風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

道成寺・根来寺・粉河寺・長保寺・吉祥寺・法音寺・興善寺巡りその一

2008年06月19日 | 国内旅行
2008/6/15~6/16




一日目
粉河寺

大門

中門

本堂[本尊は千手観音だが公開されたことはないという。]

十禅津院

粉河産土神社

鐘[一回50円で叩くことが出来る、軽く叩いた、良い音だった]

千手堂

六角堂

丈六堂

粉河寺庭園

身代地蔵尊

太子堂

念仏堂

馬蹄石

三角堂

童男堂

不動堂

入口から・全景

外にある神社のご神木


根来寺
本堂[大傳法堂]

大日如来
 
大塔[国宝]

太子堂

閼伽井

庭園
 
行者堂

聖天堂

鐘楼門

奥の院
 
不動堂

北向き不動堂

根来寺は、とても広大だ。
歩き、見たのはほんの一部、おそらく三分の一くらいでは無かろうか。
立派な山門や多くの塔頭は見ることが出来なかった。
戦国時代、根来衆・雑賀衆は、この紀州にあって一大独立武装集団であった。
しかも、当時の最新兵器鉄砲の製造・所有集団であった。
しかし、かれらは信長・秀吉によって滅ぼされた。
一向宗も、比叡山も、本願寺も信長・秀吉らに滅ぼされた。
それは、彼らが人や物資の自由な交通・流通を認めない、
つまり、既得権に固執する中世的集団で、
近世的自由な経済活動を求める新興勢力の信長・秀吉と衝突したからではないだろうか。
根来衆・雑賀衆は鉄砲という最新技術を手にしたけれども、
その実体は宗教、農業、技術=工業が分離しないで結びついていて、
排他的な古い地域・血縁集団ではなかったのだろうか?
良くも悪くも信長・秀吉そして家康らはそうした古い中世集団ではなく、
近世的兵農分離の封建秩序をうち立てようとしていた。
紀州は木州でもあって、山岳地帯であって、
農業の生産力と新しい産業を基本とする近世的武士団とは相容れなかったのだろう。
宗教においても、山岳修験道宗教と密教的仏教が結びついた古い宗教と、
戦国大名のわび・さび的な教養的宗教とは大いに異なっていたのではないだろうか。
伊賀・甲賀も集団も同様であった、と思う。
脱線したが、滅ぼされた根来衆ではあったがなおかつ広大な境内を領有している、
往時の権勢はスゴかったのだろうな、と思う。

興禅寺
本堂

不動堂

産土神社

鬼子母神堂

山門


理知院・追風不動明王堂[隣の寺院]


一日目はここまで。宿泊は、和歌山城目の前の、和歌山東急インホテル。
和歌山城はライトアップされていて、部屋の窓からきれいに見えた。
興禅寺当たりから、雨が降り出し、ホテルに着いた時はかなりの雨だった。
夕飯は予約しなかったし、ホテルのは高いので、外に出て、ビールで蕎麦を食べた。

今回は、ピースボートの練習のために買った中古のモバイルパソコンを持ってきた。
行なったのはカメラからパソコンへの取り込みと、
不要な写真の削除と名前を付ける作業であった。
ほとんどの寺で、とうぜんだが、内部は撮影が許されていない。
また、許可されても、私はフラッシュは使わない、手ぶれは避けられなかったり、
暗すぎて使用に耐えなかったり…。
つい先刻取ってきた写真なのにどこのなのか分からないのも少なからずある。

その二 に続く

道成寺・根来寺・粉河寺・長保寺・吉祥寺・法音寺・興善寺巡り・その二

2008年06月19日 | 国内旅行
2008/6/15~6/16
二日目
和歌山城[ホテルの窓から]

早朝目が覚めたので散歩した。

護国神社

和歌山城は広く険しくすっかり汗をかいてしまった、立派な石垣が残っていた。
ホテルの朝食では隣が外国人であった。
お早うございますと声を掛けられ、上手に箸を使う人もいたので、
二言三言言葉を返した。

法音寺

住職は、次の吉祥院の兼務で、建物はこの茅葺きの本堂だけ、
地域の住民が当番でお守りしているとのことだった。
写真は自由にとって良いとのお許しであった。
本尊・阿弥陀如来座像

十一面観音立像[右は広目天・左は増す長天]

