ソウル(Seoul)市中心街を歩く・その1
2007/7/13(金)~16(月)
友人のNさんがその仲間数人と韓国旅行を計画した。
最初の段階ではかなり集まったのだが、最終的には羽田から4人・岡山からOさん夫婦計6人となったが、
その内の一人が都合で行けなくなり私がピンチヒッター参加となり、
直前にもう一人行けなくなり計5人となった。
身近な家族が死んでいく、我々も歳とって来たということか。
Oさん夫婦は岡山から、ホテルも違うホテルだった。
五人とも海外旅行は初めて。
今回のツアーは【韓国人のツアー案内人が空港で待ち受け→ロッテ免税店→
ホテルチェックイン、最終日ホテルに迎えに来て→空港まで送る・朝食1回、
他食事なし】と言うシンプルなもの。
一・二日目は、Nさんの韓国人の友人達が通訳を伴って案内してくれるのだ。
その内の一人は環境保護運動をしている40代の男性Sさん、
もう一人は映像ジャーナリストを目指す現役の女子大生 I さん。
二人ともアクティビストで日本にも何回も来て、
外国人バックパッカー向け宿に泊まって日本全国に取材に行くそうである。
一日目/7/13
午前8時20分羽田発・10時40分金浦空港着。
B777で定員は約300人。
出入国は至って事務的で難しいことは何もなかった。
ただ機内へのペットボトル持ち込みはダメだが搭乗手続き後購入した物であるばOKだし、
クリームや化粧水などは透明のチャック付きビニルケースに入れて検査を受ければOKで、
でもこれは国内線でも同じことらしい。
出発時刻3時間前に手続きが必要ってのは何とも変でおかしい。
空港で3万円をウォンに両替した。
金浦空港[空港内は撮影禁止で、迎えの車から撮影した]
女性のツアー案内人は、我々がロッテ免税店は寄らなくて良いというと、
ツアーなのでそれは出来ない、とのこと。
30分という短時間は初めてのことだ言っていた。
ロッテワールド免税店
我々は見るだけで何も買わなかった。
ツアー案内人は、明日のご予定は?と聞く、
「これから韓国人の友人と会って相談します」と言う我々に対して、
観光案内[オプションなどの紹介]のうま味もないし、
ガイドとして力を発揮する喜びもないし、
妓生[キーセン]目当てのヤらしい日本人と思ったかもしれない。
ロッテワールドで銃の実弾発射のパンフがあったので、
そのことを話題にしていると、明洞実弾射撃場の方が安全だとパンフをくれた。
私の興味は価格だったのだが、どちらのパンフにも価格は載っていなかった。
ノボテルアンバサダーカンナム・ホテル
過剰なサービス・荷物を持っての部屋への案内がないなどは良いのだが、
部屋に入ると、ベッドは二つしかない。
フロントに連絡すると日本語が通じ、移動ベッドを持ってきた。
バスローブ・タオル・石けんなどは用意されているが、
これも二人分だけで、改めて要求しなければ持ってこなかった。
ベッドが三つはいると部屋はかなり手狭になった。
歯ブラシ・髭剃りなど使い捨てはエコ的ではないと、有料だ。
連泊の場合、要求しなければ環境のため、シーツ・カバー・タオルなどは交換しない。
3時半Iさんが通訳を連れて登場。
高校時代の同級生だったというその通訳の女性は、日本に一年留学経験があり、
通訳・日本語は完璧だし、知識もとても豊富だった。
自己紹介もそこそこに
昌徳宮=チャンドックン に向かう[入場料・3000ウォン]。
正門・敦化門
仁政殿
実は、ここに到着するまでが大変だった。
始めタクシーで向かった。渋滞なので地下鉄に乗り換えた。
「時間がないので走ってくれ」という。
閉門時間かと思ったのだがそうではなかった。
最終の日本語ガイドのスタートは16:30でもうスタートしていたのだ。
大汗をかいて日本語ガイドに追いついた。
芙蓉池
奧の建物は、宙合楼
楽善齋
