風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

三田・高輪を歩く

2009年12月31日 | ウォーキング
12/30、今年最後のウォーキングでした。三田・高輪一帯は江戸時代、寺町でした。


蓮乗寺                       阿含宗東京別院                  大松寺
  

西蔵院                         長延寺                        宝生院
  

大聖院


願海寺                        慈眼禅寺                         明福寺
  
 
明王院                                      林泉寺                      
  

常林寺


随應寺                          朝顔塚                   仙翁寺
 

玉鳳寺                           化粧延命地蔵尊            済海寺[左のビルは違う] 最初の仏公使宿館跡
 

大増寺                           寶相寺                         常教寺
  

荘嚴寺                          三田台公園[縄文時代の遺跡模型、当時はここは波打ち際で、貝塚が発見された]
 

正山寺                         薬王寺                               徳玄寺   
  

浄土等覚寺                      魚藍寺                       塩地蔵
              

宝徳寺                       忍願寺
 

大信寺                      西村近江墓(江戸時代の三味線作者だそうです)


長松寺                         荻生徂徠墓        松秀寺                       法然上人[時宗宗祖]
   

立行寺                              大久保彦左衛門碑・墓


重秀寺                          氷川神社                       西光寺
  

専心寺                       道往寺                    イラク大使館
  

幸福の科学                           陽壽院                            N響
  

スリランカ大使館                                      正源寺
 

保安寺                                                  證誠寺
 

廣岳院                                                      丸山神社
 

承教寺 仁王門                         本堂                二本榎[この一帯の昔の地名碑]

英一蝶[江戸時代の画家]墓                妙福寺                    松光寺
  

円真寺                        正満寺  
 

高輪消防署        品川駅構内                     品川駅トイレ(実際は無料)
  

初め、泉岳寺・高野山東京別院も回る予定でしたが、風も冷たくなり、途中でやめました。
狭いエリアでしたが、時間もかかり、歩いた距離もかなりでした。
この一帯は、江戸の寺町であり、ちょっと歩くと寺、寺です。
臨済宗、曹洞宗などの禅宗=当時は武士階級の寺も多いです。
特別に大きな寺、有名な寺はありません。
現在でこそ、高級住宅地と言われますがかつては江戸のはずれ、最近までは下町・田舎でした。
マンション・ビルになっている寺も多かったです。
街は落ち着いた雰囲気ですが、急ではないが坂も多く、広い国道などで行き来は分断されています、
脇道に入れば車も通れない狭い路地も多いです。
午後になり、風が少し冷たくなりましたが寒くはありませんでした。

年の瀬にお寺を巡ったのは初めてでした。
墓参りをしている人が少なからずいて、少し驚きました。
思えば、昨年の今日は、夏のオーストラリアのシドニーで市内を観光していました。
洋上で大晦日・新年のカウントダウンをしました。
この一年、私は色んな事を経験しました。年を取ると月日がたつのは速いのですが、私はこの一年間、けっこう長いなと感じています。
仏像を巡るツアーはおもしろいのですが、安くはないですし、何回か続けるとちょっと飽きて来て、中断です。
近所だけを歩くのは私には退屈なので、少し遠出することにしました。
それまでは、「歩く歩く」の意識が強く、駅から離れた所は訪れませんでした。
疲れたり、天候が悪くなれば無理をしないで中止し、道に迷ったらうろうろすれば良いのです。
不審者と思われないようにすること、また子どもには話し掛けないように注意しました。
寺の人に会えば、「一般の者ですが参拝に来ました。ありがとうございました。」と告げました。
本堂・本尊の拝観を頼めば許されるかもしれませんが、面倒なのでそれはしませんでした。
私は御朱印・お札やお守りやグッズは集めていません。
除夜の鐘撞き、初詣には行きません。

ご覧いただきありがとうございました。
来る年が平和で、良き年でありますように。

シリアの花嫁/キャラメル

2009年12月29日 | 映画

佳作・秀作である。

1967年の第3次中東戦争以降、中東・ゴラン高原はイスラエルの占領下となった。
そこはイスラエルからすればイスラエルであり、シリアからすばシリアである。
そこに住むイスラエルを認めない人々は"無国籍者"である。
ゴラン高原に住むドゥルーズ派の花嫁モナは、シリア側に住む男性と結婚することになった。
イスラエルは、シリアへの出国は認めるが、再入国は認めない。
つまり境界線を越えたら二度と家族のもとへは帰れないのである。
境界線通過を巡って「些細な」トラブルがいろいろ起きる。
ロシア女性と結婚して国を出た息子(モナの兄)を認めないコミュニティの長老は、
結婚式への息子の出席を父親が認めたら仲間社会から追放すると父親に圧力をかけている。
こうしたトラブル・エピソードをどうとらえようか?
何てばかばかしいとシニカルに捉えるか、
何というイスラエルの暴力、悲劇だ、
些細なことにこだわらずイスラエル国籍にしてしまえば自由に行き来できるのに、
古くさい慣習など無視してしまえばいいのに、
我々には些細で重要ではないと思えるかもしれないことが、
当事者にとってはそれはアイデンティティに関わる重要な問題かもしれない。
この映画の主人公はその花嫁ではなく、そのモナの姉アマルである。
彼女は夫との結婚生活(男性優位の社会)に不満を抱き、大学進学の道を選ぼうとしている。
この映画のもう一つのテーマは女性の自立とも言える。
だが、私としては深刻がらずに喜劇っぽく見ても良いと思う。

ドゥルーズ派は、多数派イスラム教との相違も多い。
イスラームでは五行(信仰告白、一日五回の礼拝、喜捨、断食、巡礼)は重要である。
ドゥルーズ派はコーランを用いない、メッカを聖地とみなさないため礼拝の向きはメッカではない、
断食義務はない、巡礼を行わない、そして人間の輪廻転生を信じる。
多くのムスリムはドゥルーズ派をイスラムからの逸脱とみなしていると言う。
登場人物がドゥルーズ派なのは、この映画の製作国=イスラエル・フランス・ドイツと関係していると私は思う。
つまりイスラエルと多数派イスラーム・ムスリムとの直接的対峙ではないですよ、という意味が。
イスラエルの暴力性は当然ながら描かれていない。
ヘブライ語、英語、他たくさんの言語が飛び交っていた。
流ちょうな英語でないのが私にはとても良かった。

『"湖のほとりで"を私にとっては今年最高の映画であった』と書いたが、
『シリアの花嫁』も今年最高の映画であった。優劣は付けがたい。

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キャラメルとは飴のことで、ガムテープのように使って女性の足などの脱毛をするらしい。

12/28、池袋文芸座。
女優がすごい美人たちである。

炎天寺[一茶ゆかりの寺]、円通寺[彰義隊の墓があるお寺]

