風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

ソウル市中心街を歩く

2007年07月19日 | 初めてのソウル
ソウル(Seoul)市中心街を歩く・その1
2007/7/13(金)~16(月)

友人のNさんがその仲間数人と韓国旅行を計画した。
最初の段階ではかなり集まったのだが、最終的には羽田から4人・岡山からOさん夫婦計6人となったが、
その内の一人が都合で行けなくなり私がピンチヒッター参加となり、
直前にもう一人行けなくなり計5人となった。
身近な家族が死んでいく、我々も歳とって来たということか。
Oさん夫婦は岡山から、ホテルも違うホテルだった。
五人とも海外旅行は初めて。
今回のツアーは【韓国人のツアー案内人が空港で待ち受け→ロッテ免税店→
ホテルチェックイン、最終日ホテルに迎えに来て→空港まで送る・朝食1回、
他食事なし】と言うシンプルなもの。

一・二日目は、Nさんの韓国人の友人達が通訳を伴って案内してくれるのだ。
その内の一人は環境保護運動をしている40代の男性Sさん、
もう一人は映像ジャーナリストを目指す現役の女子大生 I さん。
二人ともアクティビストで日本にも何回も来て、
外国人バックパッカー向け宿に泊まって日本全国に取材に行くそうである。

一日目/7/13
午前8時20分羽田発・10時40分金浦空港着。
B777で定員は約300人。
出入国は至って事務的で難しいことは何もなかった。
ただ機内へのペットボトル持ち込みはダメだが搭乗手続き後購入した物であるばOKだし、
クリームや化粧水などは透明のチャック付きビニルケースに入れて検査を受ければOKで、
でもこれは国内線でも同じことらしい。
出発時刻3時間前に手続きが必要ってのは何とも変でおかしい。
空港で3万円をウォンに両替した。



金浦空港[空港内は撮影禁止で、迎えの車から撮影した]

女性のツアー案内人は、我々がロッテ免税店は寄らなくて良いというと、
ツアーなのでそれは出来ない、とのこと。
30分という短時間は初めてのことだ言っていた。

ロッテワールド免税店

我々は見るだけで何も買わなかった。

ツアー案内人は、明日のご予定は?と聞く、
「これから韓国人の友人と会って相談します」と言う我々に対して、
観光案内[オプションなどの紹介]のうま味もないし、
ガイドとして力を発揮する喜びもないし、
妓生[キーセン]目当てのヤらしい日本人と思ったかもしれない。
ロッテワールドで銃の実弾発射のパンフがあったので、
そのことを話題にしていると、明洞実弾射撃場の方が安全だとパンフをくれた。
私の興味は価格だったのだが、どちらのパンフにも価格は載っていなかった。

ノボテルアンバサダーカンナム・ホテル

過剰なサービス・荷物を持っての部屋への案内がないなどは良いのだが、
部屋に入ると、ベッドは二つしかない。
フロントに連絡すると日本語が通じ、移動ベッドを持ってきた。
バスローブ・タオル・石けんなどは用意されているが、
これも二人分だけで、改めて要求しなければ持ってこなかった。
ベッドが三つはいると部屋はかなり手狭になった。
歯ブラシ・髭剃りなど使い捨てはエコ的ではないと、有料だ。
連泊の場合、要求しなければ環境のため、シーツ・カバー・タオルなどは交換しない。
3時半Iさんが通訳を連れて登場。
高校時代の同級生だったというその通訳の女性は、日本に一年留学経験があり、
通訳・日本語は完璧だし、知識もとても豊富だった。
自己紹介もそこそこに
昌徳宮=チャンドックン に向かう[入場料・3000ウォン]。
正門・敦化門

仁政殿

実は、ここに到着するまでが大変だった。
始めタクシーで向かった。渋滞なので地下鉄に乗り換えた。
「時間がないので走ってくれ」という。
閉門時間かと思ったのだがそうではなかった。
最終の日本語ガイドのスタートは16:30でもうスタートしていたのだ。
大汗をかいて日本語ガイドに追いついた。
芙蓉池

奧の建物は、宙合楼

楽善齋

ご覧のように百人近い日本人の集団を引き連れてのガイドは大変で、
次の説明ポイントで皆が集まるのを待つには大変な時間がかかる。
そこで普段はしないガイド=例えば、
王宮で生娘かどうかの判断は“娘にオウムの血を嘴からつけて血が付かないと生娘”だとか、
“王は移動式トイレを使う、草を敷き、そこに筒で小便は流し、大便は座ってし、
後でそれを係りの者が検査し、おかしいと時は舌で確かめた”
などのエピソードをたくさん話してくれたのだが、僕が覚えているのはこの下ネタ二つだけだ。