ご覧のように百人近い日本人の集団を引き連れてのガイドは大変で、
次の説明ポイントで皆が集まるのを待つには大変な時間がかかる。
そこで普段はしないガイド=例えば、
王宮で生娘かどうかの判断は“娘にオウムの血を嘴からつけて血が付かないと生娘”だとか、
“王は移動式トイレを使う、草を敷き、そこに筒で小便は流し、大便は座ってし、
後でそれを係りの者が検査し、おかしいと時は舌で確かめた”
などのエピソードをたくさん話してくれたのだが、僕が覚えているのはこの下ネタ二つだけだ。
成均館大学
語学の名門大学とのこと。
タクシーで仁寺洞通りへ。
仁寺洞ショッピングビル
仁寺洞屋台
夕食は焼き肉。
店にはドアがなく、道路側はオープン、
肉を焼く鉄板は15度位傾いていて、油が流れ落ちる仕組み、
鍋奉行ならぬ人が準備し、食べていいよの合図があるまで、
他の人は待っているのが韓国式のようだ。
大きな肉は焼けた後、ハサミで切るのもおもしろい。
サラダ菜様の野菜で肉・その他の野菜やキムチを巻いてタレをつけて食べる。
マッカリ[米で作られた韓国の酒・日本の濁り酒のような色をしている、
度数は低く、少し甘みがある]
やかんに入ってくる、深い皿・小さなドンブリ(プラスチック・金属)で飲む。
韓国焼酎は日本の杯より少し大きいグラスで飲む。
最初はビールと日本式に始めたが、マッカリ・焼酎の方が口に合う。
僕には、唐辛子などの香辛料が入るとビールは酸味が強く感じた、
韓国料理は辛い辛いと言われ、そう思っていたが、決して激辛ではなかった。
その他の微妙な味はわからなかったが、キムチなどもかなり酸味を感じた。
発酵食品の複雑さが辛さと言うより複雑な味わいを加えているのではなかろうか。
お酒はがぶ飲みする感じではなかった。
マッカリは大きい器で飲むのでかなりダイナミックである。
店内は一方の壁が空いているのでクーラーはなく、写真のように、
日本では体育館などで使うような巨大扇風機が回っていた。
汗をかきかき食べるのがコリア式暑気払いという。
タクシー・値段事情
タクシー初乗り料金は1900ウォン、円に換算すると約250円、150m毎に100ウォン=13円。
地下鉄初乗りは900ウォン=120円。
ペットボトル800~1000ウォンである。
韓国の生活水準・収入などについては私は勉強不足で知らない。
円とウォンのレートは100ウォン=13円だが、
100ウォン=10円の感じで物価の水準をはかった。
タクシー初乗り200円、地下鉄初乗り100円、ペットボトル80円という感じで。
最高高額紙幣は1万ウォンだ。
テレビなど高額商品を買う時は札束を何十個も持っていくのかと思っていたが、
その時はカードか小切手と聞いて納得した。
かつてのインフレ・金融ビッグバンのせいなのだろうか。
10万ウォン紙幣が近々発行されるとの噂もあるらしい。
僕はデノミをすれば便利だろうなと思うが、それはむずかしいのだろうな。
韓国では消費税はほとんどが内税だ。
韓国では消費税はほとんど意識されないと思う。
100ウォンコインが事実上の流通の最少貨幣で、
10ウォン・1ウォンコインは事実上は流通してないと思う。
もし外税式にしたら財布の中は細かいコインであふれてしまうだろう。
そのことに気付いたのは、
帰り、金浦空港の免税店で少し買い物をしておつりをもらったからだ。
釣りに10ウォンコインが入っていたからだ。
だいぶ脱線したが、とにかくタクシー料金はとても安いのだ。
タクシーはけっして贅沢ではなく、自転車替わりって感じなのかもしれない。
自転車はほとんど見かけなかった。
交通事情
タクシーが自転車替わりだからか、道路は慢性的渋滞だった。
幹線道路は片道4車線は当たり前、6車線もたくさんある。
高速道路は少なく、鉄道はほとんどない。
幹線道路も立体交差ではない。
片道6車線の道路の交差点を考えてみよう。
