風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

映画/モヒカン故郷に帰る

2016年07月27日 | 映画

タイトルの「モヒカン故郷に帰る」は、木下恵介監督・高峰秀子さん出演の傑作『カルメン故郷に帰る』のパクリで
何とも安直で頂けずイヤです。
引用
てっきりコメディと期待したのですが、後半はすっかり安物の「ヒューマンドラマ」になってガックリでした。
矢沢永吉へのコダワリなど全くわかりませんし、宴会や病院での結婚式など何ともつまらないシーンで、
最悪はテンポがなく、間延びの連続でした。
松田龍平の無表情は良いのですが、柄本明の大袈裟芝居はウンザリ、もたいまさこは小林聡美作品でのウリのマンネリ、
前田敦子が下手くそですが、ただ一人、味が出ていました。
中途半端なシリアスさを皆無にし、徹底してコメディに徹したら良かったのにと思います。
併映は、以前見た『家族はつらいよ』でしたが、二度見る映画ではないので止めました。【7月25日鑑賞】

三里塚闘争50年の集い

2016年07月20日 | 学習

東京、文京区の文教シビックセンターで『三里塚闘争50年の集い』が行われました。
50年前、佐藤栄作内閣は新国際空港を成田三里塚に建設することを閣議決定しました。
旗の三つの輪は、農民・社会党・共産党の連帯を意味しているそうです。右は、反対同盟の代表世話人の柳川秀夫さん。
半世紀の時が流れ、世界は、今大きく揺れ動いています。
先日(7月15日)、トルコでクーデター未遂事件が起きました。
少し前、イギリスは国民投票でEUからの離脱を選びました。
日本の国民は、改憲を歌う安倍自民党保守=現状維持を選びました。
柳川さんは、「腹八分」を言いました。
100%、All or Nothing、原理主義からは良いものは生まれない、と言うことでしょうか。私は賛成です。
私は、もう少し緩やかに「腹七分」という所でしょうか。
ところで、私は、トルコが大好きです。トルコのクーデター未遂の報道に大きなショックを受けました。
トルコは古代オリエント以来大国でした。近世になって弱体化します。
現代トルコの建国の父と言われるムスタファ・ケマル(アタテュルク)さんは、イスラム国にありながら
宗教と政治を分離する世俗主義で現代トルコの礎を気づきました。
町のレストラン、カフェでお酒が飲める数少ないイスラムの国です。
トルコは、今もまさにアジアとヨーロッパ、キリスト教文明とイスラーム文明の十字路、であり続けています。
エルドアン大統領の「反対派弾圧・イスラム原理主義への傾倒」を私は憂慮しています。
2013年ヨーロッパとアジアを直通する列車が開通しました。

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集いの前に、文教シビックセンター25階の展望台に上りました。無料です。
 
  
 
 ←Googleマップの引用 
展望台に上るのは二回目です。区役所にこんな巨大施設が必要なのでしょうか。
江戸時代の城の天守閣のように庶民を見下ろし、威圧しているようです。
集いの最中に、茨城地方に地震があり、東京は震度3でした。高層建物なのに大きく揺れなかったのには驚きました。





映画/最愛の子、ビューティ・インサイド

2016年07月13日 | 映画

離婚した夫婦の3歳の息子が誘拐されます。子どもを作れない体の夫が妻をつなぎ止めるために子を誘拐したのです。
息子を誘拐された男は、息子を探し出します。しかし、時がたっていて息子は父親のことをすでに忘れていました。
子どもの誘拐・売買が中国で行われているか私は知りません。根拠はないのですが「中国ではあり得る」のでは、と思いました。
子どもが発見されたことでドラマは終わりませんでした。自分の子と信じる彼女は裁判費用を得るために体を売ります。
映画は、子どもを産めない体と言われていた彼女の妊娠で終わります。言いようのない悲しみ、未希望に私は襲われました。
映画に描かれた子どもの誘拐・売買・離婚・裁判などは今日の中国社会の一面を鋭く反映しているのではないか、
そして中国の現状と行く末は、彼女の現状と将来を暗喩しているのではと私には思いました。
特に一人っ子政策、子どもを産む・産まないまで国に管理される社会の有り様はどう見ても「正常」とは言えません。
更に、プロ文革での密告・監視社会は、家族・地域の絆やコミュニティを分断・破壊しました。私にはそれは息苦しく、
その後遺症は容易に癒えるとは思えません。中国社会のそうした傷や有り様がこのまま続くとはとうてい思えません。
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面白い映画でした。
主人公のウジンは、18歳の誕生日を機に眠りから目覚めると、「体」が全く別人に変わってしまう遺伝体質の持ち主でした。
彼は、アンティーク家具店で働くイスに出会います。その時、彼は、「イケメン」の姿の時でした。
ウジンは、123人の姿に変化します。それも女性であったり、ハゲのおっさんであったり、醜男であったりします。

しかし、この映画の限界でした。極端な醜男や黒人や障害者や高齢者には決して「変身」しなかったのですから…。
上野樹里が出演していました。変身した多くの男性は美形ですが、「ナヨナヨ」過ぎでミスキャスティングでした。
初め、「人は、外見ではない」と言っていたイスですが、次第に彼女はそんな生活に疲れ、二人は、別れます。
第二のそして決定的限界は、数年後、二人は再会し「ヨリを戻す」という何とも安直なありふれた結末でした。
決してシリアスドラマではないのですから、ラブロマンスにしないで、コメディに徹しきって終わりにするべきでした。
韓国映画は、時々このように、奇想天外な「面白い」映画を時々「爆発」させます。   【6月13日鑑賞】

映画/白鯨との闘い、オデッセイ

2016年07月13日 | 映画

アメリカのハーマン・メルヴィルの代表作『白鯨』の隠された事実を明かすが「ウリ」ですが、「飢えで人肉を食べた」
というだけの話で取り立てて言うことではありません。
大画面でCGを駆使して白鯨を描いていますが、迫力はありますが、とても上手く出来たCGとはとても言えませんでした。
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原題は"火星人"、ホメロスの『オデッセイ』を無断借用するなんて何と恥知らずの厚顔無恥でしょう。
大いなる駄作でした。
それでも映画の前半は、あたかも宇宙のロビンソン・クルーソーのようなサバイバルが工夫されていました。
空気も水もない火星で、それらを作ってジャガイモを育てる下りはとても面白かったのですが、いかにも嘘っぽかったです。
宇宙のロビンソンと言いましたが、こちらは電気などのエネルギーや最新の技術や材料・乗り物などがあるので
無人島の活躍のようなロマンやわくわく感、創造性は希薄です。
後半は、ただ超人的ヒーローが偶然の連続のみで活躍するアクションサバイバルでハラハラ感もなく「饒舌」だけでした。
142分は長過ぎですし、下らないアメリカンジョークの連発はウンザリでした。
救出にあたりとってつけたようなアメリカと中国が協力する下りはジョークのつもりでしょうか。
今日のサバイバル物二本は全く並作でした。
しかし、撮影場所のヨルダンの南部ワディラ砂漠は息を飲む絶景でした。 ヨルダン観光局からの引用