天蓋

萱も新しく、仏像の保存状態も良かった。

吉祥院
宝霊殿

薬師如来座像

大日如来座像

不動明王

伝三ツ目不動

毘沙門天

聖観音

展示室
 
吉祥院本堂

薬師堂

薬師堂天井

薬師堂内部・本尊等は宝霊殿に保存されている

吉祥院全景[左に薬師堂、右に吉祥院、その右上に宝霊殿]

宝霊殿の周りは草だらけだったが、内部はいずれも丁寧に保存されていた。
住職は撮影を許可してくれた。

道成寺
山門

山門額

仁王

本堂

本堂十一面観音

念仏堂

念仏堂本尊五劫思惟阿弥陀如来

護摩堂

全景[右が山門、三重塔、本殿]

三重塔婆

三重塔内大日如来

大宝殿[安珍と清姫の絵解き説法をする、芸能人の納めた写真などたくさん]


長保寺
本堂[国宝]

本尊

本殿修理の後[黒い部分]

宝塔[国宝]

境内[左本堂、右大塔、その右が大門]

二代光貞の墓[文字は無く誰のものか分からないようになっているとのこと]
 
初代・頼宣の墓[丸い墓石は無縫塔というらしい、字はない]

廟門

位牌堂・御霊屋

大門の額[国宝]

香台

火鉢[価格はこれが一番とのこと]

位牌

庭[写真ではわかりにくいが、背後も地面も岩で、位牌堂は岩盤の上に立てられている]

護摩堂

阿弥陀堂

大門[国宝]境内から

大門・外から

額[レプリカ]

長保寺は、紀州徳川家の菩提寺となっていて、将軍となった藩主以外の墓がある。
本堂、大門、塔の三つ揃って国宝の寺は法隆寺とこの長保寺しかないとのこと。
住職は、室内も全て撮影を許可してくれた。

福勝寺民俗資料館[長保寺参道にあるお寺のもの、工事中で中にはたくさんの展示物・仏像郡]
 

クラブツーリズムの『歴史街道を訪ねる会』のツアー。
前回は東北、今回は西国、四国・紀州は真言密教、
具体的にどこが違うかはっきりは言えないが、雰囲気はだいぶ違う、と感じた。
その違いは、教えの違いなのか、仏教の浸透の違い・文化の違いなのか、はわからない。
今回は、根来寺・道成寺とかなり有名で広大な古刹と、
法音寺のように住職もいないお堂一つだけの小さなお寺であった。
山の中の小さな集落の中、住民の懐に抱かれるようにひっそりしていた。
東北では仏像達の多くが痛んでいた。

今回、バスガイドが最悪であった。
在家の出家者という、それはいい。
仏教の作法はどうのこうの、お経の唱え方はどうのこうの、と説教し、
あげく、一緒に般若心経を唱えませんか、とまで言い出すしまつ。
この旅は、信徒の巡礼でも札所巡りでも無いのに。

今回、パソコンを持参した。
ブログをその日の内に作るのはかなり大変ではある。
さて、ピースボートではどうしよう? 
日本に戻ってきてから作るとなると膨大な量になるし、
一番の問題は、写真は撮ったがそれはどこなのかすっかり忘れてしまうことだ。
メモを残すのだが、そのメモさえ解読不能が多々ある。
また、今回明らかになったのは、写真の取り込みは一日100枚という制限があること。
このブログは無料なのだから仕方ないか。
洋上でのインターネット環境が良ければ、そこでするのがやはりいいのだろうか。
だが、インターネットは有料だと言うし…。

電池式の携帯蚊取りも今回試した。
効果もあるようだし、臭い、音、使用感も全く気にならず、問題なかった。
外国旅行には必携かもしれない。
一番恐いのは、生ものの飲食と蚊による感染症だと言うから。

以下は、付録。
6/21腰越[藤沢]
龍口寺・仁王門

本堂と五重塔[右奧]

歯塚は珍しい

仏舎利塔

五重塔

鐘楼[無料で叩かせてくれる]

仁王門前の交差点[信号はない]