道路の反対側に行くのは簡単ではない、一度の信号で反対側に行くのは難しい。
道路の真ん中に中間地帯があってそこで待つのである、
しかも二つの横断歩道は直線的に結ばれているのではなく少しずれている。
駆け足で渡ることを防止しているのかなと思った。
横断信号時間はとても短くあっという間に点滅し、赤になってしまう。
実に多くの車に擦り傷・ぶつかった跡がある。
事実私達が乗ったタクシーも接触事故を起こされた。
交差点で右折しようとしたタクシーがスピードを緩めたところ、
左後方から来たBMWがタクシーを追い越して強引に右折しようとタクシーの前に出て、
タクシーに接触・衝突した。タクシー運転手もBMWもたいして怒った風ではなく警察の来るのを待っていた。
私達は帰って良いと言われ降りた。
多くの車体に傷が残っているのはこうした接触事故が多いからなのだろうと思った。
日本ならすぐ保険で修理となるのだろうが、韓国では修理しないでそのまま走っている感じだ。
保険に入っていないのか、車の外観は気にならないのか、そのあたりの事情はわからないが。
お互い譲り合わないし、スキあらば割り込もうって感じ、
でも渋滞していてスピードが出ていないので大事故にはならない、と私は想像した。
地下鉄事情
地下鉄はかなり普及し、路線も9路線あり多彩のようだ。
座席の材質には驚いた。ステンレス製。
冷たそうな感じがする。
少し傾斜しているが浅く腰掛けて足を投げ出して座るとずり落ちそうな気がする。
この事情は、以前地下鉄火災で多数の死傷者が出たためだとNさんが教えてくれた。
車幅は日本のそれよりも少し広いように感じた。
[靴の歩幅で測って来た、帰国し比較したら30~40cm程広いようだ]
乗り換えは、ウグイスの鳴き声の後、放送で教えてくれる、和やかだ。
車内販売にはそれ以上に驚かされた。
ガム・漬け物は静かだったが、
帽子のつばにクリップで留める小さな電灯を売りに来た人は車内中に聞こえる大声だった。
これも地下鉄火災があったからだ、とNさんが教えてくれた。
駅名は日本と同じように番号が決まっている、
例えば、私達が泊まったホテルの近くの駅・江南駅は2号線の22番目の駅で222。
ハングルだけだと私にはわからないが、
駅の看板は漢字・数字・英語で表示してあるので事前に調べておけば何とかわかる。
私がNさんと日本語で話していたら、席が空いたと中年のおばさんが教えてくれた。
僕たちは素直に座り、僕たちが先に降りるので会釈したら笑って会釈してくれた。
このツアーには、5000ウォンの『T money』カードがついてきた。
カードと言うがキィホルダー・ストラップの様[縦3cm×横5cm程]で、
チャージもでき、日本のスイカと同じ機能を持っている。
ただ、改札口は日本の様な観音開きではなく、頑丈なバーを自分で回転させるもので、
あわてるとぶつかりそう。ラッシュ時にはむずかしそう。
バスもかなり走っていたが、バスは乗る機会がなかった。
食事を終えて、社会科学専門書店に行った。
日韓の時間差
ソウルでは19時半を過ぎても明るい。
日韓には時間差がないからだ。
日韓併合以前には韓国独自の時間だったのだが、
日韓併合後は「内鮮一体」と称して日本時間に強制された。
日本はこうして韓国の時間さえも奪った。
その後これは回復されていないと言う。
こうして一日目は無事終わった。
2日目
朝食は、ツアーに含まれているホテルの朝食、日本食・フレンチのバイキング。
二日目の通訳は在韓国の日本の女性。
地下鉄で“独立門”駅へ。
西大門独立公園
迎恩門[清の使節を迎えた門の残骸]
この奧が西大門独立公園
*独立宣言モニュメント
[1919年韓国の民衆は日本の侵略・併合に抗して3.1独立宣言を発し蜂起する]
*西大門監獄跡[西大門刑務所歴史館・入場料・15000ウォン]