  【7月4日鑑賞】

映画/サウルの息子、ディーパンの戦い

2016年07月12日 | 映画

ドイツ旅行から帰国して最初に見た映画でした。ベルリンのザクセンハウゼン強制収容所を見て来た直後だったので、
ちょっと不思議な巡り合わせのような感じで見ました。
上記案内のあるように、サウルはアウシュビッツで死体処理をする特殊な「ユダヤ人囚人」でした。
彼らも長生きできた訳ではなく遅かれ早かれ死んで行く運命でした。私には、こうした極限状況で人々は何を"支え"に、
その瞬間、日々を生きて行くことが出来るのかとずっと考えて見ていました。
ユダヤ宗教では、遺体を焼却すると死後救われないと信じられることを私は初めて知ったのですが、サウルは、
死んだ息子をユダヤ教の教えに従って埋葬したいと思いました。
その遺体が、彼の本当の子どもかどうかはわかりません。おそらく違うでしょう。彼は、そう願い、行動を起こすことで、
彼の残された日々=死体処理の過酷な運命を生き続ける支えとしたのではないでしょうか。
映画は、そんな彼の二日間の行動を描きます。事が上手く運んでしまい過ぎるリアリティの無さには目をつむりましょう。
二日後「囚人達」は、レジスタンス行動を行い、収容所を脱出しますが、発見され殺されます。
その時、サウルは逃亡する森の中で、少年を見ます。「息子」とうり二つでした。
スコープではない4.3の様な映像サイズ、カメラはひたすらサウルのみをドキュメントのように追う独特のスタイルでした。
森の様子は、私がドイツの電車から見た森と似ていました。
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スリランカでは、1983年から2009年にかけスリランカ政府とタミル・イーラム解放のトラの内戦がありました。
その根本要因は、かつてのセイロンを植民地支配したイギリスが多数派と少数派の民族分裂を作り、対立を煽り、支配した
歴史にあることは疑う余地がありません。
私が、2013年ピースボートでスリランカを訪れた時は、内戦は終わり、穏やかな日々となっていましたが、
内戦の傷跡は諸処にまだ残っていました。
映画は、内戦を逃れるために全く無関係な三人が偽造パスポートで「家族」となって、フランスに移民する話です。
ストーリーはちょっと乱暴でリアリティは希薄なのですが、折しも、ヨーロッパでは難民・移民の問題で揺れていて、
難民・移民達の苦しみや困難、その解決の難しさを思い起こさせます。
映画はこの重いテーマを受けきれず、途中で息切れしてしまい、「めでたし」で終わってしまい、残念でした。 【6月13日鑑賞】

ドイツの旅28/フランクフルトから帰国

2016年07月09日 | ドイツの旅2016年

オレンジジュースのセルフスムージー、野菜・果物は1個から量り売り

6月6日 ベルリンからフランクフルトに移動
12:21発、16:44着 通常135ユーロの所早割りで半額の63.25ユーロ、しかも1等車でした。
ホテルは、フランクフルト中央駅の目の前、150mのミュンヘナー・ホフホテル、5415円でした。
  
窓から、フランクフルト駅(右の丸屋根)が見えます。   真ん前に1ユーロショップが
 
帰国は、6月7日、12:10の飛行機です。ベルリンからではアクセスが大変なので、前日にフランクフルトに来ました。
しかし、最後にまた大きなミスをしてしまいました。
ベルリンからの電車は昼過ぎなので、観光に出ないでホテルでのんびりと写真などの整理をしたのですが、
私の腕時計のヒューズがずれて時計が止まっていたのです。11時頃に気づいて慌ててホテルを出立したのでした。
ベルリン中央駅はすでにわかっているので、慌てることはありませんでした。最悪の場合は、次の電車に乗れば良いと
思いました。事情を話せば、早割切符でも乗せてくれると思いました。
ドイツの特急は、自由席もありますし、指定席も空いていれば座ってOKですから。
フランクフルトでも観光はしないで、スーパーでお土産のチョコレートを買ったり、ホテルの前の1€ショップで
孫達のお土産を買いました。結構面白いグッズもあり楽しみましたが、幼子の喜びそうな物は見当たりませんでした。
ホテルは大通りに面し、駅に近いので、夜遅くまで路面電車と酔っ払いの声が聞こえました。
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ドイツのスーパーの様子。日本のスーパーよりはるかに「エコ」の感覚が進んでいるように思いました。
冒頭の写真のようなオレンジジュースのセルフ絞り器には驚きました。
容器は別売ですが、持参することもでき、トマトなどの野菜や果物なども1個でもレジで量り売りで買うことが出来ます。
また、私はサラダバーも連日のように使いました。好きな野菜をパックに詰め、好きなドレッシングを掛けて
レジの秤で重さを量ってくれます。100g1€ちょっとだった思うのですが。パンコーナーは扉を開けて自分で袋に入れます。
 
パンスライサー、私は使いませんでしたが…。    ペットボトルなどの回収機、おそらく目方ではないでしょうか。
 
ホテルでは、飲み終わったペットボトル容器をゴミ箱に捨てないと持って行きません。まだ客の物だからでしょう。
わずかな額だとしても、その「徹底さ」に私は、少し驚きを覚えました。
容器は値段に含まれているようです。レシートのような物が出てきてレジで料金から引いてくれるようです。
街、駅、特に観光地では大きなビニールバックを手に、ゴミ箱からペットボトルを回収する多くの人を見ました。
ちょっと語弊がありますが、日本のような大型普通スーパー、デパート地下のちょっと高級観のあるスーパー、
そして下町の大量商品スーパー、そして個人商店のミニスーパーの4種類のスーパーがありました。
食品スーパーの他に、日本のマツキヨのようなドラッグスーパーもたくさんありました。ここは、
日常使う石けんなどの日用品や高級ベビー用品、ちょっとした食品もありました。
車で行くような日本の大型ショッピングモールがあるかは分かりません。
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6月7日フランクフルト空港12:10発、羽田着6月8日午前6:35
行き帰りとも、日本で座席を希望できたので最後尾の席にしました。私は真ん中の3座席の列の右端でした。
左端は使用禁止で、真ん中は空席でしたので、窮屈でしたが少し横になれることが出来ました。
出発は日本の深夜、ドイツ着は早朝の直行便を選びました。26万円とかなり高い料金でしたが、飛行時間が11時間ほど、
時差の関係では、それが私の体には良いと思ったからです。
ドイツへは直行便以外にももちろん複数のルートがありますが、トランジットやトランスファーにすると
24時間以上かかる便が多いからです。
もしヨーロッパを訪れる次ぎの機会があるなら、ビジネスクラスが良いかなと少し弱音も覚えました。
2機内食がでました。 ウイスキーとワインをもらい寝酒としました。
  
