風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

新小岩~青砥を歩く

2010年05月31日 | ウォーキング
5月31日、新小岩~青砥を歩いた。


圓成寺                                 東光寺
  

上品寺                                 焔魔堂(閻魔さんの左に大きなやっとこがあります)
  

天祖神社                                中川とスカイツリー
 

浄光寺                                明治の女優・加藤ひな子碑
   
  

林柔寺                                                              無縁仏の中に六代目市川雷蔵の名が
  

真禅寺                                 正覚寺
 

東京クレーン学校                            安養寺
 
赤い部分の下部はオペレータ室のようで、人が入っています。こういう学校があるんですね。

本昌寺                                京成駅前近くで            梅田稲荷神社
  
                                京成立石駅前は狭いです。難しいですね。

積善寺                                徳念寺
 

證願寺                                本堂前にお寺には珍しい置物が
  

定巌寺                                法善寺
 

源寿院
  
源寿院本堂内部                             葛飾区文化会館[モーツアルトの像が]
      

宝泉寺
  
私が写真を撮っていると、若い住職が「このお寺には平戸・松浦の人のお墓があります」と案内してくれた。[右写真]

勝養寺                                右・青面金剛、左・いぼとり地蔵尊
  

平和公園[葛飾区は非核自治体都市宣言をしている]            京成青砥駅前のモニュメント
 

京成立石~青砥一帯はまさに下町です。道は狭く、曲がりくねっています。
でも、人通りが多く、小売店も沢山あり、スーパーは大きくなく、小さな町工場があり、暮らしやすそうだなと感じます。
しかし、荒川が氾濫すると2m浸水するそうです。電柱にそのラインが記されていました。
日射しは少し強かったですが、空気がひんやりし、とても快適でした。
ご住職や、ご住職のご家族から話しかけられ少しお話も出来ました。

我孫子~手賀沼~天王台を歩く

2010年05月28日 | ウォーキング
5月28日、千葉県の我孫子(あびこ)を歩いた。
行きは、武蔵野線・新松戸で常磐線乗り換え→我孫子、帰りも同じ路線を使う予定だったが、
天王台で乗った電車が快速で、新松戸駅には止まらず松戸駅まで行ってしまったので山手線・日暮里→京浜東北線で帰った。
でも、時間はどちらもちょうど1時間だった。常磐線は昼なのにやはり混んでいた。


我孫子駅前にこんな碑が立っていた。                   興陽寺
 

興陽寺地蔵堂                             香取神社
 

大光寺 [幼稚園]
 
                                     手賀沼
 

バーナード・リーチ碑(イギリス人の陶芸家)                 
 

血脇守之助碑(明治歯科教育に貢献した)               白樺文学館
 

志賀直哉邸跡  最初、ここに志賀直哉はこんな貧弱な家に住んでいたのかと思って感動したのだが、
どうも残されている建物は、離れで使用人の家のようだ。
本宅は残っていない、展示されている敷地図を見ると実際はかなりの豪邸だったようだ。
 

子ノ神古墳群(白樺派の文学者瀧井孝作仮偶跡)            そこから手賀沼が見える
 

延寿院・子ノ神大黒天                        
 
七福神とかねわらじ                         三角点があった        旧村川別荘跡(延寿院に隣接)
  

手賀沼親水広場水の館                      沼の中に河童のモニュメントが
  
  
千勝神社 (水の館の前)                      鳥の博物館(入らなかった)
 

常光寺


最勝寺
 

我孫子は、かなり起伏があり、林や森が多く、道は曲がりくねっていた。手賀沼は細長く、川のようだった。
すごく大きな屋敷がたくさんあった。
延寿院は大きな寺だが、私は裏通りから入ったようで場所がわからず、近所の人に聞いた。
白樺派について私は特別の思いはないが、武者小路実篤や志賀直哉の邸宅を見ると素朴な実践者とは思えない。
新しき村運動は、どうも教養人のお遊びのような気が私はする。
日射しは強かったが、気温は高くなく、冷たい風が吹いて気持ちよく、快適なウォーキングだった。

ソウル-スウォン(水原)-カンファド(江華島)、8日間の旅 1 

2010年05月24日 | 韓国の旅

5月11日~5月18日の8日間、妻と二人で旅した。ツアーでなく個人旅行であった。

5月11日・火・1日目
羽田発13時5分アシアナ航空(韓国)で出発、金浦空港には約2時間後の15:25着。
飛行機はほとんど満席。たった2時間なのに機内食が出たのは驚いた。

金属製フォーク等が良い。
入国手続きは、いとも事務的・「あっ」という間だった。
真っ先に、3万円をウォン{以下=w}に両替した。34.8万ウォン。
ソウル市内の移動はほとんど地下鉄を利用と決めていたので、カードを買おうとウロウロしていると職員が来て買い方を教え、買ってくれた。
いくら入金するか聞かれたのだが、迷っていると5000w札を取ってチャージしてくれた。
地下鉄の基本料金は900w(ウォン)[日本円に換算するには約0.08をかける、約75円]、
ソウル市内はほとんど900wで郊外に出ると少し加算される。
以後何回かチャージした。
ソウルの地下鉄は、広軌で日本より車内が広い。座席は、一部を除いてステンレス製である。
かなり以前、地下鉄の車両火災で多くの死傷者が出たためにそうなったと聞く。
写真はとてもすいているが、普通は朝晩・日中ともかなり混んでいて座席はほぼ埋まっている。
朝晩のラッシュ時にも乗ったが、ぎゅうぎゅうではなく、込んでいると次の電車を待つ人が多かった。

このカードでバスにも乗れる。日本のスイカと全く同じである。
私たち泊まるヨンビンホテルのある東大門歴史文化公園駅までは地下鉄5号線で30分ちょっとだった。
ホテル、地下鉄、貨幣事情については、後で少し、紹介する。
 
ホテルに荷物を置いて、早速出かけた。


この地図は、1日目・2日目のものである。

地下鉄で次の駅、東大門へ。
ソウル城壁の跡
 

東大門                                  これは後ろ側
 

東大門平和市場(右岸のビル)と清渓川 [平和市場は、大きなビル内の小さなお店や屋台や大きなファッションビルなど多彩である] 
 
夕食は平和市場で鶏鍋を食べた。
洗面器のような鍋に鶏が一羽入っている。店員が「はさみ」でどんどん切って、煮る。
白菜・大根のキムチは大きいまま出てきて、食べやすい大きさに自分ではさみで切る店もあった。
にんじん・ネギ・大根など少量の野菜が入っている。
鍋の回りのキムチなどは"お通し"みたいなもので、必ず出てくる。これとご飯はおかわり自由。
味付けは自分で調節できる。大量のキムチを鍋に入れる人もいた。
箸・スプーンはステンレス製、ティッシュの代わりにトイレットペーパーロールがあったりする。
エプロンもあるのだが共用。僕は自分のタオルを使った。
この店では、この料理だけってかんじであった。我々は全部を食べることは出来なかった。
韓国人はジンロ(焼酎)を飲む人が多いが、我々はビールにした。
 
 
二人で約30000w。

5月12日・水・2日目

ホテル→【歩】奨忠壇公園、M(地下鉄)332(3号線32番駅)東大入口→M331(忠武路)下車南山韓国村
→M423(忠武路)→M424(明洞)下車明洞聖堂→【歩】貨幣博物館→【歩】カンキュウ壇
→【歩】徳寿宮→【歩】清渓広場→【歩】普信閣→【歩】曹渓寺→地下鉄でホテル


朝食は、ホテル近くのお店に入った。日本語も英語も通じなかった。日本語のメニューを持って来てくれた。
ビビンバらしいのを頼んだ。一人前6000w。
近くにコンビニがあり、牛乳を買ったつもりだったが飲むヨーグルトだった。
ジュースを2パック買ったら2+1(一つおまけ)だった。ヨーグルトも買って確か2800w。


歩いて、奨忠壇公園[1895年、日本人が起こした閔妃暗殺事件の時犠牲になった人々を祀った跡]に行った。
  

ナムサンゴル韓屋(ハノン)マウル[旧王族などの屋敷を移転した公園]、無料、地下鉄で     遠くに見えるのはソウルタワー
 
 
                                      かまどと煙突
 
オンドル[床下暖房]の煙突                      ツボなどの貯蔵庫
 
井戸
 
                                      旧王族などの屋敷には中庭があった
 

隣に、仏教寺院・忠正寺があった。
 

明洞聖堂 地下鉄で                               明洞芸術劇場
  

貨幣博物館[ファペクミュンパンムルガァン]、無料
 

ソウル中央郵便局                           ソウル広場とソウル特別市庁
 

圜丘(カンキュウ)壇[ホァングダン][皇帝が行った祭祀の場]、ウエスティン朝鮮ホテル敷地内にある。
入り口がわからず、全く違うビルの受付の人に聞くとわざわざ案内してくれた。たまたま清掃のようでよく見えなかった。
 