成均館大学

語学の名門大学とのこと。

タクシーで仁寺洞通りへ。

仁寺洞ショッピングビル

仁寺洞屋台

夕食は焼き肉。

店にはドアがなく、道路側はオープン、
肉を焼く鉄板は15度位傾いていて、油が流れ落ちる仕組み、
鍋奉行ならぬ人が準備し、食べていいよの合図があるまで、
他の人は待っているのが韓国式のようだ。
大きな肉は焼けた後、ハサミで切るのもおもしろい。
サラダ菜様の野菜で肉・その他の野菜やキムチを巻いてタレをつけて食べる。

マッカリ[米で作られた韓国の酒・日本の濁り酒のような色をしている、
度数は低く、少し甘みがある]

やかんに入ってくる、深い皿・小さなドンブリ(プラスチック・金属)で飲む。
韓国焼酎は日本の杯より少し大きいグラスで飲む。
最初はビールと日本式に始めたが、マッカリ・焼酎の方が口に合う。
僕には、唐辛子などの香辛料が入るとビールは酸味が強く感じた、
韓国料理は辛い辛いと言われ、そう思っていたが、決して激辛ではなかった。
その他の微妙な味はわからなかったが、キムチなどもかなり酸味を感じた。
発酵食品の複雑さが辛さと言うより複雑な味わいを加えているのではなかろうか。
お酒はがぶ飲みする感じではなかった。
マッカリは大きい器で飲むのでかなりダイナミックである。
店内は一方の壁が空いているのでクーラーはなく、写真のように、
日本では体育館などで使うような巨大扇風機が回っていた。
汗をかきかき食べるのがコリア式暑気払いという。

タクシー・値段事情
タクシー初乗り料金は1900ウォン、円に換算すると約250円、150m毎に100ウォン=13円。
地下鉄初乗りは900ウォン=120円。
ペットボトル800~1000ウォンである。
韓国の生活水準・収入などについては私は勉強不足で知らない。
円とウォンのレートは100ウォン=13円だが、
100ウォン=10円の感じで物価の水準をはかった。
タクシー初乗り200円、地下鉄初乗り100円、ペットボトル80円という感じで。
最高高額紙幣は1万ウォンだ。
テレビなど高額商品を買う時は札束を何十個も持っていくのかと思っていたが、
その時はカードか小切手と聞いて納得した。
かつてのインフレ・金融ビッグバンのせいなのだろうか。
10万ウォン紙幣が近々発行されるとの噂もあるらしい。
僕はデノミをすれば便利だろうなと思うが、それはむずかしいのだろうな。

韓国では消費税はほとんどが内税だ。
韓国では消費税はほとんど意識されないと思う。
100ウォンコインが事実上の流通の最少貨幣で、
10ウォン・1ウォンコインは事実上は流通してないと思う。
もし外税式にしたら財布の中は細かいコインであふれてしまうだろう。
そのことに気付いたのは、
帰り、金浦空港の免税店で少し買い物をしておつりをもらったからだ。
釣りに10ウォンコインが入っていたからだ。
だいぶ脱線したが、とにかくタクシー料金はとても安いのだ。
タクシーはけっして贅沢ではなく、自転車替わりって感じなのかもしれない。
自転車はほとんど見かけなかった。

交通事情
タクシーが自転車替わりだからか、道路は慢性的渋滞だった。
幹線道路は片道4車線は当たり前、6車線もたくさんある。
高速道路は少なく、鉄道はほとんどない。
幹線道路も立体交差ではない。
片道6車線の道路の交差点を考えてみよう。
道路の反対側に行くのは簡単ではない、一度の信号で反対側に行くのは難しい。
道路の真ん中に中間地帯があってそこで待つのである、
しかも二つの横断歩道は直線的に結ばれているのではなく少しずれている。
駆け足で渡ることを防止しているのかなと思った。
横断信号時間はとても短くあっという間に点滅し、赤になってしまう。
実に多くの車に擦り傷・ぶつかった跡がある。
事実私達が乗ったタクシーも接触事故を起こされた。
交差点で右折しようとしたタクシーがスピードを緩めたところ、
左後方から来たBMWがタクシーを追い越して強引に右折しようとタクシーの前に出て、
タクシーに接触・衝突した。タクシー運転手もBMWもたいして怒った風ではなく警察の来るのを待っていた。
私達は帰って良いと言われ降りた。
多くの車体に傷が残っているのはこうした接触事故が多いからなのだろうと思った。
日本ならすぐ保険で修理となるのだろうが、韓国では修理しないでそのまま走っている感じだ。
保険に入っていないのか、車の外観は気にならないのか、そのあたりの事情はわからないが。
お互い譲り合わないし、スキあらば割り込もうって感じ、
でも渋滞していてスピードが出ていないので大事故にはならない、と私は想像した。