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さて、今回のドイツの旅は出発日時を間違えるというとんでもない失敗から始まりましたが、全体とすれば「良」です。
ミュンヘンは一日少なく、ベルリンはもう一日多くても良かったかも知れません。
フランクフルト・ケルン・ミュンヘン・ハンブルクは大都市ですが、市内観光は1~2日でOK、そこから電車で近郊の都市に
出かけるのはとても良かったです。
ベルリン市内は観光スポットが多いので、もう少し事前の調査・準備が必要でした。
私は美術に特別の関心がある訳ではないので多くの美術館・博物館は入りませんでした。
また、興味がある人でも、多すぎるので取捨選択は苦労するのではないでしょうか。
天候は、概ね恵まれ、大雨は二日ほどだったと思います。ただ「ドイツウエザー」とは良く言ったもので、折りたたみ傘は
決して手放せませんでした。
気温は、真夏日は二日ほどで、日本の初夏・晩春の感じで、しのぎやすかったです。
今回、日本で4000円ほどのサンダルを買い、持って行きました。軽くて、大正解でした。
かなりたくさんの都市を訪れました。市としては広いのですが、観光スポット・旧市街地は狭く、数時間で回ってしまいます。
イタリア、フランス、スペインの地方都市は、交通の要衝地にびくびくして城壁で囲まれた城塞都市でしたが、
ドイツでは、ほとんど城壁らしき物はありませんでした。戦争で焼失したのでしょうか。
古代ローマの名残が残っているのは「さすが」と言う感じです。ケルン、マインツなども古代ローマが作った交通の要衝地で、
ローマの先見・先進さを感じました。
マルクスが生まれたトリーアには立派なローマ時代の古代遺跡が残っていました。
  
二つの大戦争で、多くの街が壊滅したと聞きます。イタリア、スペインやフランスのように千年、二千年に亘る歴史的建物は
残っていないのかも知れません。
たかだかと言っては語弊がありますが、18世紀プロイセンのフリードリヒ2世時代が華やかだったようです。
私は行ったことがありませんが、ワルシャワなどは、瓦礫を集めて市街を再建したと聞きますが、ドイツでは
そのようなことはないようです。
二つの大きな印象
一つはヒトラー・ナチス、ユダヤ人弾圧とベルリンの壁撤去、です。
前者は負の遺産ですが、後者は勝者としての矜持です。
ベルリンの壁は、同時にナチスに通じる「抑圧」の象徴でもあり、その撤去・残骸・壁画はまさに勝者・解放者の証しです。
私には、負の遺産より、「勝者としての証し」の"壁"への比重・宣伝が強く高いように感じました。
ザクセンハウゼン強制収容所は、ユダヤ人弾圧の歴史的証人ですが、ユダヤ人弾圧の実態・歴史を十分に保存、
伝えているとは、私にはとうてい思えません。
私は、アウシュビッツ収容所に行ったことが無いのでどのように保存・伝えているのかわかりませんが…。
ドイツは、ナチス・ユダヤ人弾圧の歴史的を世界遺産レベルで保存・記録しているとは私には思えませんでした。
    
それら全てが戦争で破壊されてしまったと言ってはいけないと思います。
そうした負の遺産を破壊されたままでももっともっとそのまま残すべきだったと思います。
同時に、ドイツは一週遅れの帝国主義でしたが、帝国主義的略奪も行ってきました。
ベルガモン博物館、新博物館、旧博物館、ボーデ博物館などそれらを誇るかのように展示していました。
      
お金、食事について-------------------------
12万円ほどのユーロを持って行ったのですが、交通費などが結構かかり手持ちが寂しくなり、最後はケチケチというか、
カード支払いを多用するようになりました。大手デパート地下・スーパーはカードが使えるので良かったです。
食事については、外食は少なかったです。夜出るのはイヤだったのが一番の理由ですが、写真の整理と日誌の作成は、
しておかないと帰国してから何の写真か忘れてしまうので、とても大事ですが、結構時間もかかるからです。
私は、グルメではないので、デパート、スーパー、駅などで惣菜などを買ってくれば十分です。
ホテルの朝食は、タンパク質が少し少なかったですが、ほとんどのホテルで十分豊富でした。
私は途中から、少量のシリアルを食べるようになりました。野菜が少し足りないかと思ったからです。
これが結構いただけるので私には面白かったです。
果物のないホテルもありましたが、その時はバナナ、リンゴ、オレンジなどを買いました。
ミルク、ヨーグルトなどの乳製品は安かったです。冷蔵庫がなかったので買い置きできないが残念でした。
ソーセージ、ハンバーグ、チキンはやはり塩分過多です。魚類は燻製が多く、これも塩っぱかったです。
朝食は、ゆっくりたっぷりいただき、その時昼用のサンドイッチを作ったこともありました。
ドイツでは、水道水を飲めるそうです。ホテルに電気ポットがあれば沸かして飲めるのですが、
ドイツの3つ星ホテルにはありませんでしたので、りミネラルウォーターを買いました。ヨーロッパは、
炭酸入りミネラルウォーターが多いのですが、私は好みません。概ね赤いフタがノンガスでした。
ビールは、あまり飲む気が起きませんでした。日本から持参したウイスキーを飲み、なくなった時はスーパーで買いました。
大まかな費用
飛行機代:約26万円 ホテル代:約24万円 鉄道交通費(近郊線・地下鉄等除く長距離、日本での支払い含):約9万円 
現地ツアー(ミュージアム3日券含):約1.75万円 スーパー買い物:約1.7万円 保険:1.35万円 現金:約11万円 計:約75万円 
言  葉-------------------------
言葉に困ることは余りありませんでした。ほとんどの人が英語を話すことが出来ました。
ドイツもたくさんの移民をが住んでいるそうですが、彼らの多くも英語を学習しているように感じました。
私の口癖は、「I can't speak German. English not well. Slowly Please.」 です。すると、相手はにっこりして
ゆっくり話してくれました。
道を尋ねると、親切に対応してくれました。しかし、実は知らないのに知ったかぶりをして間違った事を言う人も
少なからずいて愛嬌物です。
ドイツ語の辞書はやはり持って行くべきでした。看板や案内などの標示はドイツ語だけの場合が多いので、
これは何の意味かなぁ、と再三思いました。わかればより楽しかったでしょう。
万歩計も忘れました。
乗 り 物-------------------------
国内、市内の移動の多くは鉄道でした。鉄道網は発達しているのですが、几帳面なドイツ人と言われますが、
遅延はほとんど常態で、そのアナウンスは不親切でした。おそらく一々言っていたらキリが無いからだと思いました。
遅延の原因は、何度も触れますが、線路・ターミナル駅の構造にあるので、その克服は容易ではないでしょう。
特急の切符などは日本で事前に買えるのでとても便利です。早割もお得です
長距離バスは乗りませんでした。鉄道近郊線、地下鉄は十分発達していますが、路線(ライン)標示は分かりづらかったです。
ホームで前の駅名・次の駅名が標示されているだけでそれはほとんど解決されるのですが…。
自動券売機の数が少ないこと、また故障していて紙幣が使えなかったり、キャッシュカードが使えないなど、
地方ではほとんど無人駅の感じですし、ターミナル駅でもインフォ・チケットカウンターを除いて職員が少なく、
リストラの行きすぎと思いました。
特急の列車を除くと、車両の多くは古く、きれいではありませんでした。
車内のストリートミュージシャンは時々いましたが、車内販売と物乞いがいないのは静かで良かったです。
日本の鉄道の最大の利点は、時間通り(最近は遅延が多いですが)・きれい・トイレ・安全です。
スイカなどのプリペイド型電子マネーの便利さも素敵です。
しかし、日本の鉄道の最大の難点は、情報提供・アナウンスの過剰過多の騒音です。
ドイツの地下鉄は、日本のモノレール型で狭いので飲食が禁止です。年寄りに席を譲るという「儒教的」マナーは、
スマホの普及ですっかり無縁となったのは世界共通で、最近は韓国でもそうなりつつあり、隙あらば席をと狙っています。
車内の化粧はありませんでしたが、老若男女関係無い飲食は凄まじいものです。
路上に目をやると、酔っ払いと物乞いは多いです。イタリア・フランスほどしつこくないのは良いです。
それは、キリスト教的施し文化・精神の影響と思いますが、どうでしょうか。
路上喫煙と吸い殻のポイ捨ても多く、本当に私は嫌いです。
自転車についての特記
自転車専用道路の普及・充実は目を見張ります。自転車専用道路だけを使ってドイツ一周が出来るのではないでしょうか。
自転車専用道路に立ち止まっていると、サイクリストに「怒られ」ます。
地方の鉄道線路脇には、トレイル(自動車入れない細い道、自転車も可)が並走していました。
                  
