10月11日
朝7時、目が覚め窓を開けると大雨であった。
この日は、「青の洞窟/カプリ島観光」(二人216ユーロ=23993円)のツアーを申し込んでいた。
ホテルの窓ガラスは二重ガラスで、雨戸もあリ、窓の上に小屋根はなく、また建物の屋根までも遠いので雨音は全くしなかった。
青の洞窟はちょっとした天候や潮の関係で入ることができないことがよくあるらしい。
フェリーの運航ができないときはツアーは催行されず、料金が返されるが、
このぐらいの雨ならフェリーは運航しカプリ島には行くけれども、青の洞窟はいけないだろうなと思って少し早めにホテルを出た。
集合場は、モロ・ベヴェレッロ港なので昨日とは違うバス路線に乗った。月曜の朝、しかも雨のせいなのかバスは満員であった。
スリに気を遣いながら、停留所に着く度に乗り過ごしまいと"Beverello"と書いた紙を見ていると、
何人もの乗客が3っつめだとか次だとか親切に声をかけて教えてくれた。
【バスや電車の切符について】。
日本では、前払い・後払いの違いがあるがバスの中で切符を買うことが出来る。また、運転手のチェックをを受けるので無賃乗車は不可能だ。
ところがイタリアでは、バスや電車の中で切符を買うことは出来ない。
アマルフィでは、大きいバッグを荷物入れに入れ、発車間際のバスに飛び乗った若い女の子は切符を持っていないので降ろされた。
切符は、事前に、"Tabacchi=タバッキ"(煙草や新聞を売るスタンド)や駅で買っておかなくてはならない。
電車の場合は、日本の様に改札口はない。ホームへの出入りは自由である。
ホームにある打刻機に切符を入れて時刻を打刻する。バスは車内に打刻機がある。
ほとんどの乗客は、定期券を持っているのか、打刻しない。私にはほとんどの人が無賃乗車のように見えた。
電車では、ごくたまに車内で検札が行われるが、ほとんど行われない。バスでは全く行われない。
私には、観光客・旅行客だけが律儀に長蛇の行列に並んで切符を買い、打刻するように感じる。
ベネツィアのヴァポレット(ボート)、ナポリの地下鉄も同じシステムであった。
ローマの地下鉄だけがホームの出入り口に機械式の改札機があった。
私には真実はわからないが、イタリアでのこの不公平観・不公正観は許し難かった。
もっとも、この朝だけは満員で打刻出来なかった。
一時間も早く着いてしまったが、Barでトイレ代込みのカプチーノを4ユーロ払って時刻を待った。
ローマからバスで来るグループとここで合流することになっているのだが、定刻の10:30分になっても、その影は見えない。
10:40に携帯でツアー会社に電話するとローマは発っているが遅れているようだと言う。
10:50、やっと日本人ガイドと合流。日本人は全部で4人。11:15フェリーに乗り、12:00カプリ島に到着した。
ガイドから、船は前後左右に揺れるので下の階の後方が良いとアドバイスを受けたので、酔い止めを飲んで静かにしていた。
ジェットコースターの様な揺れに、外人の若者と子どもは初めは歓声を上げていたが、10分も経たずに静かになり、口に袋を当てていた。
12:30にケーブルカーに乗って山の上の方に行った。
雨のため、小舟は出ないので青の洞窟には行くことができないので、そこらを散歩するしかない。
カプリ島は長さ6km、幅3kmの小さい島で港のあるカプリ地区と山の手のアンカプリ地区に分かれているという。
人口は2万弱だが多いときは観光客であふれて30万人にもなるらしい。
シーズンは4~9月で、10月になるとぼつぼつと店じまいをする店も出始めている。
ピァツァ広場
市役所
病院だった跡地に5つ星以上の高級ホテルQvisisana(健康になる=病院) 香水屋
サン・ジャコモ修道院
香水屋 線内は現在のバス道(左)と古道(右)
古い地層が出ている マーメイド岩
クルップ通り
ファラリオーニ岩 ゴミ箱
二時過ぎになって、レストランで食事s
革のサンダル造りの職人(オーダーでも50ユーロ位とのこと)
リゾットorパスタ・ムニエル・ポークorエビイカのフライ・デザートのアイスクリーム、グラスワイン3ユーロ
3:50に集合し、フェリーでナポリに帰る。
青の洞窟には、港から30人乗り程のボート(15ユーロ)、更に小舟に乗って入るらしい(11.5ユーロだが10ユーロものチップを要求するが2ユーロ位でいいらしい。)