地下鉄事情

地下鉄はかなり普及し、路線も9路線あり多彩のようだ。
座席の材質には驚いた。ステンレス製。
冷たそうな感じがする。
少し傾斜しているが浅く腰掛けて足を投げ出して座るとずり落ちそうな気がする。
この事情は、以前地下鉄火災で多数の死傷者が出たためだとNさんが教えてくれた。
車幅は日本のそれよりも少し広いように感じた。
[靴の歩幅で測って来た、帰国し比較したら30~40cm程広いようだ]
乗り換えは、ウグイスの鳴き声の後、放送で教えてくれる、和やかだ。
車内販売にはそれ以上に驚かされた。
ガム・漬け物は静かだったが、
帽子のつばにクリップで留める小さな電灯を売りに来た人は車内中に聞こえる大声だった。
これも地下鉄火災があったからだ、とNさんが教えてくれた。
駅名は日本と同じように番号が決まっている、
例えば、私達が泊まったホテルの近くの駅・江南駅は2号線の22番目の駅で222。
ハングルだけだと私にはわからないが、
駅の看板は漢字・数字・英語で表示してあるので事前に調べておけば何とかわかる。
私がNさんと日本語で話していたら、席が空いたと中年のおばさんが教えてくれた。
僕たちは素直に座り、僕たちが先に降りるので会釈したら笑って会釈してくれた。
このツアーには、5000ウォンの『T money』カードがついてきた。
カードと言うがキィホルダー・ストラップの様[縦3cm×横5cm程]で、
チャージもでき、日本のスイカと同じ機能を持っている。
ただ、改札口は日本の様な観音開きではなく、頑丈なバーを自分で回転させるもので、
あわてるとぶつかりそう。ラッシュ時にはむずかしそう。
バスもかなり走っていたが、バスは乗る機会がなかった。

食事を終えて、社会科学専門書店に行った。


日韓の時間差
ソウルでは19時半を過ぎても明るい。
日韓には時間差がないからだ。
日韓併合以前には韓国独自の時間だったのだが、
日韓併合後は「内鮮一体」と称して日本時間に強制された。
日本はこうして韓国の時間さえも奪った。
その後これは回復されていないと言う。

こうして一日目は無事終わった。

2日目
朝食は、ツアーに含まれているホテルの朝食、日本食・フレンチのバイキング。
二日目の通訳は在韓国の日本の女性。
地下鉄で“独立門”駅へ。
西大門独立公園
迎恩門[清の使節を迎えた門の残骸]

この奧が西大門独立公園
*独立宣言モニュメント
[1919年韓国の民衆は日本の侵略・併合に抗して3.1独立宣言を発し蜂起する]

*西大門監獄跡[西大門刑務所歴史館・入場料・15000ウォン]

3年前に定年退職した後“文化遺産解説ガイド”を勤める趙誠泰[チョンソンテ]さんは
「ここに来た記念として3.1万才事件だけは覚えて帰ってください」とまことに穏やかに語られた。

独居房・舎房・雑居・運動場[この実物は残っていない・模型だけ]など、
いずれも日本人が作ったようで、網走刑務所とまったく同じ様であった。
拷問のための縦棺には背筋が凍るようであった、写真を取り忘れた。
人の高さより低い棺を立てたもので、当然膝を曲げないと入れない、
戸を閉めると真っ暗となる、当然たれ流しで、多くの人がこの拷問で精神を病んだという。
中に入り体験できる。
拷問部屋は、縦横奧とも1m位の密室で窓はまったくない。
拷問等の様子が実物大の人形で展示されているが、
痛さへの恐怖よりこの二つの拷問の方が私にははるかに恐ろしく吐き気がした。
これを作り拷問した日本人は果たしてどんな気持ちだったのだろう、
彼の晩年はきっと眠れぬ日々だったのではないだろうか。
人の悪への想像力は恐ろしい。

地下監獄

女性専用だったそうで、天井は低く、窓はなく狭い、
韓国のジャンヌダルク・柳寛順さんはここで獄死したそうだ。

死刑場[内部は禁撮影]


死刑者追悼碑
[百名程の名が記されてが、それは氏名がわかっている人だけ、ということだと言う]