昼食は、近くの食堂に入った。
冷やしキムチ素麺[4000w]これは辛いだけで、僕にはおいしくなかった。    右手首のない人が彫刻刀で版木を作っていた。
 

徳寿宮[トクスグン][1000w]
大漢門

光明門                                  火車
 
 鐘                                     水時計
  
中和門                                  中和殿
 
徳寿宮美術館(入らず)                          石造殿(工事中)
 
昔御堂                                  即ソ堂
 
防火施設か?                              SEJONG像
 
徳弘殿                                  咸寧殿
 
ドゥム[水を入れる甕(かめ)=火魔が水に映った自分を見て驚き逃げるという言われ]
 
中和殿など
 

普信閣[ポシンガク](鍾路と南門路が交差する角に立つ鐘楼・朝夕時を告げた)    鍾路タワー
 
喫茶店でモカコーヒーを飲んだ。おいしくなかった。4000w。

曹渓寺[チョゲサ]
 
本殿(大雄殿)
 
鐘楼
 
大雄殿壁面
 
 

夕食はホテルの近くの食堂で焼き肉(カルビ)二人前と冷麺(私はおいしくなかった)。ビールを含め3.9万w。
 

これで二日目が終わったがちょっとハードであった。        【続く】


ソウル-スウォン(水原)-カンファド(江華島)、8日間の旅 2 

2010年05月24日 | 韓国の旅
5月12日・水・3日目

M534(鍾路3街)下車、タプコル公園(3.1独立運動発祥地M329(鍾路3街)
→ M326(独立門)下車、西大門独立公園=独立門・刑務所
→ M328(安国駅)下車、北村韓屋村[プクチョンハノンマウル]
→【歩】昌徳宮[チャンドックン] →【歩】昌慶宮[チャンギョングン]
→地下鉄でホテル
  



朝食は、パン屋のサンドイッチ(4500w)とコンビニのジュースや牛乳(3200w)など。


タプコル公園(元は円覚寺の敷地であった。1919年3.1独立宣言が発せられ、独立運動発祥の地と言われる。)
 
  
国宝の十三層塔           抗日運動の12枚のレリーフ
  
そんなに広くないこの公園で妻とはぐれてしまった。携帯の練習となった。

西大門独立公園
西大門は現存しない。
独立門 [手前の石柱は、かつて晋の使節を迎えた迎恩門の跡]      3.1独立運動の碑[独立門の奥に小さく見える]
 

刑務所歴史館 [独立運動の碑を通り過ぎて左、広い西大門独立公園の一角にある]1500w  展示館は工事中であった。
 
 
懲罰箱                                運動場の写真
 
死刑場                                中は撮影出来ない
 
死刑執行後共同墓地への通路                 ハンセン病棟(右の建物)と塀
 
柳寛順さん(3.1独立運動演説をした女性)のいた監獄と陽の当たらない地下牢
 

北村韓屋村[プクチョンハノンマウル]=伝統的な居住地域
 
 
                                   "冬のソナタ"で有名になった中央高校正門[すっかり観光名所]
 

昼食は、『龍水山本店』に入った。道路を挟んで右は昌徳宮である。
 
 
                                    デザートは写真を撮り忘れた。
 
娘推薦のレストランであった。予約はしなかった。
一番安いランチセット(一人2.5万w+間接税2500w=確か)を頼んだ。(日本語は通じない)
ビールを飲みながら楽しみたかったが、この後も観光があるのでそれはあきらめた。
高級レストランの風ではあったが、値段は以外にリーズナブルであった。
店内は広く、落ち着いている。かなりの客が入っていた。

昌徳宮[チャンドックン]、3000w、15世紀初頭李王朝の離宮。世界遺産。
敦化門                                仁政門
  
仁政殿
 
ドゥム                                宣政殿
 
熙政殿                                大造殿
 
報春亭                                楽善斎
 
楽善斎一帯                             排水口                   オンドルの焚き口
  

聖徳宮後苑 [言語別のガイドツアーに参加しないと入場できない。5000w、日本語は10時半と1時半の一日2回、我々は13:30に間に合った。]
                                     喜雨亭
 
長楽門                                演慶堂
 
                                    入り口は男女別々だが内部はこのようにつながっている。
 
芙蓉池                                  不老門
 
暎花堂(入ることができる)
 
魚水門と図書館                           宙合楼
 
芙蓉池一帯全景                           桑の古木(400年)          観覧池と東屋         
  
八角亭
 
玉流川一帯                                                               井戸跡
  
このガイドツアーは途中かなり休憩をとりながらであったが、2時間は長過ぎるかな。
人影は少なく、木々が生い茂り、日陰も多い、とても静かです。

昌福宮1000w、昌徳宮に隣接する門から入ることができる。だがこの場合、表門とは逆の方向から入るので、表門に向かって進むことになる。
慈慶殿跡                               養和堂
 
通明殿                                
 
明政殿                                明政殿中
 
明政門                                弘化門
 

私たちは、引き続いて『宗廟』に入る予定であったが、15:40からの日本語ガイドツアーにタッチの差で間に合わなかった。
2007~2008年版"地球の歩き方"によれば、ガイドが必要との説明はなく、また入場料も昌慶宮と共通とあった。
が、わずか2年で、入場料金は別々となり、ガイドツアーに参加しないと入場できないようになっていた。
このガイドツアーの最後尾50m位の所を職員が付いてくる。おそらくそれはツアーと離れて勝手な行動をとってはいけないと言うことなのだろう。
土曜日のみガイドなしで、自由に入ることのできる施設もあるようである。最新の情報で確認することが大事である。

宗廟前の宗廟市民公園は、碁と将棋を楽しむ老人達でいっぱいである。
夕方来た前回は、お酒を飲んだり、歌ったり踊ったり、またデートするような年配者も多かったように思う。


早めにホテルに戻り、入浴・サウナにゆっくり入り、その後近くの食堂に出かけた。
 
店員が、冷凍の骨付き巨大カルビの固まりをはさみでジョキジョキ切って、網に乗せ、焼いてくれる。
ビビンバを一人前頼んで半分ずつ食べた。55000w。                                     【続く】

ソウル-スウォン(水原)-カンファド(江華島)、8日間の旅 3

2010年05月24日 | 韓国の旅
5月14日・金・3日目
ホテル→M725(君子)(乗換)→M729(清潭)下車、泰恩寺[ポンウンサ]
→M725(君子)(乗換)→M424(明洞)下車→【歩】ケーブルカー→ソウルタワー
→【歩】安重根戦士記念館[アンジュングンサキニョムグァン]
→M424(明洞)→M328(安国)下車、宗廟→ホテル 
【昨日、宗廟を見学できなかったので、当初の予定を変えた。 】



朝食は、ホテル近くの食堂でビビンバ(6000w)+ミルク、ヨーグルト、トマトなど。


奉恩寺に向かう途中、消防のイベント(赤線内は消防レスキュー)が行われていた。
この一帯は巨大で斬新なデザインのビル群が林立するオフィス街・新市街地のようで、その大きさ美しさにびっくりした。
 
そんな晴れやかなオフィス街の脇に、古い町並みがあり、それに隣接して、巨大な奉恩寺があった。 

奉恩寺[ポンウンサ]
真如門                                四天王
 
                                    浮屠(仏舎利塔)など
 
法王楼
 
霊山堂
 
北極宝堂                               地蔵堂
 
地蔵堂中                               大雄殿 
 
鐘楼                                 普雨堂
 
                                   鐘閣
 
弥勒殿                                奉恩禅院
 
板殿
 
弥勒大仏
 
影閣
 
海水観音像                              凝香閣[供物の線香、米、ランタン、ろうそくなどを売っている]
 
5月21日は、旧暦の釈迦の生誕日で韓国では祝日である。
大古刹であるこのお寺では、写真には写っていないが、各お堂でたくさんの信者が僧と共に礼拝・読経していた。
韓国では、室外では合掌して三回ほどお辞儀をする。室内では、座って何度も礼・お辞儀をする。
スピーカーを通して流れる経にあわせて経を読んでいるのだが、ゆったりしていて、歌を奏でているかのようで聞いていて心地よい。
日本では、南阿弥陀仏、南妙法蓮華経などのお題目、般若心経が多いのだが、ちょっと絶叫的で慌ただしいのが多いのだが、
ここでは、何のお経かは私にはわからないが、騒がしくなくまことに穏やかでゆっくり読まれていたのがよい。

