日記、

著者:リバーベンド
著者は、24歳のイラク女性である。
GOOGLEのブログ[2003.8.17~2004.5.22]を日本の女性たちが翻訳・出版した。すごい感動である。
30年以上も前、雑誌『世界』に“韓国からの通信”が連載されていた。[1973年5月号から88年3月号]
著者は、TK生。それ以外何の紹介もなかった。
72年10月に戒厳令が布かれて以来の緊迫する韓国の政情、民主化を求める知識人の動き、民衆の声、金大中氏拉致事件を含む激動が生々しく報告された。
韓国の軍政時代、韓国内の民主化運動の真実を伝えたのは、日本の雑誌「世界」に連載された秘密通信「韓国からの通信」だけだった。
他にあったかもしれないが、大衆的には「世界」だけだった。
「世界」は、マスコミといえるほど大衆的ではないかもしれないが。
軍政が血眼になって追い、民主化運動の人びとには希望の灯となった通信の筆者は、当時東京女子大学教授であった池明観さんであることが明らかにされたのは、つい最近のことである。
池明観さんは1924年北朝鮮生まれ。ソウル大学卒業。東京女子大学で教鞭を取りながら「韓国からの通信」を書き続けた。翰林大学校翰林科学院日本学研究所所長を務めた。
私はほとんどこの通信を読むためだけに『世界』を毎月買っていた。
一般的にはかなりの年輩の知識人だと言われた。
身分が明らかになれば、即刻逮捕され死刑にされたことは確実だった。
当時の韓国は凄まじい反共国家であり、韓国国内の民主運動等の情報はほとんど知らされることなく、この“韓国からの通信”は数少ない貴重な情報源であった。
徐勝兄弟の消息など息を殺して読んだものであった。
時代は大きく変わり、ブログで瞬時に世界中に情報が伝わる。
私達がどんなにアメリカ一辺倒の情報に影響=洗脳され、現地イラクの人々の生活を知らないか、ということをこの本でつくづく思い知らされた。
今日のイラクは、遅れた国で、女性は抑圧され、大学教育など受けることないとされてきた。バグダッド・バーニングの原文は英語であり、このように英語を書けるインテリ女性はイラクにはいない、だからこのブログはでっち上げだというメールが数多く届いたそうだ。
著者のリバーベントさんは大学卒業後、一般企業に勤めていたそうだ。
バグダッド・バーニングのブログはまだ続いている。
日本語訳は、http://www.geocities.jp/riverbendblog/
原文は、http://www.riverbendblog.blogspot.com/