私たちは、あいにくの天候で青の洞窟に入ることはできなかったのは残念だが、入れないことも多いらしい。
カプリ島とナポリの海の雰囲気を味わうことができのはよかったとは思う。
遅くボリュームたっぷりの昼だったので、夕食はスーパーで、パン・トマト・チーズ・ハム・バナナ・リンゴ・ココアと安いワインを買ってホテルで食べた。
ナポリ港 前日に撮ったナポリの下町の様子
10月12日
朝食、質素だったが、このホテルのトーストは自分で焼き、大好評であった。スーパーで牛乳・ヨーグルト・バナナなども買って来て食べた。
ヌォーヴァ城
今日はポンペイへのツアーだが、集合時間まで時間があったので、日曜日休館で入ることのできなかったヌォーヴァ城を見学した。
5ユーロ。二階テラスからのサンタルチアの眺望はきれいであった。
入り口[今日は空いていた]
地下遺跡
地下鉄工事を始めたら地下から遺跡が出てきた。工事から20年経つが地下鉄の目途は経たないと言う。
ツアーの集合時間は10:45だったがローマからのツアー客(日本人4人、外人20人位)とガイド着いたのは11時であった。
ナポリ市内の名所のいくつかをバスで巡った。
オペラ劇場 ツアー待ち合わせ場所のBar
卵城が見えるところでバスが止まって写真撮影。トイレに行きたいとガイドに言うと反対側がナポリ大学商学部、トイレを借りた。
きれいなトイレであった。イタリアではトイレを「レストルーム」と言っても全く通じない、トイレ・トイレットである。
ナポリとはネアポリス=新しいポリスという意味らしい。
ツアーには付き物のカメオ製造店の見学。カメオとは堅いものを削る技術という意味で、貝の表面を削って彫刻する飾り物。
ポンペイまでは30分ほどであった。レストランで食事。
生ハム・チーズ・ボイルなすの前菜、パスタ・ポーク、サラダ、アイスクリームでビールを飲んだ。5.5ユーロ。
約1時間かけてゆっくりの食事であった。
食事をしたレストラン ポンペイの街の教会
ポンペイ遺跡 は3時から5時までの2時間であった。
赤線は我々が歩いた所。ポンペイ遺跡はまだ全体の3分の位しか発掘されていない、私たちが2時間かけて見たのはその4分の1位と言う。
ポンペイは、ボスビオス火山の二日間の噴火で9メートルの火山灰に埋もれ、その後町は放棄されたが17世紀になって水道工事で偶然に発掘された。
火山灰に覆い尽くされたおかげで、多くの遺跡が原型をとどめて地中に保存された、というわけだ。
とりわけ、生き埋めになった人体が、その後肉の部分がなくなったため空洞として残り、そこに石膏を流して当時の遺体の状態を再現することが出来た。
入り口
メインストリート オデオン=小劇場
オデオンは現在も劇場ととして使われている。昔の楽屋 古い壁=漆喰とその上の塗装とアーチ型屋根
円形競技場 柱状の物は日除けのテントを支えるもの
遠くに今日のボスビオス山
車道(当時の馬車の轍の幅は1.5メートルでその部分がすり減っている)
横断歩道(馬車が通ることができるようになっている) 馬の手綱を止めるところ 二階からの配水管
Bar 天窓(明かり取りと雨水を取る) 雨水を貯める所
洗濯屋の3槽になった洗い場 鉛の水道管
オリーブを圧搾してオイルを絞る道具
共同水飲み場は通りの各所にある。洗濯屋の水道管の様に個人宅まで水道管を引くと有料になった。
古代ローマでは、無料の公共浴場ときれいな水のおかげで衛生的であったため疫病ははやらなかった。
たが、水道管は融点が低く加工しやすい鉛が使われたため、鉛害はローマ人の健康を害したと言われている。
神棚[ローマは多神教で多くはギリシャの神々を輸入した]
男性のシンボルが記されてい洗濯屋の染み抜きのための尿をためる道具る Bar(穴の中に熱湯の入った壺を置き湯煎した)
カルロスという人が選挙に出るに当たっての選挙用看板 再建された別荘地
原形をとどめている2階家 歩道につけられた日差しよけ屋根
遺体
泥ボーよけの為に上に突起物を置いた塀 バルコニー(再建)
ポンペイの遺跡発掘のきっかけとなった水路の跡 ギムナジウム(運動場)=未開放
ギムナジウム(運動場)の中 円形競技場
【容量を越えたので、以降は次ページに続く】