初めの予定では、10:40からの宗廟のツアーに参加する予定であったが、とても間に合わないので、
予定を変更して、南山公園・ソウルタワーを先に行くことにした。
手持ちのウォンがだいぶ少なくなったので、明洞の両替商で2万円をウォンに変えた。
空港で3万円を両替した時と比べると、札束がすごく少ないのでだまされたかと一瞬思ったのだが、
実は空港の時は全て1万ウォン札だったのが、今回は5万ウォン札が4枚も入っていたのである。
これ以降も私は、1万ウォン札と千ウォン札をしばしば混同し間違えた。

ちょうどお昼になったので繁華街の明洞のコンビニでサンドイッチや牛乳やおにぎりなどを買って、公園の木陰で食べた。
その後、ロープウェイ(韓国ではケーブルカー)でソウルタワーへ。帰りは歩くので、片道6000w。
エレベーターでソウルタワー展望台へ。8000w。
 
 
 
ソウルタワー一帯のフェンスには多数の鍵が。恋人と一緒に来て一緒に鍵を取り付けるとその愛がずっと続くというおまじない。
 
 
小学生の遠足か タワー前の広場  
 

急な下り坂を歩いて降りてしばらくすると安重根記念館のはずであったが、全面的建て替え中であった。
初代韓国統監であった伊藤博文を暗殺した、朝鮮の独立運動家・安重根は、韓国では英雄である。
 
 
以下二枚の写真は、2007年訪れた時のもの。
 

宗廟1000w[ガイド料込み]。14:40分のツアーに参加した。
宗廟市民公園で                           宗廟入り口
 
                                    香大庁一帯
 
斎宮一帯                               正殿
 
送り火を焚く炉                             永寧殿
 

ホテルに戻り、サウナ風呂に入り、夕食に出た。
トッポッキ[韓国の餅]で有名な、青丘の"シンダントッポッキタウン"に歩いて出かけた。
この通りに入ると、呼び込みは日本語であった。きっと私らのようにガイドブックを見て多くの日本人が来るのだろう。
 
具なし揚げ餃子、薄い薩摩揚げ、インスタントラーメン、ゆで卵や野菜が入っている。これをかき回してしまう。
日本語がわかる女性店員が、「辛さを少なくしました」、と言った。
どうも、韓国ではクッパでもビビンバでも鍋料理もぐちゃぐちゃにかき回してしむことが多い。19000w。
この一帯は、日常の暮らしの臭いが伝わってくるような下町で、たくさんの小売店が軒を連ね、
子ども達がアイスキャンディを口にしながら走り回っていた。
ここに来る途中、ホテルの近くに小さなスーパーを発見した。

シンダントッポッキタウンの通り                 途中のスナップ[大きな円盤が行きよいよく回る絶叫マシン]
 

さて、閑話休題
【韓国の地下鉄事情】
地下鉄は安く、路線も多く便利だ。地下鉄は、9ラインある。駅には番号が付いている。
例えば422と言えば4号線の22番の駅、東大門歴史文化公園駅というわけ。
料金は、切符を単独で買う時は1000w、"T-money"の場合は、初乗り900w、遠方の時は出る時加算される。
"T-money"=ICチップ式プリペイドカード、日本のスイカと全く同じ、バスも乗れる。     券売機など
 
カードデポジットは2500w、払い戻しは町中のコンビニGS25でできるが、駅では出来ない。
私たちは、払い戻しする時間が無く、日本に持ち帰ってきた。
改札のゲートはバーで、回転させて入るのだが、これが重く、荷物を持っていると入りにくい。

韓国では席が空いて入るとほとんどの人が座る。そうなのだが、シルバーシートがあるがそれと関係なく、
自分より少しでも年配者が来るとほとんどの人がごく自然に席を譲っていた。
だが、乗車する際は、降車する人を待たずに入って座ろうとする。ここらの事情が私にはおもしろかった。
2003年地下鉄火災で200人近くの死者が出た。車両の座席がステンレス製となり、防火対策が進められた。
 
車内で携帯でしゃべる人はいるが、少ない。携帯でゲームをしている人はほとんど見ない。
日本の耳障りで執拗な車内アナウンス「携帯は云々」がないのは何より良い。
車内電光掲示板の普及はまだ十分で無く、乗り換えの時は注意が必要だ。
ホームは全て転落しない安全な壁・ドアシステムなのが良い。
韓国の地下鉄は地下防空壕を兼ねていると言う説があるほど深いが、エレベーターの普及がまだまだで、階段の上り下りは大変である。
さらに、韓国の道路は道幅がすこぶる広く大きな交差点では横断報道がなく地下通路を使う。
地下鉄の乗り換え、道路の地下通路の階段の上り下りはとても大変で疲れる。
韓国の地下鉄でおもしろいのは、車内行商=販売である。
大声で商売する。以前は災害の時のペンライトやホイッスル、最近はビニールのレインコートや歌謡曲のCDなど。
隣に座った見ず知らずの人々がと男女間でも親しげに言葉を交わすのもおもしろかった。もちろん若い人ではないが。
乗換駅に来ると特定の音楽が鳴ってアナウンスがあるのもおもしろかった。
今回鉄道は利用しなかったが、鉄道は市内では発達していない。
日本の鉄道網は素晴らしい。鉄道の最高の良いところは、ランドマーク的=可視的と言うことだ。
街を歩いていて、鉄道の駅はとても見つけやすく、自分の位置を知るのがとても分かりやすい。北の方角は?などがすぐわかりやすい。
地下鉄の場合は、そうはいかない。方角などは全く見当が付かない。出口を間違えるのはしょっちゅうだ。
乗っていて、景色が見えるのは楽しい。
景色と言えば、地下鉄の車内ですごい広告に出合った。壁におそらく液晶画面が何枚も連ねられているのだろう。
走っている入り電車の中から、その広告が見えるのである。
                                                                【続く】              

ソウル-スウォン(水原)-カンファド(江華島)、8日間の旅 4

2010年05月24日 | 韓国の旅
5月15日・土・5日目
この日は、世界遺産の水原華城(スウォンフアソン)に遠出した。

朝食(コンビニ)

ホテルのある東大門歴史運動公園駅[422]から東大門で一号線に乗り換え、141(九老)で一号線の支線に乗り換え、
P154(水原)まで行った。料金は1800wだったと思う。
水原駅

駅前の観光案内所でシティバス(10時と2時の2回のみ)を申し込んだが、タッチの差で間に合わなかった。

水原華城入り口の八達門までバスで行き、その後華城列車(=トラム)出札口まで歩くことにした。
八達門

水原市場
 
途中に教会と仏教寺院が                          蒼龍門(案内所では15分位と言われたがとても遠かった。)
   
弓の体験場                              東将軍台
  
華城列車(1500w)                            華虹門
  
長安門                                西将台
  
お昼は華城行宮近くの食堂、隣の人が食べていた薄く切った餅の入ったスープと海苔巻き(値段は忘れた、安かった)  与民閣
 

華城行宮 1500w
新豊楼                                奉寿堂
 
奉寿堂の内部                             井戸
 
雲漢閣                                その内部
 
台所                                 記録師
 
楽器                                 お餅販売
 
新豊門前広場のイベントに出る踊り子が出番を待っていた。衛兵か。
 
衣装や鎧など                             衣装体験
 

水原観光は、ガイドブックの案内も少なく、また私たちの事前の情報収集も不十分だったため、余裕がありませんでした。
もう少し狭く、歩いて回れるのかと思っていましたが、とんでもありません。城壁内だけで2km四方はあります。
来たルートと逆で帰りました。ホテルで汗を流して、地下鉄で光化門駅に行き、早めの夕食を食べました。
記念碑殿                               そしてこんなモニュメントが
 
何という料理かわかりませんでした。店の外から見た時は上に乗ってるのが中華麺に見えたのだが、もやしでした。37000w。
 
コンロの右の皿には蛸が入っている。美味しいのだが辛い、私たちは、ボールをもらいそれに水を入れ、すすいで鍋に入れた。
韓国の人は、鍋に入れずに食べている人もいた。「茹でた蛸のキムチ」なのかもしれない。
おいしかったがちょっと辛かったので、喫茶店に入った。ホットコーヒーを頼んだつもりだったが来たのは
ウインナコーヒーであった。スティックが付いてきたのだがあまり細いので気がつかずスプーンをもらった。
それに気づいたのはトレイを返却しお金を払う段になってだった。
店員も、我々もにこやかに笑って。9800w。ヨーロッパでもそうだったが嗜好品は値段が高い。