2009年12月26日 | ウォーキング
今日[12/25]は、たくさん電車で移動してのウォーキングだった。
初めて乗降する路線や方向もあり、また私鉄や地下鉄が相互乗り入れしていて
名前の知らない駅や行き先があって、電車に乗っても案内図をきょろきょろでした。
北千住駅は、JR常磐線、東武線、地下鉄日比谷線・千代田線、つくばエクスプレスが入り組み、
東武線と日比谷線が相互乗り入れし、それが各駅停車と急行などを分担しあったり、
また行き先が複数あり、駅ホームも1~3階あったりして私は迷ってしまった。
スイカやパスモだと乗り換えは便利だが、切符の場合は別個に買う必要があるようで面倒のようだ。



始めに、小林一茶ゆかりのお寺があるという竹の塚駅に行った。
二つのルートがある。
南浦和[武蔵野線]‥南越谷‥新越谷[東武線]‥竹の塚のルート=400円、
日暮里‥北千住[東武線]‥竹の塚のルート=450円、距離も時間もほとんど同じ、
乗る機会が少なく、こちらの方がすいているのではないかという理由と、値段も安いので越谷ルートを選んだ。

常楽寺                           萬福寺
  

西光院                      大日如来座像
 

炎天寺=蛙寺                                             福蛙                    
   
一茶像                           馬頭観音        隣接する八幡神社
   
 "やせ蛙負けるな一茶是にあり"という一茶の句が生まれた寺と言われている。
 前九年の役(1056)に勝利した源義家が寺と神社を建てたと伝承されている。

竹の塚駅まで戻り、東武線で北千住に向かった。

勝専寺                          赤門
 
コンクリートに赤煉瓦が、明治39年には斬新であった。
赤煉瓦の塀                       法然上人の御詠                     閻魔王
  

千住本氷川神社旧社殿[千住七福神・大黒天]         新拝殿
   

氷川神社          高正天満宮縁起碑(1864年)     清亮寺[電車から見えたので予定外だったが訪れた]
    

北千住駅まで歩いて戻り、地下鉄日比谷線で三ノ輪駅に向かう。

公春院                            真正寺                          護国観音
  

円通寺                       七重の塔と首塚[小塚原の地名の由来]
 
吉展(よしのぶ)地蔵   死節之墓[彰義隊追悼の墓]
    
1963年、誘拐された村越吉展君が殺害され、その遺体が円通寺境内で発見された。その供養のため建立された。
黒門[上野寛永寺の黒門=上野戦争の際、彰義隊の砦となった]                      日暮里駅で
          

南千住駅まで歩き、常磐線で日暮里駅、日暮里舎人(とねり)ライナーで扇大橋駅へ。
荒川沿いのこの一帯、車が通れないような細い、入り組んだ路地であった。

瑞応寺                                                夕顔姫の井戸[高さ20cm位]
  

性翁寺[女人往生の霊場]                                                
 
いぼころり地蔵尊   木余り如来石碑    ユニークな外堀
  
行基さんが霊木から六体の阿弥陀仏を彫刻し、その"余り木"で阿弥陀如来像を造った事から「余り木」と言われる。

扇大橋駅まで歩いて戻り、舎人ライナーで西日暮里駅へ、京浜東北で帰った。
交通費は全部で1570円だった。
たくさんの交通機関を利用した。スイカはとても便利だ。
だが、「ここの料金はいくらなのか」が分からないのはちょっと気になる。

南千住、北千住ともとても大きい駅=街であった。
昔は、「千住」は田舎で綺麗でなく、不便と言われたが、そんなことは今はもうない。
さて、交通機関について。
このように路線が入り組んでいると、インターネットでの事前の調査がなければ私にはとても使いこなせない。
特に私鉄の場合は、地下鉄との相互乗り入れが複雑で、「何線」に乗っているのか分からなくなってくる。
また、私鉄の場合は、急行・準急・各停なども複雑で、乗り慣れていない者にとってはとても迷う。
最近、老朽化した駅の多くの構内が改良・整備され、分かり易く利用しやすくなったとのだがそれでも初めての人はやはり迷う。
エレベーター、エスカレーターもちょっと過剰気味である。
きれいで無料のトイレがどの駅にも必ずあるのは、日本の誇って良い文化だ。
「トイレを貸して下さい」と言えばほとんどの所が貸してくれるのも良い慣習だ。
もっとも私は、それを外国では試したことがないが。

それにしても、東京はとても広く、そしてどこでも住宅が密集し、人が多い。
そして、お寺も多い。檀家がどれくらいあればお寺は維持されるのだろうかと私はいつも思う。
キリスト教の町では、その町の一番大きい教会=キャシードルが町の中心に威圧的に君臨していることが多いが、
日本の場合は事情がちょっと違う。これについては機会をいつか改めて。

街並み、街の風景は、新宿・渋谷・東京などの繁華街は別だが、どこに行っても同じようである。
私は世界を広くは旅していないが、日本ではどこも均一・均質の街のように感じる。
交通機関は便利だし、大型スーパー・コンビニは必ずあり、商品は均質で同価格だ。
旧ローマ時代のヨーロッパ、アジアは、歴史地区と新市街地の違いは大きい。
私は、日本は変だと言っているのではないし、逆に日本が良いと言っているのでもない。
世界では下町・山手の差はすこぶる大きく、特にスラム街の事情は深刻である。
日本でも下町・山手の差はあるが、それは絶対的とは言えないと思う。
そう、どちらが良い・優れているとは言えないし、思わない。
それぞれの街には一長一短がある。
ただ、日本の交通機関の放送案内は過剰を通り越し騒音であり、過剰な丁寧語は嫌みである。

今、私がウォーキングで歩いているのは、ほとんど私が初めて訪れる所である。
生きている間に私が訪れることができるのは、日本の、東京のほんの一部である。
そして、世界もとても広い。

川崎大師を歩く

2009年12月25日 | ウォーキング
12月23日

9時25分の京浜東北線電車に乗り、品川から京急に乗って東門前に着いたのが10時40分、680円。
JRで川崎まで行き、そこで京急に乗り換えると750円である。
川崎大師には川崎大師駅からの方が近いのだが、東門前駅前に千蔵寺があるので、この駅まで来た。
駅を降りたらびっくりした。地図に載っていない巨大で異様な建物が駅前に建っていたのだ。
車・交通安全専門の川崎大師祈祷殿で、交通渋滞が大変なので、2007年8月この地に作られたと言う。

これは"2.川崎大師薬師殿"で、こちらは川崎大師境内にあります[2008年11月]。


千蔵寺[本尊は厄神鬼王で、鬼が本尊なのはとても珍しく、節分では"鬼は内"と言うそうです。]   明長寺
     

川崎大師 平間寺
HPより引用  
マップ上の数字は概ね私が回った順番です。北の方位は、マップの右です。

仲見世               1.大本坊                        2.薬師殿[前掲]、薬師如来、写経・写仏道場
  

3.釈尊像とつるの池      4.不動門                         5.鐘楼堂          6.八角五重塔
   

7.遍路大師          新四国八十八ヶ所お砂踏み                          虚子句碑"金色の涼しき法の光かな"                    
   

