風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

映画/裸足の季節

2016年12月29日 | 映画



カンヌ映画祭で好評を博したと言いますが、私としてはイマイチと言います。
両親を交通事故で亡くした5人姉妹は、お祖母さんと叔父さんの家に引き取られます。
舞台はイスタンブールから約1000キロ離れた北トルコ・黒海沿岸のとても保守的な小さな村です。
しかし、いつの時代かは私にはわかりませんでした。
学校帰り、姉妹達は海で男子生徒の肩車で騎馬戦のような遊びをします。
導入のシーンはこの映画の一つの象徴的シーンでした。
監督で脚本のエルギュベン監督は若い女性で、彼女自身もこの遊びを経験したと言いますが、
ブラウス一枚の少女達が海水で濡れる様子は「性的」刺激が強すぎます。
この出来事以来、姉妹達は、家の中に監禁状態になります。
トルコでは、女性は常に「性の対象」としてしか捉えられていないと監督は言います。
それは、トルコの固有なことなのか、イスラームの教えそのものに由来するのか私はわかりません。
監禁された姉妹達が部屋でくつろぐ姿も、かなり性的に描かれています。

結婚もすべて大人の都合で決められ、初夜に出血しないと「処女かどうか」の検査もすると言います。
映像では描かれませんでしたが、その叔父は姉妹達に性的虐待もしているようでした。
三女は、精神的に追い詰められ、自死します。
四女と末っ子は意を決して、決死の脱出を行います。
映画は、イスタンブールに住むかつての女教師を無事訪れたところで終わります。
姉妹は、自由に向かって旅立ちましたが、中学生1年生ほどの彼女が今後無事生きていくことは簡単では無いはずです。
これ以降の物語は、この映画のテーマでは無いのかも知れませんが、これだけでは私には後味の悪い映画でした。
私は、女性が置かれている世界の実情・真実を十分に認識してはいません。
限られた情報の中で思うには、私は多くの女性が今日なお耐えがたい差別と虐待を強いられていることは、そうだと思います。
内戦下の若い男性兵士は、「俺たちは銃を撃ち人を殺し女は犯すこと」しか知らないと言うそうです。
男も女も教育を受け、まっとうな仕事に就けることがやはり大事なのだとつくづく思います。  【12月26日】

映画/帰ってきたヒトラー

2016年12月20日 | 映画



原題は、"Er ist wieder da「彼が帰ってきた」"。
ティムール・ヴェルメシュが2012年に発表した風刺小説で、ベストセラーになったそうです。
私はコメディとして十分に楽しみましたが、映画の評価は、一口に言えない難しさと思います。
単純なコメディでは決してありませんし、ストーリーにリアリティがあるとは決して言えませんし、
社会風刺のシリアスな社会派的作品とも言えないからです。
1945年、遺体が発見されていませんがヒトラーはベルリンの地下防空壕内で自殺したと言われています。
そのヒトラーが、自殺の直前に現代にワープするという奇想天外の物語です。
ヒトラーに扮したマスッチとスタッフは、ベルリンやミュンヘン等の大都市を始めドイツ中を車で回り、
政治家や街を行き交う人々、近付いてくる人々と様々な交流する姿を撮影し、それらが映画の冒頭映し出されました。
生き返ったヒトラーをたまたま発見したのは、TV会社のリストラ直前の売れない社員ザヴァツキと言う男性でした。
彼は、帰ってきたヒトラーをメインにした制作を企画し、生き残りを託します。
ドイツでは、ヒトラーは口にしてはいけない絶対的禁句ですが、そのヒトラーを笑い飛ばすと言うストリーです。
多くの人々は、ヒトラーそっくりさんに会って、「ドッキリなの!?」みたいな感じで、「セクシーね」と言って、
ハグして一緒にカメラに収まったり、顔を見るのもイヤと拒絶したり……。
テレビ・インターネットの現代、ツイッターやフェイスブックやYOU-TUBEなど70年前と比較にならない宣伝媒体が豊富です。
それらは、人々の多様な考えの発表ツールとして大いに利用され、人々の多様な価値観と情報の拡散に貢献していますが、
あるサイトや出来事がいとも簡単に攻撃され、「炎上」したり、デマゴギーなども拡散したり、「煽動」の威力は、
ナチス時代をはるかに凌駕し、絶大です。
権力者がこの道具を巧妙に利用、操作していることは疑う余地がありません。
彼は、あっという間に「テレビ、マスコミ」の一大寵児になっていきます。