3年前に定年退職した後“文化遺産解説ガイド”を勤める趙誠泰[チョンソンテ]さんは
「ここに来た記念として3.1万才事件だけは覚えて帰ってください」とまことに穏やかに語られた。
独居房・舎房・雑居・運動場[この実物は残っていない・模型だけ]など、
いずれも日本人が作ったようで、網走刑務所とまったく同じ様であった。
拷問のための縦棺には背筋が凍るようであった、写真を取り忘れた。
人の高さより低い棺を立てたもので、当然膝を曲げないと入れない、
戸を閉めると真っ暗となる、当然たれ流しで、多くの人がこの拷問で精神を病んだという。
中に入り体験できる。
拷問部屋は、縦横奧とも1m位の密室で窓はまったくない。
拷問等の様子が実物大の人形で展示されているが、
痛さへの恐怖よりこの二つの拷問の方が私にははるかに恐ろしく吐き気がした。
これを作り拷問した日本人は果たしてどんな気持ちだったのだろう、
彼の晩年はきっと眠れぬ日々だったのではないだろうか。
人の悪への想像力は恐ろしい。
地下監獄
女性専用だったそうで、天井は低く、窓はなく狭い、
韓国のジャンヌダルク・柳寛順さんはここで獄死したそうだ。
死刑場[内部は禁撮影]
死刑者追悼碑
[百名程の名が記されてが、それは氏名がわかっている人だけ、ということだと言う]
ここを訪れたのは土曜日であった。
多くの子ども達が集団で訪問していた。
私は、学校の社会教育・歴史教育の一つかと思いガイドの趙さんに聞いた。
趙さんは、評価はむずかしいです、と言った。
韓国では月一度土曜日が休みで、子どもの行き場がないので、
現場学習・体験学習などと銘打ってスポーツや自然観察など色んなこと行われているそうだ。
正規の学校教育ではなくまたボランティアでもなく、報酬をもらっておこなわれている、
と趙さんは教えてくれた。
私はそれ以上、何が問題なのかは聞けなかった。
容量を超えたのでその1は終了
2007/7/13(金)~16(月)
友人のNさんがその仲間数人と韓国旅行を計画した。
最初の段階ではかなり集まったのだが、最終的には羽田から4人・岡山からOさん夫婦計6人となったが、
その内の一人が都合で行けなくなり私がピンチヒッター参加となり、
直前にもう一人行けなくなり計5人となった。
身近な家族が死んでいく、我々も歳とって来たということか。
Oさん夫婦は岡山から、ホテルも違うホテルだった。
五人とも海外旅行は初めて。
今回のツアーは【韓国人のツアー案内人が空港で待ち受け→ロッテ免税店→
ホテルチェックイン、最終日ホテルに迎えに来て→空港まで送る・朝食1回、
他食事なし】と言うシンプルなもの。
一・二日目は、Nさんの韓国人の友人達が通訳を伴って案内してくれるのだ。
その内の一人は環境保護運動をしている40代の男性Sさん、
もう一人は映像ジャーナリストを目指す現役の女子大生 I さん。
二人ともアクティビストで日本にも何回も来て、
外国人バックパッカー向け宿に泊まって日本全国に取材に行くそうである。
一日目/7/13
午前8時20分羽田発・10時40分金浦空港着。
B777で定員は約300人。
出入国は至って事務的で難しいことは何もなかった。
ただ機内へのペットボトル持ち込みはダメだが搭乗手続き後購入した物であるばOKだし、
クリームや化粧水などは透明のチャック付きビニルケースに入れて検査を受ければOKで、
でもこれは国内線でも同じことらしい。
出発時刻3時間前に手続きが必要ってのは何とも変でおかしい。
空港で3万円をウォンに両替した。
金浦空港[空港内は撮影禁止で、迎えの車から撮影した]
女性のツアー案内人は、我々がロッテ免税店は寄らなくて良いというと、
ツアーなのでそれは出来ない、とのこと。
30分という短時間は初めてのことだ言っていた。
ロッテワールド免税店