少し時間があったので清渓広場に行った。 左は李舜臣将軍像、その後ろは景福宮の光化門・その背後の山の中腹に青瓦台。
  
 
かつてソウルの中心を流れるこの川は異臭を放っていたそうだ。ソウル市は大英断し大改造を試み、成功した。
今では、夏には子ども達が水遊びできるエリアもあるほど綺麗になり、老いも若きも集い、そぞろ歩く名所だ。

シティツアーバス夜景コースは光化門を8時出発、約1時間半かけて市内を巡る。5000w。
私は、名所前で立ち止まって少しは見せてくれるのかと思って少し期待していたのだが、ただ通るだけだった。
メインはソウルタワーで20分自由時間があることだった。多くの市民が、ソウルタワーからの急な坂道を歩いて下っていた。
 
私は昼来ているので少し情報があったが、初めての人はバス駐車場から展望台までは迷ってしまうだろう。
夕食の時ビールを飲んだのが失敗であった。この20分でトイレに入り、バスへ急いだのが良くなかったのだろう、
これまでの疲れも重なってこの夜、妻の体調が少し乱れた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【コーヒーブレイク】
私は、三年前の2007年7月13日~15日ソウルに観光旅行に来た。
三年前は韓国のエネルギーの激しさを感じたが、どこか危うさというか急ぎ過ぎを感じた。
が、今回は、韓国の成長の早さと確かさと落ち着き・成熟さも感じた。
こんなことを言ったら傲慢ではあるが、三年前は日本に追いつき追い越せと言うがむしゃらさ、
そして対北に勝つと言う切迫感が強かった様に感じる。
だが、今日日本と肩を並べたとまではまだ言えないが大いなる自信を獲得し、北との関係では負けないという自信も大きいと思う。
それは経済的面は言うまでもないのだが、政権交替などがそれまでは頻繁に起こってきた軍事クーデターによってではなく、
平和的に行われるという政治的安定・民主主義の確立が大きいと私は思う。
5月18日はテレビで光州事件追悼番組がたくさん流れていたそうだ(妻は国立中央博物館に行かず荷物整理をした)。
こうした事情の端的な表れが、街の看板などの漢字・英語表記が激減、ほとんどなくなったことと無関係ではないと私には思えてならない。
韓国のナショナリズムの静かなる、成熟の現れだと私は感じた。
金大中さんから始まった、日本文化の受け入れも自分たちの文化の自信の現れだと思う。
だが、それらは私にとってはすこぶる不便なことでもあった。
どういうことかというと、韓国語がわからない私は、例えば食堂に入っても注文するのはとても難しいのだ。
妻は、ハングルが少し読めるのだが、その意味を十分理解し、会話ができるほどではまだない。

前回は、片言の英語で聞くと英語が返ってきたように感じたが今回はハングルが返ってきた。
 
ソウル駅                               南大門市場
そして、時代が大きく変わったと強く感じるのは、『韓流ブーム』の素晴らしさである。
諸手を挙げて全て良しとは当然言えないが、かつて日本にあった、韓国・朝鮮に対する根深く・根強い差別・蔑視・偏見、
同時に、その裏返しとも言えかねない、韓国・朝鮮に対する屈折した自虐・自信喪失の双方によく働いたと私は思うのである。
韓流ブームがそれらを全て一掃・解決したとは言えないが、特に若者や熟年女性においては極めて明朗になったのは確かだ。
それは同時に、かつての日本と韓国・朝鮮の関係を全て水に流してしまっても良のだという危うさも当然持っているのだが。
楽観はできないがこうして紆余曲折しながら、日本と韓国・朝鮮の関係は少しずつより良くなっていくのだとつくづく思った。

《タクシー・バス・道路事情》
今回、タクシーは安いので利用するつもりだったが、ほとんど利用しなかった。
韓国の道路はとても広いので、センターの2車線はバス専用レーンになっていて、バスの利便性は極めて高いと思う。
だが、ハングルがわからない私たちには何行きなのかわからないのでなかなか利用できなかった。
車は多いのだが、前回のようにいつも渋滞という感じはしなかった。
前回は乱暴な運転が気になったが、今回はそれは感じなかった。
前回は一日一回は交通事故を目撃したように感じたし、私が乗ったタクシーも衝突されたが、
今回は一度も交通事故を見なかった。
それは車のボディに現れていて、前回の時はほとんどの車が傷だらけの印象だったが、今回は傷は無く、きれいであった。
車優先の事情は相変わらずで、横断歩道でもほとんどの車は止まってくれない。
韓国の道路は広いのだが、横断歩道が少ない。広すぎて一度の青信号では渡り切れないほどである。
それは、「有事」の時は、飛行機の滑走路に出来、装甲車などが通りやすいためと言われた。
大きな交差点では横断歩道が無く、地下通路を使って横断や右折することになる。
エスカレーターは少ないので、この地下通路の階段の上り下りはとても疲れるし、地下に入ると方向がわからなってしまうこともあるので苦労した。
怖いのは、バイクが歩道を走る事だ。韓国では車は右側通行、道幅が広いので左折出来ない交差点が多い。
その時バイクは歩道・横断歩道を走って車線変更をするのだ。
韓国では荷物運搬用にバイクがまだまだ多用されている。
だが、ベトナム・カンボジア・台北のようなバイクの洪水・氾濫はない。
地下鉄・地下通路、は便利なのだが、高齢者・障害者だけでなく利用者にかなりきついのは確かだ。
高齢者は、近場の時はおそらくバスの方を多用しているのではないだろうか。

《トイレ・水事情》
ヨーロッパや多くのアジア諸国ではトイレ事情がかなり悪いが、韓国のトイレ事情は全く問題無い。
メトロの駅、通路には必ず掃除の行き届いたきれいなトイレがあり、公共の場・観光地にもきれいなトイレがほとんどあった。
ウオシュレットは全く見かけなかった。トイレットペーパーは便器に流さないのが通常のようだ。
空港                                 南山韓国村
  
タプコル公園                             国立民族博物館
 
新村・現代百貨店

飲み水の心配も全く無かった。
水道水は飲まない方が良いと言われるが、食堂では日本と同じように必ず水が無料で提供され、
駅や飛行場などでは無料のウォーターサーバーがかなり普及してた。
また、コンビニ、キオスク、通りに小さな出店が各所にあり、500mlで500~800wで簡単に手に入るので、心配は全く無用です。

これは空港にあったものですが、同じものがホテルにもありました。

《街の風景/軍事色、食事・その他》
今回、軍を感じたのはたった一回あった。
地下鉄の独立門駅を降りた時、軍関係の車両が通るというので通行規制が行われた。それ以外は全く感じなかった。
町の中で迷彩服を着た若者がいたが一人または家族と一緒であった。それは軍服というよりファッションのように見えた。
前回は、空港内は撮影禁止だといわれた。これは前回撮った写真ですが、黒シャツの二人の男性は、交差点で立哨する警察官です。

道路の靴磨き屋さん、3000w。

食事は、概ね辛いですが、自分でかなり調節できますし、それほどではありませんでした。
おもしろいのは、多くの食堂が単品的、例えば、鶏鍋屋さんはそれだけ、トッポッキ屋さんはそれだけという感じが多かったことです。
焼き肉屋では、ニンニクを網の上で直に焼く店と小さな入れ物に油を入れてそれで揚げるお店がありました。
魚はほとんど食べませんでした。旅の終わりには、煮魚や焼き魚を食べたくなりました。
マグロ食べ放題という看板の日本食の食堂みたいな店を見ましたが、入りませんでした。
飲み屋風の食堂に入った時は、鯖を焼き肉のよう焼いて食べるようでした。出された日本語のメニューには、他は蛸だけ。
店員が、「蛸は辛い」と親切に言ってくれましたのですが、その店は結局入りませんでした。
後日、鍋料理を食べた時、真っ赤な蛸が山ほど出てきました。私たちは、水ですすいで辛子入りたれを除いて鍋に入れたのですが、
味はおいしかったのですが、それでもけっこう辛かったです。コンロの右にある赤いのが蛸で、その上がすすいだ水。