8.不動堂                                             9.稲荷堂
 

10.祈りと平和の像                  11.中書院[茶室]                  力石[135kg、大は100貫と言う]
  

12.経蔵                                                         まり塚
 

13.大本堂                                                    本堂正面の大提灯    


14.大山門


15.聖徳太子堂                                            16.清浄光院[檀家道場]=境内の外にある
 

旧本堂礎石             宝篋(きょう)院塔[経を納めてある]  川崎大師への道標      古賀政男像[川崎大師讃歌]
      

境内は初詣の準備であった。       お土産屋さん         飴                         くず餅
 

瀋秀園=川崎大師の南に広大な大師公園がある。その中の中国庭園[中国瀋陽市から贈られた]



石観音堂                      霊亀石盥盤                 梅動独吟句詠草塚


圓光寺                          弁天神社
 

寿永寺                          川崎大師駅前参道                こんな看板が
  

若宮八幡                  大師河原酒合戦350年の碑              長十郎梨里帰り
            
金山神社 [縁結び・子宝の神社のようで、若い夫婦が来てさすって行った]

ちょっと刺激的です。隣は若宮幼稚園で、子どもに「これ何?」と聞かれたら返答に困りそうです。

12月下旬とは思えない暖かさでした。
川崎大師も、母が生前訪れていた所です。
私は、川崎大師と聞くと"くず餅"を思い出します。
小学2年生頃まで大田区の矢口渡にいたのでその頃なのかもしれません。
だが、それ以外の記憶はないので詳しいことはわかりません。

交通安全祈祷殿と薬師殿は全く同じ作りのようで驚きました。
混雑するので、こちらにあったものを移転・独立させたのかと思ったのですが事情は違うようです。
でも、どうして同じ構造物にしたのでしょうか、不思議です。
境内には、ここに紹介したように色々な歴史物やモニュメントがあり、楽しめます。
護摩祈祷は、一日数回行われ、自由に参加できます。
境内は、新年初詣の準備で賑わっていました。
高幡不動、川崎大師とも新年の準備もあったのでしょう賑やかで明るかったです。

空海、大師・真言への信仰は根強く、幅広いなと感じます。
でも熱烈との感じは受けませんが。

さて、以下は余談である。
川崎大師の場合、護摩祈願料は5000円から3万円、車の祈願料は5000円である。

清川・南千住・三ノ輪・入谷~回向院

2009年12月23日 | ウォーキング
地下鉄銀座線浅草駅から、清川・南千住・三ノ輪・入谷を歩いた[12/22]。

JR上野駅から地下鉄銀座線で浅草に行き、そこから歩いた。

待乳山(まつちやま)聖天本龍院 大根と巾着のお寺で有名
本堂                          歓喜地蔵尊                  出世観音[1600年頃]
  
銅造宝篋(きょう)印塔[経塔]    糸塚                   天水桶=巾着の形
  
土塀(ついじ)=江戸時代からのもの            階段の大根と巾着
  
大根は人間の深い迷いの心、いかりの毒を表していて、大根を供えることによって
聖天様が体のこの毒を洗い清めてくれるという。[お寺の栞より]
大根には解毒・消化促進作用がありますよね。

隅田公園で
童謡/花[瀧廉太郎・作曲、武島羽衣・作詞]の碑 スカイツリー[現在254m]    隅田川と言問橋[スカイツリーは左側対岸にある]
        
「春のうららの隅田川、上り下りの……」と言う歌です。

山谷堀跡[手前側が隅田川]      潮江院                     金太楼寿司屋本店 
  

正法寺                                 春慶院
  

泪橋交差点                         泪橋交差点方向
 
この一帯は、山谷寄せ場とも言われ、日雇い労働者などの簡易旅館[1泊2200円位]が多くある。
早朝、手配師と言われるブローカーが日雇い労働者を集めていく。
 泪橋=江戸時代小塚原で罪人が処刑された。罪人と家族はこの橋で涙の別れをしたと言う。

延命寺                                    首切地蔵[1741年]

延命寺は、常磐線の高架の下にあり、この看板がないと場所がわかりにくい。
鈴ヶ森(品川)にも刑場があった。その私のブログは鈴ヶ森刑場・鈴森山大経寺


回向院                                     杉田玄白らの解体新書の碑
 
吉田松陰墓          橋本左内墓       鼠小僧の墓        高橋お伝の墓   頼三樹三郎の墓   磯部浅一の墓
 
                 安政の大獄                       女性最後の斬首刑             2.26事件首謀者の一人

延命寺は、元は回向院の一部であったが常磐線開設(明治28年)によって分断されたそうです。

浄閑寺 投げ込み寺[身よりのない遊女などの遺体が放り込まれたと言われる]     永井荷風碑
 
三遊亭歌笑碑   新吉原総霊塔                ひまわり地蔵尊
  

永久寺 本堂          本堂内               目黄不動堂
  

梅林寺                            寿永寺
  

千束稲荷神社        境内に、樋口一葉像[一葉は千束に一時住んだ] 月洲寺
   

龍泉寺                           一葉記念館                      一葉記念館の前のお店で一葉煎餅が
   

佐佐木信綱のたけくらべ記念碑  よし原揚屋町の看板が[揚屋町は旧吉原の地名]
 

飛不動尊 正宝院                                 庭に小さな仁王像が
 
恵比寿堂                                              脇に羅漢像が
 

大音寺                         仏光寺派東京別院 西徳寺[本堂の下にお墓がある。]
  
                            西徳寺本堂は日本初のコンクリート製だそうだ(1930=昭和5年)。

長国寺 [浅草酉の市発祥のお寺という。]

鷲神社(おとりさま) 長国寺と鷲神社は隣接し、ほぼ一体である。


正覚寺


この一帯の説明は簡単ではない。
浅草は、靴・サンダル・革・竹細工などの問屋・小売店などが軒を連ねている。
かつてこれらは、被差別の産業であると言われた。
小塚原は罪人の処刑場所であった。
吉原は遊郭の町であった。
泪橋一帯は寄せ場と言われた。
寄せ場とは、江戸時代の無宿者・犯罪者の収容所=人足寄場に由来するそうである。
えた・と言われた被差別階層の人々の頭・弾左衛門の屋敷がこの一帯にあったと言われる。
江戸時代以降、この地域はそうした差別を強く受けて来た。
この日は、回向院を中心に歩いた。

永久寺本堂の二階への階段はとても綺麗です。
[浄閑寺のすぐ南側、地下鉄日比谷線三ノ輪駅三番出口を出た所です。]