自転車を鉄道(特急などは除く)に持ち込めます。女性も歩道橋や駅の階段などは担いで上っていました。
小さい子は、補助輪無しに足を地面に付けて乗っていました。
電動アシストは少なかったですが、変速ギヤがいくつも付いているのでスピードが速いので、注意が必要です。
雨でも、合羽を着ないで濡れて走っている人が多かったです。
駐輪場の写真を撮り忘れましたが、あちこちあり充実していました。
レンタサイクルは、事前の申し込みと携帯電話が必要なので私は利用できませんでした。
横断歩道の信号について-------------------------
横断歩道はたくさんあり、その多くは、「使用」のボタンを押します。信号が変わるのはとても早いです。30秒位です。
道路が広いので、一度では渡りきれない事がほとんどですが、中程に分離帯があるので大丈夫です。
ですから、黄色信号では駆け足しないで待ちます。車も同様です。黄色信号で横断歩道に入ると猛烈に歩行者に怒れます。
幹線道路もも30秒ほどで信号が変わるので、車も歩行者も無理をしません。このことは車は概ねスピードを出さないでかなり
ゆっくり走っていると言うことです。私は横断歩道で「危険」を感じたことは、ほんの数回でした。
信号の無い交差点で立ち止まるとほとんどの車は止まります。日本では、車は黄色信号だとスピードを上げて
猛スピードで通過ですし、横断歩道で車を止めようならクラクション、ひどい場合はにらまれます。
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オーストリア、北欧、東欧、バルト海三国、南アジアにも行きたいと思っているのですが、果て、どうなることでしょう。
                                                      【ドイツの旅終わり】


ドイツの旅27/ベルリン7・ベルリン最後の一日

2016年07月06日 | ドイツの旅2016年
ノイエ・ヴァッヘ
6月5日 ドイツ・ベルリン最後の一
今日でドイツ、ベルリン市内の散策は事実上終わりです。7日12時31分の飛行機で帰国します。
ベルリンからフランクフルトへはICE(特急)で4時間かかるので前日にフランクフルトに移動します。
ベルリン市内で行き忘れた所をいくつか訪れることにしました。初めに6月17日通り[スターリンの死後の
1953年6月16日から6月17日にかけて東ベルリン地域で発生した大衆行動の名が付けられたそうです。]で
土日行われる蚤の市を見に行きました。中は撮影できません。

蚤の市                              
 
ビスマルク通り駅で一日券を買おうとしたら、またも紙幣の使える自動券売機は故障です。
コインで7ユーロは持ってないので仕方なく1回券(2.7ユーロ)を買いました。
ポツダム広場駅に移動しました。3回目ですからもう迷いません。
左は、ポツダム広場にあるドイツで一番高いコルホフビル、右はドイツ鉄道(DB)本社ビル

テロのトポグラフィ ここはゲシュタポとナチス親衛隊(SS)の本部があった場所で、まさにテロ・恐怖政治の中枢だった所です。
戦後はベルリンの壁が作られました。2010年に展示館が完成しました。無料です。
 
 
 
その近くに遊覧気球乗り場[約20ユーロでした]があります。気球は、上昇するだけで移動はしません。

そこから歩いて10分ほどの所にユダヤ博物館があります。右の灰色の金属製の建物もそうです。
 
一駅ですが地下鉄で移動し、そこから「博物館島南側」に向かい、歩きました。
ベルリンで一番美しい広場と言われるジャンダルメンマルクト広場

真ん中にコンツェルトハウス・ベルリン、右にフランスドーム、同じような形をしたドイツドームがあります。 
                                     フランスドーム[背後の建物は尖って赤い屋根]
 
フランスドームの教会部分                     フランスドーム内部のユグノー博物館
 
コンツェルトハウス・ベルリン                     ドイツドーム
 
少し雨が降りましたが傘を差すほどではなくすぐ止みました。
ベドウィヒ教会            自転車です          ベルリン国立歌劇場
  
ドイツ歴史博物館                     ノイエ・ヴァッヘ (Neue Wache=「新衛兵所」)ドイツ歴史博物館の左にあります。
 
中には人物大の一つの像があるだけであとは何もありません。 この文末に感想を書きました。
  
次の二つはフンボルト大学の巨大な校舎です。
 
その脇に、きれいなドーム教会がありました。 Shedwieisフリードリヒモニュメントとありました。
  
パイプオルガンを演奏していました。 地下の棺              彫刻ラピュタ
  
ドイツ歴史博物館前の運河に開門式橋が架かっていました。 一帯は工事中で行き止まり、回り道などで苦労して、
                                     ニコライ地区に入りました。 エフライム宮殿
 
路上に巨大な案内地図が                     ニコライ教会 中は市立博物館になっていて有料でした。
 
ニコライ教会の入り口                噴水                     信号待ちしていたら
  
ビールを飲みながら自分たちで自転車のペダルを漕ぎながら移動する屋台、大声でかけ声を掛け
て漕いでいました。酔うでしょうね。                 これは何の建物か分かりません。
 
赤の市庁舎                             マリエン教会とテレビ塔
 
マリエン教会とその内部
  
マリエン教会内部・手作りのモザイクが
 
    
アレキサンダープラッツ駅前の広場で           移動販売            
  
世界時計               時刻は3時ちょっと前で東京では22時と言うことでしょう。
 
ハッケシェマルクト駅前にユニクロと無印が並んでいました。 ショッピングモール・ハッケシェ・ヘーファとその中庭
 
ハッケシェ・ヘーファの中庭               ベルリン・シナゴーグ  今日は路上の清掃員をたくさん見かけました。
  
動物園駅に戻ってきて カイザー・ヴィルヘルム記念教会 中は狭く天井と壁一面にモザイク画がありました。
記念教会は空襲で多くが破壊されましたが、残った塔の部分、塔の先端などはそのまま保存されています。
 
 
 
 
カイザー・ヴィルヘルム記念教会と記念ホール[右の建物]