ここを訪れたのは土曜日であった。
多くの子ども達が集団で訪問していた。
私は、学校の社会教育・歴史教育の一つかと思いガイドの趙さんに聞いた。
趙さんは、評価はむずかしいです、と言った。
韓国では月一度土曜日が休みで、子どもの行き場がないので、
現場学習・体験学習などと銘打ってスポーツや自然観察など色んなこと行われているそうだ。
正規の学校教育ではなくまたボランティアでもなく、報酬をもらっておこなわれている、
と趙さんは教えてくれた。
私はそれ以上、何が問題なのかは聞けなかった。

容量を超えたのでその1は終了

ソウル市中心街を歩く・その2

2007年07月19日 | 初めてのソウル
ソウル(Seoul)市中心街を歩く・その2
2日目続き


青瓦台・大統領府
大統領府前にある公園

韓国の国花・ムクゲが咲いていた。

大統領府前広場

その塀

ローラースケートをはいた警官

警官が至るところにいる、制服ではなく私服警官が多い、
しかも極めてラフな服装、トランシーバーを持っているのですぐわかる。
韓国には2年半の兵役があり、警察任務につく人もいるという。
警戒は厳しいのだが、大統領府も事前に申し込めば見学が出来るそうだ。
また、人数・曜日制限はあるが板門店のツアーもある。
大統領府から少し離れたところにある旧市街・民家。


お昼ご飯を食べたお店

スジェビと言って韓国式すいとんの様なもの、
有名な店のようで、正午をかなり過ぎていたのに行列ができていた。

南山公園・ソウルタワー
ソウル中心部の南にある公園で標高256m、昔はソウル城があったそうだ。
ケーブルカー

僕らはケーブルに乗らず、タクシーで行けるところまで行き、その後歩いて登った。
展望台からソウル市内を臨む

ソウル城城壁[再建されたもの・昔はここからの展望が良かったそうだ]

ソウルタワー[230m]

展望台には登らなかった。

南山を歩いて降りてしばらくすると安重根記念館[入場料・1000ウォン]

7分間のビデオ(日本語)を見てから見学した。
安重根=とうじの朝鮮総督府長官・伊藤博文をハルピンで射殺した=写真[花と線香が手向けられていた]


梨花女子大学前の通り
[イホワ女子大は名門でこの通りはさしずめファッションストリートという感じ、
だが高級品だけではなく屋台もある]

イホワ女子大入口
[授業料が一番高いが更に値上げするというので反対運動が起きているとのこと、
また構内には夏休みに行われるマルキシズム研究の世界大会のポスターが貼られていた。

教会

日本では大学はガードマンがいて入りづらいが韓国ではキャンパスはどこも開放されている。
女子大だが人の通りは町中と変わず、男性も多い。
国際大学院[英語で授業が行われるらしい]

延世大学[*]

87年、警察のガス弾直撃で死んだ学生の慰霊碑

延世大学ゲート[*の写真からここまで200~300mはあるだろうか、
その左右には豪華な建物、とにかく広大なキャンパスで、
このゲート前・校内メインストリートで機動隊との攻防が繰り広げられたそうである]


日も暮れ、夕ご飯。
この日は学生街の居酒屋。
学生街のオモニとして有名でTVにも紹介され、表の看板にその時の写真があった。

ドアを入った所にガス台がありおばさんはそこで調理した。

名物はオムレツで、おいしいの声を聞いて大盛り一皿をサービスしてくれた。
韓国式ラーメンを肴にこの晩もビール・マッカリ・焼酎をたっぷり飲んだ。

タクシーでホテルに帰ったのだが、途中交通事故にあった。
スピードはほとんど出ていなかったので大事故ではなかった。
Iさんだけ残って僕らは他のタクシーを拾って帰った。

80年代学生運動
Sさんは日本の60年安保闘争が韓国学生に与えた影響はとても大きく、
樺美智子さんの死は忘れられないと言う。
50周年にあたる2010年、日本では大きな運動があるのか?と彼は聞いた。
また、1967年羽田で死んだ山崎さんの追悼碑はどこにあるのか?と聞いた。
僕は恥ずかしながら知らない、としか答えられなかった。
韓国では運動で死んだ学生の慰霊碑が大学校内に建てられていると、という。