私はかつて若い頃、日雇いの仕事を求めて山谷に何回か行ったことがある。
一番体がきつい仕事は、「根っ切り」という穴掘りである。
千葉港で、材木にクレーンの鎖を掛けてトラックに積む「玉掛け」をしたことがある。
この仕事は肉体的にはきつくないのだが、材木の粉々が皮膚のヒダに食い込んでかゆく、
お風呂に入ってもそれは取れず、寝床に入ってから猛烈にかゆくなる、この仕事だけはゴメンであった。
何十年ぶりに泪橋に行ったのだが、やはり当時の街の記憶は私には浮かんでこなかった。

浅草から隅田川を下って、浜離宮やお台場海浜公園などに行く隅田川クルーズはお薦めです。
東京クルーズ

広園寺・高幡不動などを参拝

2009年12月22日 | ウォーキング
昼に気温は10度位というので、少し遠出した[12/20]。


ご覧のように、東西約20kmのかなり広い範囲である。
家を9時過ぎに出て、京浜東北線・埼京線・京王線と乗り継いで山田についたのは10時20分であった。
さて、山田には大きく二つの方法がある。
もう一つのルートは、南浦和から武蔵野線で西国分寺、中央線で高尾、京王線で新宿方面に、のルート。
後者の方がちょっとだけ速いのだが、時間帯によっては、逆もあるのでほとんど同じと言ってよい。
距離もほとんど同じなのだが、交通料金は後者が1010円、前者が640円である。
不思議と言えば不思議である。
電車からは雪を頂いた富士山が綺麗に見えたのだが、電車を降りると見えなかった。

山田の駅は綺麗であった。
日本の電車・地下鉄ではどんな小さな駅でも無料で綺麗なトイレがある。
これはすごい文化である。
私鉄の方が清掃が行き届き綺麗であることが多いようだ。
人とすれ違うことが出来ないほど狭い道を通って[私道ではないようだ]。

廣園寺 臨済宗
山門                    総門                           仏殿[これら三つが一直線に並んでいます] 
  
             開山堂                    鐘楼
  
本堂                           庭園[総門と鐘楼が見えます] 緑は苔ではなく、ヒバのような短い草です。
 
本堂、開山堂とも残念ながら開放されていませんでした。
広い境内でした。

同證院                              本堂の縁側に切り干し大根が乾されていました。
 

慶泉院                                 永明院
    

山田駅まで戻り、電車で高幡不動駅に向かいました。

高幡不動/金剛院 [駅を降りると目の前に参道があります]
[高幡不動HPより引用]
                                       不動堂
 

奥殿[丈六不動三尊、300円]、宝物殿
 
宝物殿中     五部権現神碑                       経塔
  

千体地蔵堂[内部一角に休憩室がある]                         上杉憲顕の墳
  

大日堂山門                       大日堂[鳴り龍天井=ちょっと変わったエコー、200円]  新撰組・土方歳三ら位牌
  

水琴窟                鐘楼                                    大観音像
   

大師堂                                                     五重塔
  

五部権現社殿                          弁天堂              土方歳三像
     



京王線で、分倍河原駅へ。
高安寺 
山門

本堂                            道元像        観音堂
  
尊氏が全国に作った安国寺の一つという。臨済宗から曹洞宗に変わった。
ここからは徒歩で。

花蔵院                          善明寺
 

大国魂神社
随神門                         宝物殿                            鼓楼
  
中雀門                              拝殿                                 水神社
  
                                     
妙光院                      
 

安養院


妙光院・安養院のすぐ後ろにかなり異様な建物が。そう、東京競馬場でした。
 
JR武蔵野線府中本町駅から東京競馬場までの約500mは高架トンネルで結ばれている。


広園寺は広大な境内に江戸時代からの伽藍が残っていました。
駅を降りた時は、風が冷たかったが、歩き出すと暖かくなってきました。
本堂ではお葬式が行われていました。

高幡不動は、母が生前、成田山・川崎大師などとともによく行っていたお寺です。
私も連れられていったように思うのですが、全く記憶にありません。
奥殿と大日堂は拝観料が別々に必要でした。
不動明王は約3mの巨像です。平安時代の作と言われています。
間近に見るここの不動明王は、憤怒というよりどことなくユーモラスさを持つ表情でした。
新選組、土方歳三の菩提寺です。
東京多摩地方は、土方や近藤など新選組出身者の故郷です。
土方は大都会江戸ではない、日野の豪農出身者だったという。

府中は、私の通った高校の近くで懐かしい場所なのですが昔の面影は当然全く無く、
私の記憶の中にも思い浮かぶものは全くありませんでした。
中国残留孤児達に記憶がないのも当然だなぁとつくづく思います。

東京競馬場は、小学生の時、父に連れられて一二度来たことがあります。
父が競馬をしたのかは知りません。
おそらくしなかったと思うのですが、そんな父がどうして私を連れてここに来たのでしょうか?
レースの間隔がとても長く、退屈したような記憶がかすかに残っています。
ダービーとかの重賞レースの時、職場のつきあいで買ったのかもしれません。
競馬場は、広大でした。
近くの二つのお寺は駐車代で裕福な感じがしました。
JR府中本町まで続く高架のトンネルは驚きでした。
雨の日でも傘要らず競馬場に行くことが出来ます。

都会の高幡不動、田舎の広園寺の対照がおもしろいです。                   

鶯谷を歩く

2009年12月19日 | ウォーキング
鶯谷駅の東側を少し歩いた[12/17]。
気温は10度と少し低かったが、日が照りそれほど寒くはなかった。



真源寺・入谷鬼子母神
  

静蓮寺            長松寺             
  

法清寺                                        思いやり地蔵[納骨堂]
  

東郷寺[左は東郷元帥の像]          正洞院                      
  

感應寺                            泰寿院
    

法昌寺                                                      宋慶寺 
 

小野照崎神社                                               山領照院
 

随徳寺                 了源寺                        火除観音    三島神社
   

萬徳寺                      安楽寺                           子育て地蔵
 

全得寺                          世尊寺
 

西念寺                        西蔵院[根岸小発祥の地]
 

永稱寺                      
 

千手院


英信寺                                         大黒天
 

元三島神社


元三島神社の後ろは、鶯谷の駅である。
鶯谷は、有名なラブホテル街である。
 
昼はこのように普通の街です。

鶯谷駅の町は不思議です。
東京駅から見て左側・西の駅前にはロータリー・広い道は全く無くすぐ丘で、
そこは谷中の墓地で、その墓地は次の駅・日暮里までずっと続きます。
右側・東も同様に駅前に広場・広い道はありません。
100mほど先に、言問通りという大通りが行く手を遮っています。
その狭い所にラブホが林立しているのです。
言問通りを過ぎると、高級感はありませんが落ち着いて静かな小さな路地が行き交う下町です。
一日の乗降客が23000人ほどで、山手線の駅で一番少ない駅だそうです。

下谷七福神他この近辺は、2007年2月に歩いたことがある。
そこはここをクリック。
お寺の名前は覚えていないのだが、景色というか風景が記憶に残っていてここは「以前来た」という感じです。