妻と妻の実家にご挨拶に行った。
季節のよると江ノ電は改札制限で乗れないこともあるという。
雨模様なので行くことにした。
観光客は少なかったが、雨が上がり、きわめて蒸し暑かった。
この寺の末寺のいくつかを訪れ、大汗をかいた。
蕎麦でビールを飲んで、義父宅[稲村ヶ崎]に。
じきに90歳というのに、過日は4時間歩いたという。
夕ご飯をごちそうになった。電車は夜遅かったが混んでいた。
しかもマナーの良くない人が多く、気分が良くない。
腰越は“活しらす”が有名だが、本日は漁がなかったそうだ。

マンデラの名もなき看守

2008年06月06日 | 映画
マンデラの名もなき看守 原題:GOODBYE BAFANA


2007年/仏・独・ベルギー・伊・南ア カラー/117分
監督/ビレ・アウグスト  出演/ジョセフ・ファインズ、デニス・ヘイスバート

【あらすじ】[シネカノンHPより抜粋転載]
1968年アパルトヘイト政策下の南アフリカ共和国。
刑務所の下仕官ジェームズ・グレゴリーは、最悪のテロリストとされるマンデラの担当に抜擢される。
彼は、マンデラの生まれ故郷の近くで育ったために彼らの言葉がわかる。
秘密の文書や会話を監視するのが彼の仕事だ。
彼は、マンデラに触れ、マンデラに魅了され、彼が目指す平等な社会に憧れていく。
彼とマンデラの数十年間にも渡る魂の交流を描く。
配給/ギャガ・コミュニケーションズ

映画は、緊張、はらはらどきどきの連続である。
英語のセリフは少し気になったが、それを楽しむ余裕はなかった。
この映画は、マンデラの伝記・闘争記ではない。
闘争のことはほとんど映像に出てこない。
映画的には私にはそれが良いと思う。

さて、原題はGOODBYE BAFANA、バファナとは、この少年のことだ。

これは、ケンカのシーンではない。
少年期、グレゴリーが遊び仲間のこの黒人の少年・バファナと棒術で遊んだシーンである。
彼は、黒人を身近に知っていた。言葉と彼らの遊び=文化を知っていたのだ。
彼はバファナと分かれる時、彼から動物の尻尾のお守りをもらった。
彼は、マンデラと分かれる時、持ち続けてきたこのお守りをマンデラに渡す。
『さよなら・バファナ』は、ただ単なるさよならではなく、
お守りがバファナから友達のグレゴリーに渡り、
そして、グレゴリーから友達のマンデラに渡ったように、
そう、さよならでありながらリレーなのだ、が原題には込められているように私は思う。
そして、ありふれたことだが、人・言葉・文化を具体的に知ることが、
人と人のつきあいでは大事なのだ、を痛感した。

この映画の始まりは、1968年、つまりベトナム戦争が一番激しい時であった。
そしてマンデラが釈放されたのはなんと1990年、つまり、ベルリンの壁崩壊の翌年である。
つまり、その年までアパルトヘイトが続いていたのだ。
その責任の多くは、かつての宗主国英国とオランダ、そしてその後それを放置したアメリカにある。
今日の民族紛争の悲劇の多くは、やはり帝国主義列強に起因している。
彼らは今なおその責を負っていると私は思う。
彼らには最低、エイズ撲滅や社会的インフラ整備をする責任を持っている。
思えば、共産主義撲滅・反テロのためなら何をしても良いとした時代だ。
特にアメリカは、イランで、チリで、ボリビアで、キューバで、弾圧をしてきた。
人は、どうしてこんなに愚かで、暴力的で、想像力がないのか、
と言うのはたやすいが、やはりつくづくそう思う。

折しも、本日、日本の国会では、
『アイヌ民族は日本の先住民族であることを日本政府に求める国会決議』が採択された。
江戸時代から日本は、アイヌ民族の地・北海道を簒奪してきた。
少なくとも、北海道の全ての土地はアイヌ民族の所有と認めるべきだろう。
その上で、彼らに借地料・損害賠償を払うべきだろう。
また、最低限、国有地は彼らに返却するべきだろう。
だが、日本政府がその決議を認めても、具体的な救済措置は極めてわずかなものだろう。
彼らの奪われた土地や言葉が彼らに帰されることはとても難しい。
だが、これまでずっと日本は単一の民族と言われ続けて来たことが、
それが作られた“共同幻想”であったとことが明確にされることは極めて有意義なことだ。
また、沖縄・琉球は独自の民族という主張もある。

文句なく佳作。
有楽町シネカノン一丁目、10:30開始時の観客は40名、シニアで1000円。