市場では、魚は豊富でしたので、日常的には魚は豊富に食べられているのだと思います。

《その他》
ソウル駅前地下通路

前回、ソウル駅前にはかなりたくさんのホームレスがいたが、今回はほとんど気にならない数であった。
町の通りに「物貰い」はいたが、ヨーロッパや他のアジアの国々とは比較にならないほど少なかった。

「円とウォンのレート」は、前回は100ウォン=約13円」、現在は100ウォン=約8円。
ほとんどのお店でカードが仕えました。
若い女性のファッションも日本と同じだと思いました。
短パンにスパッツ、下着みたいなスカートの下にズボンなどは韓国もそうでした。
しかし、電車の中で化粧する人は見かけませんでした。
男女のカップルでは、女性の方が積極的に男性の手を握ったり、肩を組んだり、髪を撫でたり男性に甘えていました。
ミニスカートも多かった。少しお年を召した女性はズボンが多かった。
Tシャツ一枚の人がいれば、コートを着ている人もいた。
気候は東京よりだいぶ過ごしやすかった。朝晩は上着があった方が良い。
日射しは強いので短いと日焼けが心配で、日中は長袖Tシャツ一枚だった。
最後の日に雨が降ったのだが、折りたたみ傘が多かった。また、地下鉄では傘をビニール袋に入れている人が多かった。
おもしろかったのは、地下鉄でも食堂でも傘を床に置く人が結構いたこと。
通りにゴミはほとんど落ちていませんでした。
自転車はほとんど見かけなかった。                                    【続く】

ソウル-スウォン(水原)-カンファド(江華島)、8日間の旅 5

2010年05月24日 | 韓国の旅
5月16日・水・6日目
→M534(鍾路3街)乗換M329→M327(景福宮)、景福宮[キョンボックン][3000w]、
→【歩】国立民俗博物館[クンニプミンソッパンムルグァン
→M328(安国)下車、雲峴宮[ウニョングン][700w]
→M329=乗り換えM130(鐘路3街駅)→M133(ソウル駅)下車、【歩】南大門・南大門市場→ホテル
    

朝食は、コンビニのサンドイッチ、ミルク、ミニトマト、バナナなど。

慶福宮 3000w
地下鉄慶福宮駅から慶福宮出口への通路(左は電話)  興礼門 (第一の門光化門は工事中)      衛兵
  
勤政殿                                                           香炉
  

思政殿
 

修政殿                                康寧殿           
 

康寧殿中                               カササギ               風旗台                               
  

交泰殿の峨眉山と煙突                         慈慶殿の煙突(塀の一部となっている)
 

香遠亭                                乾清宮
 

長安堂 (これと次は中国式建物である)                玉台楼
 

神武門                                ローラースケートを履いているのは警官である。   この先は、大統領官邸=青瓦台
  

国立民俗博物館(慶福宮チケットで入れる)         この右に立つ巨大な塔
 
エントランスにあるモニュメント
  
  
 
 
 
 
 
 


以下は、野外展示物
十二支像
 
                                   文人石・武人石
  
家畜に引かせる石臼
  


国立故宮博物館 [無料] 祭器
 
 
 
 
 
楽器
 
 
水時計                                火縄銃
  
 
雲ケン宮のある地下鉄・安国駅に行き、そこで昼食をとった。「ビビンバお願いします」というと、これが出てきた。
私がかき混ぜないで食べていると、食堂のおばさんがさっと寄って来て、ぐじゃぐじゃに混ぜてくれた。
スープの具は、ワカメではなく昆布であった。
 
インサドンキル通りは、日本人好みの細々したお土産屋街、筆やツボなどの高級品もある。
子どもが遊ぶ、日本の祭りの屋台のような出店も沢山あって大変な賑わいだった。
  
 
材料は何かわからなかったが、白いうどん状のものをのばしては束ねどんどん細くし髪の毛より細いお菓子の束ができる。
男性二人と客の掛け合いがおもしろく、結構売れていた。
 
                                    子供用ルーレット、チップの数が多く必ず当たるようで良心的。  双六のような遊びみたいだ。
  

雲ケイ宮(うんけいきゅう) 大漢帝国初代皇帝の父邸宅。700w
 
                                     真ん前に天堂教中央大教会があった
 

曹渓寺前の郵政局路大通りは鍾路タワーまで歩行者天国で、釈迦生誕日の様々なイベントが行われていた。
 

ソウル駅                                南大門市場 
 

夕飯は、ちょっとさっぱりしたいものが食べたいと、パンにした。ミニスーパーで果物を買った。
その途中、パレードに遭遇した。
東大門歴史文化公園駅上の交差点(片道4車線ある)。
赤線で囲ったのはクレーンで吊した巨大なスピーカーでした。交差点は1時間30分位通行止めでした。
何人かのバイクは警官と押し問答の喧嘩をしていました。
一団の先頭にはプラカードを持った人がいたようなので、地域ごとの参加だったのかもしれません。
どこまで行くのかわかりません、楽器を奏で休み無く踊っています。
お坊さんの集団のリーダーは、ホイッスルで昔のデモの指揮者のようでした。
笛に合わせ、シンバルのような鐘を鳴らし踊っていました。つくづく沿道の韓国の人と話せたら良いなと思いました。
 
 
 
                                                                  【続く】

ソウル-スウォン(水原)-カンファド(江華島)、8日間の旅 6

2010年05月24日 | 韓国の旅
5月17日・月・7日目
今日は、江華島(カンファド)へ遠出した。
この島は、1875年、日本が島の砲台を攻撃し朝鮮侵略を開始するきっかけとなった江華島事件の舞台となった島である。
江華島は、ソウルを流れる漢江が注ぐ黄海の入り口に浮かぶ大きな島で、今日その海域は北朝鮮との軍事境界線となっている。
周辺は、大小たくさんの島々があり、天然の良港となっている。
 
新川からバスで行く。約1時間40分、バス代は1800wであった。
バスターミナルというので大きな施設かと思って行ったのだが、それらしきものはなく通り越してしまった。
「バスターミナル?」と聞いたが?の返答が返ってきた。三人目が「あそこ」と指さしてくれた。それは普通のバス停だった。
私たちは、バスは切符を買って乗るのだと思っていたのだが、通常はメトロのカードでまず乗車し(900wが引かれる)、
降車する時、読み取り機にカードをかざすと追加のバス代が引き落とされるのであった。
だが、私たちのカードにはお金が残っていなかったので、乗車できずにウロウロしていると、
後ろの乗客が英語で3600wと言ってくれ、運転手も困った我々を現金で乗車させてくれたのであった。
ゆったりバスであった。                         こちらはバス停が10以上ある江華バスターミナルで、帰りの新川行きバス。
  
江華バスターミナルは大きな立派な施設だったが、インフォメーション窓口はさび付き閉まっていた。
ガイドブックには、巡回バスが一日9本走っているというので運転手さんに英語で聞いたが通じず、バス停がわからない。
ガイドブックを指さし、やっとわかった。
バスの乗車方法はここでもカード方式であったが現金で乗せてくれた。目的地に着いた時、乗客と運転手が「ここ」とジェスチャで教えてくれた。
草芝鎮(チィジン)、江華島事件の舞台となった砲台の跡だ。700w
 
 
さて、ここでタクシーに乗る予定であったが、タクシーは無いし、しばらく待っても通らなかった。
次の巡回バスは2時間後なので、バスでターミナルに戻ることにしたのだが、どのバスかわからない。
駐車場の若者が教えてくれた。違うバスが来ると、わざわざバス停まで来てくれて、「違う」と教えてくれた。
ターミナルに着いたらもうお昼だった。 海苔巻きを二本頼んだ。隣の人が麺を食べているので私は、「それも」と頼んだ。
それは具のないインスタントラーメンであった。少し辛かった。両方でなんと4000wであった。


これからはタクシーを使うことにした。数人の運転手がたむろする乗り場でガイドブックを示し「ハウマッチ?」と聞くと、
「メーター」との返事。私が、「1万w、2万w、3万w?」とメモを書くと、「2万」に○をした。
伝燈寺(チョンドゥンサ)。古刹である。 タクシー代は、1.7万wであった。
 
 
 
 
 
 
                                   立木に仏像が彫られていた
 
 
 