湖のほとりで/夏時間の庭

2009年12月17日 | 映画

佳作である。
小学生の女の子は、母が夜勤の時はおばさんの家に泊まって学校に行く。
彼女は学校をサボって自宅に帰る。
途中で彼女はある男の車に乗ってどこかに向かう。
こうして映画は静かなサスペンスの予感を我々に与えながら始まる。
だが、彼女は無事帰ってくる。
北イタリアの小さな村の湖のほとりで少女アンナの死体が発見される。、
主人公のサンツィオ刑事は、静かに穏やかに村人の人間関係を一つ一つ解き明かし、
彼は犯人を突き止めて行く。
キィワードは、アンジェロである。
アンジェロとは人の名前である。
同時にそれはエンジェル、つまり天使という意味である。
通常のサスペンスドラマ特有の、恐怖・おどろおどろさ・暴力・憎しみ・嫉妬、
そしてカーチェイス・尾行・駆け引きなどいっさいないのである。
テンポも慌ただしくなく、ワンシーンをゆっくり描くこともある。
それはサンツィオ刑事の思考の流れに我々が同調するための時間の様に感じる。
あらすじ全てを書きたいが、未見の人のためにはそれはない。
ほとんど中だるみのない1時間半は並の脚本ではない。
"母なる証明"より、秀作で、私にとっては今年最高の映画であった。

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「湖のほとりで」が秀作であっただけに、こちらは退屈というか途中で出たくなってしまった。
母親が死に、莫大な遺産を相続することになった三人の子ども。
家や歴史物の家具には思い出が一杯詰まっているなどと言いあいながら、
相続税対策のために、絵や美術品や骨董品をオルセー美術館に寄付するとかしないとかなんて話しで、
私の日常感覚とは無縁を通り越して、フランスの生意気でブルジョア的・貴族趣味で、嫌みであった。

[12/15、飯場橋ギンレイ]

武蔵五日市・光厳寺/大悲願寺、拝島大師を参拝

2009年12月14日 | ウォーキング
師走とは思えない暖かさ、との予報で準備し、遠出をした。
武蔵五日市と昭島を少し歩いた。



武蔵野線=中央線=青梅線(立川から拝島まで)=五日市線(拝島-武蔵五日市間)と乗り継いでである。
我が家を9時過ぎに出て、武蔵五日市駅に着いたのは、10時47分であった。
五日市線は単線で、ドアは自分で開ける。
それは、上下線がすれ違うのは駅で、停車時間が長くドアが開いたままでは冬寒いからだろうか。

五日市線・青梅線は、車体がなかなか新しくならず、東京では焦げ茶色の車体が最後に残った路線だった。
現在は、電車もホームもとても綺麗である。
ダイヤも一時間3本ほどであり、決して少なくはない。
武蔵五日市駅前はとても広く、観光案内所もある。

10時55分発のバスにはかなりあったが、歩くと1時間ほどかかると案内所は言うので、
やはりバスで行くことにした。戸倉バス停までは7~8分190円だった。
そこから光厳寺は急な坂を上ってすぐだった。

光厳寺 足利尊氏が開いたと言われる臨済宗のお寺で、裏の山は戸倉城跡
  
本堂                                布袋尊と天満宮
            
  
樹齢400年と言われるヤマザクラ              集落内にはこうしたわき水がいくつもあった 造り酒屋の門
   

五日市の山の中にかなり大きいお寺である。
寺の後ろには戸倉城があったという。使用されたのは戦時のみと言われるが、
室町、南北朝時代、この山村地帯に武士団が存在し、武士の宗教・禅宗の寺があったのか。
足利尊氏の名は、全国に刻まれている。

武蔵五日市行きバスは11時55分であった。
電車は12時21分なのでホームでおにぎりを食べ、次の駅=武蔵増戸に行った。
ここから大悲願寺までは歩いて25分ほどである。

途中、龍性寺が山陰の中にひっそりあった。
 

大悲願寺
                                                     大黒天[社務所内]
   
中門[朱雀門]                           本堂

本堂、真ん中お国観音堂                     四国88ヶ所お砂踏霊場

楼門(仁王門)
 
    
観音堂[1794年]
 
大師堂
 
梵鐘               乳牛供養塔
 

大悲願寺は鎌倉時代に開かれたと言われる。
現存する建物は1600年代後半のものらしい。
境内は5000坪弱にも及ぶと言う。
本堂、朱雀門、観音堂、仁王門が火災にあわず、彫刻や絵も残っている。
庭の白萩が綺麗に咲く9月にもう一度来て下さいと誘われた。
武蔵増戸まで歩いて戻り、拝島・昭島まで電車。拝島大師堂までは歩いて20分位だったろうか。

拝島大師堂・本覚院

南大門                                  
 
山門[文殊楼]                            教蔵堂
 
弁天堂                      やすらぎの鐘[自由に撞ける]             如意輪観音[多宝塔]
  
本堂                               西門
 
拝島大師堂・本覚院境内もとても広い。
比叡山横川にあった元三大師像を信長の攻撃の前にこの地に安置し、本尊にしたという。
青梅・五日市・拝島一帯=東京の奥多摩地域は、武田と北条の接点であったようだ。
江戸に入ると、奥多摩街道と日光脇往還が交差するところに拝島宿が形成され、その後宿場町として栄えという。
大日堂境域は拝島大師堂と小道を挟んで隣接している。

大日堂境域=普明寺
仁王門                                             拝島のフジダナ
 
大日堂金堂
 
薬師堂

おねいの井戸       鐘楼                         日吉神社[天台宗の守護社、大日堂に隣接]
     
平安時代に、大日堂・普明寺は作られたらしい。

円福寺
 

私は、学生時代まで三多摩地方に住んでいたのだが、五日市・青梅・拝島についてはほとんど知らなかった。
青梅地方は多摩川の上流で、ハイキングを手軽に楽しめるところで若い頃は何度かは訪れた事はあるのだが、
私には、その思い出も、当時の風景も全く残っていない。
私の記憶は実に忘れやすく、いい加減である

立川には戦前、日本陸軍の航空基地があり、戦後そっくり米軍基地として接収された。
砂川闘争は、戦後の日本の反米・反軍・平和・農民運動の先駆であった。
今年は、「アメリカ軍の日本駐留は憲法第9条に違反する」との画期的な伊達判決50年周年の年だ。
その後地の大半が1977年、日本に返還され、現在は国営昭和記念公園となっている。
私は、まだ訪れた事がない。
米軍基地ゲート前・砂川拡張地は今どうなっているのだろう。碑ぐらい建っているのだろうか。

私が歩いたのは12月12日、12月中旬というのにシャツ一枚でも暑い位であった。
私は、戦国の時代や私の若い日々のことなどを思いながらのんびり歩いた。
そして、月日のたつ早さと社会の過激な変化を強く感じていた。