ザヴァツキがつきあい始めた女性は、ユダヤ人でした。彼女のおばあさんは痴呆症でしたが、本物のヒトラーと会うと、
彼女は、「正気」に戻り、彼を激しく拒絶し、攻撃するのでした。
この場面は、この映画最大のクライマックスで、私は大きな驚きと寒気を覚え、我に返えらされました。
ザヴァツキは、ヒトラーを殺そうと思うのですが、彼は捕らえられ、精神病院に送られるところで映画は終わるのでした。
そう現代のドイツでは、正気なのは少数者となってしまったかのようです。
ナチスは、ユダヤ人弾圧の前に、「精神障害者」や性的少数者、「身体的障害者」、「知的障害者」など社会的弱者と少数者を
捕らえ、人体実験や殺害を行いました。
この映画の最後は、まさに戻って来たナチスとヒトラーを暗示しているようです。
オーストリアではヨーロッパで初めての極右が大統領になりそうになり、アメリカでレイシストが大統領になり、
フランス・イタリアでも右翼勢力が台頭しています。
ドイツの哲学者ヘーゲルは、「1度目は悲劇として、2度目は茶番・喜劇として」の名言を残していますが、
ヒトラー・ナチス、ムッソリーニ・ファシズムは悲劇として、そして同じような悲劇は茶番では無く同じように悲劇として、
そして現代のソフトタッチのナチズム・ファシズムは、どんな化粧で現れるのでしょうか?
映画で、何かのSNSでアドルフ・ヒトラーのネームはすでに使われているとありました。何者かは?ですが。
   【12月12日鑑賞】

映画/リトル・ボーイ 小さなボクと戦争

2016年12月15日 | 映画

メキシコ人の監督脚本のアメリカ映画、秀作とはいえませんが味わい深いです。

8歳のペッパー少年は背が低く皆から「リトル・ボーイ」とからかわれ、意地悪されています。
父親は、少年をとても大事に扱い、「相棒」と呼び合ってかわいがっています。
時代は、日米戦争の時代。少年の兄は「扁平足」を理由に徴兵検査をパスできず、父親が招集され戦地に向かいます。
強制収容所から戻って来た日本人のハシモトは、町民から迫害を受け、ペッパー兄弟も彼の家の焼き討ちを謀ります。
計画は失敗しますが、教会の司祭から次のリストの「良い行い」をすれば大好きな父が帰ってくるかも知れないと諭されます。

始めハシモトと敵対していた少年は、彼の手を借りてリストを実行し始めます。
少年は捕虜となった父のいる、日が沈む海の彼方の方向に"気"を送り続けます。
ヒロシマにリトルボーイ・原爆が落とされます。
町の人々は、小さな少年リトルボーイの起こした奇跡と喝采し讃えます。
死んだと思っていた父親が奇跡的に助かっていて帰国するというおとぎ話のような結末ですが、ちょっぴりいい話しです。
原爆が落とされアメリカ人が喜んだた映像が映し出され時、ドキッとしましたが、映画はとても抑制的でした。
原爆被災直後の壊滅された広島や被災した人々の映像を静かに流したからです。
アメリカには、今日もなお原爆は太平洋戦争を早く終わらせた功の方が大きいとする人々が多いと聞きます。
この映画は、反戦映画ではありませんがその考えなどに冷静になろうよと呼びかけているようでもありました。
アメリカ映画ですが、監督・脚本・制作はメキシコ人のアレハンドロ・モンテベルデ(39歳)さんです。
並のハリウッド・アメリカ作品ではありません。
今年9月彼の父親と兄弟がメキシコ東部で、何者かに誘拐され、遺体で発見されました。事件の詳細は不明だそうです。
折しも、日本の阿倍首相が真珠湾を訪れ、戦争被災者へ慰霊をします。
しかし、日本は中国・朝鮮・韓国を初めとするアジア諸国民への戦争犯罪を正しく公平に謝罪をしてはいません。
いろんなことを考えさせられた映画でした。                  【12月12日】

映画/海よりもまだ深く

2016年12月04日 | 映画



可もなく不可も無く、と言った所です。
阿部寛と樹木希林の二人のおかしさだけがこの映画の取り柄です。
ストーリーは至って簡単、良太は十数年前に文学賞を受賞したがその後売れず、妻に捨てられ、今は取材と称して
探偵事務所に勤めていますが、息子への養育費の支払いもままならずギャンブルで一攫千金を狙ったり、
母親の家で金目のものを物色したり、捨てられた元妻・響子を忘れられず、ストーカーまがいの日々を過ごします。
台風のある日、母のもとに偶然集まった響子と息子と良太、良太は響子ににじり寄って彼女の股をタッチ、館内は爆笑でした。
これだけのお話です。

可もなく不可も無しの映画ですが、先に併映された何ともつまらない「リップヴァンウィンクルの花嫁 」を見た後なので、
落ち着いた気分で楽しむことが出来た次第です。 阿部寛のとぼけた味は好きです。   【11月28日】