記念ホール内の2万の枚青いステンドグラスは目を見張る美しさです。
 
                                     ギターとフルートの演奏が行われていました。
 
外に出ると立派な口ひげを蓄えたおじさんがいたので写真を撮らせていただきました。

ベルリンの最終日に、カイザー・ヴィルヘルム記念教会と記念ホールを再訪できて良かったです。
ザクセンハウゼン強制収容所ツアー前に写真を撮ったのですが、開館前でしたし、記念ホールの存在を知りませんでした。
今日も私はその存在を知らなかったのですが、ホールに何気なく入ったらブルーのステンドグラスに圧倒されました。
また、私は、ノイエ・ヴァッヘも知りませんでした。ウィキペディアによると19世紀初頭プロイセン王フリードリヒ・
ヴィルヘルム3世が衛兵所として作られ、その後紆余曲折があり、ドイツ再統一後の1993年、11月の第3日曜日を
「国民哀悼の日」と定め、「戦争と暴力支配の犠牲者のための国立中央追悼施設」に改装したそうです。
ドイツの全ての人々の追悼については「加害者と被害者を共に追悼するのか」との議論もあったそうです。
かなり大きく豪華な建物の中は、天井に明かり窓のドームがあり、その下に人物大の一つの像がただポツンとあるだけで、
後は広い空間があるだけです。
入口に、数カ国語で、「戦争と暴力支配の犠牲者のための国立中央追悼施設」のプレートがあるだけで、後は何もありません。
このあと1ユーロショップに行って孫のお土産を買う予定でしたが日曜なので止めました。
ドイツでは、日曜日はファストフードと小さな個人レストラン、バー、スナック、カフェなどが開いていますが
デパートやスーパー、大きな商店はほとんど休みです。  【6月5日終わり】 

ドイツの旅26/ベルリン6・ポツダム

2016年07月05日 | ドイツの旅2016年
サンスーシ宮殿
6月4日 ベルリン市郊外(南西に30km)ほどのポツダムを訪れました。
今日は、米・英・ソの3ヶ国がドイツの戦後処理について会談した所です。会談した場所は、ツェツィーリエンホーフ宮殿で、
ポツダム中央駅から北に5kmほど行ったところで交通の便が良くないので、ここは行きませんでした。

ビスマルクス通り駅からは、地下鉄で一つ行った駅で鉄道線に乗り換えるのですが、地下鉄の駅と鉄道の駅が
ちょっと離れていて別の駅名になっています。
4番線が乗り場なのですが、4番線は長距離線で近距離線のホームを通り過ぎて地下通路を通って上に出るのでした。
(高崎線ホームが、京浜東北線ホームを通って別の駅にある感じです。)10分ほど余裕を持って出たのですが、
4番ホームがわからず苦労し、通りすがりの男性に聞くととてもわかりやすく説明してくれて無事乗れました。
電車は土曜のせいでしょうか大混雑でした。でも、二つ目20分ほどですから。5分ほど遅れて10:10頃に着きました。
駅で昼用のサンドイッチを買いました。さて、ポツダムの駅も大きかったです。左右どちらの出口でしょうか。
私の予想ははずれでしたが、ツアーチケット売りのお兄ちゃんが反対側と親切に教えてくれました。

私の計画では、一番端の新宮殿まで695番のバスで行ってそこから歩く計画です。
 
あちこち探すと電光掲示板に、バス路線番号と行き先と後何分かが表示されていました。チケットは、
車内の自動販売機で1.9ユーロでした。終点で降りました。
とにかく巨大としか言いようのない広さです。新宮殿かと思ったら違っていて反対側の方が新宮殿(裏側)でした。
 
 
インフォで地図をもらったのですが、無料の地図は本当に使い物にならないほど大雑把で分かりづらいです。
トイレは0.7ユーロでした。
新宮殿裏側                              表側
 
 
さて、シャルロッテンホーフ城に向かうのですが、うろうろ探すうちにCharlottennhof城0.9kmという小さい表示を発見し、
しばらく行くとカフェがありました。そこに小さなゲートがあり、大雑把な地図があったのでゲートをくぐってしばらく
行ってもそれらしきものが目に入りません。乳母車を押した男性が来たので聞くと、戻ってゲートをくぐって左だと言います。
宮殿と言うにはちょっと大げさな小さなものでした。
 
次の目標はローマ風浴場です。古代ローマの浴場を予想していたので通り過ぎたのに気が付きませんでした。
カフェの女性に聞くと「民家」と思ったそこだと言うのです。
  
ローマ風浴場入口に      しばらく行くと、この地の教会が目に入ったので行きました。結婚式が行われていました。
  
次の目標物は中国茶館ですが、場所が分からず、うろうろしました。モスクでしょうか。
宮殿敷地の端・つまり入り口のブランデンブルク門まで戻ってしまいました。
 
ブランデンブルク門の脇のオベリスク。     平和の教会
 
大変な遠回りになりましたが、ここからはかなり一本道なので何とかなりました。
絵画館(ピクチャーギャラリー)                    サンスーシ宮殿
 
サンスーシ宮殿ドーム
 
New Chambers 後ろに風車が                   中国茶館[やっと辿り着きました。]
 
Orangery宮殿
 
                                     この宮殿の左半分、右に同伴分があります 
正面に、フリードリヒの銅像でしょうか                     歴史的風車ミル
  

サンスーシ宮殿に戻ってきました。
 
ブランデンブルク門前広場ではキルトスカートの男性の集団がビールで大騒ぎ  門反対側
 
門から聖ピーター教会
 
城門でしょうか
 
聖ピーター教会                           
   
                                     ニコライ教会
 
ポツダム博物館                            建物の左にシナゴーグの文字が、単なるお知らせでしょうか
  
映画博物館
 
遺跡跡でしょうか
  
時計を見ると15時、電車の時刻は15:25 その次は15:55なので急ぎました。ホームのベンチでうとうと、電車が来ました。
電車に乗って、打刻していないことに気が付きました。これは違反です。
ちょっと疲れて集中力が散漫になっていたようです。乗車時間が20分で二駅、検札は来無かったので助かりました。
シャルロッテン駅で乗り換えるときたった一駅ですが打刻しました。
今朝、朝食を食べているとレセプションの男性が私の部屋番号を聞きます。私が日本人だと確かめると話しかけて来ました。
昨年の10月二週間ほど日本に行ったそうです。日本の街がとにかくきれいなことが一番気に入ったと言ってました。
東京、日光、富士山、大阪、姫路、京都などを巡った事など、私はドイツの旅について話しました。
お礼に、日本の煎餅をあげました。     【6月4日終わり】

ドイツの旅25/ベルリン5・絵画館など

2016年07月04日 | ドイツの旅2016年

6月3日 いくつかの博物館、美術館を訪れました。
今日でSMB(ミュージアム3日券)の最終日、残ったいくつかの博物館、美術館を訪れました。

まず、ポツダム広場近くのかつての監視塔跡に行きました。ポツダム広場は私には鬼門で方向が全くわかりません。
広場が不規則な形をしている上に広く、道路が複雑で通り名の標識がわからないのです。
 
目印はソニーセンターなのですが、私が間違った要因は、ソニーセンターの看板・標識はは二つあって、
私の目に入ったのは、裏側の方でしたので、地図上と見当違い・勘違いしてしまったことです。
大きいと思っていたのですが小さいものだったことも見つけだすのを難しくしました。やっとの事で見いだし、
自分の立ち位置と地図がわかり一安心でした。慣れれば、どうってことないです。
監視塔                                ポツダム広場の壁跡
 