                                                                         僧の履く質素な履き物
  
入り口で待ってもらっていたタクシーで、江華支石墓へ。寺は南部、石墓は北部にあるので、2.2万w。

江華支石墓(カンファジソンミョ)、紀元前1000年頃から100年頃と言われる、巨石墓。
 
  
広大な一帯が再開発整備中であった。メキシコから一人で来ている老人と写真を撮りあった。
「メキシコにはティオキワカン遺跡など重要な遺跡がありますね。」というと、「ぜひ、来て下さい」。
タクシーに帽子を忘れたので慌てて駐車場を見ると先ほどのドライバーがいたので、帽子をもらい、「待っていて」と頼んだ。
ここで、江華島観光を終わり、タクシーでターミナルに戻った。0.8万w。
島の所々で、道の左右から水のシャワーが吹き付けられる。道路に段差があり車はスピードを落とす。
埃対策なのか、それともスピードを落とさせることが目的なのかは、?。
 

新川市場              現代百貨店10階のレストランで夕食、海鮮クッパのようなもの+ビール2本で2万wちょっとだったと思う。
                  これは辛くなく海鮮のダシがきいてとてもおいしかった。ウエイトレスは英語が出来てよく説明してくれた。
 
スーパーで妻が、キムチの元を買った。日本語の説明文があった。一つ4000wを二つ。
《後半から、食事代などメモするのをすっかり忘れてしまった。帰国してから、レシートを見るのがハングルなのでわからず、後の祭りだった。》       【続く】

ソウル-スウォン(水原)-カンファド(江華島)、8日間の旅 7

2010年05月24日 | 韓国の旅
5月18日・火・8日目最終日
朝から、かなり強い雨が降っていた。日本を出る時雨だったが、韓国では初めての雨だった。
妻はホテルで荷物整理。ホテル代はすでに日本で払っている。私は妻にホテルのチェックアウトを頼み、私一人で出かけた。

国立中央博物館 入場料は無料。
国立中央博物館入り口                       ソウル市中心・ソウルタワー方向
 
8時45分に到着した。あまりの大きさにびっくりした。野外展示場・企画展示室は時間も無くあきらめた。
9時開館、あたりに私一人、入場者は私だけで職員の数の方がはるかに多かった。しばらくして遠足の子ども達が来た。
1階の考古館・歴史観、3階の寄贈館・美術館1、2階のアジア館・美術館2の順番に回った。
                                                          塑造仏
   
傘の骨             枕と足座            甕棺                    大香炉
    
馬の鎧                                  12支像
  
   
                 石製龍頭                    青磁瓦
  
  

以下の三つは1~3階吹き抜けで展示されている。
月光寺塔碑             敬天寺十層石塔      仏画(2階分の大きさだ)
   
仏教彫刻
    
    
日本の法隆寺とそっくりの半跏思惟像[国宝]
      
金属工芸                                  以下、壺はほとんど国宝である、 国宝には写真右下赤線内に示すように、
                                        展示タイトルに"国宝"とある。
        
    
     
                                                                          角杯
      
                                                          アジア館/インド
     
                                    シヴアトパールヴアティー
     
                                                            ここから2階/寄贈館
  
青銅冑(1936年ベルリンオリンピックマラソン金メダリスト・孫基禎寄贈)  乾漆釈迦如来像頭部(金子量重寄贈)
   
美術館1
   
達磨大師
  
大急ぎで回っても3時間かかった、とても疲れた。
ホテルのチェックアウトを頼んだ妻と12時に喫茶店で待ち合わせをしていたので、遅れるとメールした。妻と合流し、食事。
プルコギ風クッパ、だいぶ甘い。テーブルに白菜と大根のキムチが入った壺があり、自分で取り出し、はさみで切って食べる。18000w。
 
ホテルに戻り預けていた荷物を受け取り空港に向かった。
搭乗手続きはスムーズで早かった。行きも帰りも荷物は預けず、手荷物で機内に持ち込んだ。
16:45金浦空港発~18:45羽田空港着、たった2時間のフライトなのに機内食が出た。
機内食は、往きとほとんど同じだったが、写真は撮り忘れた。もう良いだろうと二人でビールを頼んだ。
伊豆七島がきれいに見えた。

30分ほど待つことになるのだったが、ラッシュ時なのでリムジンバスで帰ることにした。リムジンバス利用は初めてだった。
高速道路は渋滞もなく、さいたま新都心駅前まで1時間、1500円だった。

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【お寺について】
訪れた仏教寺院は三つの大きな古刹だけでした。日本のように町の中に小さなお寺は無かったように思う。
日本では、高野山や延暦寺など密教寺院は比較的色彩が華やかだが、韓国の寺院はそれ以上に色彩が鮮やかであった。
寺院の仏像は金色が多かった。博物館の仏像は鉄製が多かった。
訪れた時期が、旧暦の釈迦生誕祭の週であったためだろうか、参拝信者が多く、その参拝の様子は日本とはだいぶ違っていた。
日本では合掌だが、韓国では立っている時は長い線香を持って素早いお辞儀を何度かする、
室内では座って頭を床に付け、両手の平を上に向けるお辞儀を何度かする。
また、皆で声を合わせてお経を読んでいた。これらの様子は台北のお寺とよく似ていた。
私が心地よかったのは、韓国語のお経だった。
テレビなどでは、~スミダの語調はかなり強いのだが、日本の集団のお経がちょっとカルトっぽい熱狂さがあるのに比し、
韓国のお経は、本当に"穏やかでゆったり"、心落ち着く調べで、あたかも「子守歌」のようであった。
提灯、飾り蝋燭、米や野菜、提灯、花などがお寺の入り口の売店で売られていて、お供えしていました。
特に色とりどりのたくさんの提灯が宙につり下げられるのは日本には無い様子だった。
御布施の値段が幾らかは興味があったが、さすがの私もそれを聞くことはできませんでした。
お寺では写真撮影はどこも自由でしたが、信者のお祈りの場面は控えました。
どの博物館でもフラッシュ・三脚を使用しなければ全てOKでした。

【ヨンビンホテルについて】

"楽天トラベル"で検索・申し込みました。
不満は無く、満足でした。
私たちがヨンビンホテルに決めた一番の理由は、交通の便と値段の安さでした。夫婦で泊まって一泊5000円以下でした。
最寄りの駅=東大門歴史文化駅は地下鉄2、4、5号線が通り、ホテルまで徒歩7分。3号線の東大入口駅へも徒歩約10分ちょっとです。
5番出口を出たところで辺りを見渡すと温泉マークが付いたホテルが見えます。
ホテル近くには早朝から開いている食堂・パン屋・コンビニのGS29があり、近くにミニスーパーもありました。
部屋はツインでしたが、ダブルとシングルの2ベッドがあり、部屋も広く、バスタブがあり、シャンプー・リンス・ローション・レザーは無料でした。
冷蔵庫・衛星放送テレビ・ドライヤー、無料のミネラルウオーター2本、廊下には水とお湯のサーバーがありました。
無料のランドリーサービスがあるようでしたが、私たちは利用しなで、下着だけを手洗いしました。
インターネットはランではなく別室・有料でした。
ホテル内にサウナと日本的大浴場があり、一室一泊に付き一枚の無料入浴券(5000w)がもらえます。
日本語が出来る職員もいます。
エレベーター内は薬草の臭いがしますがこれは2、3階にある大浴場の薬湯の臭いのようでした。
私たちが滞在中に新しいエアコンを取り付けていました。
不満といえば、室内にラン、ポット、スーツケースを乗せて開く台、セキュリティボックスが無いことでした。
ホテルのある通りの入り口に古紙回収の施設がありますが、問題はありません。

【費用について】
航空券は、H.I.Sで購入しました。代金は109,040(往復二人分)でした。
もっと安い航空券もあるようですが、確実に確保するために割高でも良いと、今年1月中旬に申し込みました。
ホテル代は34,587円、両替したお金は5万円、カードは4千円ほどでした。
お土産は、妻が買った韓国のり(1.5万w)と、巾着二つ(1万w)とキムチの元二つ(1万w)だけでした。
空港で巾着を買う時、残ったウオンと不足分をカードで払いました。
羽田までの交通費を加えても、二人で合計、202000円ほどでした。
お金はあまり使いませんでしたが、決してケチケチ貧乏旅行では無かったと思っています。

【最後に】
2007年に訪れた時、そのブログの最後に、
 今回の旅で、実現できなかった残念なことが三つある。
 一つは、国立中央博物館に行けなかったこと、
 二つは、お粥・ムルネンミョン[ピョンヤンが本場の冷麺]を食べられなかったこと、
 三つは、夜景コースのシティツアーバスに乗れなかったこと、
 この三つは、いつか妻と訪れる時の楽しみに残しておこう、と書きました。そのブログは、2007年/ソウルを参照。
今回その三つとも、実現したが、ムルネンミョン[ピョンヤンが本場の冷麺]はおいしくなかった、夜景のシティツアーバス
はちょっと期待はずれでした。
国立中央博物館、景福宮に付属する国立民俗博物館と国立故宮博物館の三つを訪れることができて良かったです。
反省点は、もっとゆっくり、のんびりと街を歩き、市民に道を聞いたり、話かければ良かったなと思うことです。
                                                 【終わり】