五日市線の車窓からは紅葉の山が見えるのだが、沿線は住宅地であり、畑は少ない。
東京までは約60km、電車では1時間半で着くのだから当然である。

大悲願寺でもらった"武蔵五日市七福神巡り"のチラシを見ると、
ここだけを歩いた方が良かったかもしれないなぁとも思った。

映画二題=人生に乾杯!/サンシャイン・クリーニング

2009年12月12日 | 映画
KONYEC
2007年 ハンガリー映画 ハンガリー語 1時間47分

監督:ガーボル・ロホニ
出演:エミル・ケレシュ/テリ・フェルディ/ユディト・シェル/ゾルターン・シュミエド
配給:アルシネテラン
【チラシに、
国家体制が激変したハンガリー。
厳しい年金生活を強いられた上、若き日の思い出の品まで借金のカタに取り上げられ、
怒ったエミル81歳は銀行強盗を決行して妻のヘディ70歳と逃避行…。
"俺たちに明日はある"。東欧熟年版ボニーとクライド!!】とある。

チラシに、「東欧熟年版ボニーとクライド」とあれば見たいと思いますよね。
予告編もおもしろそうであったし、見に行きたいと言っていた喜劇映画とは、実は、この映画なのでした。
でも、感想を書く気力がなかなかわかなかった、というわけです。

古い社会主義体制が壊れ、市場経済社会に投げ込まれた東欧・ハンガリー。
党幹部の運転手をしていた主人公は、リタイアの際古い車をもらい受け、大事に磨いてきた。
その車の中に"トカチェフ"が入っていて、それを使ってなんと銀行強盗をする。
初めはびくびくであったが、回を重ねるごとに大胆不敵になって行く。
彼らを追う刑事は、浮気で妻に捨てられた男の刑事とその上司である元妻の刑事。
この男、刑事としてもダメで失敗ばかり、よぼよぼのじいさんばあさんを取り逃がしてしまう。
党幹部からもらった車が、警察の車よりパワーがあって追跡をかわしたり、銀行は無防備だったり、
シリアスなドラマでないのだから細かいことは無視して、徹底的にボニーとクラウドをパロディーし、
テンポ良い痛快なコメディにすれば問題なくB級の上になったのに残念。
なまじ高齢者問題をつまみ食い程度に入れたから、何とも中途半端、退屈になってしまった。
拳銃は見せるだけで発砲せず誰も傷つけなかったのに、最後に怪我をさせたのは大失敗であった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
SUNSHINE CLEANING
2009年 アメリカ映画 英語 1時間32分

監督:クリスティン・ジェフズ
出演:エイミー・アダムス/エミリー・ブラント/スティーブ・ザーン/アラン・アーキン
配給:ファントム・フィルム

【チラシ解説に
シングル・マザーの姉ローズと、すぐキレる自立出来ない妹ノラが立ち上げた仕事は、
自殺や殺人などで汚れた事件現場のハウス・クリーニング…慣れない仕事ながらも、
いつしか事件に巻き込まれた人たちの無念さ悲しみを感じ、
人生と家族への慈しみを募らせていく、
がけっぷち姉妹の人生再生奮戦記!!】とある。

妹のノラが姉ローズの子どもに、「Bastard」=私生児はクール(かっこいい)と教え、
彼が好きな女の子に"Bastard"のタトゥシールを見せる所で映画が終わるのもクールである。。

12/6、飯田橋ギンレイホール、早朝なのにかなりの混雑であった。シニア1000円。

東上野・松が谷を歩く

2009年12月11日 | ウォーキング


上野パンダ橋口を出ると               公園口からパンダ橋・中央口方向     徳雲院
   

宋雲院                                                     台東区役所前に広徳禅寺遺跡 
   

連城寺              宋源寺               永昌寺
  

龍谷寺                             光照寺                            西行寺
  

長龍寺                        西岸寺               養連寺
  

龍淵寺                           報恩寺                         銅鐘[1648年]
 

正行寺                        源寺                       長泉寺
  

開成寺                               妙清寺                   真覚寺
  

浄林寺                     燈明寺
 

源空寺                       伊能忠敬の墓  高橋至時[伊能の先輩]  幡随院長兵衛墓
   

長善寺                            林光寺                        真照寺
  

浄正寺                      専念寺                   広大寺
   

祝言寺
山門                             山門上には十七羅漢像
 
本堂                             鐘楼              鐘楼内部
   

光桂寺                            大行院
  

池の妙音寺                                                     弁財天



涼源寺                             鑑真和上像
 

曹源寺 通称かっぱ寺             かっぱのお堂                                   お堂の中に


長徳院                         長円寺                光感寺
   


矢先神社                      松源禅寺                      真龍寺
  

正定寺          剣豪島田虎之助墓     本覚寺[本堂工事中]・日限祖師堂  
    

聖徳寺                          玉川庄右衛門・清右右衛門墓[玉川上水開削工事功労者]
 

皆應寺             行安寺
 

12月7日に歩いた。
そのエリアは、上野中央口駅前から浅草手前まで、東西約1.5km南北1kmほどである。
上野駅は目の前を高速道路が走っていて、これが景観を損なっているが、
高架の歩道がロータリーのように縦横に走っている。

大きく有名なお寺は東本願寺だけくらいで、そのほかは普通の民家ほどの小さいお寺で、
まるで民家が軒を連ねるようにお寺が連なっている。
寺の印が無いとお寺とは気がつかない近代なビルの建物も多い。
このあたりは、長屋や古い建物もまだ残っていて、その対比が素敵でおもしろい。
果たしてどれくらいのお寺があるのだろうか。
上野から、鶯谷、日暮里にかけては谷中墓地を始め、寺町が続く。

墓石が整理されて無くなっている所もかなり見受けた。
色々な事情で放棄されたのだろうか。
暮れで、墓参りをする家族連れもちらほら、法要や葬式にもいくつか出あった。

上野は、新宿・渋谷などの華やかさは無いかもしれないが、文句なしに文化都市だ。
美術館や博物館で疲れたら、上野の山・不忍池を散策し、水鳥を静かに見るのもいい。
体力と時間に少し余裕があれば、地下鉄で田原町に出て合羽橋商店街をぶらつくのもいい。
アメ横の猥雑を覗くのもいいし、もっと思い切って動物園だって新鮮だ。
寛永寺、上野鈴本演芸場もすぐ近く。
浅草演芸ホール・よしもと浅草花月はちょっと離れているけれども、地下鉄を使えばわずかである。
浅草・浅草寺を見て、水上バスで浜離宮やお台場にとしゃれることも出来る。