我々は見るだけで何も買わなかった。
ツアー案内人は、明日のご予定は?と聞く、
「これから韓国人の友人と会って相談します」と言う我々に対して、
観光案内[オプションなどの紹介]のうま味もないし、
ガイドとして力を発揮する喜びもないし、
妓生[キーセン]目当てのヤらしい日本人と思ったかもしれない。
ロッテワールドで銃の実弾発射のパンフがあったので、
そのことを話題にしていると、明洞実弾射撃場の方が安全だとパンフをくれた。
私の興味は価格だったのだが、どちらのパンフにも価格は載っていなかった。
ノボテルアンバサダーカンナム・ホテル
過剰なサービス・荷物を持っての部屋への案内がないなどは良いのだが、
部屋に入ると、ベッドは二つしかない。
フロントに連絡すると日本語が通じ、移動ベッドを持ってきた。
バスローブ・タオル・石けんなどは用意されているが、
これも二人分だけで、改めて要求しなければ持ってこなかった。
ベッドが三つはいると部屋はかなり手狭になった。
歯ブラシ・髭剃りなど使い捨てはエコ的ではないと、有料だ。
連泊の場合、要求しなければ環境のため、シーツ・カバー・タオルなどは交換しない。
3時半Iさんが通訳を連れて登場。
高校時代の同級生だったというその通訳の女性は、日本に一年留学経験があり、
通訳・日本語は完璧だし、知識もとても豊富だった。
自己紹介もそこそこに
昌徳宮=チャンドックン に向かう[入場料・3000ウォン]。
正門・敦化門
仁政殿
実は、ここに到着するまでが大変だった。
始めタクシーで向かった。渋滞なので地下鉄に乗り換えた。
「時間がないので走ってくれ」という。
閉門時間かと思ったのだがそうではなかった。
最終の日本語ガイドのスタートは16:30でもうスタートしていたのだ。
大汗をかいて日本語ガイドに追いついた。
芙蓉池
奧の建物は、宙合楼
楽善齋
ご覧のように百人近い日本人の集団を引き連れてのガイドは大変で、
次の説明ポイントで皆が集まるのを待つには大変な時間がかかる。
そこで普段はしないガイド=例えば、
王宮で生娘かどうかの判断は“娘にオウムの血を嘴からつけて血が付かないと生娘”だとか、
“王は移動式トイレを使う、草を敷き、そこに筒で小便は流し、大便は座ってし、
後でそれを係りの者が検査し、おかしいと時は舌で確かめた”
などのエピソードをたくさん話してくれたのだが、僕が覚えているのはこの下ネタ二つだけだ。
成均館大学
語学の名門大学とのこと。
タクシーで仁寺洞通りへ。
仁寺洞ショッピングビル
仁寺洞屋台
夕食は焼き肉。
店にはドアがなく、道路側はオープン、
肉を焼く鉄板は15度位傾いていて、油が流れ落ちる仕組み、
鍋奉行ならぬ人が準備し、食べていいよの合図があるまで、
他の人は待っているのが韓国式のようだ。
大きな肉は焼けた後、ハサミで切るのもおもしろい。
サラダ菜様の野菜で肉・その他の野菜やキムチを巻いてタレをつけて食べる。
マッカリ[米で作られた韓国の酒・日本の濁り酒のような色をしている、
度数は低く、少し甘みがある]
やかんに入ってくる、深い皿・小さなドンブリ(プラスチック・金属)で飲む。
韓国焼酎は日本の杯より少し大きいグラスで飲む。
最初はビールと日本式に始めたが、マッカリ・焼酎の方が口に合う。
僕には、唐辛子などの香辛料が入るとビールは酸味が強く感じた、
韓国料理は辛い辛いと言われ、そう思っていたが、決して激辛ではなかった。
その他の微妙な味はわからなかったが、キムチなどもかなり酸味を感じた。
発酵食品の複雑さが辛さと言うより複雑な味わいを加えているのではなかろうか。
お酒はがぶ飲みする感じではなかった。
マッカリは大きい器で飲むのでかなりダイナミックである。
店内は一方の壁が空いているのでクーラーはなく、写真のように、
日本では体育館などで使うような巨大扇風機が回っていた。