一番に絵 画 館に行く計画です。
5月30日初めてベルリンに来て歩いた所で、ポツダム広場から徒歩12分ほどの所です。 こちらは裏側入口です。
 
私が入ったのは絵画館の裏側の入り口でした。写真は、正面入口で、新ナショナルギャラリーとフィルハーモニー
の奥に建設された文化フォーラムの中核をなす絵画館です。
有名画家の絵がたくさんです。パンフレットの館内案内図は閉鎖中の部屋もその旨記載されていないので
わかりにくかったです。全部をゆっくり見ていたら時間がかかりすぎるので、有名画家の所だけを選びました。

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ポツダム広場駅に戻り、ベルリン中央駅から徒歩10分のハンブルク駅現代美術館に向かいました。
ベルリン~ハンブルク間の鉄道ターミナル駅だった建物を再建し美術館にした広々としたスペースに展示しています。
特に目立ったものはありません。                 でもがらんとしたこの風景はおもしろいです。
 


これもベルリン中央駅です。                
 
自然科学博物館(恐竜などが展示され子どもの人気だそうです。入りませんでした。) 駅の中です。
 
ここを通り越すとU6の自然科学博物館駅です。 この写真は駅の中のテーラーの店先です。

次は、博物館の島の中の旧博物館を訪れました。
博物館島のボーデ博物館 
 
ハインリッヒ通り駅で降りる予定が乗り越ししまい次のHackescherMarkt 駅で降りたのですが、
この駅からの方が近くわかり易いです。一昨日訪れている上に目的物が密集しているのでもう迷うことはありません。
旧博物館 19世紀の建築家・シンケルの代表作だそうです。古代ギリシャ・ローマ時代の彫刻などが展示されています。

形が整いきれいなのを選んで撮りました。作品名は記録しませんでした。ローマの皇帝の像はおもしろかったです。

最後の方の珍しい茶色の大理石 パピロスに描かれた人物画 皇帝達は、カエサル、アウグストゥスでしょうか。
近郊線・地下鉄を乗り換えホテルのある駅・ビスマルク通り駅でU7に乗り換えベルクグリュン美術館に向かいました。
道すがらベルリンから1マイルのマイルストーンが

ベルクグリュン美術館
 
パリで画商として活躍し、ピカソとの交友のあったユダヤ系ドイツ人ベルクグリュンさんがそのコレクションを
ベルリン市に貸与し、それをベースにした美術館だそうです。
入る前はたいしたことはないだろうと高をくくっていたのですが、2階に上がってびっくりこれでもかこれでもかと
ピカソの作品です。私は絵への造詣は皆無なのですが、ピカソさんの絵は不思議に好きです。


ピカソさんの絵は見て彼のだとわかるのが何より良いです。
ここには、ベルクグリュン美術館、シャルフ・ゲルステンベルク・コレクション、ブレーハン美術館の三つが隣接しています。
私は、ダリさんの作品が展示されている美術館を訪れようと思ったのですが、間違ってブレーハン美術館に入ってしまいました。
 

それは広い道路を挟んだ東側にあるシャルフ・ゲルステンベルク・コレクションでしたが、時刻は夕方5時を過ぎたので、
ホテルの戻りました。ちょっと残念でした。
ベルリンのミュージアムパス3日券(SMB)は、24€で、ベルリンの50余の美術館・博物館に入ることが出来ます。
私は、途中ザクセンハウゼン強制収容所に行ったので使用したのは二日間でしたが、面白かったです。
特に、絵画館、ベルクグリュン美術館は見応えがありました。
と同時に、ドイツ帝国主義やナチが美術品を略奪して来た歴史も目の当たりにし、複雑な気持ちでした。
イギリス、スペイン、フランス、ロシア、アメリカ、オランダそして日本は略奪して来た宝物をそれぞれの国々に無償で
返還し、展示する博物館建設を援助するべきだと、つくづく思います。  【6月3日終わり】

ドイツの旅24/ベルリン4・ザクセンハウゼン強制収容所跡

2016年07月03日 | ドイツの旅2016年
 ザクセンハウゼン強制収容所
6月2日 今日は、ザクセンハウゼン強制収容所に行きました。
日本で申し込んだ現地ツアー=「ザクセンハウゼン強制収容所ウォーキング」(インサイダーツアー会社)に参加しました。
料金は17ユーロと格安です。行きのザクセンハウゼン駅までの交通費3ユーロは自費で、帰りの交通費はツアー料金に
含まれているので実費20ユーロです。
ザクセンハウゼン強制収容所の入場料は無料です。
ユダヤ人の強制収容所というとポーランドのアウシュビッツ収容所が有名ですが、ベルリンから北にわずか30km行った
オラニエンブルクに総面積190ヘクタールほどでの広大さのザクセンハウゼン強制収容所がありました。
 
この収容所は、初めは共産党員や社民党員などの政治犯が多かったのですが、次第にユダヤ人の強制収容所ともなり、
最終的には20ヶ国20万人のユダヤ人が収容されたそうです。
朝9:50、集合場所は動物園駅前のマクドナルド前、とてもわかりやすい所で、着くと大勢の客がいました。
私が参加したのは英語ツアーで参加者は18人、スペイン語ツアーは多くて25人ほどでしたでしょうか、
その他ベルリンの壁を訪れるツアーなど格安の10程のウォーキングツアーがあるようです(毎日でないツアーもあります)。
日本語のツアーはないようです。
私は、ビスマルク通り駅9:10の電車に乗ったので早く着いたので、近くのカイザー・ヴィルヘルム記念教会の
写真を撮りに行き、帰りに無料トイレがあったので入りました。
動物園(ツォー)駅                           カイザー・ヴィルヘルム記念教会
 
動物園駅を10:10に出発し、10:45発の電車でザクセンハウゼン駅に向かいました。
ザクセンハウゼン駅
 
11:12着でした。 そこから30分ほど歩くと現在では閑静な住宅街の中に、 変哲もない壁が現れます。入り口です。
 

第二キャンプ(強制収容所)入り口                 ビジターセンター
 
一辺600mの三角形をした敷地・トライアングルと呼ばれたそうです。

キャンプ通り                             壁と監視塔
 
 
真ん中の肖像写真はレーニンです。ソビエトがここを解放したようです。  SS Troop Camp
 
中央司令棟の入り口                         収容所への入り口
 
「労働は自由をもたらす」という収容所のうそぶいたスローガンが描かれた扉
 
収容所の周囲は高電圧の鉄条網と柵、2.7mの高さの壁で囲まれていました。鉄条網と壁の間は2mほどは看守の
巡視路でした。さらにサーチライトと機関銃が備わった監視塔もかなりの数が設置されていました。
  