合羽橋通りを歩く

2009年12月08日 | ウォーキング


合羽橋交差点           かっぱの川太郎     リサイクルケース        ウインドーケース
    
のれん屋     提灯屋                       看板製作
  
ガラス食器     宣伝品製作             パック・包装
  
タイ焼き                      鉄鍋製作[500人分の釜]             中華鍋
    
出前箱         看板                    名刺                  包装紙
   
竹製品                  イス・テーブル                 小物ビン・ビーズなど
  
中国輸入品                                               中国つぼ

プラスティック容器・胡椒入れなど       ショウケース                       調理台
  
網焼き器                            ユニフォーム                 駄菓子
  
切り子コップ      発泡スチロール箱      焼き鳥器            蒸し器
   
商品サンプル                                            割り箸
 
コーヒーグッズ                              商い中                    しゃもじ
               
せいろ                マット                    焼きごて
   
石鍋ビビンバ            おでん鍋                   包丁
  
そば用品・そば包丁                        ゴマすりセット・納豆鉢セット            家具屋の宣伝          
  


清水寺              満照寺                 長敬寺
  
 
徳本寺              善照寺                          通覚寺
  

東本願寺


宗恩寺                       西光寺            等光寺
   

清光寺                            長谷川一夫の碑
 

真福寺                            善龍寺
 

円照寺               来應寺          良狭院            天嶽院
   

日輪寺                           東光院                       日枝神社
  

ご覧のように、合羽橋商店街の特集です。
 【合羽橋の由来】
 19世紀初頭江戸時代、合羽屋喜八がこの地の堀割整備を行ったのが由来の一つとされている。
 河童達が、夜ごとに工事をして喜八を助けたとの言い伝えが残っているそうだ。
曹源寺は、かっぱ寺とも呼ばれ、かっぱのお堂がある。


この商店街はぶらつくだけでもとても楽しいです。

お店の中に入って写真を撮るのがよいのだが、面倒なので外から撮った。
街中でこんなものどこで買うんだろうと思うものが売られています。
プロも自分が使う道具を買うと聞いています。
外国人にも密かな人気となっていて、小物がお土産として喜ばれているらしい。
たくさんの外人に会いました。
ロウソクのサンプルはとても綺麗で、人気でした。

三日連続の上野でした。とても暖かく、のんびり楽しく散策しました。
合羽橋は12/8でした。12/7は後日に記です。                

東上野を散策する

2009年12月07日 | ウォーキング
東上野を散策する 12/6
時間が無くて事前の準備無しに、地図一枚を持って、上野正面玄関口から東上野を歩いた。[赤線で囲った所だけ]


上野正面玄関口                  日と月のモニュメント   伊沢八郎が歌った"あゝ上野駅"のモニュメント

  歌手伊沢八郎は、工藤夕貴のお父さんです。

さて、これ何と思います?

左から、パチスロの藤商事・SANKYO・三洋商事の各社玄関。

下谷神社[寄席発祥の地]


成就院                           唯念寺
 

願寿寺               妙経寺
 

日朝堂経王寺[左:日朝堂、右:本堂]                銅鐘[1763年]


長遠寺                                                 珍しい踊塚

延命寺地蔵尊                       法泉寺
 

善光寺東京別院華蔵院                 吉祥院
  

誓教寺                 葛飾北斎の墓
  

等覚寺                         大都会の墓の様子[密集している]
 

光明寺                                          法慶山善徳寺
 

観蔵院                   覚音寺              歓名寺            本行寺          
   

最尊寺                       稱念寺                
   
願信寺                              大乗院
 

正福寺                                         成就院                    百観音
 

正覚寺                 


宗円寺                              エノケン達の慰霊碑    永見寺
 

威光院                      常福寺                         真教寺
   

善昭寺                            厳念寺
 

栄教寺                             伊勢ヶ浜部屋      西光院
  

龍宝寺                             桃林寺             金蔵寺
  

玉宗寺


本法寺本堂                    はなし塚

  昭和16年、落語の花柳界・酒・妾等の演題が戦時下のため自主禁演とし、台本等を塚の下に埋めたという。
  熊谷稲荷[本法寺境内にある]  塀        
                             

上野はとてもおもしろい街・ユニークな街です。私は、大好きです。
公園口[北側]は上野公園です。
そこには東京芸術大学・動物園・色々な美術館・国立博物館・国立科学博物館などがあり、
日本最高の文化・芸術の街なのです。
上野のお山には、有名な西郷さんの銅造や寛永寺や神社があり、
寛永寺から鶯谷にかけては広大な谷中墓地やユニークなお寺が連なります。

その反対側はしばらく行くともう浅草で、東上野一帯は私が歩いた小さなお寺が軒を連ねています。
菊屋橋交差点からは、なんともユニークな合羽橋道具街です。
合羽橋道具街とは、調理用品・厨房用品・台所用品・店舗のサンプル店など150ものお店街で、
プロもここで買うそうです。ウインドショッピングもとても楽しいです。

右は、合羽橋交差点に建つ食器店ニイミです。

上野駅から菊屋橋交差点にかけては、仏具・神具店などが連なります。     


そのほかにもユニークなお店が沢山あります。[思い切って、店に入り写真撮影を頼むとOKでした。]
紙屋さん                      ブラシ・刷毛店
  
神具店                            太鼓・獅子舞などのお店
  
御簾・すだれ店                       特殊刃物・彫刻刀店                                               
  

小さなお寺が多いです。その多くが最近になって新しく建て直されたのでしょう。
外からはお寺とは思えないユニークな建物でとても楽しいです。
界隈は、長屋もあり、一見不釣り合いの感じがしますが逆に新旧入り交じってとても良いと私は思います。
一つ一つのお墓はとても小さく幅50センチは無いかもしれません。
でも、小さなお寺なのでトイレが公開されていなません。公園も少なく、トイレが大変でした。

この次の日も上野を歩きました。                                  

深大寺・武蔵国分寺を参拝する

2009年12月05日 | ウォーキング
深大寺・武蔵国分寺を参拝した 12/4


かなり広範囲なので、バス・電車を利用した。
小田急バスは均一210円だが、一日フリーパスは500円で乗り放題である。
JR中央線吉祥寺駅からバスで深大寺に行った。

深大寺
山門                                本堂
  
元三大師堂

開山堂                               釈迦堂
 
福徳尊                            深沙大王堂
 
延命観音[石に延命観音が彫られている]  動物霊園  鐘楼と小松地蔵
  
本坊                            そば守観音[これはやり過ぎ]
    