3日目



朝食:ツアーに付く朝食は一回だけ、Nさんはコンビニでおむすびを買ってくると言う、
僕はホテルの和食にした。23000ウォンだった。
コンビニは日本ほどではないがある、ファミリーマートもある。
Nさん、コンビニに行ったのだが途中に食堂があったので、そこに入ったと言う。
この日は、自由行動なので、僕が計画を立てた。
ガイドブックに、「一日自由利用券[1万ウォン]で乗り放題のソウルシティツアーバスが四コースある」、とあり、
ホテルフロントでは日本語がほとんど通じるとも書いてあるので、
ソウルシティツアーバスのことを聞きに行った。
確かに片言の日本語は通じるのだが、細かいことになると通じない。
このソウルシティツアーバスについては知らないのか、
日本語で詳しく説明できないのかはわからないが、つまるところまったくわからなかった。
そこで思い切って日本でのウォーキングの方法=歩くポイントを決めて歩くことにした。
疲れたら帰ればよいのだから。

韓国の友人達とは、夕方6時、地下鉄鐘路5街①番出口を出た所で再会することになっていた。
何度も道に迷い、道を尋ねたりしてとにかく自分たちだけで歩いた。
[道や方向をまちがえたので上図のコースは実際に歩いた道順とはだいぶ違う]

ホテルから地下鉄の江南駅までは徒歩で約15分、舎堂駅で乗り換え、ソウル駅に向かった。
ソウル駅[ソウル市内は鉄道網はあまりない]

写真左にテントがいくつかあり座り込みしているようだった。

ソウル駅構内

左側下方・地面がプラットホーム

構内両替所

交通のターミナルには両替所がある。
券売所脇にもあったが今日は日曜で銀行などほとんどが休み。
写真の両替所はカードならできる。
Nさんはおみやげを買いたいから両替したいのだが、休み。
駅のインフォメーションに聞くと駅を出た左にロッテのスーパーがあり、
そこでできるとのこと。
そこのインフォに行くと日本語のできる職員を呼んでくれて無事両替終了。
このスーパー、とにかく広い。飲み物を買いに行ったのだが、冷えているのはない。
ついでに物価・商品を見た。
牛乳やジュースなど2、3リットルと大きい、寿司・豆腐などもあった。
惣菜はとても豊富で、調理されたバラ肉などは1m位のまま陳列されていた。

ソウル駅を出て左に歩くと、旧ソウル駅舎。

写真右のテントはキリスト関係のもので、ホームレスなどに食品などを提供するようだった。

崇礼門

衛兵の行進(後ろの建物はソウル市庁)

南大門市場入口

市場内で出前をしている女性か、写真OKかとジェスチャーでいうと、
無言でうなずいてくれた。

写真を撮っていると「安いよ」と日本語で呼びかけられ、
海苔・菓子・朝鮮人参、だまっていると耳元で“バイアグラ”。
ソウルタワーが見える


トイレ事情
公衆トイレはかなりきれいであった。
男性トイレのいくつかでは、トイレットペーパーは、個室の中ではなく、個室の外の壁にかけられていた。
和式便器もあった。
ホテルのトイレはウォシュレットではなかった。

ソウル市中心街を歩く・その3に続く。


ソウル市中心街を歩く・その3

2007年07月19日 | 初めてのソウル
ソウル(Soeul)市中心街を歩く・その3
3日目続き

清渓川

この日は日射しが強く、暑く子ども達はこの川で水浴びしていた。
道を間違えたおかげでこんな微笑ましい光景に出会えた。
【実は道を間違えて、清渓川まで出てしまった。
思い切って若いカップルに道を聞いた。地図を片手に片言の英語で。
女の子は笑いながら、男の子もああだこうだと教えてくれた。
本来なら韓国語で聞くのが礼儀だが、今回は急に行くことになったので、
片言の韓国語も覚えていないし、韓国語の電子辞書も使い慣れていないので、
ごめんなさい、である。
この日、道を何回か聞いた。
逃げられたり、わかりませんと断られたのは三人、
若いカップルは四組は皆親切に教えてくれた、初老の男性も親切であった。
みなさんありがとう。
日本では初老の私が若いカップルに道を聞いてまともに相手してくれるとは思えないので聞かない。】

ソウル市庁

その前には噴水のある広い芝生の広場があり、周りに彫刻などが展列されている。

旧コリアバンク、現在はミュージアムになっている。


徳寿宮[入場料・1000ウォン]
大漢門(入口)

中和門[奧は中和殿]

高明門・興天寺の梵鐘

徳寿宮美術館

石造殿[ルネッサンス式のきれいな建物らしいのだが残念ながら工事中]

昔御堂


大韓聖公会

隣接する・聖架修道院


東和免税店前交差点・先鋒とネームの入った黒シャツの二人の男性は警察官、
信号待ちでなく立哨中。


お昼ご飯・小さい子ども連れの家族の後についてレストランに入った。
家庭風韓国定食のスモール版・麦ご飯と韓国式味噌汁、
やわらかい豆腐とその他のおかず。
ビールと焼酎も飲んだ。一人7000ウォンくらいだったかな。
写真を取り忘れた。

