監督:ムハマド・アクバル・サラム/ムサ・ラドマニッシュ/A.F.ザダ
2005年/日本・アフガニスタン/90分
広告を見て鑑賞したが、落胆・失望、駄作である。
天理大学生、カブール大学生が作ったドキュメントと言うが期待はずれだった。
以下、HPから、
作品詳細
「生計を立てる人々」
監督:ムハマド・アクバル・サラム
小さい子供たちが、レンガを運び、車を修理し、道路作りという重荷を背負っている。監督のサラムは、このドキュメンタリーで、木材売り、鳩売り、金物工、建設現場の労働者、川の水を使ったタクシー洗車、そして職を求めて町中に集まった殺気立った群衆を次々ととらえて行く。これまでマスコミにも考黙殺されてきたかのような民衆のあまたの声がむせ返るように収録されている。
「刻の中の女性」
監督:ムサ・ラドマニッシュ
タリバン政権下、命からがら生き抜いてきた様々な立場の女性たちがいる。ある女優は、かつてより女性の人権は獲得されたが未来の子供たちのために更に戦わねばならないと語り、女性の詩人は、女たちはこれまでかごの中の鳩状態で、タリバンに狙い撃ちされていたと、そんな自分たちの姿を詩にする。ある女性のジャーナリストは女性復権を強く訴える。ある女性カメラマンは最初、カメラを町の中で構えた時、全ての人が自分を射るような視線を感じたと言う。その他に、声優や、芸術家が登場し、自分たちのおかれた現状を語って行く。
「偽装結婚の果てに」
監督:A.F.ザダ
女子大生が、大学のワークショップである村の正月の光景をカメラで記録していると、悲しみに沈んだ一人の女性を見つける。物乞いのような女性に関心を抱いた女子大生は、小銭を上げようとするが毅然として断られる。彼女は関心を抱き、その女性の身の上話を聞き始める。女性の口から語られる真実の話。それは、国外へ逃亡するために脱出請負業者と偽装婚をした女性の悲劇だった。女子大生と女性の語らいを軸に回想シーンを交え、構成されている真実のドキュメントフィクション。
会場;UPLINKは初めて行った、席数40、椅子の形状はバラバラ、超ミニスタジオで、映画でなくPJ(画面大きさは横3m,立て1.5m)、本日最終日で、観客は12人。
今日はメーデーで、中央集会から中途退場し徒歩10分の劇場に。
映画は、評・紹介記事・HPからだけでは内容は分からないのは致し方ないが、本作、前作と鑑賞した映画はいずれも期待はずれであった。まっ、仕方ないか。
渋谷はすごい人出であり、は久しぶりだった渋谷駅構内は新しい出入り口もでき、だいぶ様変わりしていた。