                                水生植物園
 
三鷹駅行きのバスに乗り、八幡前で降りた。

禅林寺                               本堂
 
森鴎外の墓      その前に太宰治の墓   森鴎外の碑が                            境内に伏見稲荷
   

八幡大神社[禅林寺の隣]                     法専寺
   
八幡神社境内で昼食を取り、法専寺まで歩き、三鷹駅まで歩いた。
三鷹駅からバスに乗って龍源寺へ。

龍源寺                            近藤勇の墓

バスで三鷹駅まで戻り、電車で西国分寺駅へ。そこから歩いて武蔵国分寺へ。

武蔵国分寺
仁王門

武蔵国分寺薬師堂                       薬師堂の裏
 
楼門                             本堂
 
  本堂境内は万葉植物園になっている お鷹の道遊歩道           八幡神社
       

武蔵国分寺跡                    金堂址

中門址                                 礎石
   

都立武蔵国分寺公園

西国分寺駅まで歩き、そこから武蔵野線で帰路についた。

国分寺には小学生の時行った事がある。
だだっ広い所に土器か瓦のような欠片が散乱している風景が記憶にあるのだが、
それが国分寺跡だったのか違う場所なのかは定かではない。
国分寺は千年以上も前に作られた。
当時、各地の国分寺を結ぶ大幹道の多くは直線的に作られていたというテレビ番組があった。
それもかなり広い道路だったそうだ。
そうした昔の道がそのまま使われず、地下に埋もれたり、全く関係ない宅地になったのはどういう事情に因るのだろうか。
人々は、その一帯からいなくなり、荒野になり、また人々が戻ってきたのだろうか。

武蔵国分寺の境内は360m四方でかなりの広さだったという。
その広さは今日もかなりそのまま残っているようだ。
今ではただの草むら、グラウンドである。
1300年中頃に新田義貞の鎌倉攻めの時焼失した。
今、当時を偲ぶものはほとんど残っていない。
再現の工事が行われていた。
この地に家が建てられず残っていたのも不思議である。
金堂址の礎石で子どもが遊んでいた。
武蔵国分寺址の近くに建つ現在の国分寺は江戸時代のものである。
こちらは雑木林の中にあり、薬師堂は小高い丘の上に立つ。


私は学生時代まで中央線沿線に住んでいたのだが、当時の面影は全く残っていない。
40年も立つのだから当然である。

映画・母なる証明

2009年12月04日 | 映画
 
を見た[12/3]。韓国映画。銀座シネスイッチ、シニア1000円。
この間しばらく映画鑑賞に失敗していたからかもしれないが、文句なしにおもしろかった。


このシーンはおそらく冒頭だと思う。
というのは、後半にも同様のシーンが出てくるからだ。
荒野の中の母の表情は非情に複雑だった。
そして静かに踊り始める。
このシーンがかなり続き、なぜ踊るの?、退屈な映画かなと思ってしまう。
後半、母はある老人を殺す。
その時彼女の顔や衣服は返り血を浴びて赤く染まる。
だが、彼女がその現場から荒野に向かうシーンでは彼女の顔には血は無かった。
私は、「おい、それはないじゃない」、と初めはディティールに欠けると思わず思ってしまった。
つまり、場面が変わったため、以前のメイクなどが直前とは引き継がれないというのは映画ではありがちですよね。
水に落ちてずぶ濡れになったのに、次のシーンでは服が乾いているとか、
吸っているたばこの長さが違っていたり、となどという言うことが。
でも、この映画の場合は、そうしたミスとは違って、このシーンが冒頭のシーンとなるわけです。
つまり冒頭シーンで血が出ていたら興ざめですよね、て訳です。


女子高生が殺害されます。かなり「猟奇的」姿で死体が発見されます。
実はここにも深い伏線が隠されているのです。
このシーンからは、犯人は残虐で、変質者に違いないと。
だが、決して猟奇的ではなかったのです。
母の息子が逮捕されます。

この息子は軽度の知恵遅れを持つ青年です。
ですが、この息子と母との関係はかなり「異常」です。
いかに知恵遅れであっても、息子と母親が同じ寝床で寝、乳までさわらせるのです。
母親は、息子の健康を心配して、息子が立ち小便をしている時それを覗きこみながら
息子に煎じ薬を飲ませたりするのですから。
この近親相姦みたいな濃厚というかかなり異常とも言える母・息子関係にも深い伏線が隠されています。

また、この息子は「馬鹿」と言われると、条件反射的にその相手に殴りかかるなど暴力的行動を取ります。
ここにもかなり深い伏線が隠されています。

もう一つの伏線は、その母親は薬剤師であり、闇の鍼灸師でもあります。
忘れた記憶を呼び起こすためには、太ももに針を刺すと効果があるという台詞が何度も出てくるのです。

こうして沢山の伏線をベースに、息子の無実を信じる母が真犯人を捜すサスペンスの旅が始まります。
だが、韓国映画では、サスペンスでも喜劇的人間関係・エピソードや人情話が盛り込まれます。
サスペンスと言っても、複雑な人間関係やもつれがそんなにはないので、
謎解きだけでは映画は持たないと言う事情もあるのかもしれませんが。

殺された女子高生は、貧しいため「売春」をし、その相手を携帯に撮っていた。
この女子高生は、彼女を買い、彼女をむさぼる男達、男を憎んでいた。
この全ての男を憎んでいる彼女は、見知らぬ相手にとっさに「馬鹿」と言ってしまうかもしれない。



写真で紹介できないのは残念だが、私にとても印象的シーンがあった。
母が警察署から、土砂降りの雨の中をずぶ濡れで自宅に帰るシーンである。
彼女は、その時、廃品回収の老人とすれ違う。
リヤカーの後ろに破れ傘があり、彼女はその傘を求める。
彼女は彼に紙幣2枚を差し出す。
彼はそのうちの一枚だけを受け取る。
このシーン、私はいいな~と思った。
だが、実はそんなセンチメンタルではない意味=伏線があったのだ。
彼女は、後日この老人を殺すことになるのだから。
この映画では、雨のシーン、土砂降りの雨のシーンが多かった。
雨に特別な意味があるのだろうか、私にはわからない。

ストーリーはそれほど複雑でなく、いくつかの驚きのどんでん返しで終わるのだが、
映画の原題は"母"である。
日本語のタイトル"母なる証明"の「証明」はその語感が強すぎ、
このゆがんだ母性を擁護しているように私には思えてしまう。
だが、この親子の行き末は心安らぐものでないことだけは確かだ。

私には一つ謎が残っている。
母親は、最後に自らの太ももに針を打って踊り出す。
この針のツボの意味は何なのか?、そして踊りにはどんな意味が込められているのか? と言うことである。
繰り返された針のツボはふくらはぎの後ろだったか、腿の後ろだったか、
実はそれをはっきり覚えていないのだ。
映画の途中では、それには深い意味が込められているとは思わなかったから。

ポン・ジュノ監督は、前作・"グエムル=漢江の怪物"でも、
鋭い文明批判・社会風刺とユーモアの交錯した刺激的作品を提供したのだが、
その作品でも障害者・知恵遅れの人物を登場させたと思う。
その登場人物に特別な意味があるのだろうか、と考えたがよくわからない。
[それは、私の記憶違いかもしれない。その場合は陳謝。少しネットで調べたのだが……。]
だが、今回の場合はちょっと禁じ手のような気が私はする。

まっ、屁理屈はいいか。
私もいい加減だから、私がおもしろいと思う時はリアリティーやつじつまは求めない。
おもしろさは、絶対ではなく相対的なものなのだから。
おもしろくない映画を見た後は甘くなるのかも。
見たい喜劇があるので楽しみにしている。