李舜臣将軍銅像(左奥突き当たりが景福宮の光化門=工事中)


文化芸術殿堂[モーツアルト展ともう一つ、たしか絵の展覧会をしていたが忘れた]


政府中央庁舎


景福宮[入場料・3000ウォン]
正面入口=光化門は工事中で入れないので、西門から入る。
国立古宮博物館[写真右は正面入口]

隆礼門

勤政門[この奧の建物が勤政殿]

勤政殿

左男性の足下の低い石柱には正一位・従二位などと書いてある。
この広場に官僚が官位毎に並んだのだろう。
勤政殿の内部

恩政門(門の奧の建物が恩政殿)・右はその内部

嚮五門・右は康寧殿の内部

両義門・その奧の建物が交泰殿

香遠亭と乾清宮(右奧に広がる建物)

国立民俗博物館

韓国の十二支のモニュメント
[左の建物は国立民俗博物館、韓国では亥は豚だとか]

済州道の石像・右は村落共同体信物

とにかく敷地は広く、建物はたくさんあるのだ。
Nさんは疲れたので中に入らず待っているので、40分後に会おうと約束で入ったが、
ゆっくり巡るには1時間半はかかりそう。
二つの博物館は入っていない。

東大門市場
[店舗の多くは休み、通りの真ん中に屋台が所狭しと連なっていた。
屋台はブロック毎にその場で食べる食べ物・洋服・食品などにまとまっている]

食べ物屋台にはトン足とか串に刺して焼いた肉など、見たこともないような食べ物も。
表通りは、車側は植木の出店・歩道側は生薬などの薬局が続く。
最後の食事会は、ここで食べた。

東大門


ソウル城郭跡(左上の塀と思う)

景福宮見学の後は、Nさん達とわかれて一人で歩いた。
待ち合わせまで一時間ほどあり少し疲れたので、
喫茶店を探したが休みであったりなかなかない。パン屋に入った。
ホット・コーヒーは発音が悪いのか通じない、カフェと言ったら通じたが、
後は通じない、ふと上を見たらモカと読めたのでそれを注文した。
2900ウォンだった。
ガイドブックを見たら、訪れたい思っていた宗廟はすぐ近く、あわてて店を出た。

宗廟
正殿門

正殿

正殿前広場の排水溝

御粛室

入口であわてている私を見かけた年配の受付の人は
「閉門までにはまだ時間はありますよ」と日本語で声をかけてくれたのだが、
ゆっくり見る時間はなかった。
宗廟前市民広場は多くの市民で一杯だった。
親子、年配のカップル、男性の集団、女性の集団、お酒を飲んだり、
踊ったり、段ボールに座って話し合ったりと。
今日は日曜日、夕涼みに来ているのかと思っていたら、
後で7月15日は夏休みという。
多くの店が休みだったのもそのせいだとわかったのは夕食の時。
待ち合わせの鐘路5街駅までは500m余り、大急ぎで向かう。

最後の食事
今日は通訳の人はいない。
片言の英単語とジェスチャーが共通の言葉だ。
東大門市場の中のお店へ。
タッカンマリと言って、ネギ・ジャガイモ・ニンジンなどの野菜とともに
鶏一羽を丸ごと入れて煮込んだもの。
お店の人が大きなハサミでダイナミックにバチバチと切っていく。
食べ終わるとそこに麺を入れて、食べる。
ビール・マッカリ・焼酎を飲んだ。
食事代はこれまで韓国の人がすべて払ってくれた。
それが韓国式で、韓国には割り勘はない、という。
今晩はお礼だから我々が持つということにやっと納得してくれた。
このお店、小さな子どもを連れた家族もいてほぼ満席ですごい活気だった。
作り方もダイナミックなら、食べ方もそうだ。
お店の人の動きも豪快で、準備する時食器から水がたれて客の服が濡れようが
店員も客も意に介さず、であった。
また、野菜やキムチは食べ放題らしく、
無くなるとその置き場から勝手に持ってくるのである。
瓶に入った冷水も同様、冷蔵庫から勝手に持ってくる。
これは行動が大胆と言うより店員の方も手間が省けて一挙両得なのかもしれない。

二次会は喫茶店に行った。
酔ってどのように頼んだか覚えていないが今度こそホット・コーヒーを飲んだ。
Sさんはボリュームたっぷりの氷であった。
Sさんは、岡山のOさんに、10月に広島に行くのでレンタバイクを頼んでおいてと言っていた。
自転車であちこち回りたいと言うのだ。
ぜひ、再会したいものだ。