北松戸~本福寺を歩く

2010年05月09日 | ウォーキング
5月9日、昨日に引き続き、松戸市を北松戸駅から歩いた。



北松戸駅は、快速は止まらないので、松戸駅で各駅に乗り換える。

明治神社
 

二ツ井戸跡 (場所がわからず、何人にも聞いたのだが誰も知らなかった。思い切って美容院の戸を開けて聞いてやっとわかった)
 
昔ここに、二つ井戸があり、一つが濁ってももう一つは綺麗だったと言う。

本覚寺


本福寺 [時宗]                            吉田松陰が立ち寄り泊まったという。
 
切られ地蔵                              この碑の前の階段を下りるとカンスケの井戸がある
 
カンスケの井戸[場所がわからず住職の奥様に聞いた。子どもの頃飲んで育ったと言っていた。]


栄松寺
 

燈明寺                                春日神社
 

風早神社                               大聖院
 

高林寺                                熊野神社
 

廣照寺
 

安房須神社
 

首切り地蔵                              龍善寺
 

松戸は結構坂がある町であった。
日射しは強かったが、我慢出来ない暑さではなく、時折吹くさわやかな風はとても心地よかった。
特別に大きな寺や神社があるわけではないが、
吉田松陰が立ち寄り、泊まった本福寺のことは事前には知らなかったのでラッキーという感じでした。

二ツ井戸、カンスケの井戸は、場所がわからず大変困りました。
道はなるべく聞かないようにしています。
話しかけられるとイヤだなと思う人もいると思うからです。
歩いている年寄りや、墓参者の何人かに聞いたのだが、誰も知らなかった。
まっ、確かにマイナーではあると思うのだが……。
北松戸は、競輪場があって昔は混み合ったが、最近は競輪人気は廃れ、駅利用者も減っているそうだ。

常磐線は、初心者の私にはわかりにくかった。
北松戸駅は快速が止まらないので、各駅で松戸駅で乗り換える必要がある。
ところが、各駅電車と案内があったホームには地下鉄千代田線の電車が来た。
千代田線は、西日暮里でJRの乗り換えとなり、日暮里には行かないのである。
私は、日暮里・西日暮里どちらでも良いので差し支えないが、目的の駅に「止まらない」と焦る人がいるに違いない。
携帯の注意、電車が来ますなどのアナウンスはうるさいほどするのに、より大事と思われるこの案内はない。
どうやら常磐線の各駅電車も別にあるようなのでだが、営団地下鉄もJR線もホーム・構内が同じなのだからわかりにくい。
とにかく、昨今は私鉄・地下鉄・JRが相互に乗り入れているのでうっかりすると行き先を間違えてしまう。

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5月11日から5月18日まで韓国・ソウルに行きます。
このブログの更新はしばらくありません。
ツアーではなく、安いビジネスホテルに泊まって、ソウルののんびり観光をします。

松戸~戸定が丘歴史公園・経世塚を歩く

2010年05月08日 | ウォーキング
5月8日


松戸市民劇場


西蓮寺
 

善照寺                                       宝光院
 

妙晃寺                                江戸川
 

松先稲荷神社           松戸神社                               松戸神社境内には秋葉神社他10以上の神社が
  

松龍寺                                観音堂             弁財天堂
   

圓慶寺                                増長寺
 

坂川にかかるメガネ橋                       徳川慶喜が坂川を背景に写真を撮ったという
 

戸定(とじょう)が丘歴史公園入り口                 戸定邸[水戸徳川家最後の藩主・徳川昭武の屋敷跡]
 
客間より庭を                             庭から松戸市内が見える
 
蔵[中には輿入れの道具が]                    公園内
  
松戸市戸定歴史館 [戸定邸入館料と共同で240円、戸定邸・歴史観の展示物少ない]


大正寺                                帝釈天堂 [中に鬼子母尊神像]
  

松戸中央公園 旧陸軍工兵学校正門門柱


聖徳大学                               経世塚 [国府台の戦い(1538年)戦死者の墳墓]=聖徳学園内にある
 

花蔵院                                                     東人観音 [松戸駅近く、聖徳学園の塀の中に]
  

常磐線は、上野駅-仙台駅を言うらしいが、一般的には、上野駅-水戸駅を結ぶ首都圏ローカル線と言って良い。
私は、ほとんど乗ったことがないのだが、土曜だというのにその混雑に驚いた。
上り電車が到着し、降りた乗客でホームは身動きが出来ないほどだった。
常磐線ホームは狭く暗い。
私が怒りを覚えたのは、10両編成の内2両がグリーン車ということだ。
高崎線や東北線などにもグリーン車が2両あるが、こちらは15両が多い。

東京都の西部には、隅田川(荒川の支流)、荒川、中川(旧江戸川)、江戸川が流れる。
いずれもかなり大きな川で、豊かな水量である。
おそらく江戸時代に灌漑・用水として作られたのだろう。
川はとても和む。
松戸駅はかなり大きい駅であった。
松戸駅西口前をしばらく直進すると松戸市民劇場の交差点である。
戸定(とじょう)が丘歴史公園の旧水戸藩主の屋敷は大きいが決して豪邸ではない。
ただ、高台にあるので、江戸川や松戸市内が見えるのだが、木が邪魔になって見えるのは少しだけ。

経世塚は、女子大の聖徳大学の構内にあるので、入り口でガードマンに断って入る。
日射しは強かったが、風があり、気持ち良かった。
だが、歩く距離はいつもの半分ほどにセイブした。                  

京成船橋から東船橋を歩く

2010年05月05日 | ウォーキング
5月5日

三日連続で、京成本線日暮里駅・9時47分発の特急を利用しました。
混み方は、4、3、5日の順で、本日はガラガラでした。
京成船橋は特急が止まるので、乗り換えが無く10:11に着、三日の内で一番早く着くという不思議さです。

道祖神社               東照宮[木造の東照宮では一番小さいと言う]  御蔵稲荷神社
  
家康は鷹狩りでここに来、その時船橋御殿が建てられ、家康死後東照宮が造られた。
御蔵稲荷は、元々は飢饉に備えた食物貯蔵庫だったという。その建物が水害で流された後、食物の神を祀る神社として造られた。

厳島神社                     ビルに挟まれて   明治天皇船橋行在所[旅館があり食事をしたという、今は千葉銀行] 
   

太宰治碑                  浄勝寺
 
[一時この地に住んだ太宰は庭に夾竹桃を植えたという。]

専修院                                
 

最勝院                                行法寺
 

不動院[津波で溺死した漁師を供養する釈迦如来像=飯盛り地蔵と言われる]
 

覚王寺
 

圓蔵院                                えんが地蔵
  

海老川に架かる橋[すぐ手前は海]                 東光院
 

船橋大神宮意富比神社                      境内にはたくさんの神社が
 
土俵                                 日清戦争の碑は珍しいと思う。
 
赤ちゃんを連れたたくさんの若い人が参拝していました。

西福寺
 

了源寺[幕末、船橋には大砲試射場があり、その後、時を告げる鐘楼が造られた。時を正確に告げるための時計があり、残されていると言う。]
 

熊野神社                               慈雲寺
 

道祖神社(立派な銀杏である)


無理は禁物と、最初からこの日の計画はここまでにした。
狭い地域であったが、それでも二時間近くかかった。
今日も気温はだいぶ高かった様だが、風が少し吹いていた。
だが、今日は木陰に入ってもひんやりではなく暑かった。
3、4日は畑が見える地域であったが、今日は全くの市街地である。
町中は、人混みであった。

船橋は大きい町である。
鉄道状況はちょっと複雑である。
JR船橋、京成船橋ともに大きいが、JRの方が圧倒的に大きい。
京成西船は小さい駅で、急行も止まらない。
JR西船橋は、とても大きい。
総武本線・武蔵野線・京葉線・東葉高速線・地下鉄東西線が走るターミナルである。
元々は、中山競馬場のために作られた駅と言われ、かつては西船と言えば、ミュージック=外人・関西ストリップで有名でした。
そう、関西・外人とは「過激」と言う意味だったようでした。
西八王子、西川口、西船橋という『西』の地名が付くこれらの都市は皆大風俗繁華街でした。
西新宿もそうでした。
大東京への入り口=場末でした。脱線しました。