ナショナルメモリアル塔                       
  
慰霊碑                                Infirmary barracks
 
囚人の洗濯棟と集会室
 
囚人服           むち打ちの道具                 身長を測ると言って背後から銃殺したそうです。
   
ロッカーとベッド       一辺10cmほどの非常に小さいチェス盤          ガスマスクでしょうか。 
  
キッチン棟                              野菜などを洗った部屋
  
建物の番号を示す標示跡、まさにバラックと呼ばれていたのですね。
 
犠牲になった人々の写真
 
遺体安置場所
 
遺体等を処理する施設
  25Execution trench 26番Burial ground with ashes of victims 1,2 27 Station Z 27全景 
遺体を焼く施設
 
Station Z [最後のステーション]とありました。                 
 
メモリアル

監視塔
   
電柱                                  絞首刑柱跡
  
15barack38(ユダヤ人囚人棟・展示室)
 
VIP棟の囚人室とトイレ跡                     三段ベッド
 
この収容所には、特殊技術を持った「囚人」達もいて、偽札作り等の特殊な仕事をしたとも言われています。
洗濯室                                囚人たちが描いた絵の一枚
  
地下資料室[亡くなった人々の写真や経歴などがファイルされています。]
  
vip囚人室                                     死んだ人というプレート
  
地下の狭い懲罰室跡
 
1時15分から15分ほど自由時間があって昼食、私はサンドイッチと水とココアとバナナを持っていきました。
3時にガイドは終わり駅に向かい、15:45の電車に乗って、16:05中央駅に着きました。
天気予報ではこの日も一時雷雨とあったので傘や合羽を用意したのですが降りませんでした。
しかし気温は高く、日差しは強かったです。そして、夜9時頃5分ほど強い雨が降りました。
ザクセンハウゼン強制収容所跡は、事前に鉄道[近郊線、チケット、ダイヤなど]を調べればもちろんツアーではなく、
個人で行くことも出来ます。
入場料は無料です。午前と午後、英語とスペイン語のガイドツアー[14ユーロ]もあります。
レストランや店はないので自分で用意する必要があります。駅からの道にも食べ物屋は土産物屋はありません。
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ドイツから帰ってきてすぐ、この映画を見ました。強制収容所で、ゾンダーコマンドと呼ばれたユダヤ人「囚人達」は、
遺体処理などの特殊な仕事をさせられた後、彼らのほとんども殺されました。
しかし、彼らはその事実を紙などに書いて瓶などに埋めて記録したそうです。
ユダヤ教では、遺体を焼却すると死後「復活できない」と信じるそうです。
サウルは、残された二日間、一人のユダヤ少年を自分の息子と信じ、彼をユダヤ教に従って埋葬しようと奮闘します。
この映画は、そんな歴史の二日間の断面を描いています。
私は、映画を見ながら、ザクセンハウゼン強制収容所に思いを馳せました。
普通の人々が、想像を絶する残虐性を発揮することは、やはりあり得ると言えます。
ナチやファシズム、日本軍国主義、ポルポトなどの事実を私達は知っています。
冒頭の写真の「労働・勤勉は自由をもたらす。」は何ともむごい"標語"です。
昨年、タイのカンチャナブリー戦争博物館を訪れた時、日本軍の同様の標語がありました。
"…If you work hard you will be treated well but if you do not work hard you will be punished"
さて、大袈裟ではなく、人々・人類は学び、賢くなり、進歩しているのでしょうか。
そして、私達はこれからの人々・人類の未来を「希望」として語ることが出来るのでしょか。  【6月2日終わり】

ドイツの旅23/ベルリン3・「博物館の島」

2016年07月02日 | ドイツの旅2016年
 旧ナショナルギャラリー
6月1日 「博物館の島」を訪れました。
初め、ポツダムかライプツィヒを訪れる予定でしたが、明け方から本降りの雨でした。予定を変更して、博物館見学にしました。
博物館見学はとても疲れるので、昼には一度ホテルに戻りホテルで少し休憩してから再び訪れようと思ったのですが、
雨脚が一向に弱くならないのでそのまま博物館の島に一日中いました。

ビスマルクストラッセ駅の自動券売機で一日チケット(7ユーロ)を買おうとしたのですが、カードはもちろん紙幣も使えません。
コインで7ユーロは持っていなかったので近くの商店で両替を頼みましたがけんもほろろで買えてくれません。
仕方なくホテルに戻ってホテルで買えてもらいました。



私は、ボーデ博物館を最初に訪れたので近郊線(S)ベルリン中央駅から二つ目フリードリッヒ通り駅で降りたのですが、
次の駅のBerlin Hackescher Markt駅の方がわかりやすいです。
どちらの駅からも徒歩10分ほどです。
ボーデ博物館で『ミュージアムパス3日券』を買いました。24ユーロ、3日間有効、約50の美術館・博物館に入れる
超お得のチケットです。裏に、氏名・最初の日付などを記入します。  ボーデ博物館 宗教画が多いです。
 
 
 
 
 
 

新博物館 戦争で破壊され2009年に再建されたそうです。内部はエジプト博物館とパピルスコレクションがメインです。
ああ、ドイツも侵略して美術品を略奪してきたのだなとつくづく感じざるを得ません。
  
 
 
 
この博物館の至宝『王妃ネフェルティティの胸像』(撮影出来ないのでウィキペディアから引用です。)
警備は厳重で、ガラスケースに入れられ、かなり周辺から写真撮影が禁止です。この写真の一番奥の部屋です。
   
 
 
ルターの肖像画はどこかで見たような気がするのですが。
 
マルクスの肖像とマルクスの肖像画が紙幣になっていました。
  
   
 

旧ナショナルギャラリー
  
雨は相変わらず激しく降っています。      入り口の彫刻にこんないたずらが
  
                                    Merzelの一部消された絵が気になります。  
 
外を見るとベルリン大聖堂が                 
 
Segantine                               ゴッホ
 
Moret                                  セザンヌ
 
                                     Roroir Lautivec
 
ルノアール                    ゴッホ(風車)
  
Lieherman
   
Kopish Friedrich(この絵の下にムンクの絵があるという。) どこかで見たことのあるヘーゲルの肖像画(Schhlesingero)
 
私は、てっきり写真だと思っていたのですが、絵だったのですね。驚きました。 
ベルガモン博物館入り口(この日は入りませんでした。)    旧博物館(この日は入リませんでした。)
 
本降りだった雨が嘘のように快晴となり、暑くなりました。
大聖堂                                大聖堂ドーム
 
 
 
 
大棺                                  地下一面墓所、94の棺があるそうです。
 

ベルガモン博物館  ミソポタミヤやバビロニアなどの古代文明の遺跡品が多く展示されています。
古代ギリシャの『ゼウスの大祭壇』のあるホールや北翼館は工事中で閉鎖中で、南翼館だけが見学できます。
 
 
 
ミレトスの市場門[こんな大きなものまで略奪ししてきたのですね。]
 
  
  
コーランやメッカの方向を示すモスクのミフラーブまで略奪してきたのかヨと思うと私はぞっとしました。
 
  
    