4日目
朝食は昨日Nさん達が食べたお店にした。
このお店、早朝から開いているようだ。
Nさん達はお粥、僕は辛麺で、4900ウォンだったと思う。
今日はもう予定がないので朝からビールと焼酎を飲んだ。
ホテルの喫茶店でガイドが来るまでコーヒーを飲んで時間をつぶした。
さすがにホテルのコーヒーは高く、税抜きで12000ウォンだった。
何事も経験と、カードを見せて OK? 、ウンとの返事でカードで支払った。
小雨であった。
出国もまったく問題なくスムーズだった。
ただすごく待ち時間が長い。
飛行機は気流状態が悪く、大きく左右に、上下に揺れた。
機内食が出た、ワインを頼んだ。
飛行機の座席、儲け優先のためかエコノミーは狭すぎる。
3時間を超えるとこれでは快適な旅とは言えないどころか苦痛だ。
サッカーの高原が病気になったのも、最もだ。
よほどの長距離でない限り、テレビ・機内食・ブラケット・枕・新聞などの
サービスは不要で、その分座席(前後左右)をもっとゆったりとすべきだ。
その方が本来のサービスだ。
新幹線の座席の方がはるかにゆったりしている。

無事羽田に着き、残った1万ウォン程を両替し、解散した。


韓国の食事について
韓国の食事は辛い、ともっぱらの評判だ。
私は日本では辛いものはほとんど食べない、
唐辛子は煮魚・きんぴら・マーボ豆腐等くらいしか入れない方だ。
確かに韓国は唐辛子を多様するが、辛すぎて食せない、ことはまったくなかった。
私は最近はさっぱり味、薄塩味の方が好きになった私には韓国の味は少し濃い。
それはこの上なく私をお酒へ誘う。
食堂の箸は、ステンレス製で、横断面が四角・円形でなく長方形であった。
最近は若い人の間では、生ビールはだいぶ飲まれているらしい。
が、ジョッキの生ビール・ジョッキの焼酎水割りは見かけなかった。
私が普段好む酒はウイスキィなので、ウイスキィも味わいたかった。

広い道路・地下鉄鉄
韓国の道路の広さは戦車が通るためといの説もあるそうだが、
私にはそれより戦闘機の離着陸が出来ると思った。
地下鉄もシェルターと言われるが、東京の大江戸線・有楽町線はもっと深く、
有楽町線などは、市ヶ谷[自衛隊]と霞ヶ関を結び戦車も通れる地下軍事道路といわれる。
歩道はとても広い、自転車はほとんど走っていない。
清涼飲料水・煙草の自動販売機はほとんど見かけなかった。
150cc位の小さい紙コップ入りのコーヒー・お茶(と思う)自販機は時々見かけたが、試さなかった。
地下鉄の通路、大きな交差点の地下通路には色んな店があり、地域によって特徴が違う。
梨花大学駅はしゃれたブティックがあったし、
鐘路5街駅はチマチョゴリの仕立屋がたくさんあった。

Sさんのティシャツの袖に“KiO”とあった。
?と聞くと、Krea is One 、YGHはヤンキィゴーホームという。

ソウル市内では、一戸建てよりマンションの方が好まれているそうだ。
また、市内の南北の関係は、日本の下町・山の手の関係に似ていて、
南の方が高級住宅地で、高層マンションほどスティタスが高いそうだ。

市内に米軍基地
ソウル中心部の竜山区一帯には今なお米軍関係の基地・施設が存在しているそうだ。
2005年、その一部は返還され、国立中央博物館になったが。 

終わりに 
韓国は訪れたいと思って来た。
だが、かつて韓国を侵略併合した日本人としてどのような気持ちで訪れていいのか
判然としていなかったせいもあってなかなか実現しなかった。
突然・偶然巡ってきた今回の機会・旅は、韓国人とかなり近しく交流できるという望外の好運であった。
Sさん・Iさんはやさしいだけでなく、活動的で、
未来をしっかり見据えて現在をしっかり生きている素晴らしい青年であった。
韓国語をまったく知らない、英語もできない無礼な私達に対し
「先生」といって立ててくれた。

また、道で出会った見知らぬ人も、日本人である私達に微笑みかけて親切に道を教えてくれた。
街の食堂の店員さんも親切に食べ方をジェスチャーで教えてくれた。

今回の旅で、実現できなかった残念なことが三つある。
一つは、国立民族博物館に行けなかったこと、
二つは、お粥・ムルネンミョン[ピョンヤンが本場の冷麺]を食べられなかったこと、
三つは、夜景コースのシティツアーバスに乗れなかったこと、である。
この三つは、いつか妻と訪れる時の楽しみに残しておこう。