私の5月の大型連休は、お金のかからない地味な東京近辺のウォーキングでした。
前半は、埼玉県南部地方、後半は千葉県西部地方でした。
交通渋滞もなく、グルメもなく、最後はちょっと暑く疲れましたが楽しかったです。

京成中山~JR西船橋=法華経寺を歩く

2010年05月04日 | ウォーキング
5月4日、京成中山~JR西船橋を歩いた。



京成中山駅は特急が止まらない小さい駅である。
300mほど直進すると、大きな黒門が見えてくる。
法華経寺の三門・仁王門である。
門をくぐらず、左折し、安房神社を訪れた。
安房神社                               智泉院[法華経寺の塔頭(たっちゅう)の一つである] 
 
 *塔頭(たっちゅう)とは、一般的に大寺の山内にある末寺のこと。

 法華経寺HPより引用

仁王門                                 池本寺
 

陽雲寺                                本妙寺
 

遠寿院 荒行堂
 
本堂
 

本光寺                                高見寺
 

安世院
 

蓮行寺                                清水寺
 

浄鏡寺                                浄光院
  

法華経寺
大祖師堂(本堂)                           五重塔
 
妙見堂                                刹堂
 
四足門[法華堂門]                          法華堂
 
宇賀神堂                               清正公神祗堂
 
宝殿門                                聖教殿[日蓮大聖人真筆の「立正安国論」などが納められている]
 
端門                                 日常聖人像
 
大仏                                 荒行堂
 
鬼子母大神堂
 

法宣院[塔頭の一つ]
  

正中山奥之院
 
弁財天                                日常上人廟
 
 以上、法華経寺およびその塔頭である。

若宮八幡神社                              明王院三門
 
明王院本堂
 

熊野神社                               行田公園
 

光明寺                                八坂神社
 

常楽寺
 

妙見神社                               宝成寺
 

正延寺



法華経寺は、鎌倉時代、日蓮聖人が初めて開いたお寺と言われる。
日蓮は、それまでの宗教と異なり民衆的仏教を説いたため、既存の宗教・権威・権力から弾圧を受けたが、
下総の豪族から、温かく迎えられた。
特に、富木常忍は、日蓮の死後、出家し日常聖人となりこの地に日蓮宗の大拠点を築いた。
日蓮宗は、法華経を大事な教典とする。

法華経寺は、塔頭を含めるとかなり広大です。
見応えがありますが、全部回るとかなり疲れます。
寺社には、ベンチや休憩所が以外に整備されていませんので、休憩には困ります。

若宮八幡神社から方角を間違えてだいぶ遠回りをしてしまった。
行田公園は何とか行ったのだが、そんなわけで中は散策しなかった。
また、中山競馬場を回る元気はありませんでした。
この一帯は、まだ田舎で畑や小高い丘・森も残っています。
急ではありませんが、坂もかなりあります。
木陰で休んでいると、ちょっぴりひんやりする風が吹いていました。
JR西船橋駅はかなり大きな駅です。

法華経寺は見応えがあります。黒門は見過ごしてしまいました。
 引用

鬼越・市川真間・国府台~真間の弘法寺を歩く

2010年05月03日 | ウォーキング
5月3日、少し遠出して、千葉県鬼越・市川真間・国府台を歩いた。
それでも家から1時間である。

黒線で囲った所は、ちょっと不思議な所です。
東京医科歯科大学、和洋女子大学、千葉商科大学、筑波大付属聴覚特別支援学校、国府台高校、
国立国際医療センター国府台病院、第一中学校などがあります。
その間の道路は、もちろん公道なのですが、まるで学校の敷地内のようなので入っては行けないような感じがします。
いずれの学校もキャンパスはとても広く、建物も新しいです。

鬼越駅で降りて、周辺を歩きました。
神明寺                         銀杏の木から枝のようなものが垂れ下がっています、これは下に着くと根になるのでしょうか?
  
神明社                                常開寺
 
鬼越駅前の墓地               東昌寺
  

葛飾八幡宮
随神門                                神楽殿大絵馬(幕末時代)
 
拝殿                                  千本公孫樹(イチョウ)=たくさんの銀杏の木がまとまって一本の木のよう。
 

京成八幡駅から市川真間までは電車です。
京成本線のこの辺りは、踏切が多い。

文学の道[市川真間とゆかりの文学者やその作品が約350mにわたって紹介されている]
先日亡くなった井上ひさしさんの案内              文学の道の最後に、浮島弁財天
 

弘法寺
つぎはし                                
 
遍覧亭[茶室・眺めがよい]                     太刀大黒天
 
本堂                                  本堂内では若い僧が法要の練習をしていました。
 
人間学校                                                 庭にたくさんボタンの花が
  
仁王門
  
鐘楼                  手児奈霊神堂[手児奈と言う美しい娘は多くの男から恋われ、悩み、入水した。その霊を祀ったという。]
 

亀井院(北原白秋が一時住んだ)                 真間の井戸          
 

郭末若[日本に亡命し、その後、国交がなかった時代に日中間の交流に努めた]記念館


下総国分寺
仁王門
  
本堂                                  毘沙門天 
  
江戸川三大地蔵(大正時代、遠足で死んだ子どもの霊を祀った地蔵、江戸川改修事業でここに移転された)   十一面観音
   

宝珠院[本尊は薬師如来、それで薬罐が?]
 

経王寺                                           日枝神社
  

龍珠院
 

笠園院
 

北台庚申塔                  国分尼寺跡公園
  

ジュンサイ池緑地(ジュンサイを育てていると言う)        国府台天満宮
 

総寧寺
 
 

国府台城跡公園                           筑波大付属聴覚特別支援学校
 

和洋女子大                              国府神社
 

龍泉院                                玄授院
 

安国院                                               毛髪供養の碑[髪の毛が薄い私は思わず]
  

弘法寺はお勧めです。
ジュンサイ池辺りではちょっと疲れてきたので、ジュンサイが育っている所は確認できませんでした。
総寧寺から里見公園への道がわからず困りましたが、追求せず先を急ぎました。
江戸川はゆったり流れています。

国府台は「こうのだい」と読みます、難しいですね。
起伏のある一帯です。電車、町中は人出が少なからずでした。
寺社の人混みはわずかでした。
気温は高いようでしたが、時折強い風が吹き、心地よかったです。
電車はもう冷房が入り、少し寒かったです。

伊奈町・丸山~明星寺・内宿を歩く

2010年05月02日 | ウォーキング
5月2日伊奈町の丸山駅から内宿を歩いた。



国立がんセンター                          県立精神医療センター
 

松福寺                                この顔、人の高さほどあります。
   

無量寺                                
 

建正寺
 
薬師堂                                氷川神社
 

清光寺[本堂は民家] 小室観音堂                不動堂
 
小貝戸貝塚の碑(清光寺内)         観音寺
  

名無き堂                                     稲荷大明神(次の西光寺に向かう集落の中)
  

西光寺
     

町立郷土資料館
  
板碑が無造作に置かれていました。
  
                                   資料館とは、無関係ですが、途中で見かけた埼玉自動車大学校の看板
 
この資料館、出かける前には気がつきませんでした。歩いていて看板が目に入りました。
管理人はいません。昔の農家がそのまま町に寄付され、資料館になった感じです。
他の博物館では丁重に陳列されているだろう品々がかなり無造作に置かれています。
埃をかぶっていますが、かえって実際に使われていた実感があります。
無料です。わざわざ見に行くものではありませんが、貴重な資料館です。

明星院
  
 
県の天然記念物になっているカヤの木
      

桂全寺                                途中で見かけた庚申塔
 

東光院
 

今日は珍しく花や木を撮った。

最後の写真は、花でなく紅葉している紅葉のような葉をした木です。

今日は、全く道に迷うことなく、予定した地図通りに歩くことが出来ました。
車の通れない道幅2mほどの農道も通りました。
その分余裕があったのか、木陰で十分休憩したり、花の写真も撮りました。
畑が沢山ありました。道路ではほとんど人に会いませんでした。
自家用車が乱暴に走っていました。車は本当に嫌いです。
明星院の仁王門をくぐった所で、二人の男性がシートを敷いて小宴会をしていました。

ニューシャトルは、内宿が終点で、大宮までは約30分、340円です。
今日は、高架のニューシャトルの日陰をだいぶ通り、涼しく助かりました。