汗をかきかき食べるのがコリア式暑気払いという。
タクシー・値段事情
タクシー初乗り料金は1900ウォン、円に換算すると約250円、150m毎に100ウォン=13円。
地下鉄初乗りは900ウォン=120円。
ペットボトル800~1000ウォンである。
韓国の生活水準・収入などについては私は勉強不足で知らない。
円とウォンのレートは100ウォン=13円だが、
100ウォン=10円の感じで物価の水準をはかった。
タクシー初乗り200円、地下鉄初乗り100円、ペットボトル80円という感じで。
最高高額紙幣は1万ウォンだ。
テレビなど高額商品を買う時は札束を何十個も持っていくのかと思っていたが、
その時はカードか小切手と聞いて納得した。
かつてのインフレ・金融ビッグバンのせいなのだろうか。
10万ウォン紙幣が近々発行されるとの噂もあるらしい。
僕はデノミをすれば便利だろうなと思うが、それはむずかしいのだろうな。
韓国では消費税はほとんどが内税だ。
韓国では消費税はほとんど意識されないと思う。
100ウォンコインが事実上の流通の最少貨幣で、
10ウォン・1ウォンコインは事実上は流通してないと思う。
もし外税式にしたら財布の中は細かいコインであふれてしまうだろう。
そのことに気付いたのは、
帰り、金浦空港の免税店で少し買い物をしておつりをもらったからだ。
釣りに10ウォンコインが入っていたからだ。
だいぶ脱線したが、とにかくタクシー料金はとても安いのだ。
タクシーはけっして贅沢ではなく、自転車替わりって感じなのかもしれない。
自転車はほとんど見かけなかった。
交通事情
タクシーが自転車替わりだからか、道路は慢性的渋滞だった。
幹線道路は片道4車線は当たり前、6車線もたくさんある。
高速道路は少なく、鉄道はほとんどない。
幹線道路も立体交差ではない。
片道6車線の道路の交差点を考えてみよう。
道路の反対側に行くのは簡単ではない、一度の信号で反対側に行くのは難しい。
道路の真ん中に中間地帯があってそこで待つのである、
しかも二つの横断歩道は直線的に結ばれているのではなく少しずれている。
駆け足で渡ることを防止しているのかなと思った。
横断信号時間はとても短くあっという間に点滅し、赤になってしまう。
実に多くの車に擦り傷・ぶつかった跡がある。
事実私達が乗ったタクシーも接触事故を起こされた。
交差点で右折しようとしたタクシーがスピードを緩めたところ、
左後方から来たBMWがタクシーを追い越して強引に右折しようとタクシーの前に出て、
タクシーに接触・衝突した。タクシー運転手もBMWもたいして怒った風ではなく警察の来るのを待っていた。
私達は帰って良いと言われ降りた。
多くの車体に傷が残っているのはこうした接触事故が多いからなのだろうと思った。
日本ならすぐ保険で修理となるのだろうが、韓国では修理しないでそのまま走っている感じだ。
保険に入っていないのか、車の外観は気にならないのか、そのあたりの事情はわからないが。
お互い譲り合わないし、スキあらば割り込もうって感じ、
でも渋滞していてスピードが出ていないので大事故にはならない、と私は想像した。
地下鉄事情
地下鉄はかなり普及し、路線も9路線あり多彩のようだ。
座席の材質には驚いた。ステンレス製。
冷たそうな感じがする。
少し傾斜しているが浅く腰掛けて足を投げ出して座るとずり落ちそうな気がする。
この事情は、以前地下鉄火災で多数の死傷者が出たためだとNさんが教えてくれた。
車幅は日本のそれよりも少し広いように感じた。
[靴の歩幅で測って来た、帰国し比較したら30~40cm程広いようだ]
乗り換えは、ウグイスの鳴き声の後、放送で教えてくれる、和やかだ。
車内販売にはそれ以上に驚かされた。
ガム・漬け物は静かだったが、