御成門~虎ノ門を歩く

2007年07月08日 | ウォーキング
御成門~虎ノ門を歩く 2007/7/8



久しぶりに歩いた。暑かったり、梅雨であったりしたので。
曇天で、木陰で休んでいる時さっと吹く風はしばし涼しいがやはり暑かった。

御成門


雲晴院


青龍寺[禅宗]全て高層マンション

光円寺


幸稲荷・瘡護神社

後方のビルは愛宕タワー


光宝寺


オランダ大使館


青松寺・新館・清岸院[エスカレーターを登った所]

道路直進し、左折すると階段があり、登った奧に考寿院がある
俊朝寺[エスカレータ左の道路の左ある]

エスカレータ下と右は光文社。

ここら一帯は愛宕グリーンヒルズと言い、かつては青松寺の敷地だったようだ。
超高層巨大ビル・駐車場などになっている。

青松寺参道・本殿[清岸院の右奧]


門には大きな二対の仁王、門をくぐると左右に大きな建物、正面に本殿。

総持寺東京出張所

坂を上ると『愛宕山トンネル』がある。〇部は、NHK放送博物館の看板。
トンネルの入口にあるエレベータを降りると、

NHK放送博物館がある。


愛宕神社


愛宕神社参道[とても急勾配]


天徳寺[観音堂]


長光院


興昭院

栄閑寺[さる寺]

さる寺と珍しい名がついている。猿塚がある。
狭い寺だが、杉田玄白の墓


栄寿院

真福寺[左階段があるビル]


金刀比羅宮[右下緑の木々の中が金刀比羅宮、左は虎ノ門金刀比羅タワー]


陽泉寺[禅寺、真ん中のコンクリートの建物が本堂か]


アメリカ大使館

至る所に警察官の立哨詰め所がある、ここに至る坂を“汐見坂”、左の坂が“霊南坂”、
そこを登り切ったところがアメリカ大使館の敷地の終わりで、その四つ角に大倉集古館があり、
警官の詰め所があったので場所が分からなかった正福寺聞くと親切に教えてくれた。

澄泉寺

この右側はアメリカ大使館。

正福寺

法事が行われていたが入口近くに警官が一人立っていた、右側はアメリカ大使館。
左に林誓寺、常国寺
大倉集古館前に戻り急な坂を下りはじめると、

菊地寛実記念 智美術館 があった。

現代陶芸のコレクター菊地智氏のコレクションを展示している。

更に坂を下るとナイジェリア大使館


東京経済大学発祥の地

[ナイジェリア大使館前の急な坂を下ったところにこのプレートがあった]
現東京経済大学の前身である大倉商業学校の創設者は旧大倉財閥の大倉 喜八郎。

アメリカ大使館の前の巨大な敷地のオークラホテルの創立者もこの大倉喜八郎である。
大倉は、新潟県新発田市出身で、戊辰戦争・西南戦争・日露戦争などで武器販売で成り上がった“死の商人”でもある。
もっとも、三菱・三井・安田など財閥で死の商人でなかった財閥は存在しないが。

この一帯から新橋にかけては、森ビルが林立する。
森ビルは、地上げを行う大手不動産会社として拡大してきた。
超高層巨大ビル・マンション群は不気味な圧迫感をもって迫ってくる。
それらは想像もつかない高価なのだろうが、
路地を一、二本はずれると決してお屋敷でも邸宅でもない庶民の小住宅が場違いな感じで共存しているのだが。
この共存はとても奇妙な感じがした。
あたかも、発展途上国をアメリカや日本などが進出し環境破壊をしているような感じ。
日曜で、人も車も少ない、コンビニはたくさんあるが八百屋などの小売店はほとんど目に入らなかったし多くの店も閉まっている。
子どもにも年寄りにもほとんど会わず、生活者の香りは残念ながらしなかった。
道が入り組んでいたり路地を間違えたり道に迷ったしてとんでもない所にも行ってしまった。

大きな寺社が豪華なビルやマンションを所有・経営しているようだ。
都心の一等地なのだからそのことを責めるつもりはまったくない。
高層ビル内に寺社が共存しているのは心和むものもある。
ただ昔から存在しその地域に親しまれたであろう稲荷などが目に入らなかったのはなぜ、と言う気もする。

赤坂地帯ももっと歩く予定でいたのだが疲れたので虎ノ門で終わりにした。

虎ノ門から霞ヶ関にかけての官庁街や六本木周辺にかけての大使館などを巡る旅もおもしろいかもしれない。