旧ナショナルギャラリー入り口           雨も止んだのでボーデ博物館の写真を撮りに行きました。ボーデ博物館前 
 
ベルリン中央駅外                          反対側です。
 
これもベルリン中央駅外です。              
   
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ビスマスクス通り駅の自動券売機は紙幣が使えなかったり故障していたりしているので、ベルリン中央駅で途中下車して
明日の電車の切符を買ことにしました。ベルリン中央駅には紙幣を使え、英語バージョンを選べる券売機があるからです。
明日は『ザクセンハウゼン強制収容所』を訪れるツアーですが、電車のチケット(ABゾーン・2.7ユーロ)は自分で準備し
なければならないからです。
また明後日にはポツダムを訪れる予定ですがポツダム行きのチケットはABCゾーン(3.3ユーロ)が必要だからです。 
ベルリンの近郊線のチケットは、中心地のA、郊外のB、ちょっと遠いABCの三種類あります。とても安いです。
朝、電車のホームでスリ未遂がありました。私がビスマルク通り駅で電車に乗ろうとホームに向かうとき
小脇に抱えたリュックの外側のチャックが引っ張られる気がしました。
私は振り返り「何するんだ!Don't Touch me!」と言うと濃いあごひげをはやした西アジア系の若い男が、
ぶつぶつ言いながら離れていきました。私が後を追うとスマホを使う振りをして更に逃げ仲間の所に行きました。
現行犯では無いのでそれ以上の追求は出来ませんし、かえって危ないのでそこで止めました。用心用心。
リュックのチャックは空いていました。薬、飴、爪切り、ティッシュなどの入った袋が入っているだけですが
無くなれば困ることはもちろんですが、それ以上に油断した自分に悪い気分になります。油断は禁物です。
スリなどは地方都市ではなく大都市ほど危険です。でも、ベルリン中央駅からから離れたターミナル駅ではない駅で
スリに会うとは想像だにしませんでしたので、とても驚きました。   【6月1日終わり】

ドイツの旅22/ベルリン2・ベルリンの壁を巡る

2016年07月01日 | ドイツの旅2016年
 イーストサイドギャラリー
5月31日 午前中はシャルロッテンブルク宮殿、午後はベルリンの壁を巡りました。
午前中は、ホテルから歩いてシャルロッテンブルク宮殿に行き、戦勝記念塔まで歩き、午後は一度ホテルに戻り、
昼食をホテルで食べた後少し休んでベルリンの壁・3箇所を電車で訪れる計画です。



ホテル近くの教会           シュルフ・ゲルステンベルク・コレクション
 
宮殿前広場から宮殿                         そこから振り返っていわば宮殿への「参道」
 
ベルクグリュン美術館                         その南側のブレーハン美術館
 
シャルロッテンブルク宮殿[入りませんでした。] 
 
                                       宮殿左側 同じものが右側にもあります。
  
宮殿入り口から、右がベルクグリュン美術館、左がシュルフ・ゲルステンベルク・コレクション 歩いて戦勝記念塔に向かいます。
                                                        高い建物は?です。
   
教会二つ
 
普通のビルの壁に                         ベルリンオペラの通りを挟んだ公園にシュエイクスピア像が
 
ベルリンオペラ                           その前の像
 
ドイツで初めて見つけた1ユーロショップ 店内写真はだめでした。       シラー劇場
  
ルネサンス劇場                           ベルリン工科大学
 
戦勝記念塔に向かう通り
 
ベンツ社                               ベルリン王立磁器製陶所
 
ベルリン王立磁器製陶所2
   
 
大統領官邸 警護の職員がにっこりしてくれました。       戦勝記念塔に登りました(3€だったと思います。)
   
  
                                     展望台の途中に休憩用椅子が
 
戦勝記念塔展望台から                       大統領官邸
 
 
ちょうど正午になったので、予定を変更してホテルに戻らずに、この緑の公園でお弁当を食べました。
電車でイーストサイドギャラリーのあるオスト駅に向かいました。

イーストサイドギャラリー 近郊線オス駅から約1.5kmに渡ってオープンギャラリー、内外の画家が壁画を描いています。
 
汚れを取り修理しているグループがいました。
 
 
 


  
有名なブレジネフとホーネッカーの口づけ             ベンツ社の建設中のアリーナ(壁画の反対側に)
 
オーバーバウム橋                          その入口にお化け屋敷が
  
電車でベルリンの壁記録センターに向かいました。 近郊線Nordbahnhof駅 旧東ベルリンのベルナウアー通りは、
壁建設直後、壁に面した建物から飛び降りて西に逃げた人が多く、この地が保存されているそうです。
記録センターの展望台から、壁・壁の背後の緩衝地帯・監視塔などが見えます。  記録センター 右側が展望台
 
壁の跡に鉄柱のポールで壁があったことを示しています。
 
記録センター内
 
壁を越えられず無くなった人々の慰霊碑がいくつかありました。 これは無くなった人々の写真でしょうか。
 
近くのビルの壁

壁 博 物 館 近郊線Kochstr.駅 
  
国境検問所チェック・ポイント    米軍の帽子などを被り星条旗をバックに有料の写真が撮れますが、「下品な」感じです。   
  
アメリミリタリー小物の土産屋                   壁博物館近くの広場
  
 
3:40頃、急に雷雨が、雨宿りして5分ほどすると止みました。昨日から学んで傘を持参しましたが差しませんでした。
昨日より温度が高いとの天気予報でしたが、午前中は時々冷たい風が吹き、薄手のヤッケが必要でした。
午後はだいぶ気温が高くなりましたが、汗をかくほどではありませんでした。
午後は、近郊線(S)、地下鉄(U)を乗り継いでの移動でした。
外国の駅は、前後の駅名がホームに表示されていないので上り・下り(つまり行き先)の確認が大事です。
でも、間違っても地下通路でホームがつながっていれば戻れるのですが、フランスでは、回転式自動改札口があって、
通路を使って反対側ホームへの移動がほとんどの駅で出来ませんので、間違うと一度駅を出なければなりません。
ドイツは、改札が皆無ですし、地下通路でつながっていたり、概ね小さい駅ではワンプラットホームですから、この点安心です。
行き先がなかなか覚えられないので、ひっきりなしに路線図を確かめます。車内放送はありません。
一日切符を買おうとしたら、ベルリン駅で使った券売機と違う機械でその上ドイツ語だけです。
仕方なしに近くの男性を呼び止めて教えてもらいました。A・B(近・中距離)ゾーンだと7ユーロ[1回券は2.7ユーロと高いです。
3回乗るなら一日券が断然得です。]、長距離市内Cゾーンだと8ユーロほど、鉄道、地下鉄、バス共通です。
4時過ぎとなり、帰りました。電車、地下鉄とも大混雑でした。
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今日は、盛りだくさんな一日でした。戦勝記念塔は、フランス凱旋門からの風景を思い出し、おもしろかったです。
後半の三箇所の「ベルリンの壁」を私が選らび、歩いたことは今回の旅の出色でした。
イーストサイドギャラリーのベルリンの壁は様々なメッセージがあり、ユニークでした。
ベルリンの壁記録センター前の壁は地味でしたが私には、往時の「恐ろしさ」、「悲劇」が静かに伝わって来ました。
イスラエルの現代の壁は、まさにこの「ベルリンの壁」を想起・連想させます。
アメリカではトランプさんが、メキシコ国境に「壁」を作ると言い、朝鮮半島では、39℃線の「壁」があります。
そして私達の心の中にもたくさんの見えない「壁」が潜んでいます。  【5月31日終わり】