帽子のつばにクリップで留める小さな電灯を売りに来た人は車内中に聞こえる大声だった。
これも地下鉄火災があったからだ、とNさんが教えてくれた。
駅名は日本と同じように番号が決まっている、
例えば、私達が泊まったホテルの近くの駅・江南駅は2号線の22番目の駅で222。
ハングルだけだと私にはわからないが、
駅の看板は漢字・数字・英語で表示してあるので事前に調べておけば何とかわかる。
私がNさんと日本語で話していたら、席が空いたと中年のおばさんが教えてくれた。
僕たちは素直に座り、僕たちが先に降りるので会釈したら笑って会釈してくれた。
このツアーには、5000ウォンの『T money』カードがついてきた。
カードと言うがキィホルダー・ストラップの様[縦3cm×横5cm程]で、
チャージもでき、日本のスイカと同じ機能を持っている。
ただ、改札口は日本の様な観音開きではなく、頑丈なバーを自分で回転させるもので、
あわてるとぶつかりそう。ラッシュ時にはむずかしそう。
バスもかなり走っていたが、バスは乗る機会がなかった。
食事を終えて、社会科学専門書店に行った。
日韓の時間差
ソウルでは19時半を過ぎても明るい。
日韓には時間差がないからだ。
日韓併合以前には韓国独自の時間だったのだが、
日韓併合後は「内鮮一体」と称して日本時間に強制された。
日本はこうして韓国の時間さえも奪った。
その後これは回復されていないと言う。
こうして一日目は無事終わった。
2日目
朝食は、ツアーに含まれているホテルの朝食、日本食・フレンチのバイキング。
二日目の通訳は在韓国の日本の女性。
地下鉄で“独立門”駅へ。
西大門独立公園
迎恩門[清の使節を迎えた門の残骸]
この奧が西大門独立公園
*独立宣言モニュメント
[1919年韓国の民衆は日本の侵略・併合に抗して3.1独立宣言を発し蜂起する]
*西大門監獄跡[西大門刑務所歴史館・入場料・15000ウォン]
3年前に定年退職した後“文化遺産解説ガイド”を勤める趙誠泰[チョンソンテ]さんは
「ここに来た記念として3.1万才事件だけは覚えて帰ってください」とまことに穏やかに語られた。
独居房・舎房・雑居・運動場[この実物は残っていない・模型だけ]など、
いずれも日本人が作ったようで、網走刑務所とまったく同じ様であった。
拷問のための縦棺には背筋が凍るようであった、写真を取り忘れた。
人の高さより低い棺を立てたもので、当然膝を曲げないと入れない、
戸を閉めると真っ暗となる、当然たれ流しで、多くの人がこの拷問で精神を病んだという。
中に入り体験できる。
拷問部屋は、縦横奧とも1m位の密室で窓はまったくない。
拷問等の様子が実物大の人形で展示されているが、
痛さへの恐怖よりこの二つの拷問の方が私にははるかに恐ろしく吐き気がした。
これを作り拷問した日本人は果たしてどんな気持ちだったのだろう、
彼の晩年はきっと眠れぬ日々だったのではないだろうか。
人の悪への想像力は恐ろしい。
地下監獄
女性専用だったそうで、天井は低く、窓はなく狭い、
韓国のジャンヌダルク・柳寛順さんはここで獄死したそうだ。
死刑場[内部は禁撮影]
死刑者追悼碑
[百名程の名が記されてが、それは氏名がわかっている人だけ、ということだと言う]
ここを訪れたのは土曜日であった。
多くの子ども達が集団で訪問していた。
私は、学校の社会教育・歴史教育の一つかと思いガイドの趙さんに聞いた。
趙さんは、評価はむずかしいです、と言った。
韓国では月一度土曜日が休みで、子どもの行き場がないので、
現場学習・体験学習などと銘打ってスポーツや自然観察など色んなこと行われているそうだ。
正規の学校教育ではなくまたボランティアでもなく、報酬をもらっておこなわれている、
と趙さんは教えてくれた。
私はそれ以上、何が問題なのかは聞けなかった。
容量を超えたのでその1は終了